第一文化村1936年。

image013.jpg
 目白文化村の第一文化村は、1922年(大正11)に販売がスタートし売れいきも好調だった。そのせいか、1923年(大正12)には前谷戸の一部を埋め立て、住宅敷地を大幅に増やしている。箱根土地は、本社の前庭を従来の郊外遊園地名にちなみ「不動園」と名づけている。() また、不動園には前谷戸の湧水池()が設けられ、現地見学用のバス車庫の前には、住民のサークル活動の拠点である「文化村倶楽部」()が建設された。
戦前に撮影された、第一文化村の二間道路の写真()が残されているが、第一文化村で神谷邸や中村邸()をはじめもっとも早い時期に家々が建設されたエリアだ。また、住民たちが食糧や生活必需品をまとめて安く購入できるよう、今日の生協にあたる「同志会」()も結成されている。
第一文化村は、1945年(昭和20)の二度にわたる山手大空襲で大きな被害を受けたが、その西側では今日でも当時の邸宅の面影をみることができる。()()()
image002.jpg
image003.jpg②④ image008.jpg
image007.jpg image010.jpg
image012.jpg image015.jpg
image017.jpg image019.jpg

この記事へのコメント