
この5月で、拙サイトへのご訪問者がのべ2,600万人を超えた。2024年の12月31日で25,049,507PVを記録したのは2025年1月2日にご報告していたが、2025年1月にSeesaaブログへの移行以来、あまりアクセスカウンターには注意を払ってこなかった。Seesaaブログのデフォルトカウンターは月次のもので、以前のssブログのように累積PVが表示されない。
改めて移行時期からの月次訪問者数を合計したところ、のべ969,564人(2025年=727,874PV/2026年5月末=241,690PV)となり、合計すると26,019,071人と少し前にのべ2,600万人を超えていた。ただし、2024年の大晦日から1月のブログ移行までの期間は、ssブログのカウンターを記録していなかったので、実際はもう少し(10,000人ほど)多いのだろう。
ということで、今後とも拙ブログをどうぞよろしくお願いします。>ご訪問くださるみなさま。
改めて移行時期からの月次訪問者数を合計したところ、のべ969,564人(2025年=727,874PV/2026年5月末=241,690PV)となり、合計すると26,019,071人と少し前にのべ2,600万人を超えていた。ただし、2024年の大晦日から1月のブログ移行までの期間は、ssブログのカウンターを記録していなかったので、実際はもう少し(10,000人ほど)多いのだろう。
ということで、今後とも拙ブログをどうぞよろしくお願いします。>ご訪問くださるみなさま。
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自治体の報告書や建設用語として、緑視率(緑被率)という用語がある。また、街の風景を3次元的にとらえ、目で見た緑(樹木や草地)の割合を測るのが緑視率であり、たとえば空中写真のように平面上で緑地の割合を算出するのを緑被率とする見方もある。
『都市づくり用語辞典』(アーバン・ルネッサンス社/1987年)で「緑視率」を調べると、「緑被率が平面的な緑の量を把握する尺度であるのに対して、立体的な尺度として用いるもので、視野の範囲の中で植木等緑の占める面積の割合をいう」と解説されている。この緑視率の手法を用いて、新宿区は過去に区内各街の調査を行っている。緑視率調査は、1990年代からはじまっているようで、報告書の名称は変化しているが、現在でも同調査はつづけられているようだ。
それらの報告書には、落合地域を調査したものも含まれているので、ためしに古いレポートを入手して読んでみた。特に、落合地域は章立てが「目白文化村」となっており、下落合(現・中落合/中井含む)の中域部(現・中落合)における緑視率が調査されていると思ったからだ。目白文化村の界隈は、わたしの学生時代から下落合の東部に比べ、緑が急減していた地域なので(十三間通り貫通の影響が大きかったのだろう)、その緑視率に興味があった。
報告書は、1991年(平成3)に新宿区がまとめた『新宿区みどりの実態調査報告書』というもので、その資料編に区内の代表的な街並みの写真と、緑視率の解説が添えられている。だが、落合地域の代表的な街として写された「目白文化村」章だが、どこにも目白文化村の写真など掲載されていなかった。撮影されていたのは七曲坂の中腹に、オバケ坂(バッケ坂)から野鳥の森公園への下り口、そしてオバケ坂の上にある九条武子邸跡の前の道の3ヶ所で、下落合東部の風景ばかりだった。写真にプリントされた日付によれば、3枚とも1990年(平成2)9月29日に撮影されており、カメラマンは下落合東部の半径70mほどの風景を撮影したにすぎない。
これで落合地域の緑視率を換算されては、ちょっとかなわないなあ……という印象だ。あるいは、何らかの意図があり落合地域で緑視率の高い街角を、恣意的に選んで撮影しているのだろうか。上記の撮影場所は、第一文化村に接した箱根土地本社ビルの跡地から、東へなんと700m以上も離れている。勝巳商店地所部が、1940年(昭和15)に販売をスタートした「目白文化村」よりも、はるかに場ちがいで筋ちがいな地域といってもいいだろう。
なお、緑視率はそこが雑木林であろうが、庭の植樹であろうが緑が見えれば比率は向上するので、緑の質はあまり問題にされない。たとえば武蔵野の森や雑木林の名残りでも、マンションの周辺に植えられた申しわけ程度の植樹でも、“緑”には変わりないので、周囲から土が失われコンクリートのビルだらけになっても、緑視率が向上する、あるいは緑視率が変わらないこともありえるわけだ。つまり、その緑がどのようなもので、周辺の住環境(コミュニティ)にもたらす効果は?……というような、緑の質とその存在の意味あいはあまり問われないことになる。
では、「目白文化村」とされてしまった下落合東部の写真とともに、『新宿区みどりの実態調査報告書』(1991年)の解説を引用してみよう。まずは、写真①の九条武子邸跡の道筋の解説から。
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(3)目白文化村
この地区は、1戸あたりの住宅規模が比較的大きく、庭園木、生垣などが残され、坂道がつづいた所もあり、緑視効果の高い緑が多い。しかし、地域の緑の核となっている大規模な個人住宅の緑地は、都市化の進行により減少し失われつつあることから、適切な保全対策が必要である。また、道路巾が狭くブロック塀、板塀も多いため、今ある樹林を残しながら接道部植栽の改良を図ることが好ましい。
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『都市づくり用語辞典』(アーバン・ルネッサンス社/1987年)で「緑視率」を調べると、「緑被率が平面的な緑の量を把握する尺度であるのに対して、立体的な尺度として用いるもので、視野の範囲の中で植木等緑の占める面積の割合をいう」と解説されている。この緑視率の手法を用いて、新宿区は過去に区内各街の調査を行っている。緑視率調査は、1990年代からはじまっているようで、報告書の名称は変化しているが、現在でも同調査はつづけられているようだ。
それらの報告書には、落合地域を調査したものも含まれているので、ためしに古いレポートを入手して読んでみた。特に、落合地域は章立てが「目白文化村」となっており、下落合(現・中落合/中井含む)の中域部(現・中落合)における緑視率が調査されていると思ったからだ。目白文化村の界隈は、わたしの学生時代から下落合の東部に比べ、緑が急減していた地域なので(十三間通り貫通の影響が大きかったのだろう)、その緑視率に興味があった。
報告書は、1991年(平成3)に新宿区がまとめた『新宿区みどりの実態調査報告書』というもので、その資料編に区内の代表的な街並みの写真と、緑視率の解説が添えられている。だが、落合地域の代表的な街として写された「目白文化村」章だが、どこにも目白文化村の写真など掲載されていなかった。撮影されていたのは七曲坂の中腹に、オバケ坂(バッケ坂)から野鳥の森公園への下り口、そしてオバケ坂の上にある九条武子邸跡の前の道の3ヶ所で、下落合東部の風景ばかりだった。写真にプリントされた日付によれば、3枚とも1990年(平成2)9月29日に撮影されており、カメラマンは下落合東部の半径70mほどの風景を撮影したにすぎない。
これで落合地域の緑視率を換算されては、ちょっとかなわないなあ……という印象だ。あるいは、何らかの意図があり落合地域で緑視率の高い街角を、恣意的に選んで撮影しているのだろうか。上記の撮影場所は、第一文化村に接した箱根土地本社ビルの跡地から、東へなんと700m以上も離れている。勝巳商店地所部が、1940年(昭和15)に販売をスタートした「目白文化村」よりも、はるかに場ちがいで筋ちがいな地域といってもいいだろう。
なお、緑視率はそこが雑木林であろうが、庭の植樹であろうが緑が見えれば比率は向上するので、緑の質はあまり問題にされない。たとえば武蔵野の森や雑木林の名残りでも、マンションの周辺に植えられた申しわけ程度の植樹でも、“緑”には変わりないので、周囲から土が失われコンクリートのビルだらけになっても、緑視率が向上する、あるいは緑視率が変わらないこともありえるわけだ。つまり、その緑がどのようなもので、周辺の住環境(コミュニティ)にもたらす効果は?……というような、緑の質とその存在の意味あいはあまり問われないことになる。
では、「目白文化村」とされてしまった下落合東部の写真とともに、『新宿区みどりの実態調査報告書』(1991年)の解説を引用してみよう。まずは、写真①の九条武子邸跡の道筋の解説から。
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(3)目白文化村
この地区は、1戸あたりの住宅規模が比較的大きく、庭園木、生垣などが残され、坂道がつづいた所もあり、緑視効果の高い緑が多い。しかし、地域の緑の核となっている大規模な個人住宅の緑地は、都市化の進行により減少し失われつつあることから、適切な保全対策が必要である。また、道路巾が狭くブロック塀、板塀も多いため、今ある樹林を残しながら接道部植栽の改良を図ることが好ましい。
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そして、写真①に添えられたキャプションには、「緑視率30%」と記載されている。書かれていることは事実で、もっともな内容なのだが、それが行政に認識され実際に推進されているかいないかが、報告書から35年後の今日的に問われる課題だろう。ちなみに、1990年(平成2)9月末に撮影された写真の下には、現在の同所の写真を対比的に載せている。(以下同)
次は、「目白文化村」にある坂道の写真が2枚掲載されている。まず、1枚目の写真②だが、撮影されているのは下落合東部のオバケ坂の下り口だ。この坂道は当時、歩行者専用の細い道だったが、現在は坂の東側が開発されバイクが往来できるようになり、また坂の上部にある施設にはクルマが出入りできる環境になっている。では、同写真に添えられた解説文を引用してみよう。
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ブロック塀、フェンスがありながらも庭園木、空地内の緑地が多いことから緑視率は高い。街並が古く個々の樹木が大きく生長していることから、安定した緑量を感じる。今後は、現在の緑をうまく活用しながら、接道面のブロックの生垣化、野鳥誘致のための実のなる木の植栽、石積みではツタの組み合せ、空地の公園化などを推進することにより、さらに良好な緑を形成することができる。
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オバケ坂(バッケ坂)は、わたしの学生時代には両側からクマザサが生い茂り、土の路面が50cmほどしか見えず、まるで低山のハイキングコースを歩いているかのような雰囲気の崖地に通う急坂だった。土面が濡れると滑るため、大正時代のように雨の日には通行を避けていた坂道だ。西側に面した林の中には、鈴木邸(本家)の廃屋が残されたままになっており、周囲の樹林におおわれた風情とあいまって、バッケ坂がいつの間にやら「オバケ坂」へと転化した典型的な事例だろう。ちなみに、鈴木家では同坂のことを「うちの坂」と呼んでいた。
写真②では、「緑視率55%」となっているが、現在では同坂の東側に繁っていた樹林がすべて伐採されているため、同じカメラで同じ画角の写真であれば、緑視率は50%を大きく割りこんでいるのではないかと思われる。また、坂の西側が野鳥の森公園となって樹林が保存されたが、同公園の南側にあった畑地を含む大樹(特に区保護樹となっていた大ケヤキの何本か)は、すべて開発業者によって伐採されている。伐採前に新宿区のみどりの公園課へ問い合わせをしたが、野鳥の森公園を拡張する予定はまったくないとの回答だった。
さて、最後の写真③だが、上掲のオバケ坂の1本東側に通う七曲坂をとらえたものだ。右手には、1917年(大正6)に建設された大島久直邸のコンクリート擁壁がそのまま残る、坂道を半分ほど下りた位置から南を向いて撮影している。同写真に添えられた、解説文を引用してみよう。
次は、「目白文化村」にある坂道の写真が2枚掲載されている。まず、1枚目の写真②だが、撮影されているのは下落合東部のオバケ坂の下り口だ。この坂道は当時、歩行者専用の細い道だったが、現在は坂の東側が開発されバイクが往来できるようになり、また坂の上部にある施設にはクルマが出入りできる環境になっている。では、同写真に添えられた解説文を引用してみよう。
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ブロック塀、フェンスがありながらも庭園木、空地内の緑地が多いことから緑視率は高い。街並が古く個々の樹木が大きく生長していることから、安定した緑量を感じる。今後は、現在の緑をうまく活用しながら、接道面のブロックの生垣化、野鳥誘致のための実のなる木の植栽、石積みではツタの組み合せ、空地の公園化などを推進することにより、さらに良好な緑を形成することができる。
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オバケ坂(バッケ坂)は、わたしの学生時代には両側からクマザサが生い茂り、土の路面が50cmほどしか見えず、まるで低山のハイキングコースを歩いているかのような雰囲気の崖地に通う急坂だった。土面が濡れると滑るため、大正時代のように雨の日には通行を避けていた坂道だ。西側に面した林の中には、鈴木邸(本家)の廃屋が残されたままになっており、周囲の樹林におおわれた風情とあいまって、バッケ坂がいつの間にやら「オバケ坂」へと転化した典型的な事例だろう。ちなみに、鈴木家では同坂のことを「うちの坂」と呼んでいた。
写真②では、「緑視率55%」となっているが、現在では同坂の東側に繁っていた樹林がすべて伐採されているため、同じカメラで同じ画角の写真であれば、緑視率は50%を大きく割りこんでいるのではないかと思われる。また、坂の西側が野鳥の森公園となって樹林が保存されたが、同公園の南側にあった畑地を含む大樹(特に区保護樹となっていた大ケヤキの何本か)は、すべて開発業者によって伐採されている。伐採前に新宿区のみどりの公園課へ問い合わせをしたが、野鳥の森公園を拡張する予定はまったくないとの回答だった。
さて、最後の写真③だが、上掲のオバケ坂の1本東側に通う七曲坂をとらえたものだ。右手には、1917年(大正6)に建設された大島久直邸のコンクリート擁壁がそのまま残る、坂道を半分ほど下りた位置から南を向いて撮影している。同写真に添えられた、解説文を引用してみよう。




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住宅地内の樹林、生垣、擁壁の緑があり、さらにカーブした坂道が緑を豊富にみせている。坂道やカーブは、単調な緑視にアクセントとなるばかりでなく、緑視効果を高める機能もある。しかし、坂道はコンクリート擁壁などが増えると人工的な景観が強くなることから、ツル植物を利用したり勾配をゆるくしたり、樹林の場合は保全することが重要である。樹林に隣接する板塀、鉄条網などによる道路との分断は避け、できる限り公開性の高い生垣や立入りの検討を推進すべきである。
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わたしも学生時代から歩きなれた坂道だが、3枚の写真では唯一、1990年(平成2年)当時と現在とで、ほとんど風情が変わっていない光景だ。写真③の判定は、「緑視率63%」となっている。ただし、坂下と坂上ではわたしの学生時代に比べ、緑視率が大きく低下しており、特に鎌倉支道とみられる雑司ヶ谷道(新井薬師道)が通い、江戸期に造られた石仏の地蔵が保存されている坂下の緑が、大きく減少している印象が強い。
解説文は、まさにいずれもおっしゃるとおりで、「推進すべきである」テーマばかりなのだが、それを具体的な計画のもとで、どのように実現していくのかが問われている。行政は「評論家」ではなく、上記の意思を手がける実働部隊なのだから、その姿勢を顕著に見せてほしいのだ。新宿区は2009年(平成21)に「新宿区みどりの基本計画」(改訂)として、落合地域へ全的に緑の“網がけ”をし「樹林地保護強化地域」に指定しているが、この数年間はまったく逆の現象が落合地域でつづいている。区が指定した「保護樹」までが、容易に伐採されているのが現状だ。
緑の急減は、集合住宅の建設にともなうケースが圧倒的に多いが、東京23区では総務省の統計調査(2023年)によれば、646,800戸の空き家(集合住宅含む)がカウントされている。このうち、マンションの空き室戸数はさだかでないが、東京都住宅政策本部の調査(2025年)によれば、新宿区にの北側に隣接する豊島区のマンション空き家(室)率が13.9%、南側に隣接する港区の同空き家(室)率が13.7%と高い数値になっている。これはマンションに50戸あれば、そのうち7戸が、100戸あれば14戸が無住物件という驚くべき数値だ。おそらく、隣接する新宿区も大差ない数値になるのだろうが、これらのマンションが人口の減少とともに廃墟化していくのは目に見えている。
住宅地内の樹林、生垣、擁壁の緑があり、さらにカーブした坂道が緑を豊富にみせている。坂道やカーブは、単調な緑視にアクセントとなるばかりでなく、緑視効果を高める機能もある。しかし、坂道はコンクリート擁壁などが増えると人工的な景観が強くなることから、ツル植物を利用したり勾配をゆるくしたり、樹林の場合は保全することが重要である。樹林に隣接する板塀、鉄条網などによる道路との分断は避け、できる限り公開性の高い生垣や立入りの検討を推進すべきである。
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わたしも学生時代から歩きなれた坂道だが、3枚の写真では唯一、1990年(平成2年)当時と現在とで、ほとんど風情が変わっていない光景だ。写真③の判定は、「緑視率63%」となっている。ただし、坂下と坂上ではわたしの学生時代に比べ、緑視率が大きく低下しており、特に鎌倉支道とみられる雑司ヶ谷道(新井薬師道)が通い、江戸期に造られた石仏の地蔵が保存されている坂下の緑が、大きく減少している印象が強い。
解説文は、まさにいずれもおっしゃるとおりで、「推進すべきである」テーマばかりなのだが、それを具体的な計画のもとで、どのように実現していくのかが問われている。行政は「評論家」ではなく、上記の意思を手がける実働部隊なのだから、その姿勢を顕著に見せてほしいのだ。新宿区は2009年(平成21)に「新宿区みどりの基本計画」(改訂)として、落合地域へ全的に緑の“網がけ”をし「樹林地保護強化地域」に指定しているが、この数年間はまったく逆の現象が落合地域でつづいている。区が指定した「保護樹」までが、容易に伐採されているのが現状だ。
緑の急減は、集合住宅の建設にともなうケースが圧倒的に多いが、東京23区では総務省の統計調査(2023年)によれば、646,800戸の空き家(集合住宅含む)がカウントされている。このうち、マンションの空き室戸数はさだかでないが、東京都住宅政策本部の調査(2025年)によれば、新宿区にの北側に隣接する豊島区のマンション空き家(室)率が13.9%、南側に隣接する港区の同空き家(室)率が13.7%と高い数値になっている。これはマンションに50戸あれば、そのうち7戸が、100戸あれば14戸が無住物件という驚くべき数値だ。おそらく、隣接する新宿区も大差ない数値になるのだろうが、これらのマンションが人口の減少とともに廃墟化していくのは目に見えている。



自治体によるワンルームマンションの規制条例はめずらしくなくなったが、緑を根こそぎ伐採して新たなマンションをこれ以上建設するのを、どうにか条例で規制できないものだろうか。将来、あちこちが“虫食い”のようになった廃墟だらけの東京の街を、子どもたちは見たくないだろう。
◆写真上:2017年(平成29)3月現在の、新宿区で行われた緑視率調査の図版(「新宿区緑視率調査結果報告書2017」より)。落合地域の東部に比べ、西部の緑視率の低いのが歴然としている。この傾向は、わたしの学生時代に感じた街の風情から変わらない。
◆写真中上:上は、『新宿区みどりの実態調査報告書1991』掲載の「目白文化村」写真の撮影位置。中・下は、オバケ坂上の九条武子邸跡前で撮影された写真①と現状。
◆写真中下:上・中上は、オバケ坂の下り口で1990年(平成2)9月に撮影された写真②とその現状。中下・下は、東へ100mほど離れた七曲坂で撮影された写真③とその現状。いずれも「目白文化村」ではなく、鎌倉時代からつづく下落合(字)本村(ほんむら)のエリアだ。
◆写真下:上から下へ、わたしの学生時代と重なる1979年(昭和54)に撮影された下落合東部の空中写真、1992年(平成4)撮影の空中写真、2019年(平成31)に撮影された空中写真。あえて統計データを参照するまでもなく、樹木伐採による緑視率(緑被率)の減少は目に見えて明らかだ。
◆写真中上:上は、『新宿区みどりの実態調査報告書1991』掲載の「目白文化村」写真の撮影位置。中・下は、オバケ坂上の九条武子邸跡前で撮影された写真①と現状。
◆写真中下:上・中上は、オバケ坂の下り口で1990年(平成2)9月に撮影された写真②とその現状。中下・下は、東へ100mほど離れた七曲坂で撮影された写真③とその現状。いずれも「目白文化村」ではなく、鎌倉時代からつづく下落合(字)本村(ほんむら)のエリアだ。
◆写真下:上から下へ、わたしの学生時代と重なる1979年(昭和54)に撮影された下落合東部の空中写真、1992年(平成4)撮影の空中写真、2019年(平成31)に撮影された空中写真。あえて統計データを参照するまでもなく、樹木伐採による緑視率(緑被率)の減少は目に見えて明らかだ。
この記事へのコメント
NO14Ruggerman
落合道人
なによりも、ケヤキの巨木(新宿区保護樹)が繁っていた、下落合の畑がなくなって
しまったのにガッカリしました。あの北側には、使われていなかったとはいえ井戸
が半ば埋もれてあったのですが、ちゃんと「井戸埋清祓」をしてから整地したの
でしょうか。先ごろのボーリング調査では、湧水が噴出したと聞いていますが……。
てんてん
落合道人
こちらは夕べから今朝まで豪雨でしたが、そちらも墓参を中止する
ほど降ったようですね。