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子どもが小さかったころ、よく下落合でドングリを集めては、楊枝でコマや人形を作っていたのを思いだす。ときに、集めたドングリの中に虫がいて家の中で騒ぎになったこともあるが、虫を殺すには煮沸するかフライパンで炒るのが手っとり早い。
いまでもドングリは、秋になると下落合のあちこちに落ちているが、昔は現在とは比較にならないほど、大量のドングリが落ち葉に混じって落下していたのだろう。狭義で通称「ドングリ」というと、昔から一般的にクヌギやカシの木の実を指すことが多いようだが、ほかにもコナラやカシワ、ミズナラなどの樹木がある。また、カシにもアカガシ、アラカシ、シラカシ、ウラジロガシといろいろ種類があるので、その区別は葉っぱを確認しない限りむずかしい。
子供のころ、なぜかシイやマテバシイの実はドングリとは呼ばず、「シイの実」と呼んでいたのを思いだす。おしなべて、細長い実がシイの実と呼ばれていたように思うが、マテバシイの実は細長いものの、ほんとうのシイの実はドングリと同じような形状をしているのでややこしい。また、ウラジロガシも細長くシイの実に似ているので、誤ってそう呼んでいたかもしれない。さらに、クリの実もドングリの仲間だというのを、子どもの植物図鑑から知った。
子ども向けの図鑑には、ドングリについて次のように説明されている。保育社から出版されていた理科教育研究委員会・編『秋の野草(ポケット図鑑4)』より、少しだけ引用してみよう。
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ドングリのなかま/ドングリとは、クヌギの実だけをいったり、カシの実をいう地方もあります。カシのなかまは大きい木になり、木の質ががかたいので、有用木材となって利用します。葉の形がちがうので区別します。
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下落合には、さまざまな形状のドングリが落ちているが、その種類をいちいち調べたことはない。上階にいると、ときどき風の強い日など屋根の上に硬い小石のようなものがコツンと当たる音がするが、近くの雑木林から吹き飛ばされてきたドングリなのだろう。屋根職人に雨どいの掃除をしてもらうと、たまに枯れ葉に混じってドングリが見つかったり、ベランダや裏庭で朽ちはて変色したドングリを見かけるので、あのコツンというのはやはりその音なのだろう。
子どものころ、ドングリを大量に集めて持ち帰り、母親に「食べられる?」と訊くと、「食べるとドモリ(吃音)になるからダメよ」といわれた。これは、ずいぶん昔からいわれていた迷信のようで、古い本を読んでいるとときどき出てくる話題だ。たとえば、1943年(昭和18)に青磁社から出版された礒萍水(いそひょうすい)『武蔵野風物志』収録の、「野人の暦(秋)」から引用してみよう。



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凱郎が縁側で、何か転がして遊んでゐる。(中略) 団栗だ。団栗を転がして遊んでゐたのだ。(中略) 「あら、それ団栗ぢやないの、凱郎ちやん、食べたら大変よ、吃音になるから」/「吃音」、不可解な顔をする。/「お口がきけなくなるの、お話ができなくなるの、ね、大変でせう。だから食べちや不可ませんよ、ね、きつと」/「これ食べない、その代わり、何か頂戴」
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礒萍水の孫に、娘の母親が注意している場面だが、戦時中のエッセイなのでそろそろ配給が乏しくなり、食糧事情に翳りが見えはじめていたころで、子どもが腹を空かしてドングリを口にするかもしれないと、母親も危惧するような時期の会話なのだろう。
学校の音楽の時間に教わったのか、母親が教えてくれたのかは忘れたけれど、『どんぐりころころ』(作詞・青木存義/作曲・梁田貞)という大正時代の童謡があった。1921年(大正10)に発表されたそうだが、下落合では曾宮一念や佐伯祐三がアトリエを建てていたころのことで、そんな大昔の童謡だとは知らなかった。わたしが唄っていた歌詞は、「♪どんぐりコロコロ どんぐり子」だったが、子どもを育てているとき「♪どんぐりコロコロ ドンブリコ」と指摘されて恥ずかしかった憶えがある。「ドンブリコ」は、池に落ちたときの音なのだろう。
この歌は“空耳”だらけで、そもそも池に落ちた音が「ポッチャン」だとばかり、わたしは当初から思いこんでいた。「♪ポッチャン いっしょに遊びましょう」というわけだが、これは早めに気がついて恥をかく前に「坊ちゃん」と唄うようになった。けれども、「ドンブリコ」にはいまも馴染めない。「どんぐり子」が池に落ちたので、ドジョウが「坊ちゃん」と呼びかけていると解釈したほうが、歌詞がスッキリと通るような気がするのだ。じゃあ、「どんぐり子」ってなに?……と問われると、「さあ?」としか答えられないが、熟す前の小さな青いドングリだろうか。
食べものとしてのドングリは、日本の北から南まで別にめずらしくないテーマだ。ドングリを食べるというと縄文時代を想起しがちだけれど、近年、実は弥生遺跡からも大量に見つかっている。わたしの子ども時代、縄文時代は狩猟採集で弥生時代は稲作中心と教わったが、これがまったく通用しなくなっており、縄文時代の後期には稲作がすでにスタートしており、弥生時代の遺跡から大量の狩猟採集による痕跡が見つかることもめずらしくなくなっている。
昔は、朝鮮半島から大量の渡来人とともに稲作が伝えられたと教わったけれど、北からの稲作ルートが確認されて以来、イネの伝播は縄文時代となった。「稲作」を主題に縄文・弥生の時代区分を規定しようとする歴史学者は、弥生時代をどんどん遡上させようとしている。また、弥生遺跡だからといって稲作中心ではなく、ドングリやクリ、クルミなどの果実を常食していた遺跡も数多い。逆に縄文土器が出土しているのに、稲作の痕跡が色濃い遺跡もある。
静岡県や奈良県、大阪府、福岡県にある弥生時代の遺跡を研究し、ドングリやシイの実などを含む木の実がどのぐらいの割合で食べられていたのかを綿密に検討した、中山武吉の論文「古代食の知恵(1)」を、1995年(平成7)発行の「食生活研究」11月号より引用してみよう。
凱郎が縁側で、何か転がして遊んでゐる。(中略) 団栗だ。団栗を転がして遊んでゐたのだ。(中略) 「あら、それ団栗ぢやないの、凱郎ちやん、食べたら大変よ、吃音になるから」/「吃音」、不可解な顔をする。/「お口がきけなくなるの、お話ができなくなるの、ね、大変でせう。だから食べちや不可ませんよ、ね、きつと」/「これ食べない、その代わり、何か頂戴」
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礒萍水の孫に、娘の母親が注意している場面だが、戦時中のエッセイなのでそろそろ配給が乏しくなり、食糧事情に翳りが見えはじめていたころで、子どもが腹を空かしてドングリを口にするかもしれないと、母親も危惧するような時期の会話なのだろう。
学校の音楽の時間に教わったのか、母親が教えてくれたのかは忘れたけれど、『どんぐりころころ』(作詞・青木存義/作曲・梁田貞)という大正時代の童謡があった。1921年(大正10)に発表されたそうだが、下落合では曾宮一念や佐伯祐三がアトリエを建てていたころのことで、そんな大昔の童謡だとは知らなかった。わたしが唄っていた歌詞は、「♪どんぐりコロコロ どんぐり子」だったが、子どもを育てているとき「♪どんぐりコロコロ ドンブリコ」と指摘されて恥ずかしかった憶えがある。「ドンブリコ」は、池に落ちたときの音なのだろう。
この歌は“空耳”だらけで、そもそも池に落ちた音が「ポッチャン」だとばかり、わたしは当初から思いこんでいた。「♪ポッチャン いっしょに遊びましょう」というわけだが、これは早めに気がついて恥をかく前に「坊ちゃん」と唄うようになった。けれども、「ドンブリコ」にはいまも馴染めない。「どんぐり子」が池に落ちたので、ドジョウが「坊ちゃん」と呼びかけていると解釈したほうが、歌詞がスッキリと通るような気がするのだ。じゃあ、「どんぐり子」ってなに?……と問われると、「さあ?」としか答えられないが、熟す前の小さな青いドングリだろうか。
食べものとしてのドングリは、日本の北から南まで別にめずらしくないテーマだ。ドングリを食べるというと縄文時代を想起しがちだけれど、近年、実は弥生遺跡からも大量に見つかっている。わたしの子ども時代、縄文時代は狩猟採集で弥生時代は稲作中心と教わったが、これがまったく通用しなくなっており、縄文時代の後期には稲作がすでにスタートしており、弥生時代の遺跡から大量の狩猟採集による痕跡が見つかることもめずらしくなくなっている。
昔は、朝鮮半島から大量の渡来人とともに稲作が伝えられたと教わったけれど、北からの稲作ルートが確認されて以来、イネの伝播は縄文時代となった。「稲作」を主題に縄文・弥生の時代区分を規定しようとする歴史学者は、弥生時代をどんどん遡上させようとしている。また、弥生遺跡だからといって稲作中心ではなく、ドングリやクリ、クルミなどの果実を常食していた遺跡も数多い。逆に縄文土器が出土しているのに、稲作の痕跡が色濃い遺跡もある。
静岡県や奈良県、大阪府、福岡県にある弥生時代の遺跡を研究し、ドングリやシイの実などを含む木の実がどのぐらいの割合で食べられていたのかを綿密に検討した、中山武吉の論文「古代食の知恵(1)」を、1995年(平成7)発行の「食生活研究」11月号より引用してみよう。



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これを裏付けているのが最近の遺跡などからの発掘された木の実食の痕跡である。表-3(略)にも見られるように弥生土器文化時代の遺跡からも多くの炭化した木の実類が発掘されている。渡辺誠の調査によるとクルミの実が136遺跡、ドングリの実が65遺跡、クリの実が61遺跡、トチの実が29遺跡、カヤの実が10遺跡、ヤマモモの実が7遺跡、ツバキ・ヒシの実が4遺跡、イフガヤ・サンショの実が3遺跡から、他にブナやハスなど多くの種子が出土していて、こういった木の実が食用にされていたという証拠となると報告されている。
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著者は、これらの中部から西日本の地域で暮らしていた弥生人の、食生活の50%以上がイネではなく野山で採集した木の実だったと推論している。
その昔、ドングリを食べてみるイベントなどには、「縄文人の食生活体験」などとタイトルされていたけれど、現代ではちょっと史的様相が異なってきている。でも、ドングリなどの木の実を食べるには、“あく”を抜く面倒な作業が不可欠となる。味覚にダメージを与えたり、健康を損なう可能性がある“あく”の除去は、古代人の食生活でも大きな課題だったはずで、食べたときのえぐい味や苦味、渋味をとる処理が不可欠だったろう。著者は、古代人は“あく”が健康を損なうことを経験則から知っており、“あく”抜きの方法を熟知していたと書いている。
“あく”抜きは、たとえばドングリやカシの実は流水にしばらくさらすだけで除去できるが、ミズナラの実は湯に浸しておかなければ除去できず、トチの実の場合は湯に浸すとともに、灰汁を加えて除去しなければならない。古代人は、これらの方法を経験則から学んで知っており、木の実の種類に応じた“あく”抜きの処理を行っていたとしている。
戦時中に書かれた礒萍水のエッセイ「野人の暦(秋)」より、再び引用してみよう。
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吾々人間は、まして平民は、これから以後、何を食べさせられるか知れない。いや食べさせられる物のある内はいいが、もし何かの都合で、大旱とか、大戦とかで、食べ物が行渡らない時がないとは云へない。その時になつて、金魚ぢやあるまいし、水ばかり飲んではゐられない。食べる物はないか、食べる物はないかと、木の皮を甜(ママ:舐)め、草の根を噛つて、白蟻や野鼠を呆れせるよりも、事前に其覚悟と研究とを用意しておきたい。何は食べられる、何は食べられない、何は奈何(ママ:如何)して食べれば咽喉に通る、何は如何すれば無毒になつて食用になる。
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これは、戦争末期に書かれた食糧難時代を予測するエッセイだが、事実、敗戦前後を通じて全国で膨大な餓死者が生じてしまう、わずか2年ほど前の文章だ。食糧の確保、すなわち草木でも食べられるものは研究してなんでも食べようというのは、戦争末期の国策でもあったので、ドングリに絡めたこのような情けない文章でも、特高の検閲をパスして出版できたのだろう。1944年(昭和19)11月から、実際に全国各地でドングリ採集がはじまり、500万石が国家目標とされた。敗戦前後の数年間、日本は縄文・弥生時代に(まことに情けないことに)回帰していたわけだ。
これを裏付けているのが最近の遺跡などからの発掘された木の実食の痕跡である。表-3(略)にも見られるように弥生土器文化時代の遺跡からも多くの炭化した木の実類が発掘されている。渡辺誠の調査によるとクルミの実が136遺跡、ドングリの実が65遺跡、クリの実が61遺跡、トチの実が29遺跡、カヤの実が10遺跡、ヤマモモの実が7遺跡、ツバキ・ヒシの実が4遺跡、イフガヤ・サンショの実が3遺跡から、他にブナやハスなど多くの種子が出土していて、こういった木の実が食用にされていたという証拠となると報告されている。
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著者は、これらの中部から西日本の地域で暮らしていた弥生人の、食生活の50%以上がイネではなく野山で採集した木の実だったと推論している。
その昔、ドングリを食べてみるイベントなどには、「縄文人の食生活体験」などとタイトルされていたけれど、現代ではちょっと史的様相が異なってきている。でも、ドングリなどの木の実を食べるには、“あく”を抜く面倒な作業が不可欠となる。味覚にダメージを与えたり、健康を損なう可能性がある“あく”の除去は、古代人の食生活でも大きな課題だったはずで、食べたときのえぐい味や苦味、渋味をとる処理が不可欠だったろう。著者は、古代人は“あく”が健康を損なうことを経験則から知っており、“あく”抜きの方法を熟知していたと書いている。
“あく”抜きは、たとえばドングリやカシの実は流水にしばらくさらすだけで除去できるが、ミズナラの実は湯に浸しておかなければ除去できず、トチの実の場合は湯に浸すとともに、灰汁を加えて除去しなければならない。古代人は、これらの方法を経験則から学んで知っており、木の実の種類に応じた“あく”抜きの処理を行っていたとしている。
戦時中に書かれた礒萍水のエッセイ「野人の暦(秋)」より、再び引用してみよう。
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吾々人間は、まして平民は、これから以後、何を食べさせられるか知れない。いや食べさせられる物のある内はいいが、もし何かの都合で、大旱とか、大戦とかで、食べ物が行渡らない時がないとは云へない。その時になつて、金魚ぢやあるまいし、水ばかり飲んではゐられない。食べる物はないか、食べる物はないかと、木の皮を甜(ママ:舐)め、草の根を噛つて、白蟻や野鼠を呆れせるよりも、事前に其覚悟と研究とを用意しておきたい。何は食べられる、何は食べられない、何は奈何(ママ:如何)して食べれば咽喉に通る、何は如何すれば無毒になつて食用になる。
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これは、戦争末期に書かれた食糧難時代を予測するエッセイだが、事実、敗戦前後を通じて全国で膨大な餓死者が生じてしまう、わずか2年ほど前の文章だ。食糧の確保、すなわち草木でも食べられるものは研究してなんでも食べようというのは、戦争末期の国策でもあったので、ドングリに絡めたこのような情けない文章でも、特高の検閲をパスして出版できたのだろう。1944年(昭和19)11月から、実際に全国各地でドングリ採集がはじまり、500万石が国家目標とされた。敗戦前後の数年間、日本は縄文・弥生時代に(まことに情けないことに)回帰していたわけだ。



礒萍水のエッセイは「戦争」が底流だが、これを「地球温暖化」といい換えるといまでもシリアスに通じるテーマといえるのではないか。急激な気象変動で、農作物の生育に多大な影響が出はじめているのは、日々の報道でも歴然としている。今年穫れた農作物が、来年も約束どおり収穫できるとは限らない。食糧自給率47%(農水省/2023年)の現在、食糧難は昔の話では終わらない課題を突きつけている。食べものに困ったら、また昔のようにドングリなど木の実を食べようとしても、植生自体が急変してしまうので、それらが実るのかどうかも不確実な時代を迎えている。
◆写真上:ドングリは、どこかユーモラスな響きがあるせいか、グループ・団体名にも採用されている。こちらでは、二瓶等の記事にからめ「団栗会」をご紹介していた。
◆写真中上:上・中は、まだ青い小さなドングリと落ちる寸前のドングリ。下は、『どんぐりころころ』(作詞・青木存義/作曲・梁田貞)の楽譜と歌詞。
◆写真中下:上・中は、よく見かける落ち葉に混じるドングリ。下は、1968年(昭和43)に谷口六郎が描いた宮沢賢治『どんぐりと山ねこ』(大日本図書/部分)。
◆写真下:上は、岩手県の土産品「しだみ団子(ドングリ団子)」。中は、東京都の多摩地区で最近作られている「多摩どんぐりパスタ&クッキー」。下は、千葉県の「どんぐりクッキー」。全国に似たようなドングリ食品や名産物があるが、高知県の郷土料理「どんぐり豆腐」がちょっと気になる。
◆写真中上:上・中は、まだ青い小さなドングリと落ちる寸前のドングリ。下は、『どんぐりころころ』(作詞・青木存義/作曲・梁田貞)の楽譜と歌詞。
◆写真中下:上・中は、よく見かける落ち葉に混じるドングリ。下は、1968年(昭和43)に谷口六郎が描いた宮沢賢治『どんぐりと山ねこ』(大日本図書/部分)。
◆写真下:上は、岩手県の土産品「しだみ団子(ドングリ団子)」。中は、東京都の多摩地区で最近作られている「多摩どんぐりパスタ&クッキー」。下は、千葉県の「どんぐりクッキー」。全国に似たようなドングリ食品や名産物があるが、高知県の郷土料理「どんぐり豆腐」がちょっと気になる。
★おまけ
9月も半ばになると、御留山には小さなクリほどもあるドングリがたくさん落ちてくる。ついでにヤマカガシも出没しているようで、相馬坂沿いには注意書きの看板が掲示された。ヤマカガシというと、うちの下の子が小学2年生のとき、成体になる前のやや小ぶりなヤマカガシを、湘南平(千畳敷山)で追いかけまわしていたのを思いだす。アオダイショウのように人馴れせず、たいへん臆病なヘビなので逃げ足(?)がことのほか速く、ふいを突いてよほど驚かさなければ噛まれることはないし、毒牙は口の奥にあるので深く噛まれなければ害がないため、子どもはそのまま遊ばせておいた。下落合に自然が残っている証拠なので、できればこのまま棲息しつづけてほしい。


この記事へのコメント
てんてん
一度食べてみたいな~
ヤマカガシは、僕が子供の頃は、無毒だと言われていました。
山育ちだったので、ヤマカガシは遊び友達でした。
噛まれても痛くないので噛ませて遊んでました。
深く噛まれてたら死んでたかもしれませんね^^;
落合道人
いつだったか、ドングリ餅をいただいて食べたことがあるのですが、印象が
薄いところをみますと、それほど美味しくなかったのではないかと思います。w
ヤマカガシの毒といっても、マムシやハブのような神経毒ではありませんので、
命に別状はないと思います。むしろ、人間のような大きな動物を認識したら
すごいスピードで逃げていきますので、よほどひどい虐待などしない限りは、
基本的に人間には無害なヘビだと思います。w そういえば、マムシに嚙まれ
たとしても、死亡率は0.8%まで低下しているようですので、それだけ血清が
全国的に普及したということでしょうか。
おおいえ
落合道人
落合地域は、旧石器時代から現代まで、調べれば調べるほど魅力のある
地域だと思います。仕事の合間に書いてますので、いつも調べが足りず
浅く拙い記事で恐縮ですが、ご笑覧ください。
今度、11月3日に近衛町の目白ヶ丘教会(オープンチャーチ)で、下落合の
絵画作品や建物についてお話させていただくことになったのですが、
どこまでうまくお話できるか不安です。w