『女を忘れろ』にとらえられた近衛町1958年。

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 前回の記事につづき、目白ヶ丘教会の牧師・野口哲哉様からお借りした映画のもう1本は、日活が1959年(昭和34)に公開した『女を忘れろ』(監督:舛田利雄)という作品だ。同作には、近衛町と周辺の住宅街がとらえられており、街並みの記録映画としてたいへん貴重だ。
 主演は小林旭で、共演は南田洋子と浅丘ルリ子だが、近衛町がでてこなければおそらく一生観ることのなかった作品だろう。『女を忘れろ』の小林旭は、いまだテンガロンハットをかぶりギターを抱えながら、牧場の干し草の山で寝ている正体不明のさすらい男にはなっていない。w 学校を卒業して間もない、JAZZコンボのドラマーでプロのボクサーで街のヤクザにも知られた半グレという三刀流をこなす、目が点になりそうなわけのわからない男ではあるのだが。
 JAZZのセプテットでの小林旭(ds)だが、日本におけるモダンJAZZの先がけとなったファンキーブーム(1961年のアート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズ来日)の前なので、演奏はスウィングJAZZ(ダンス音楽)ともBe-Bop革命をへたモダンJAZZともつかない、中途半端な音楽になっている。プレイヤーが楽譜を見て演奏しているので、今日的な視点から見ればJAZZとは呼べないが、ときどきインプロヴィゼーションのソロもはさまるようだ。それにしても、不良が集まる場所でのダンスがチャールストンというのは、かなり時代を感じさせる映像だ。
 さて、同作は1959年(昭和34)1月に劇場公開されたので、実際は前年の1958年(昭和33)に下落合でロケーションが行われており、実質的には同年の近衛町の風景ということになる。もう、近衛町と周辺域のそこかしこが映っており、どの風景から説明しようか迷うぐらいだ。この映画でも、浅丘ルリ子(当時19歳)は下落合の“ばあや”がいる屋敷の「お嬢様」であり、小林旭はバーのホステスとアパートで同棲する街の不良というような設定になっている。
 女学生の浅丘ルリ子は、小林旭から「つまらないブルジョア根性なんか棄てろ!」などといわれたりするが、下落合にある大きな屋敷に住み、不動産の問題で困っている役どころを演じている。ちょうど15年後、彼女が借地権の課題に悩む彫刻家のアトリエ屋敷で長女役を演じた、下落合が舞台のドラマ(『さよなら・今日は』/1974年)と似たような設定だ。この映画では建設中のアパートが課題となるが、15年後のドラマではマンションの建設問題がからんでいた。あまり多くの作品は知らないが、浅丘ルリ子と下落合はどこか縁のあるロケ地なのかもしれない。
 映画のしょっぱなから驚くのは、近衛町通りに都バス(!)を走らせているシーンだ。もちろん、近衛町に路線バスなど走ってはおらず、都バスをチャーターして撮影したものだろう。(冒頭写真) 下落合1丁目417番地(現・下落合2丁目)の、当時は建て替え前だった岡田邸の門前に都バスが停まっており、行き先は「新橋駅」となっている。このバスに乗ると、どのようなルートかは不明だが、バス停に「都立大久保病院前」や「新宿歌舞伎町」があるようなので、新宿の街中へ出るにはとても便利そうだ。(目白駅から山手線に乗ったほうが、よほど早いのに。w)
 左の樹木に隠れているのは、近衛篤麿邸の馬車廻し跡にある双子のケヤキ(二本エノキ)と、目白ヶ丘教会の鐘がついた尖塔だ。そして、岡田邸の並びに見えているのは、南隣りがFrank Korn邸、その隣りの2階家が竹内邸(のち馬場医院)、そして道をはさみ下落合1丁目416番地に建つ目白ヶ丘教会の切妻という順番だ。左の樹木には、「FRANK KORN」をはじめ「V.W.SHRIRO」(下落合1丁目427番地)や「Seal」(同430番地)、「MARTIN」など外国人の住宅を示す案内板があるので、近衛町とその周辺には米軍による接収住宅の名残りが、いまだ数多く目立っていたものだろうか。
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 映画には、近衛町かその周辺にあったとみられる屋敷が、浅丘ルリ子の住む「三木邸」として登場するが、エントランス部のみしかとらえられておらずどこの邸かは不明だ。つづいて、近衛町を東から眺望した一帯の風景はわかりやすい。カメラは、林泉園の南側に建っていたNHK目白寮を病院に設定し、その屋上からほぼ真東を向いて撮影している。
 画角にとらえられた住宅を、順番に見ていこう。まず、NHK目白寮の屋上から東に向かう中央の三間道路だが、突きあたりに見えている小さな建物は通称・近衛町交番(当時は下落合一丁目駐在所だが、請願当時は旧・丸山巡査派出所でのちに下落合三丁目駐在所)だ。道路の左手、いちばん手前の大きな西洋館は下落合1丁目427番地のV.W.SHRIRO邸、その右のライト風の住宅が南邸、その右に見えている平家が宇佐美邸だ。そして、道路に面したモダンな住宅が、下落合1丁目425番地の大比良邸(アパート経営?)で、映画では三木家が建設中のアパートという設定になっている。この道筋は、わたしが目白駅に向かうときに通いなれたコースだ。
 道路の右手に見えている住宅は、いちばん手前の西洋館が下落合1丁目404番地の田村邸(旧邸)、その左には和洋折衷館の瀬戸邸、瀬戸邸の屋根上にチラリと見えているのが堀江邸で、その向こう側が先ほどの都バスが停まっていた岡田邸が建っているという並びだ。また、手前の田村邸の屋根から突きでているハーフティンバーの西洋館切妻は三洋海事KK(旧・吉田邸/のち佐々木邸)で、切妻の右横に見えている和館の屋根は、道をはさんで下落合1丁目417番地のFRANK KORN邸という位置関係になる。そして、右手前の田村邸の右手枠外には安井曾太郎アトリエが、ハーフティンバーの三洋海事KKが入る西洋館の右手枠外には、1923年(大正12)に竣工した現存する藤田孝様がお住まいの和洋折衷館が建っている。
 少し遠景に、目を向けてみよう。右手にとらえられた田村邸の屋根上にのぞく、ハーフティンバーの切妻のさらに上に見えている大きな樹木が、近衛町通りの双子のケヤキ(二本エノキ)だ。ただし、数年前の落雷により西側ケヤキの樹勢が衰えているとみられ、東側のケヤキが枝葉を大きく拡げているようだ。1958年(昭和33)現在、西側のケヤキはいまだ南の道路端へ移植されていない。また、道路の突きあたりに見えている交番横には、山手線の線路沿いへと下る坂道があるが、その右手には馬の彫刻で有名な三井高義アトリエが建っているはずだ。
 交番の上に見えている、白いアパート状のビルは、竣工したばかりの第一銀行目白寮であり、その左に見えている鉄骨を組んだだけの、建設中のビルを思わせる構造物は、目白ゴルフガーデンの打ちっぱなし練習場だ。ゴルフ練習場の鉄骨上部、やや右手遠景に白く見えている建物は、戦後の焼け跡キャンパスに建てられた学習院大学の新校舎で、鉄骨の左側から凸字のように突きでて見えている大きな白いビルは、目白通りをはさんだ川村学園の校舎という位置関係だ。
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 つづいては、三木家の母(高野由美)と娘が建設中のアパートを眺めているシーンだが、背後に映る竹垣の家が堀江邸、左へつづくコンクリート塀が岡田邸で、ふたりが眺めている位置(カメラの背後)にあるのが、アパート状の大比良邸ということになる。岡田邸の門の脇には、いまだ大樹が残っており、当時、下落合の緑がいかに濃かったのかがわかる風景だ。左奥へつづく道路は、すぐに近衛町通りへと出るが、その向こう側で下り坂気味に見えているのが山手線の線路際まで下りられる坂道で、坂の右手には下落合1丁目414番地(販売当初は売れ残った近衛町1号区画)の旧・島津良蔵アトリエ、映画の撮影時は彫刻家・三井高義アトリエということになる。
 次のシーンは、と同じ道路を今度は西に向いて撮影している。小林旭の背後、突きあたりにみえている5階建ての白いビルがNHK目白寮で、の遠望風景はこの屋上から撮影されたものだ。寮の敷地には戦前、林泉園住宅地を開発した東邦電力の社長・松永安左衛門邸と東邦電力の役員邸が建っていた。重複するので詳細は省くが、近衛町通りに出る直前の情景で、左の塀が岡田邸で向こう隣りが堀江邸、右側の塀が松岡邸で奥の生け垣が二宮邸(一時期は木村邸?)、さらに奥には映画で三木家のアパートにされている大比良邸が映っている。
 つづくは、浅丘ルリ子が近衛町通りに出たシーンで、左手の大樹が残るコンクリートの門(現存)が岡田邸、北側の向かいにある塀は松岡邸だ。松岡邸のつづきに見えている平家の屋根が谷中邸で、2階建てのアパートは竣工間もない「青雲荘」だろう。右手にある電話ボックスは、映画のストーリー用に設置された大道具だとみられるが、その裏に見えている小さな建物が近衛町交番だ。シーンでは、この電話ボックスから電話をかける小林旭が撮影されているが、交番内の巡査がロケを見物している様子までとらえられている。
 シーンでは、双子のケヤキで待っていた浅丘ルリ子と小林旭が再開するが、通りの突きあたりに日立目白クラブ(旧・学習院昭和寮)が、その右手には目白ヶ丘教会の尖塔が映る。また、右手に見えている大きな西洋館は、目白ヶ丘教会の尖塔の下に門が見えている竹内邸(のち馬場医院)の一部であり、ブロック塀の敷地はFRANK KORN邸だ。シーンでは、双子のケヤキの中間にあった街灯の支柱と、落雷した西側のケヤキがクローズアップされている。めずらしいのは、街灯に手動のスイッチが見えており、誰か当番を決めて点灯していたのだろう。
 さて、面白いのはシーンだ。落雷した西側ケヤキの幹に、誰が刻んだのか「西」という文字が見えている。樹勢が衰えている樹木に、こういうことをしちゃダメでしょ。おそらく、東側ケヤキの幹のどこかにも「東」と彫られているのだろうが、方向音痴の人が刻んだものだろうか。西側のケヤキはその後、馬車廻しの位置から南へ20mほどの道路端へと移植されている。小林旭の背後の門から、幼児たちが遊ぶ遊具が見えているが、FRANK KORN邸の東側にあった広い芝庭だ。同邸は和館だったとみられ、その玄関らしい一部がブランコの奥に見えている。
 次にシーンは、南側から双子のケヤキを撮影したものだが、右手に見えているコンクリート塀の門は、三井高義アトリエの南隣りにあたる大友邸だ。左手のFRANK KORN邸と右手の大友邸の門がセットバックしているのは、もちろん双子のケヤキを避けて通るクルマを考慮したものだが、当時のクルマが小型だったせいか道幅がかなり狭く感じる。もっとも、しばらくして西側のケヤキが南の道路端へ移植され街灯も撤去されるので、現在ではやや拡がってはいるが、門前なのでクルマが最徐行しなければならないのは昔もいまも変わらない。
 つづくは、目白ヶ丘教会と日立目白クラブ(旧・学習院昭和寮)が、浅丘ルリ子の横顔とともに美しくとらえられたシーン。次のシーンは、近衛町通りにとり残された小林旭だが、左手に映っている住宅は、コンクリート塀がかなり長くつづく大屋敷が海東邸、道をはさみその南に見えているのが呉邸に早尾邸という並びだ。電柱が木製のままで、やや傾いでいるの懐かしい風情だ。
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 『女を忘れろ』から15年後、今度は連続ドラマ『さよなら・今日は』(NTV)のロケ-ションで下落合を訪れた浅丘ルリ子は、近衛町通りから300mほど西側に通う、御留山(現・おとめ山公園)沿いの相馬坂を下りながら、まだ10代だった映画ロケを思いだしていただろうか? ひょっとするとドラマロケの合い間に、当時を懐かしんで近衛町の双子のケヤキを訪れているのかもしれない。次回の記事では、『女を忘れろ』に登場している近衛町と周辺の邸宅を、より詳しく観察してみよう。

◆写真上:近衛町通りの岡田邸前で運行する、終点「新橋駅」へいくらしい特別都バス。w
◆写真中上:『女を忘れろ』に登場する、近衛町周辺の屋敷と一帯の鳥瞰風景①②は、1961年(昭和36)撮影の空中写真にみるカメラポイントと画角にとらえられた風景。現状の写真は、左手が屋上にカメラが据えられたNHK目白寮跡で突きあたりが近衛町交番。
◆写真中下:次々に登場する近衛町の各シーン③~⑧とその現状で、すべては解説しきれない。
◆写真下:同じく近衛町の双子のケヤキ(二本エノキ)周辺で展開される、浅丘ルリ子と小林旭の各シーン⑨~⑫と現状。は、1959年(昭和34)1月に公開された『女を忘れろ』のDVDジャケット。
おまけ
 空中写真は1963年(昭和38)の撮影で、ロケ撮影から5年後の近衛町。戦争の焼け跡がなくなり、住宅もかなり建て替えられている。また、双子のケヤキの西側ケヤキが、20mほど南側へ移植されたらしい様子が見てとれる。映画は1958年(昭和33)の冬枯れ期に撮影されたようだが、葉が繁ると当時は緑に包まれる下落合だった様子がわかる。下の写真は、近衛町入口の交番前から南西を向いて眺めたところ。岡田邸のコンクリート門が、『女を忘れろ』の撮影時と変わらずに残されている。また、落雷した西側のケヤキが20mほどズレて移植されている様子がよくわかる眺めだ。
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この記事へのコメント

  • てんてん

    (# ̄  ̄)σ・・・Nice‼です♪
    2025年08月21日 22:05
  • 落合道人

    てんてんさん、コメントをありがとうございます。
    ビッグバンドの維持経営は、とてつもなくたいへんでしょうね。
    1990年代からは、“臨時編成”もめずらしくなくなりました。
    2025年08月21日 22:14

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