
目白文化村の第一文化村は、1922年(大正11)に販売がスタートし売れいきも好調だった。そのせいか、1923年(大正12)には前谷戸の一部を埋め立て、住宅敷地を大幅に増やしている。箱根土地は、本社の前庭を従来の郊外遊園地名にちなみ「不動園」と名づけている。(①) また、不動園には前谷戸の湧水池(②)が設けられ、現地見学用のバス車庫の前には、住民のサークル活動の拠点である「文化村倶楽部」(④)が建設された。
戦前に撮影された、第一文化村の二間道路の写真(⑤)が残されているが、第一文化村で神谷邸や中村邸(⑥)をはじめもっとも早い時期に家々が建設されたエリアだ。また、住民たちが食糧や生活必需品をまとめて安く購入できるよう、今日の生協にあたる「同志会」(⑦)も結成されている。
第一文化村は、1945年(昭和20)の二度にわたる山手大空襲で大きな被害を受けたが、その西側では今日でも当時の邸宅の面影をみることができる。(⑧)(⑨)(⑩)

②④
⑤
⑥
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
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