1931年(昭和6)の「満洲事変」以降、日中戦争が激しくなるにつれ、日本国内には風景の写生禁止・撮影禁止の場所が急増していく。特に港湾や海岸線は、海軍の艦艇が往来したり新造艦の公試運転が行われるため、特に厳しい監視の目が注がれていた。
東京の周辺でいうと、海軍工廠があった横須賀市街を走る横須賀線は、港湾や工廠のガントリークレーンのある側の窓は、すべてブラインドを下すよう命令されていたのを、三浦半島へのハイキングの際など親たちからよく聞かされた。特に、建造中の艦艇や、海軍へ引きわたされる前後の公試運転中の新造艦が停泊したりしていると、警官や憲兵隊が付近の家々や山々までを監視してまわっていた。写生や撮影が見つかると、即座に検挙されることになる。
アニメ映画『この世界の片隅に』(監督・片渕須直/2016年)の中で、太平洋戦争末期に「北條すず」が瀬戸内海を写生していると、憲兵がやってきて「間諜(スパイ)」行為だとして叱責・罵倒するシーンがあるけれど、描いていたスケッチブックだけ没収して、あとは自宅へ“連行”してそのまま“釈放”することなどありえない。特に「すず」は、レイテ沖海戦やエンガノ岬沖海戦で傷つき、ほうほうの体でようやく帰還してきた聯合艦隊の残存部隊(原作では航空戦艦「日向」と重巡「利根」)を写生しており、即座に憲兵隊本部へ連行されただろう。これは「要塞地帯法」の第7条違反、または「軍港要港規則」の第19条違反にあたり、その物証とともに現行犯である「北條すず」が逮捕・拘留され、起訴されないのはアニメ(ファンタジー)の世界だからだ。
昭和10年代の画家たちは、この要塞地法や軍港要港規則などで、たまにヒドイめに遭っている。別に、写生が禁止されていない場所で風景画を描いていても、間諜(スパイ)の嫌疑をかけられて連行されることもめずらしくなかった。特に海が見わたせる付近では軍港や、必要に応じて艦船が出入りする要港でなくても、うっかり沖に目を向けて写生したりしていると、地元の巡査や在郷軍人会の役員に見とがめられ、事実としてプロの画家であることが証明されるか、誰かを保証人に立てて「無実」が証明されるまで、連行・拘留されることも少なくなかった。
以下、1935年(昭和10)現在の要塞地法と、港湾に関する軍港要港規則を引用してみよう。
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要塞地帯法/第七条 何人ト雖モ要塞司令官ノ許可ヲ得ルニアラザレバ要塞地帯内水陸形状ヲ測量撮影模写録取シ又ハ要塞地帯内ヲ航空スルコトヲ得ズ
軍港要港規則/第十九条 鎮守府司令官ノ許可ヲ得ズシテ軍港要港内ヲ航空シ又ハ同境域内水陸ノ形状ヲ測量、撮影、模写、録取シ若シクハ地理案内等ノ図書ヲ発行スルコトヲ禁ズ
▲
上記の2法ばかりでなく、朝鮮半島や中国では「関東洲防禦営造物地帯令」の第4条、台湾では1919年(大正8)まで「台湾国防用防禦営造物区域取締規則」(のち国内「要塞地法」を適用)によって、軍の施設や艦船が停泊・航行する港や海域は、すべて「測量、撮影、模写、録取」が禁止された。ただし、今日のように正確な位置座標を規定できるGPSなどない時代なので、上記法の適用は大雑把なエリアとなり、それが戦争の激化とともに曖昧化し拡大されていった。
1930年代になると、個人で携帯できるコンパクトなカメラを所有する市民が急増し、あらゆる場所での写真撮影が可能になったため、特に海浜地帯に軍港や造船所などを抱える軍部や自治体では、撮影禁止区域の監視に頭を痛めていたようだ。そのために、憲兵隊と協議してパトロールを強化したり、監視する警官の人数を増やしたりしている。また、軍港や要塞を抱える地元では、「不審人物」を見かけたらただちに官憲へ通報するよう、住民たちへの通達も繰り返し頻繁に行われていた。画家が写生していて連行されたのは、この仕組みによるケースがほとんどだった。
東京の周辺でいうと、海軍工廠があった横須賀市街を走る横須賀線は、港湾や工廠のガントリークレーンのある側の窓は、すべてブラインドを下すよう命令されていたのを、三浦半島へのハイキングの際など親たちからよく聞かされた。特に、建造中の艦艇や、海軍へ引きわたされる前後の公試運転中の新造艦が停泊したりしていると、警官や憲兵隊が付近の家々や山々までを監視してまわっていた。写生や撮影が見つかると、即座に検挙されることになる。
アニメ映画『この世界の片隅に』(監督・片渕須直/2016年)の中で、太平洋戦争末期に「北條すず」が瀬戸内海を写生していると、憲兵がやってきて「間諜(スパイ)」行為だとして叱責・罵倒するシーンがあるけれど、描いていたスケッチブックだけ没収して、あとは自宅へ“連行”してそのまま“釈放”することなどありえない。特に「すず」は、レイテ沖海戦やエンガノ岬沖海戦で傷つき、ほうほうの体でようやく帰還してきた聯合艦隊の残存部隊(原作では航空戦艦「日向」と重巡「利根」)を写生しており、即座に憲兵隊本部へ連行されただろう。これは「要塞地帯法」の第7条違反、または「軍港要港規則」の第19条違反にあたり、その物証とともに現行犯である「北條すず」が逮捕・拘留され、起訴されないのはアニメ(ファンタジー)の世界だからだ。
昭和10年代の画家たちは、この要塞地法や軍港要港規則などで、たまにヒドイめに遭っている。別に、写生が禁止されていない場所で風景画を描いていても、間諜(スパイ)の嫌疑をかけられて連行されることもめずらしくなかった。特に海が見わたせる付近では軍港や、必要に応じて艦船が出入りする要港でなくても、うっかり沖に目を向けて写生したりしていると、地元の巡査や在郷軍人会の役員に見とがめられ、事実としてプロの画家であることが証明されるか、誰かを保証人に立てて「無実」が証明されるまで、連行・拘留されることも少なくなかった。
以下、1935年(昭和10)現在の要塞地法と、港湾に関する軍港要港規則を引用してみよう。
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要塞地帯法/第七条 何人ト雖モ要塞司令官ノ許可ヲ得ルニアラザレバ要塞地帯内水陸形状ヲ測量撮影模写録取シ又ハ要塞地帯内ヲ航空スルコトヲ得ズ
軍港要港規則/第十九条 鎮守府司令官ノ許可ヲ得ズシテ軍港要港内ヲ航空シ又ハ同境域内水陸ノ形状ヲ測量、撮影、模写、録取シ若シクハ地理案内等ノ図書ヲ発行スルコトヲ禁ズ
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上記の2法ばかりでなく、朝鮮半島や中国では「関東洲防禦営造物地帯令」の第4条、台湾では1919年(大正8)まで「台湾国防用防禦営造物区域取締規則」(のち国内「要塞地法」を適用)によって、軍の施設や艦船が停泊・航行する港や海域は、すべて「測量、撮影、模写、録取」が禁止された。ただし、今日のように正確な位置座標を規定できるGPSなどない時代なので、上記法の適用は大雑把なエリアとなり、それが戦争の激化とともに曖昧化し拡大されていった。
1930年代になると、個人で携帯できるコンパクトなカメラを所有する市民が急増し、あらゆる場所での写真撮影が可能になったため、特に海浜地帯に軍港や造船所などを抱える軍部や自治体では、撮影禁止区域の監視に頭を痛めていたようだ。そのために、憲兵隊と協議してパトロールを強化したり、監視する警官の人数を増やしたりしている。また、軍港や要塞を抱える地元では、「不審人物」を見かけたらただちに官憲へ通報するよう、住民たちへの通達も繰り返し頻繁に行われていた。画家が写生していて連行されたのは、この仕組みによるケースがほとんどだった。


戦前の上落合に、個人用のカメラなど撮影機材一式を販売する、康業社という会社が営業していた。写真を趣味とする、個人のアマチュアカメラマンを顧客に、カメラやフィルムなどを販売していたが、同社には出版部も付属していて、初心者向けの「写真入門」「カメラ入門」のような書籍類も刊行している。西武線・下落合駅から、旧・八幡通り沿いの商店街を少し西へ入った、上落合1丁目263番地で営業しており、写真誌などへ媒体広告も出稿している。
同社の出版物に、T.P.S.(東京写真研究会=Tokyo Photographic Society)に所属する清水久が執筆し、1935年(昭和10)に出版された『すばらしく上手に写れる初歩の写真読本』という書籍がある。カメラの機能説明にはじまり、さまざまな写真の撮影方法、フィルムの種類と特徴、風景・静物から動体(人間や乗り物など)までの撮影テクニック、現像方法と焼き付け・印画の手順、おまけに写真の修正技術など、カメラの初心者に向けて懇切ていねいに解説をほどこした写真の入門書だ。その中で、特に「注意すべき撮影禁止区域」という項目が1章が設けられ、20ページにわたり撮影が禁止されている地域が、概略地図入りで紹介されている。同書より、少しだけ引用してみよう。
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撮影の為に旅行したり、旅行のついでに撮影したりすることは、写真家に与へられた最大のたのしみであるが、何処へ行つても自由に写すといふことは出来ない。旅行した地方によつては、撮影を禁止されてゐる場所がある。(中略) ことに国法によつて禁止されてゐる要塞地帯などは、いくら写真機が自分のものであるからと云つても、一定の手続を経ないと、思はぬところで、国法を犯すことになる。要塞地帯には陸軍管轄の要塞地帯と海軍管轄の軍港や要港地域がある。これに関する規則や地域はときどき変更になり、その度毎に官報に発表されるが、うつかりしてゐるとそれに気付かないことがあるから、若し不安の場合には、その地の官庁に問合せるとよい。
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上記のように、1935年(昭和10)の段階では規制がそれほどでもなく、いまだ過剰な取り締まりや太平洋戦争中のようなヒステリックな監視・拘束・検挙の仕組みができていなかったせいか、写真に撮りたい場所やスケジュールを詳しく書いた「撮影願」を、地元の陸海軍の司令官あてに提出すれば、撮影に差し障りのない時期を選んで許可が下りていた。
これは、おそらく画家も同様で、港を見下ろすような丘上で風景画の制作をしたい場合は、地元の要塞地帯司令部か鎮守府の司令官あてに「模写(写生)願」を提出し、「作業許可証」を得てから予定のスケジュールでその場所を訪れ制作していたとみられる。また、「作業不可」の回答が寄せられることも多く、特に米英との対立が深まり、太平洋戦争が近づくにつれて「作業許可証」を得ることは、よほど軍部にコネがあるか軍の親密な協力者でないかぎり困難になっていった。
同社の出版物に、T.P.S.(東京写真研究会=Tokyo Photographic Society)に所属する清水久が執筆し、1935年(昭和10)に出版された『すばらしく上手に写れる初歩の写真読本』という書籍がある。カメラの機能説明にはじまり、さまざまな写真の撮影方法、フィルムの種類と特徴、風景・静物から動体(人間や乗り物など)までの撮影テクニック、現像方法と焼き付け・印画の手順、おまけに写真の修正技術など、カメラの初心者に向けて懇切ていねいに解説をほどこした写真の入門書だ。その中で、特に「注意すべき撮影禁止区域」という項目が1章が設けられ、20ページにわたり撮影が禁止されている地域が、概略地図入りで紹介されている。同書より、少しだけ引用してみよう。
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撮影の為に旅行したり、旅行のついでに撮影したりすることは、写真家に与へられた最大のたのしみであるが、何処へ行つても自由に写すといふことは出来ない。旅行した地方によつては、撮影を禁止されてゐる場所がある。(中略) ことに国法によつて禁止されてゐる要塞地帯などは、いくら写真機が自分のものであるからと云つても、一定の手続を経ないと、思はぬところで、国法を犯すことになる。要塞地帯には陸軍管轄の要塞地帯と海軍管轄の軍港や要港地域がある。これに関する規則や地域はときどき変更になり、その度毎に官報に発表されるが、うつかりしてゐるとそれに気付かないことがあるから、若し不安の場合には、その地の官庁に問合せるとよい。
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上記のように、1935年(昭和10)の段階では規制がそれほどでもなく、いまだ過剰な取り締まりや太平洋戦争中のようなヒステリックな監視・拘束・検挙の仕組みができていなかったせいか、写真に撮りたい場所やスケジュールを詳しく書いた「撮影願」を、地元の陸海軍の司令官あてに提出すれば、撮影に差し障りのない時期を選んで許可が下りていた。
これは、おそらく画家も同様で、港を見下ろすような丘上で風景画の制作をしたい場合は、地元の要塞地帯司令部か鎮守府の司令官あてに「模写(写生)願」を提出し、「作業許可証」を得てから予定のスケジュールでその場所を訪れ制作していたとみられる。また、「作業不可」の回答が寄せられることも多く、特に米英との対立が深まり、太平洋戦争が近づくにつれて「作業許可証」を得ることは、よほど軍部にコネがあるか軍の親密な協力者でないかぎり困難になっていった。



たとえば、先述した横須賀の海軍工廠のケースでいうと、1944年(昭和19)10月に大和型戦艦の3番艦(110号艦)で、航空母艦に改装された「信濃」がドッグ内注水で進水し(実際には事故で一時中断)、翌11月にかけて館山沖や千葉沖を中心に公試運転が行われているが、このとき横須賀線ばかりでなく、三浦半島や房総半島で海が見下ろせる建物の窓はすべてふさがれ、見晴らしのいい場所にはすべて憲兵や警察官が配置されるなど、空前の防諜・監視体制が敷かれたことは、いまでも語り草になっている。このような時期に、三浦半島や房総半島の山々で写生や撮影はおろか、ハイキングをしていただけでも即座に検束・拘留されただろう。
『すばらしく上手に写れる初歩の写真読本』(1935年)には、当時、地元の市町村役場や警察署、憲兵隊へいけば、撮影禁止場所の具体的なエリアを記載した地図(図面)を閲覧できたようで、それを参照しながら現地の撮影場所を決定したほうがいいとしている。どのような観光地においても、近くに陸海軍の施設があれば、気軽にカメラのシャッターを押して写真など撮れなかった。特に、東京湾岸は横浜市の本牧より北側を除き、ほとんどすべてが撮影禁止の「東京湾要塞地帯」であり、三浦半島のすべてと房総半島の西側は、全地域が撮影禁止となっていた。それでも、航行する船舶の写真を撮影したければ、先の「撮影願」を東京湾要塞司令部または横須賀鎮守府の司令官あてに提出し、「作業許可証」が下りるのを待たねばならなかった。
1935年(昭和10年)の当時は、いまだ私的な写真撮影に軍部はいくらか鷹揚だったようで、「作業許可証」が下りる確率はそれほど低くはなかったらしい。同書より、つづけて引用してみよう。
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左図(東京湾要塞地帯)の中で網目の区域は海軍の管轄に属する部分であるから、願書は横須賀鎮守府司令長官へ、その他は東京湾要塞司令官へ提出すればよい。(中略) 一部分の撮影が解除されてゐるところもあるからその区域は、東京湾要塞司令部、横須賀鎮守府、その他その区域の市町村役場、警察署、憲兵隊に備へ付けの図面について見られるとよい。(カッコ内引用者註)
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上記の中で、「一部分の撮影が解除されてゐるところ」とあるのは、市街地化が進む横浜市の金沢区などのことで、戦前に撮影された地図製作用の写真にも、観光地化がいちじるしかった鎌倉市街地や三浦半島部は存在しないが、大船や横浜市金沢区の市街地域は撮影され残されている。
『すばらしく上手に写れる初歩の写真読本』(1935年)には、当時、地元の市町村役場や警察署、憲兵隊へいけば、撮影禁止場所の具体的なエリアを記載した地図(図面)を閲覧できたようで、それを参照しながら現地の撮影場所を決定したほうがいいとしている。どのような観光地においても、近くに陸海軍の施設があれば、気軽にカメラのシャッターを押して写真など撮れなかった。特に、東京湾岸は横浜市の本牧より北側を除き、ほとんどすべてが撮影禁止の「東京湾要塞地帯」であり、三浦半島のすべてと房総半島の西側は、全地域が撮影禁止となっていた。それでも、航行する船舶の写真を撮影したければ、先の「撮影願」を東京湾要塞司令部または横須賀鎮守府の司令官あてに提出し、「作業許可証」が下りるのを待たねばならなかった。
1935年(昭和10年)の当時は、いまだ私的な写真撮影に軍部はいくらか鷹揚だったようで、「作業許可証」が下りる確率はそれほど低くはなかったらしい。同書より、つづけて引用してみよう。
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左図(東京湾要塞地帯)の中で網目の区域は海軍の管轄に属する部分であるから、願書は横須賀鎮守府司令長官へ、その他は東京湾要塞司令官へ提出すればよい。(中略) 一部分の撮影が解除されてゐるところもあるからその区域は、東京湾要塞司令部、横須賀鎮守府、その他その区域の市町村役場、警察署、憲兵隊に備へ付けの図面について見られるとよい。(カッコ内引用者註)
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上記の中で、「一部分の撮影が解除されてゐるところ」とあるのは、市街地化が進む横浜市の金沢区などのことで、戦前に撮影された地図製作用の写真にも、観光地化がいちじるしかった鎌倉市街地や三浦半島部は存在しないが、大船や横浜市金沢区の市街地域は撮影され残されている。


このほか、撮影禁止場所としては日光や京都の寺社および庭園、各地の帝国大学構内などが挙げられている。観光地の寺社が撮影禁止なのは、もちろん記念の観光絵はがきの販売に影響するからだが、帝大のキャンパス内が撮影禁止というのは、どのような理由によるものなのだろうか。
◆写真上:1970年(昭和45)に横須賀へ遊びにいったときにわたしが撮影した、横須賀海軍工廠時代から艦船建造に使われていた巨大なガントリークレーン。子どもとはいえ、戦時中なら即座に検挙・拘束されてカメラとフィルムは没収されていただろう。
◆写真中上:上は、アニメ映画『この世界の片隅に』(監督・片渕須直/2016年)の1シーンで、呉沖の航空戦艦「日向」と重巡「利根」を写生する「北條すず」。中は、横須賀港に接岸する海上自衛隊輸送艦「おおすみ」。いまは平和な時代なので、港内をいくら撮影しても警官や憲兵が飛んでくることなどありえない。下は、1935年(昭和10)に出版された清水久『すばらしく上手に写れる初歩の写真読本』(康業社出版部)の中扉(左)と奥付(右)。
◆写真中下:上は、康業社写真部が雑誌などに出稿していた媒体広告。中は、上落合1丁目263番地にあった康業社跡(正面の茶色いマンション)。下は、『すばらしく上手に写れる初歩の写真読本』に掲載の要塞地帯全国分布図で、左上は植民地だった朝鮮半島と台湾の地図。このあと、瀬戸内海の呉海軍工廠・鎮守府や柱島泊地の周辺など要塞地帯は拡大しつづける。
◆写真下:上は、同書に掲載された東京湾要塞地帯図。グレーの網がけは横須賀鎮守府が、点線の内側は東京湾要塞司令部が撮影禁止に指定しているエリア。ほかにも同書には、全国に分布する撮影禁止の要塞地帯概略図が掲載されている。下は、陸海軍あてに提出する「撮影願」様式。
★おまけ
戦後の1947年(昭和22)に撮影された横須賀軍港で、右手に空母「信濃」を建造した巨大なドックが見えている(上写真)。1944年(昭和19)11月19日に米軍の偵察機F13が撮影した、上写真のドック内で建造中の巨大な空母「信濃」をとらえた空中写真も米国で公開されている(下写真×2葉)。
◆写真中上:上は、アニメ映画『この世界の片隅に』(監督・片渕須直/2016年)の1シーンで、呉沖の航空戦艦「日向」と重巡「利根」を写生する「北條すず」。中は、横須賀港に接岸する海上自衛隊輸送艦「おおすみ」。いまは平和な時代なので、港内をいくら撮影しても警官や憲兵が飛んでくることなどありえない。下は、1935年(昭和10)に出版された清水久『すばらしく上手に写れる初歩の写真読本』(康業社出版部)の中扉(左)と奥付(右)。
◆写真中下:上は、康業社写真部が雑誌などに出稿していた媒体広告。中は、上落合1丁目263番地にあった康業社跡(正面の茶色いマンション)。下は、『すばらしく上手に写れる初歩の写真読本』に掲載の要塞地帯全国分布図で、左上は植民地だった朝鮮半島と台湾の地図。このあと、瀬戸内海の呉海軍工廠・鎮守府や柱島泊地の周辺など要塞地帯は拡大しつづける。
◆写真下:上は、同書に掲載された東京湾要塞地帯図。グレーの網がけは横須賀鎮守府が、点線の内側は東京湾要塞司令部が撮影禁止に指定しているエリア。ほかにも同書には、全国に分布する撮影禁止の要塞地帯概略図が掲載されている。下は、陸海軍あてに提出する「撮影願」様式。
★おまけ
戦後の1947年(昭和22)に撮影された横須賀軍港で、右手に空母「信濃」を建造した巨大なドックが見えている(上写真)。1944年(昭和19)11月19日に米軍の偵察機F13が撮影した、上写真のドック内で建造中の巨大な空母「信濃」をとらえた空中写真も米国で公開されている(下写真×2葉)。



この記事へのコメント
てんてん
落合道人
今日はほぼ1日雨で、外出が長かったせいかけっこう濡れてしまいました。
寒くて、温かい食事がうれしいですね。