『二人の瞳』にとらえられた目白ヶ丘教会1952年。

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 先日、目白ヶ丘教会の牧師・野口哲哉様をお訪ねした際、竣工から間もない同教会や、昭和30年代の下落合の近衛町が映っている、映画作品を2本お借りした。そのうちの1本が、1952年(昭和27)に大映が制作した『二人の瞳』(監督:仲木繁夫)という作品だ。
 同作はダブル主演でつくられており、米国女優のマーガレット・オブライエンと美空ひばりがヒロインとして描かれている。ネタバレになるので、本作のストーリーについてはあまり触れないが、戦災孤児(政府統計の数字だけでも全国で約12万4,000人もいた)の生活費を稼ぐために、「ヨイコノガクダン」を組織し街頭で唄いながら、カンパを集める少女の役を美空ひばりが演じている。だが、彼女は孤児たちの集めたカネをピンハネしようとする、悪いオトナたちに追われているが、悪党たち(根っからの悪党ではないようだ)は周囲の人々に捕まって、千代田城の内濠に叩きこまれるという、半分コメディタッチの場面がイントロダクションになっている。
 1952年(昭和27)といえば、敗戦からわずか7年しかたっておらず、戦争で両親を亡くした戦災孤児たちが、いまだ街中にあふれているような時代だった。敗戦5年後の1950年(昭和25)の時点でさえ、全国で1万人ほどの餓死者(病気による衰弱死は含まず)がでるような状況だった。戦災孤児たちを集める施設を描いたNHKの連続ラジオドラマや、松竹が制作した『鐘の鳴る丘』(1949年)が大ヒットし、ちまたでは「♪緑の丘の紅い屋根~、とんがり帽子の時計台~」の主題歌(作詞・菊田一夫/作曲・古関裕而)が盛んに唄われていた時代だ。
 一方、夏休みに父親が勤務する日本へはるばる海を越えてやってきたのが、マーガレット・オブライエン演じるアメリカ娘だ。M.オブライエンといえば、戦後、日本で公開された『若草の頃』(1944年)や『若草物語』(1949年)に出演した人気女優であり、日本の映画に出演するなど異例中の異例だったろう。わたしの母親は、両作とも戦後の映画館で観ているが、母親の青春時代、つまり敗戦直後に女学校へ通っていた多感な世代には忘れられない女優だったにちがいない。もし本作を母親が観ていれば、M.オブライエンがたどたどしいながらも、日本語で会話するのを聞いて感激しただろう。また、母親は晩年、わたしの家族と下落合でいっしょに暮らしていたが、近衛町の下落合1丁目416番地(現・下落合2丁目)にある目白ヶ丘教会が、M.オブライエンのロケ地であるのを知ったら、さらに喜んでいたにちがいない。(冒頭写真) 母親が有楽町へ出かけた親父との映画デートで、『ゴジラ』(1954年)にひどいめに遭う2年ほど前の作品だ。
 『二人の瞳』の前半は、まるで米国映画のようにスウィングJAZZ(1930~40年代前半)もどきのBGMが流れるが、後半になるとシューベルトの『アヴェ・マリア』のメロディが大きくフューチャーされてくる。これは、美空ひばり演じる少女「阿部まり枝」や、ストーリー展開とも深くかかわるBGMだが、プロテスタントの目白ヶ丘教会を舞台に、教会内では『アヴェ・マリア』が唄われるという点にも、同作が提示する大きなテーマのひとつが内包されているのだろう。
 それは、GHQによる日本の占領政策が終了したとはいえ、敗戦国の日本に対する米国の宗教政策をどこか反映したものだったのかもしれない。1957年(昭和32)という年は、連合軍による占領が終わり、日本の政治的独立(サンフランシスコ平和条約)を目前にした時期だった。
 そんな目で同作を観ていると、M.オブライエンがわざわざ日本まで会いにきた、どことなく翳があり目つきが落ち着かない「お父様」(ジョン・ノートン)が、どこに勤めていたのかが気になる。その表情から、娘を溺愛する善良なパパというよりは、どことなく怪しげな雰囲気を漂わせていると感じるのは気のせいだろうか? GHQのキャノン機関などを擁するG2から改組されたCIA、あるいはCIEにでも「お父様」はお勤めだったのではないか?w……などと、さまざまなことを憶測してしまうのだ。M.オブライエンが、いともたやすく厚生大臣に面会できてしまうなど、夏休みをすごしに観光で日本を訪れた米国娘にしては、あまりにダイナミックな活動ができすぎなのだ。
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 ひとつ驚くのは、美空ひばりが15歳のときの映画だが、彼女が見せるさまざまな表情やしぐさが、大人になってからもあまり変わっていないことだ。それだけ早熟で、完成度の高い“芸”を身につけてデビューしてきたということなのだろう。
 同じくM.オブライエンも、子役シャーリー・テンプルの後継スターといわれた早熟の女優だが、『二人の瞳』出演時は美空ひばりと同じく15歳だった。美空ひばりの声は、後年と同様に低めのアルトだが、街中のどこで唄ってもフルオーケストラが伴奏するのは、ミュージカルではないのでやはり不自然だ。このあたり、ステッキをもったチャップリンを模倣する俳優が登場するなど、映画界も戦後の混乱の中で表現の模索状態がつづいていたものだろうか。
 さて、『二人の瞳』に登場する下落合(当時は中落合/中井含む)は、目白ヶ丘教会とその直近風景だ。映画がスタートすると、ほどなく遠藤新設計による同教会の尖塔が映り、そこへオープンカーで到着するM.オブライエンと牧師一家が登場している。同教会は、西側に建つ目白ヶ丘幼稚園の建物を除き、現在とほぼ同じ姿をしているが、もっとも異なるのは周辺の風景だ。低層マンションなど、視界を遮る高めの住宅が存在しないため、見通しがよく空が広々としている。また、緑が圧倒的に多いのも当時の近衛町らしい風情だ。わたしが高校生のころや、学生時代の登下校時に見ていた下落合の風景とさして変わらない、樹木が繁る近衛町の姿が記録されている。
 目白ヶ丘教会の北側からの外観や、教会内部の様子まで撮影されているが、唯一、近衛町の他の敷地がとらえられているのは、同教会の三間道路はさんだ北側の一帯と、緑が濃い御留山(林泉園谷戸の埋め立てたあとには古河電工社宅が建てられ、東邦生命の開発地では大蔵省の公務員住宅の建設が計画された)の方角の樹林だ。同教会の入口が接する道路の北側は、二度の山手大空襲で焼けた敷地が多いので、戦後にようやく再建されはじめた様子が画面にはとらえられている。
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 具体的には、映画で「緑ヶ丘孤児収容所」の建設シーンとしてロケに利用されている、教会のすぐ北向かいに建設中だった下落合1丁目417番地の竹内邸(のち馬場医院)と、同じく北側の斜向かいで大工たちが建築用の材木を運ぶのがとらえられている、同番地の望月邸だ。もっとも、建築資材を運んでいるのは竹内邸の建設現場へであって、望月邸の建設はもう少しあとなのかもしれない。なぜなら、この映画が撮影された4年後、1956年(昭和31)の空中写真を確認すると、ちょうど望月邸が建設中のように見えるからだ。また、東西道の突きあたりに竹林のような繁みが見えているが、下落合1丁目404番地の山中邸にある庭園だろうか。
 『二人の瞳』には、乃手らしくピアノを弾くシーンが何度か登場するけれど、演奏されているのはベートーヴェンの『エリーゼのために』とシューベルトの『アヴェ・マリア』だ。つまり、日本で西洋のクラシック音楽といえば、ロマン派のこのふたりの作曲家がその代表であり、いまだマーラーもシェーンベルグも、バルトークもストラヴィンスキーも、学校の音楽授業などでは扱われない時代だった。また、同映画には、まるで当時の東京遊覧バス(現・はとバス)めぐりのように、オープンカーに乗ったM.オブライエンたちが観光地、たとえば銀座や歌舞伎座などを回遊するが、この映画と同時代を生きた親たち世代にとっては懐かしい東京風景だろう。
 下落合の近衛町には、戦前、山手線沿いに目白授産場(東京府立セツルメント)はあったけれど、戦後に孤児収容所は建設されていない。だが、劇中で使われている「緑ヶ丘孤児収容所」のネームが気になった。この「緑ヶ丘」というネームは、先述の「♪緑の丘の赤い屋根~」のヒットした『鐘の鳴る丘』にちなんだネームのようにも思えるが、字こそ異なるものの下落合にも「翠ヶ丘」と呼ばれた一帯が、当時は実在していた。下落合の中部、いまでは十三間通り(新目白通り)で南北に分断されているが、振り子坂六天坂が通う丘上あたりから、落合第一小学校の高台をへて西坂が通う丘上あたりまで、通称(地元名)として「翠ヶ丘」と呼んでいた時代があった。
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 映画のラストシーン、羽田空港の滑走路でM.オブライエンの乗ったパンナムの旅客機を仰ぎ見て、感きわまったように祈るようなしぐさをする美空ひばりは、まるでキリスト教美術に見られる「マグダラのマリア」だ。旅客機のM.オブライエンを、まるでキリストのように崇めているのか、または美空ひばりが聖女になってしまったのかは曖昧だが、『アヴェ・マリア』が最後まで流れつづける。ところで、エンディング近く美空ひばりが『アヴェ・マリア』を唄いだすシーンがあるけれど、同曲は彼女の声帯域にはかなり高すぎるのか、すべて裏声で唄っているのがめずらしい。

◆写真上:目白ヶ丘教会の前を歩く、『二人の瞳』のマーガレット・オブライエン。
◆写真中上:さまざまなシーンが撮影された、大谷石が目立つ目白ヶ丘教会のエントランス。
◆写真中下は、教会内部の様子。は、教会前から御留山のある西を向いて撮影したシーン。大工たちが建築資材を運んでいる向こう側は、近衛町15号の山中邸。は、撮影のセットではなく本当に建築中だった近衛町13号の竹内邸(のち馬場医院)。
◆写真下は、1956年(昭和31)に撮影された空中写真にみる目白ヶ丘教会とその周辺。は、パンナムのプロペラ旅客機を仰ぎ見る美空ひばりのポーズ。は、『二人の瞳』のDVDジャケット。

この記事へのコメント

  • てんてん

    (# ̄  ̄)σ・・・Nice‼です♪
    2025年08月18日 22:53
  • 落合道人

    てんてんさん、コメントをありがとうございます。
    長崎の供養舟(精霊流し)は、映画で見たことがあります。
    2025年08月19日 09:54

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