
現代日本のフォークロア集『現代民話考』全12巻(筑摩書房)をはじめ、児童文学やエッセイなどの分野で膨大な仕事を残した、作家で民俗研究家だった松谷みよ子の、今年は生誕100周年にあたるそうだ。拙ブログでは、渡仏中に佐伯祐三一家の夢にでてきた化け猫がらみで、彼女が全国から採取した猫の怪談などをご紹介していた。
神田出身の松谷みよ子だが、結婚後に長く住んだ金町浄水場の近くの葛飾区金町39番地、あるいは死去するまで住んでいた日銀牧場近くの練馬区東大泉町257番地の42(現・東大泉6丁目)の住まいのほうが、地元ではかなり有名だろうか。この地域との関連でいえば、彼女は西巣鴨町(大字)池袋の第五尋常小学校を卒業している。いまの地図でいえば、池袋の立教大学キャンパスのすぐ北側にあたる、現在の立教中学・高等学校の敷地にあった小学校だ。戦前、松谷みよ子は池袋駅の西側、目白町の北側で子ども時代を送っているのだろう。
松谷みよ子は、「人間には異界からのサインをキャッチできるひとと、したくてもできないひとと、二種類あるように思う」と、2004年(平成16)に筑摩書房から出版された『異界からのサイン』に書いている。松谷みよ子自身は「したくてもできないひと」、つまり「霊感」のない人だったようで、彼女が収集した日本全国の怖い民話=怪談のほぼすべてが、他者に取材しているエピソードだ。このあたり、柳田國男へ岩手県の遠野地方に伝わる昔話を収集・提供した佐々木喜善や、東北で昔話を集めた美術界の森口多里に近しい存在なのかもしれない。
わたしも、「したくてもできないひと」に分類されると思うので、よけいにそのような不思議話や怪談に惹かれるのだろう。わたし自身、「異界からのサインをキャッチ」するアンテナをもちあわせていないが、わたしの祖父はそのようなアンテナがあったものか、さまざまな怪異を経験していたようだ。こちらでは、下落合の丘に連なる「狐火」をご紹介しているが、祖父も丘陵に連なる「狐火」を目撃している。まるで街路灯が灯る現代の道路のように、丘の中腹に等間隔で光が順番に灯り、それが再び順番に消えていく明滅を繰り返す不可解な現象だ。
祖父は火の玉も見ている。暗い夜道を歩いていたら、大きな火の玉がどこからともなくフワフワと飛んできて、それが高い杉の木のてっぺんにぶつかり、細かな火花が散って弾け飛んだという。いまから考えれば、それは住宅地がまだ暗い闇に包まれていた時代によく見えた、プラズマ現象かなにかでは?……と思うのだが、祖父は「人魂」だと断定的に語っていた。
わたしが祖父の怪談でいちばん怖かったのは、「死者からの知らせ」だろうか。親戚の誰か(ここは憶えていない)が息を引きとった夜、祖父の家の玄関が叩かれたので来訪者かと思い、返事をして戸を開けてみたら、目の前で橙色の炎が高く燃えあがってすぐに消えたというものだ。熱は、まったく感じなかったという。そして、追いかけるように電報がとどき、親戚の誰かが死んだことを知って、「死者からの知らせ」に改めてゾッとしたという話だった。
この話を聞いたあと、親戚の親しい誰かが死ねば玄関がノックされ、ドアを開けると炎が一瞬高く燃えあがるのかもしれないと、怖さ半分に期待半分でいたけれど、そんなことは一度も起きなかったし、そもそも祖父が他界したときもなにも起こらず、伯父からの電話による一報だけだった。
神田出身の松谷みよ子だが、結婚後に長く住んだ金町浄水場の近くの葛飾区金町39番地、あるいは死去するまで住んでいた日銀牧場近くの練馬区東大泉町257番地の42(現・東大泉6丁目)の住まいのほうが、地元ではかなり有名だろうか。この地域との関連でいえば、彼女は西巣鴨町(大字)池袋の第五尋常小学校を卒業している。いまの地図でいえば、池袋の立教大学キャンパスのすぐ北側にあたる、現在の立教中学・高等学校の敷地にあった小学校だ。戦前、松谷みよ子は池袋駅の西側、目白町の北側で子ども時代を送っているのだろう。
松谷みよ子は、「人間には異界からのサインをキャッチできるひとと、したくてもできないひとと、二種類あるように思う」と、2004年(平成16)に筑摩書房から出版された『異界からのサイン』に書いている。松谷みよ子自身は「したくてもできないひと」、つまり「霊感」のない人だったようで、彼女が収集した日本全国の怖い民話=怪談のほぼすべてが、他者に取材しているエピソードだ。このあたり、柳田國男へ岩手県の遠野地方に伝わる昔話を収集・提供した佐々木喜善や、東北で昔話を集めた美術界の森口多里に近しい存在なのかもしれない。
わたしも、「したくてもできないひと」に分類されると思うので、よけいにそのような不思議話や怪談に惹かれるのだろう。わたし自身、「異界からのサインをキャッチ」するアンテナをもちあわせていないが、わたしの祖父はそのようなアンテナがあったものか、さまざまな怪異を経験していたようだ。こちらでは、下落合の丘に連なる「狐火」をご紹介しているが、祖父も丘陵に連なる「狐火」を目撃している。まるで街路灯が灯る現代の道路のように、丘の中腹に等間隔で光が順番に灯り、それが再び順番に消えていく明滅を繰り返す不可解な現象だ。
祖父は火の玉も見ている。暗い夜道を歩いていたら、大きな火の玉がどこからともなくフワフワと飛んできて、それが高い杉の木のてっぺんにぶつかり、細かな火花が散って弾け飛んだという。いまから考えれば、それは住宅地がまだ暗い闇に包まれていた時代によく見えた、プラズマ現象かなにかでは?……と思うのだが、祖父は「人魂」だと断定的に語っていた。
わたしが祖父の怪談でいちばん怖かったのは、「死者からの知らせ」だろうか。親戚の誰か(ここは憶えていない)が息を引きとった夜、祖父の家の玄関が叩かれたので来訪者かと思い、返事をして戸を開けてみたら、目の前で橙色の炎が高く燃えあがってすぐに消えたというものだ。熱は、まったく感じなかったという。そして、追いかけるように電報がとどき、親戚の誰かが死んだことを知って、「死者からの知らせ」に改めてゾッとしたという話だった。
この話を聞いたあと、親戚の親しい誰かが死ねば玄関がノックされ、ドアを開けると炎が一瞬高く燃えあがるのかもしれないと、怖さ半分に期待半分でいたけれど、そんなことは一度も起きなかったし、そもそも祖父が他界したときもなにも起こらず、伯父からの電話による一報だけだった。

わたしはこれまで、怖い経験や不思議な体験をほとんどしていないが、一度だけ丹沢山塊でキャンプしたときの「山の怪談」は、ずいぶん前になるが拙サイトでもご紹介している。だが、テントの中で聞いたハッキリとした足音は、なんらかの物理的な現象であって、真夜中の山中では不思議なことだが、ことさら霊的なサインだとは思えない。また、なにかを目撃するのではなく音だけなので、子どもだった当時はすぐに怪談と結びつけてゾッと鳥肌を立てたけれど、いまとなっては山で起きるなんらかの音響現象ではないかと疑っている。
わたし自身には、「異界からのサインをキャッチ」できる能力はないようだが、わたしのデジカメにはあるようだ。肉眼では確認できなくても、機械が写しとる対象物なのだから、なんらかの物理的な存在がそこにはあるのだろうが、それがなんなのかはいまだに不明だ。撮影した写真でいちばん多いのは、光源が不明な漂う光の球体だった。その光の怪(あやかし)は、白いときもあれば青いケースもある。最初は、屋内外を舞う塵埃かと思っていたのだが、それにしては同じ条件下で写ったり写らなかったりと明らかにおかしな“ふるまい”だし、あるいは塵埃にしてはたったひとつか数個と、数があまりに少なすぎて理屈にあわないのだ。また、明らかに移動している光跡を引いたものもあり、よけい不可解な物体のように感じている。別に空を漂っているわけではないが、地上に近い空間や屋内を浮遊するUFO(未確認飛行物体)にはちがいない。
最初に、「なんだこれ、おかしいな?」と感じたのは、鎌倉の祇園山ハイキングコースを歩いて、東勝寺跡から葛西ヶ谷へ抜けようとしていたときだった。鎌倉をご存じの方なら、「ああ、あそこね、わかった」と、もうお気づきだろう。東勝寺跡の裏山にも、数多くのやぐらが眠っているが、その中のひとつに鎌倉幕府が滅亡する際、北条高時が切腹したと伝わるやぐらがある。でも、高時が切腹したのは焼失した東勝寺の伽藍内であって、やぐらじゃないでしょ……と史実を持ちだしてみても、昔から「腹切やぐら」と呼ばれているのだからいたしかたない。
そこで写した画面には、白い球体状の光が遠近あわせて10個ほどとらえられていた。塵埃なら数が少なすぎるし、光線によるレンズのいたずらなら数が多すぎる。また、同じ場所で同時に同条件で撮影したほかの写真には、こんなものは写っていない。ちょうど同時期に、井上円了や小熊虎之助などの資料を調べていたので、このふたりならどのような見解をお持ちなのか訊いてみたいものだと思ったのを憶えている。だが、これがきっかけとなったのか、わたしが撮影する写真には次々とおかしな、正体不明の光の球が登場してくることになる。
下落合の古いお屋敷で、蔵の中を撮影させていただいているとき、カメラを構えるわたしのすぐ手前で、虹色のワクがついた光の球がとらえられているのに気づいた。このときはフラッシュを使っているので、塵埃が反射したのかとも思ったが、たったひとつだけ写るというのが論理的に説明できない。蔵内に舞う塵埃をとらえたのであれば、もっとたくさん写るのが自然だろう。ひとつだけというのが、どうしても説明のつかない現象なのだ。このあたりから、わたしの写真にはこのような光の球が、それこそ無遠慮に画面のあちこちへ写りはじめるようになった。
わたし自身には、「異界からのサインをキャッチ」できる能力はないようだが、わたしのデジカメにはあるようだ。肉眼では確認できなくても、機械が写しとる対象物なのだから、なんらかの物理的な存在がそこにはあるのだろうが、それがなんなのかはいまだに不明だ。撮影した写真でいちばん多いのは、光源が不明な漂う光の球体だった。その光の怪(あやかし)は、白いときもあれば青いケースもある。最初は、屋内外を舞う塵埃かと思っていたのだが、それにしては同じ条件下で写ったり写らなかったりと明らかにおかしな“ふるまい”だし、あるいは塵埃にしてはたったひとつか数個と、数があまりに少なすぎて理屈にあわないのだ。また、明らかに移動している光跡を引いたものもあり、よけい不可解な物体のように感じている。別に空を漂っているわけではないが、地上に近い空間や屋内を浮遊するUFO(未確認飛行物体)にはちがいない。
最初に、「なんだこれ、おかしいな?」と感じたのは、鎌倉の祇園山ハイキングコースを歩いて、東勝寺跡から葛西ヶ谷へ抜けようとしていたときだった。鎌倉をご存じの方なら、「ああ、あそこね、わかった」と、もうお気づきだろう。東勝寺跡の裏山にも、数多くのやぐらが眠っているが、その中のひとつに鎌倉幕府が滅亡する際、北条高時が切腹したと伝わるやぐらがある。でも、高時が切腹したのは焼失した東勝寺の伽藍内であって、やぐらじゃないでしょ……と史実を持ちだしてみても、昔から「腹切やぐら」と呼ばれているのだからいたしかたない。
そこで写した画面には、白い球体状の光が遠近あわせて10個ほどとらえられていた。塵埃なら数が少なすぎるし、光線によるレンズのいたずらなら数が多すぎる。また、同じ場所で同時に同条件で撮影したほかの写真には、こんなものは写っていない。ちょうど同時期に、井上円了や小熊虎之助などの資料を調べていたので、このふたりならどのような見解をお持ちなのか訊いてみたいものだと思ったのを憶えている。だが、これがきっかけとなったのか、わたしが撮影する写真には次々とおかしな、正体不明の光の球が登場してくることになる。
下落合の古いお屋敷で、蔵の中を撮影させていただいているとき、カメラを構えるわたしのすぐ手前で、虹色のワクがついた光の球がとらえられているのに気づいた。このときはフラッシュを使っているので、塵埃が反射したのかとも思ったが、たったひとつだけ写るというのが論理的に説明できない。蔵内に舞う塵埃をとらえたのであれば、もっとたくさん写るのが自然だろう。ひとつだけというのが、どうしても説明のつかない現象なのだ。このあたりから、わたしの写真にはこのような光の球が、それこそ無遠慮に画面のあちこちへ写りはじめるようになった。

きわめつけは、小日向の崖線へ墓参りに出かけたときの写真だ。花曇りの日で、うちの墓を手前に入れて広めに墓地を撮影したときだ。シャッターを切るときはまったく気づかなかったが、帰宅して画面を確認したらのけぞってしまった。白い発光体が、墓地から光の尾を引きながら上昇していく様子がとらえられていた。もちろん屋外なので、フラッシュは使用しておらず、光の球自体が発光しているとしか思えない写りだ。このころになると、周囲の人たちから「カメラになにか憑いてるんじゃない?」などといわれはじめた。けれども、これらの写真には不思議と怖さを感じない。古い屋敷や墓地を撮れば、「まあ、こんなこともあるよね」ぐらいの感覚だ。
このような光の球が、シャッターを切るたびどこかに写るようになっていたが、もっとも印象的だったのは、保存をめざしていたときに訪問していた中村彝アトリエ(1929年より鈴木誠アトリエ)だ。鈴木照子様のご厚意で、5回ほど内部を見学させていただき、写真を撮らせていただいた。アトリエ側では、ほとんど不可解なものは写らなかったが、中村彝が寝部屋に使っていた南向きの“居間”では、毎回必ず光の球が1つないしは数個とらえられていた。もちろん従前どおり、撮影現場では肉眼で確認することができなかった。
初回の訪問時から、撮影していた写真にとらえられていたのは、開け放ったドアから入ってきたとみられる、美しいブルーに光る大きな球体だった。いつもは、白っぽく写るのがふつうだったが、中村彝の寝部屋でとらえられたものは青く発光しているように見える。その後、訪問させていただいた際は、必ず南庭に面した寝部屋を撮影したが、それらの写真にも必ずこの光の球は現れている。ただし、ブルーに光っていたのは初回の訪問時だけだった。
鈴木様にも見ていただいたが、「あら、なにかしらね?」と不思議に思われていたようだ。この現象に、「異界からのサインをキャッチできるひと」であれば、いかようにでも理由がつけられるだろう。いわく、アトリエ保存へ向けた活動が具体化しはじめたので、生前にそれを強く望んでいた鈴木正治様がエールを送りに現れたのだろうとか、いや中村彝がいまだにアトリエの寝部屋をさまよっているのだろうとか、いやいや、中村彝を看病しアトリエの管理をしていた岡崎キイが、怪しい人物が入ってきたので「あんた誰? 出ていけ!」と怒ってるのだとかw、それらしい理由はいくらでもつけられる。だが、わたしはただ不思議な現象だと首をひねるばかりだ。
このような光の球が、シャッターを切るたびどこかに写るようになっていたが、もっとも印象的だったのは、保存をめざしていたときに訪問していた中村彝アトリエ(1929年より鈴木誠アトリエ)だ。鈴木照子様のご厚意で、5回ほど内部を見学させていただき、写真を撮らせていただいた。アトリエ側では、ほとんど不可解なものは写らなかったが、中村彝が寝部屋に使っていた南向きの“居間”では、毎回必ず光の球が1つないしは数個とらえられていた。もちろん従前どおり、撮影現場では肉眼で確認することができなかった。
初回の訪問時から、撮影していた写真にとらえられていたのは、開け放ったドアから入ってきたとみられる、美しいブルーに光る大きな球体だった。いつもは、白っぽく写るのがふつうだったが、中村彝の寝部屋でとらえられたものは青く発光しているように見える。その後、訪問させていただいた際は、必ず南庭に面した寝部屋を撮影したが、それらの写真にも必ずこの光の球は現れている。ただし、ブルーに光っていたのは初回の訪問時だけだった。
鈴木様にも見ていただいたが、「あら、なにかしらね?」と不思議に思われていたようだ。この現象に、「異界からのサインをキャッチできるひと」であれば、いかようにでも理由がつけられるだろう。いわく、アトリエ保存へ向けた活動が具体化しはじめたので、生前にそれを強く望んでいた鈴木正治様がエールを送りに現れたのだろうとか、いや中村彝がいまだにアトリエの寝部屋をさまよっているのだろうとか、いやいや、中村彝を看病しアトリエの管理をしていた岡崎キイが、怪しい人物が入ってきたので「あんた誰? 出ていけ!」と怒ってるのだとかw、それらしい理由はいくらでもつけられる。だが、わたしはただ不思議な現象だと首をひねるばかりだ。
ちなみに、中村彝アトリエ記念館が竣工したあと、わたしのカメラでいくら撮影しても、これらの現象は皆無になった。ひとつ法則性を挙げるとすれば、おおよそ古いお屋敷や邸宅で撮影した画面には、どこかに必ず光の球が写っているが、新しい住宅で撮影しても決して写らないという事実だ。そういう意味では、築100年前後の邸宅を訪問することの多いわたしは、このような現象をとらえてしまう機会が多いということになるのだろう。けれども、北条高時の切腹やぐらや小日向の墓地のように、突然、屋外でなんの前ぶれもなく写りこむ現象は、わたしの想像を超えている。
◆写真上:今年は生誕100年にあたる、膨大な仕事をなしとげた松谷みよ子。
◆写真中上:上は、1986年(昭和61)に出版された松谷みよ子『現代民話考』第4巻(筑摩書房/左)と、2004年(平成16)に出版された同『異界からのサイン』(筑摩書房/右)。下は、祇園山ハイキングコース沿い東勝寺跡の裏山にある北条高時切腹やぐら。
◆写真中下:上は、築100年超の古い蔵の内部を撮影したもの。下は、彼岸に撮影した墓地。
◆写真下:上・下は、ともに中村彝アトリエ(鈴木誠アトリエ)南側の居間(寝部屋)にて。
★おまけ1
先ごろ訪れた古い西洋館の室内で、自然光のままの撮影でも球体状のものが写ることを確認した。カメラではなく、そもそもわたしがなにかに憑かれてるとか? 誰かにとり憑かれるおぼえはないけれど、この地域で書いて記録して欲しい昔の方々がまわりに集まってきてるとか。(爆!)
◆写真上:今年は生誕100年にあたる、膨大な仕事をなしとげた松谷みよ子。
◆写真中上:上は、1986年(昭和61)に出版された松谷みよ子『現代民話考』第4巻(筑摩書房/左)と、2004年(平成16)に出版された同『異界からのサイン』(筑摩書房/右)。下は、祇園山ハイキングコース沿い東勝寺跡の裏山にある北条高時切腹やぐら。
◆写真中下:上は、築100年超の古い蔵の内部を撮影したもの。下は、彼岸に撮影した墓地。
◆写真下:上・下は、ともに中村彝アトリエ(鈴木誠アトリエ)南側の居間(寝部屋)にて。
★おまけ1
先ごろ訪れた古い西洋館の室内で、自然光のままの撮影でも球体状のものが写ることを確認した。カメラではなく、そもそもわたしがなにかに憑かれてるとか? 誰かにとり憑かれるおぼえはないけれど、この地域で書いて記録して欲しい昔の方々がまわりに集まってきてるとか。(爆!)

★おまけ2
暑めの日がつづくので、今年に入ってから撮影した下落合のちょっと涼しい風景を2景。噴水が枝葉にかかり氷柱(つらら)になっているのは、暖かい東京都心ではめずらしい光景だろう。


この記事へのコメント
てんてん
落合道人
稲荷寿司のレシピは、地域ごとに多彩な特色があって楽しいですね。