
そろそろ暑くなりかけなので、毎年恒例となった2026年最初の怪談記事を。藤原時代の初期に書かれた怪談本に、『日本国現報善悪霊異記』(略して『日本霊異記』)というのがある。上・中・下巻に分かれており、当時の怪異話や妖怪譚が収録されている。だが、当時の怪異現象はすべて外来宗教の仏教的解釈に結びつけられ、「因果応報」「悪因悪果」「自業自得」など、宗教オルグの法話として扱われている“仏教説話集”なのが味気ない。
不思議で奇妙な現象を、そのまま不可解で未知な体験としては受けとめず、すべて信心の不足に帰するつまらなさは、発光する浮遊物を見たら、なんでもかんでも「燐」か「プラズマ」現象にしてしまう、不思議さや未知の現象をそのまま受けとれない科学者(科学教の信者)と、1枚のコインの裏表のような同レベルのつまらなさだろう。『日本霊異記』は、そのまま読めば面白くない。けれども、記録されているさまざまな怪異現象や妖怪たちは、昔日の人々がなにを怪しみ、なにに恐怖していたのかを知るうえでは、民俗学的に貴重な資料といえるだろう。宗教臭さを度外視して読めば、1200年前にささやかれていた「ほんとにあった怖い話」になるようだ。
薬師寺の景戒(きょうかい/けいかい)が集めた怪異譚は、当然ながら寺に集まる人々にも法話あるいは説教として語られ、それを聞いた当時の人々は恐怖とともに、ふだんの行いを省みて信心や念仏、写経こそが救われる道と考えたのかもしれない。本を書く僧は説話もうまいという、なにやら、わたしが子ども時代に景戒がいた当の薬師寺で聞いた、高田好胤(こういん)のような人物像を想像してしまった。おそらく当時の景戒は、自身を律しながらマジメに仏教思想と、それにもとづく道徳観を広めようとしていたもので、今日の堕落して腐敗し仏や檀家を打ち捨てて「敵前逃亡」するような不マジメな坊主たちとは、かなり異質な存在だったのかもしれない。
ただし、仏教の故郷であるシャカ王国(北インド)から直接入ってきたわけではなく、中国や朝鮮半島を経由して輸入された仏教なので、儒教などの影響をモロにかぶった教義(差別思想)となっており、さまざまな人や動物に対する差別や蔑視は強烈だ。女性は、夫と子どもに文句もいわず尽くして一生をすごし(女修身)、生涯にわたり家庭で「貞節」に黙々と生きなければならないし、親や年長者にはそれが「毒親」でどんなに悪くてくだらない年長者であろうと忠孝を尽くさなねばならないし、特に人間の側から見て「醜い」動物、たとえばヘビや「ずるがしこい」キツネ(どこが?)などは徹底して忌避される。悪いことをすると、輪廻転生で「畜生道」に落ちて醜い動物たちになってしまうなど、わが家の周辺に出没する美しいアオダイショウやユーモラスで大人しいタヌキ、あるいはうちの凶暴な肉食獣(ネコ)が聞いたら、「バカいってんじゃないわよ、噛んじゃうからね! 噛むわよ!」と激怒しそうなことが書かれている。
「不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒」の五戒にもかかわらず、仏教の信者たちは平気でヘビを打(ぶ)ち殺してるし、坊主が魚を食べようとして村人に「不殺生」戒違反を疑われると、8尾の魚が急に法華経8巻の巻物に変わって無事に寺へとどけられるし、それを見て坊主は「不殺生」違反や「不妄語(嘘つき)」を反省するのかと思いきや、これも仏のご加護と魚を美味しく食べてるし、もうすでに1200年も前から堕落し放題じゃん!……というありさまなのだ。
そんな『日本霊異記』の貴重本を、下落合にお住いの野本直揮様よりお借りしてきた。1925年(大正14)に編纂された「日本古典全集」の第1回配本の、第1巻が『日本霊異記』だったのだ。原本は、江戸期に狩谷棭齊(えきさい)がまとめたもので、校訂を与謝野寛(鉄幹)・与謝野晶子、そして正宗敦夫が担当している。正宗敦夫は、正宗白鳥の実弟で国文学者だ。もちろん原典は漢文なので、それを読み下しやすいようレ点や返り点、簡単な送りカナをふっている。
この「日本古典全集」は、日本古典全集刊行会が出版したものだが編集部は下落合の北側、長崎村前高松162番地(のち長崎町長崎東3丁目/現・豊島区高松2丁目)の、長島豊太郎邸内に設置されていた。1925年(大正14)に第1回配本となった第1巻『日本霊異記』を皮切りに、1944年(昭和19)の校訂・万里集九による第266巻『新韻集』まで、実に20年間も出版しつづけた全266巻の稀有かつ壮大な全集本だ。昭和期に入ってブームになる、全集本や円本全集のいわば先駆けのようなシリーズ本だった。当初は非売品で、刊行会に登録されている会員のみに配本されていたようだが、昭和初期の全集ブームのときは、途中から書店に卸して一般に販売されているのかもしれない。
不思議で奇妙な現象を、そのまま不可解で未知な体験としては受けとめず、すべて信心の不足に帰するつまらなさは、発光する浮遊物を見たら、なんでもかんでも「燐」か「プラズマ」現象にしてしまう、不思議さや未知の現象をそのまま受けとれない科学者(科学教の信者)と、1枚のコインの裏表のような同レベルのつまらなさだろう。『日本霊異記』は、そのまま読めば面白くない。けれども、記録されているさまざまな怪異現象や妖怪たちは、昔日の人々がなにを怪しみ、なにに恐怖していたのかを知るうえでは、民俗学的に貴重な資料といえるだろう。宗教臭さを度外視して読めば、1200年前にささやかれていた「ほんとにあった怖い話」になるようだ。
薬師寺の景戒(きょうかい/けいかい)が集めた怪異譚は、当然ながら寺に集まる人々にも法話あるいは説教として語られ、それを聞いた当時の人々は恐怖とともに、ふだんの行いを省みて信心や念仏、写経こそが救われる道と考えたのかもしれない。本を書く僧は説話もうまいという、なにやら、わたしが子ども時代に景戒がいた当の薬師寺で聞いた、高田好胤(こういん)のような人物像を想像してしまった。おそらく当時の景戒は、自身を律しながらマジメに仏教思想と、それにもとづく道徳観を広めようとしていたもので、今日の堕落して腐敗し仏や檀家を打ち捨てて「敵前逃亡」するような不マジメな坊主たちとは、かなり異質な存在だったのかもしれない。
ただし、仏教の故郷であるシャカ王国(北インド)から直接入ってきたわけではなく、中国や朝鮮半島を経由して輸入された仏教なので、儒教などの影響をモロにかぶった教義(差別思想)となっており、さまざまな人や動物に対する差別や蔑視は強烈だ。女性は、夫と子どもに文句もいわず尽くして一生をすごし(女修身)、生涯にわたり家庭で「貞節」に黙々と生きなければならないし、親や年長者にはそれが「毒親」でどんなに悪くてくだらない年長者であろうと忠孝を尽くさなねばならないし、特に人間の側から見て「醜い」動物、たとえばヘビや「ずるがしこい」キツネ(どこが?)などは徹底して忌避される。悪いことをすると、輪廻転生で「畜生道」に落ちて醜い動物たちになってしまうなど、わが家の周辺に出没する美しいアオダイショウやユーモラスで大人しいタヌキ、あるいはうちの凶暴な肉食獣(ネコ)が聞いたら、「バカいってんじゃないわよ、噛んじゃうからね! 噛むわよ!」と激怒しそうなことが書かれている。
「不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒」の五戒にもかかわらず、仏教の信者たちは平気でヘビを打(ぶ)ち殺してるし、坊主が魚を食べようとして村人に「不殺生」戒違反を疑われると、8尾の魚が急に法華経8巻の巻物に変わって無事に寺へとどけられるし、それを見て坊主は「不殺生」違反や「不妄語(嘘つき)」を反省するのかと思いきや、これも仏のご加護と魚を美味しく食べてるし、もうすでに1200年も前から堕落し放題じゃん!……というありさまなのだ。
そんな『日本霊異記』の貴重本を、下落合にお住いの野本直揮様よりお借りしてきた。1925年(大正14)に編纂された「日本古典全集」の第1回配本の、第1巻が『日本霊異記』だったのだ。原本は、江戸期に狩谷棭齊(えきさい)がまとめたもので、校訂を与謝野寛(鉄幹)・与謝野晶子、そして正宗敦夫が担当している。正宗敦夫は、正宗白鳥の実弟で国文学者だ。もちろん原典は漢文なので、それを読み下しやすいようレ点や返り点、簡単な送りカナをふっている。
この「日本古典全集」は、日本古典全集刊行会が出版したものだが編集部は下落合の北側、長崎村前高松162番地(のち長崎町長崎東3丁目/現・豊島区高松2丁目)の、長島豊太郎邸内に設置されていた。1925年(大正14)に第1回配本となった第1巻『日本霊異記』を皮切りに、1944年(昭和19)の校訂・万里集九による第266巻『新韻集』まで、実に20年間も出版しつづけた全266巻の稀有かつ壮大な全集本だ。昭和期に入ってブームになる、全集本や円本全集のいわば先駆けのようなシリーズ本だった。当初は非売品で、刊行会に登録されている会員のみに配本されていたようだが、昭和初期の全集ブームのときは、途中から書店に卸して一般に販売されているのかもしれない。




さて、『日本霊異記』の怪談を少しだけ紹介してみよう。小泉八雲が採集した「雪女」にどこか似たような話だけれど、キツネが美しい女子に化けて嫁になり、子どもを産んで仲睦まじく暮らしていたが、家の飼いイヌだけはどうしても懐かず吠えてばかりいた。そんなある日、妻はイヌに襲われてキツネの正体を現し、子どもを残したままどこへともなく消えていった。「雪女」は、これで二度と妻には逢えなくなるのだが、夫が「いつでもおいで」とキツネにいうと、ときどき妻の姿に化けては訪ねてきた。ある日、おめかししてやってきた妻は、家をでると二度ともどってくることはなかった……という、狐狸妖怪譚にしてはちょっと切なさが漂う展開だ。
日本古典全集版の『日本霊異記』だと、すべての記述が漢文体でわずらわしいので、ここは岩波書店の新日本古典文学大系シリーズの第30巻、『日本霊異記』から引用してみよう。
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すなはち家に将(ゐ)て、交通(とつ)ぎて相住む。此頃懐妊みて一の男子を生む。時に其の家の犬も十二月の十五日に子を生む。彼の犬の子、家室(妻)に向ふごとに期剋(いのご)ひ睚眥(にら)み嘷吠(ほ)ゆ。家室(妻)脅え惶(おそ)り、家長(夫)に告げて言はく「此の犬を打ち殺せ」といふ。患へ告ぐといへどもなほ殺さず。二月三月の頃に、年米を設けて春(つ)く。時に其の家室(妻)、稲春女等に間食を充てむとして碓屋(からうすや)に入る。すなはち彼の犬の子、家室(妻)を咋(く)はむとして追ひ吠ゆ。すなはち驚き譟(さわ)ぎ恐ぢ、野干(きつね)に成り、籬(まがき)の上に登りて居る。家長見て言はく、「汝と我との中に子を相生むが故に、吾れは汝を忘れじ。毎に来りて相寝よ」といふ。故に夫の語に随ひて来て寝き。故に名づけて支都禰(きつね)と為ふなり。(カッコ内引用者註)
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キツネの妻との間に生まれた子どもも、「岐都禰(きつね)」と名づけられて(まんまじゃんw)成長し、足は鳥が飛ぶように速く力も強かったという。
怪異譚の中には、薬師寺にいた行基に関連するものも含まれている。大坂(大阪)難波に赴き、集会の会場で人々に法話を説いていたところ、会場で大声をあげて泣いている子どもがいた。河内からやってきた母親に背負われたその子は、10歳を越えているのに歩きもしなければ言葉もしゃべらず、泣き叫んではおっぱいを欲しがるだけだった。その泣き声で、行基の法話がとぎれがちになり、人々は法話がほとんど聞こえなかった。すると、行基は母親に「その子を川へ投げて打(ぶ)っ殺せ」と命じた。以下、岩波書店版の『日本霊異記』からつづけて引用してみよう。
日本古典全集版の『日本霊異記』だと、すべての記述が漢文体でわずらわしいので、ここは岩波書店の新日本古典文学大系シリーズの第30巻、『日本霊異記』から引用してみよう。
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すなはち家に将(ゐ)て、交通(とつ)ぎて相住む。此頃懐妊みて一の男子を生む。時に其の家の犬も十二月の十五日に子を生む。彼の犬の子、家室(妻)に向ふごとに期剋(いのご)ひ睚眥(にら)み嘷吠(ほ)ゆ。家室(妻)脅え惶(おそ)り、家長(夫)に告げて言はく「此の犬を打ち殺せ」といふ。患へ告ぐといへどもなほ殺さず。二月三月の頃に、年米を設けて春(つ)く。時に其の家室(妻)、稲春女等に間食を充てむとして碓屋(からうすや)に入る。すなはち彼の犬の子、家室(妻)を咋(く)はむとして追ひ吠ゆ。すなはち驚き譟(さわ)ぎ恐ぢ、野干(きつね)に成り、籬(まがき)の上に登りて居る。家長見て言はく、「汝と我との中に子を相生むが故に、吾れは汝を忘れじ。毎に来りて相寝よ」といふ。故に夫の語に随ひて来て寝き。故に名づけて支都禰(きつね)と為ふなり。(カッコ内引用者註)
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キツネの妻との間に生まれた子どもも、「岐都禰(きつね)」と名づけられて(まんまじゃんw)成長し、足は鳥が飛ぶように速く力も強かったという。
怪異譚の中には、薬師寺にいた行基に関連するものも含まれている。大坂(大阪)難波に赴き、集会の会場で人々に法話を説いていたところ、会場で大声をあげて泣いている子どもがいた。河内からやってきた母親に背負われたその子は、10歳を越えているのに歩きもしなければ言葉もしゃべらず、泣き叫んではおっぱいを欲しがるだけだった。その泣き声で、行基の法話がとぎれがちになり、人々は法話がほとんど聞こえなかった。すると、行基は母親に「その子を川へ投げて打(ぶ)っ殺せ」と命じた。以下、岩波書店版の『日本霊異記』からつづけて引用してみよう。




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其の児哭(な)き譴(せ)めて法を聞かしめず。其の子年十余歳に至りて其脚歩まず。哭き譴めて乳を飲み、物を噉(く)ふこと間無し。大徳(行基)告げて曰はく「咄(や)、彼の嬢人、其の汝が子を持ち出でて淵に捨てよ」とのたまふ。衆人聞きて、当頭(つつめ)きて曰はく「慈有る聖人、何の因縁を以ちてか是の告有る」といふ。嬢子を慈(いつくし)ぶるに依りて、棄てずしてなほ抱き、持ちて法を説きたまふを聞く。明日にまた来る。子を携きて法を聞く。子なほ囂(かまびす)しく哭き、聴く衆囂に障へられて法を聞くこと得ず。大徳(行基)嘖(せ)めて言はく「其の子を淵に投(なげす)てよ」とのたまふ。爾(そ)の母怪ぶれども思ひ忍ぶること得ず、浮き淵に擲(なげす)つ。児また水の上に浮出でて足を踏み手を攢(も)み目を大く膽睴(みは)りて、慷慨(ねた)みて曰はく「惻(ねた)きかな。今三年徴り食はむをや」といふ。母怪びてまた会に入り法を聞く。大徳(行基)問ひて言はく「子を擲捨てたりや」とのたまふ。時に母答へて具(つぶさ)に上の事を陳ぶ。(カッコ内引用者註)
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「不殺生」は、五戒の1番目にくる最重要なテーマじゃなかったんですか?……という疑問もわくが、この子どもには恨みがこもった前世の因縁が取り憑いており(いま風の怪談でいえば前世の怨霊が憑依しており)、母親を窮地に追いこみ破滅させようとしていたことになっている。だから、行基の説法をことさら泣きわめき邪魔しようとしたのだという。
でも、「親の因果が子に報い~」と、江戸期の見世物小屋ではないけれど、坊主にいわれたからといって、母親が実子を早々に川へ投げこんで殺すのは、あまりに早計で短慮だし、仏力で除霊しようとするのが「そもそも筋じゃね?」と、つい思ってしまう結末だ。川に投げこまれて殺された子の責任は、いったい誰がどのように負わなければならないのだろうか。これもいま風にいえば、母親は殺人罪であり、行基は立派な殺人教唆の罪に問われる案件だろう。いくら発育が遅いからといって、今日的に解釈すれば障碍者かもしれない子どもを、「前世からの因縁」という理由づけで「不殺生」戒のはずの坊主が「殺せ」というのは、「どーかしてんじゃね?」という怪談だ。
其の児哭(な)き譴(せ)めて法を聞かしめず。其の子年十余歳に至りて其脚歩まず。哭き譴めて乳を飲み、物を噉(く)ふこと間無し。大徳(行基)告げて曰はく「咄(や)、彼の嬢人、其の汝が子を持ち出でて淵に捨てよ」とのたまふ。衆人聞きて、当頭(つつめ)きて曰はく「慈有る聖人、何の因縁を以ちてか是の告有る」といふ。嬢子を慈(いつくし)ぶるに依りて、棄てずしてなほ抱き、持ちて法を説きたまふを聞く。明日にまた来る。子を携きて法を聞く。子なほ囂(かまびす)しく哭き、聴く衆囂に障へられて法を聞くこと得ず。大徳(行基)嘖(せ)めて言はく「其の子を淵に投(なげす)てよ」とのたまふ。爾(そ)の母怪ぶれども思ひ忍ぶること得ず、浮き淵に擲(なげす)つ。児また水の上に浮出でて足を踏み手を攢(も)み目を大く膽睴(みは)りて、慷慨(ねた)みて曰はく「惻(ねた)きかな。今三年徴り食はむをや」といふ。母怪びてまた会に入り法を聞く。大徳(行基)問ひて言はく「子を擲捨てたりや」とのたまふ。時に母答へて具(つぶさ)に上の事を陳ぶ。(カッコ内引用者註)
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「不殺生」は、五戒の1番目にくる最重要なテーマじゃなかったんですか?……という疑問もわくが、この子どもには恨みがこもった前世の因縁が取り憑いており(いま風の怪談でいえば前世の怨霊が憑依しており)、母親を窮地に追いこみ破滅させようとしていたことになっている。だから、行基の説法をことさら泣きわめき邪魔しようとしたのだという。
でも、「親の因果が子に報い~」と、江戸期の見世物小屋ではないけれど、坊主にいわれたからといって、母親が実子を早々に川へ投げこんで殺すのは、あまりに早計で短慮だし、仏力で除霊しようとするのが「そもそも筋じゃね?」と、つい思ってしまう結末だ。川に投げこまれて殺された子の責任は、いったい誰がどのように負わなければならないのだろうか。これもいま風にいえば、母親は殺人罪であり、行基は立派な殺人教唆の罪に問われる案件だろう。いくら発育が遅いからといって、今日的に解釈すれば障碍者かもしれない子どもを、「前世からの因縁」という理由づけで「不殺生」戒のはずの坊主が「殺せ」というのは、「どーかしてんじゃね?」という怪談だ。



ほかにも、舌だけ腐敗しないで法華経を唱える坊主の野ざらし髑髏とか、「かぐや姫」と同様にある美しい娘のもとへ求婚者が殺到し、いちばんカネめのものを持参した男と結婚させたら、実は男は鬼で、首と指だけ残して娘をぜんぶ食われたとか、ふだんの食事で肉魚を食い8両で仕入れた綿を10両で売り、米を貸して返してもらうとき少しばかり利息をとったせいで(商業で生活していくためには、仕事に対する当然の報酬だと思うが)、畜生道に落とされヘビ→赤イヌ→ネコに転生するハメになったオヤジの話とか、こんな怪談ばかりを収集していた景戒のほうがよほど怪しい人物に見えてくる。人々が殺しあう戦争でこの世がイヤになり「私は貝になりたい」と輪廻を望んだ床屋の清水豊松は、「それが仏罰じゃ」などと決めつけられかねない雰囲気が漂っているようだ。
◆写真上:怪しい映画やドラマには、相変わらず下落合の街角風景が登場している。
◆写真中上:上は、1925年(大正14)に出版された日本古典全集の第1巻『日本霊異記』のカバー(左)と表紙(右)。中上は、同書の中扉(左)と奥付(右)。中下は、日本古典全集の同全集刊行会編集室が置かれていた長崎村前高松162番地(現・高松2丁目)の長島豊太郎邸。下は、1925年(大正14)の第1巻から1944年(昭和19)の第266巻までつづいた日本古典全集。
◆写真中下:上は、『日本霊異記』の中巻33話めに登場する娘を鬼に食われた話。中上は、1968年(昭和43)に上映された『蛇女』(東映)のワンシーン。中下は、長崎市の光源寺に奉納されている「産女(うぶめ)」の幽霊彫刻。井上哲学堂の哲理門にいる、幽霊姉さんよりもかなりおっかない。下は、1995年(平成7)に出版された新編日本古典文学全集『日本霊異記』(小学館/左)と、1996年(平成8)出版の新日本古典文学大系『日本霊異記』(岩波書店/右)。
◆写真下:上は、ともにマンガ版で2013年(平成25)出版のichida『日本霊異記』(メディアファクトリー/左)と、2015年(平成26)出版の水木しげる『日本霊異記』(角川書店/右)。中は、お化けよりも怖い原泉演じる巫女。下は、1200年をへた現代でも妖(あやかし)は出現しつづけているらしい。
◆写真中上:上は、1925年(大正14)に出版された日本古典全集の第1巻『日本霊異記』のカバー(左)と表紙(右)。中上は、同書の中扉(左)と奥付(右)。中下は、日本古典全集の同全集刊行会編集室が置かれていた長崎村前高松162番地(現・高松2丁目)の長島豊太郎邸。下は、1925年(大正14)の第1巻から1944年(昭和19)の第266巻までつづいた日本古典全集。
◆写真中下:上は、『日本霊異記』の中巻33話めに登場する娘を鬼に食われた話。中上は、1968年(昭和43)に上映された『蛇女』(東映)のワンシーン。中下は、長崎市の光源寺に奉納されている「産女(うぶめ)」の幽霊彫刻。井上哲学堂の哲理門にいる、幽霊姉さんよりもかなりおっかない。下は、1995年(平成7)に出版された新編日本古典文学全集『日本霊異記』(小学館/左)と、1996年(平成8)出版の新日本古典文学大系『日本霊異記』(岩波書店/右)。
◆写真下:上は、ともにマンガ版で2013年(平成25)出版のichida『日本霊異記』(メディアファクトリー/左)と、2015年(平成26)出版の水木しげる『日本霊異記』(角川書店/右)。中は、お化けよりも怖い原泉演じる巫女。下は、1200年をへた現代でも妖(あやかし)は出現しつづけているらしい。


































































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