土門拳の砂糖たっぷりコーヒーは気持ち悪い。

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 以前、UVメーターがあこがれのブルーに光るマッキントッシュのセパレートアンプを置いた、目白駅近くにあるコーヒー店について書いたけれど、コーヒーは確かに美味しいし銘柄もそろっているが、駅近くの場所がらのせいか値段がかなり高い。
 そこでもう1軒、ワンコイン(500円)でとびきり美味しいコーヒーが飲める、下落合の住宅街にあるおうちCafé「hiroma」をご紹介したい。ただし、個人邸の一画を喫茶店に改造しており、現在は日時も限定されているので、初めての方にはちょっと入りにくいかもしれないが、気さくなママさん(同邸の奥様)がいるので大丈夫。おうちCafé「hiroma」は、いまから10年以上も前から開店していたのは知っていたけれど、平日の営業なので入ったことがなかった。テラスにはテーブル席もあり、そこでは喫煙がOKだったようだ。
 だが、新型コロナ禍でやむをえず休業し、先年より再び営業を試運転的に再開している。ワンコインで飲めるこだわりのハンドドリップコーヒーは、当然ながら注文があってから挽きはじめるので、もちろん文句なく美味しい。ほかにも、紅茶やチャイ、ココア、ジュースなどがあるようだが、「hiroma」は以前から薬膳メニューを出していたように、すべての素材にこだわりがあるようだ。「hiroma」で検索すると、生活クラブ東京(生活クラブ生協)から食材を仕入れているようで、安心安全な“食”にこだわられているのだろう。
 ただし、再開しているといっても、試運転なので毎週火曜と水曜の午後3時から6時までという、きわめて変則的で短い営業だ(2025年3月現在)。ただし都合さえあえば、会合や茶会などで他の日時でも開店してくれるそうなので、フレキシブルに対応してくれる。メニューはドリンクだけで、いまだ料理類は再開していない。この前、チャンスがあり初めてお邪魔をしたときには、奥のテーブルで小学生の女子がふたり仲よく宿題を片づけていた。親たちも「hiroma」なら安心と、ワンコインを持たせて送りだしているのだろう。その後、二度ほどお邪魔をする機会があったが、開店時間が限られているせいか満席ということはなかった。
 読売新聞に連載された戦後まもないコラム「味なもの」には、同様に食材にこだわる健康志向の喫茶店を紹介するエッセイも掲載されている。喫茶店は、個人経営の店が多いので、銀座の資生堂カフェーパウリスタのように企業化され組織化されない限りは、1代で閉店してしまうケースも多いようだ。「味なもの」で紹介されている喫茶店は、その多くが閉店してしまい、いまでは存在していない。見方を変えれば、コーヒーや軽食、ケーキなど素材や料理にこだわったメニューを提供するから、効率化やコスト低減など少なからず度外視するので、大きな収益も上がらなければ法人化にも無理があり、1代限りしかつづかないということなのだろう。
 根っからの女好きで、おカネが入るとほとんどを遊興につかい果たし、放蕩のかぎりをつくした元・皇族の久邇朝融は、西銀座(銀座7丁目の映画館「全線座」ヨコ)にあった、健康志向の喫茶店兼レストランの「グリーン・カウ」を紹介している。この店は、1Fが喫茶室で2Fはレストランだったが、喫茶室には有島生馬の『パン』と題されたタブローが架けられていたらしい。久邇朝融のエッセイ『フランス料理・喫茶が“本職”』を、「味なもの」から少し引用してみよう。
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 階下は喫茶室で有島生馬画伯の代表作「パン」と題する鬼のような人物が辺りを払っています。店主に尋ねたところギリシア神話にある森の神様だそうで、その対面には「あなたは百歳まで生きられる」と書かれたポスターが人眼をひいています。これは、アメリカの著名な栄養学者ゲイロード・ハウザー博士の著書「若く見え長生きするには」の言葉の一つです。つまり此の店の特色は、純フランス料理やコーヒーの他に、ハウザー式の健康飲料や若返りの料理を作っていることです。(中略) この店に行くと、私はまず電気ミキサーで作った、生の人参、セロリ、ホウレン草などの野菜ジュースを飲みます。
  
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 「グリーン・カウ」の喫茶室は、コーヒーとともに今日でいう“スムージー”を看板にする健康志向のメニューだったようだ。なお、G.ハウザー博士を米国の栄養学者としているが、ドイツ生まれで療養のためスイスなどに在住したドイツ人なので、戦後は米国へ移住しているものの、その考え方は正確にいえば米国式ではなくヨーロッパ式、あるいはインドの導師から影響を受けたインド式だったのではないか。ちょうど、最初はフランスやイタリアなどヨーロッパで評判になったmacrobiotique(マークロビオティク=英語ではmacrobiotic)だが、下落合に住んだ桜沢如一が考案した「日本式」であるのと似たようなケースだろうか。
 わたしは、「グリーン・カウ」についてはまったく知らないが、戦前の「パンの会」つながりの人々や、パラ愛好家たちなどが集い、古川ロッパや吉田健一などもエッセイに書いているところをみると、当時はかなり有名な健康志向の店だったのだろう。だが、1960年代以降は資料にまったく登場しなくなるので、50年代末にでも閉店してしまったものだろうか。
 「味なもの」の連載では、ケーキづくりが営業の中心で、コーヒーはケーキを美味しく食べるための付随的な飲み物という扱いをする喫茶店も紹介されている。ケーキ工場の隣りに、同工場が経営する喫茶室を開店していたもので、青山にある「ROXY」という店だった。もともとは、明治会館で催される結婚式のケーキを一手に引き受けていた工場らしく、帝国ホテル出身のパティシエがつくったケーキを、工場主の妻が経営する喫茶室で提供していたらしい。同店を訪問しているのは、目白文化協会で中心幹部のひとりだった石川栄耀だ。
 「味なもの」からつづけて、石川榮耀『自慢はウェディング・ケーキ』より引用してみよう。
  
 淡々として青山らしい外観が気にいって入って見る。菓子工場にならんで三坪ばかりの喫茶室がある。清潔な白の基調に、渋い紅がイスや植木鉢と程よくアクセントをとっている。先客は洋装の中年の婦人二人。/コーヒーをのみながらケーキの皿をニラミ、ジェリータートをつまむ。一寸月餅の味があり「乙」である。/フト、ROXYは上海映画館の名であったことを思い出し「御主人は支那から帰った人?」とウェイトレスにきいたら、北京大学出身だという。(中略) 御主人は留守とあって、奥様(とはムリな位にお嬢さんお嬢さんしたオクサン)が黄色いスェータアでニコニコしながらあらわれる。
  
 この「オクサン」は、二二六事件に連座して軍法会議にかけられた、陸軍大将・真崎甚三郎の息女だった。事件当時は、尋常小学校4年生のわずか10歳だったという。このあと、著者は「ROXY」自慢の重量感のあるワッフルを「オクサン」に勧められ、「口に入れると何となく民主的な(では解らんかな)味」を堪能しつつ、店をあとにしている。
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 特定の店の紹介ではなく、東京に開店していた喫茶店をあちこちハシゴしてコーヒーを味わっていたのは、写真家の土門拳だ。執筆陣の中では、もっとも多くの店舗を紹介している。戦前に、ジャーナリストたちがよく集まったらしい、「美人」のウェイトレスがいたという銀座4丁目の「富士アイス」(戦災で焼失)にはじまり、戦後の都内で開店していた喫茶店を8店も紹介している。土門拳は仕事がら、(城)下町の店に立ち寄ることが多かったようだが、現在ではわずか2店舗のみが多少の衣替えをしつつ営業をつづけている。
 登場する喫茶店は、いまでも喫茶店からレストランとして営業をつづける日本橋の「紅花」、銀座7丁目の「らんぶる」(現カフェ・ド・ランブル)をはじめ、銀座の交詢社前にあった「イタリアン・ベーカリー」(閉店)、新橋駅の近くにあった「マミー」(閉店)、つい最近まで営業をつづけていたが閉店してしまった神田の「キャンドル」(茶房きゃんどる)と浅草の「アンヂェラス」、戦後もしばらくたつと閉店したとみられる新宿の「丘」と荻窪駅前の「ボン」の8店だ。これらの喫茶店へ、土門拳は仕事のついでに立ち寄ってはコーヒーを楽しんでいた。
 ただし、コーヒーの飲み方が、わたしとしてはちょっとというか、かなり気持ち悪い。おそらく、戦時中は配給制になった砂糖の入手が困難となり、“甘味”に飢えて特別な思い入れがあるのかもしれないけれど、「コーヒーにどんだけ砂糖を入れるの!?」というような飲み方をしている。「味なもの」より、土門拳の『濃いコーヒーに砂糖たっぷり』から少し引用してみよう。
  
 コーヒーの産地たるブラジルのリオデジャネイロやサンパウロでは、コーヒーをのむのに、まず茶わんの半分までたっぷりと砂糖を入れ、その上から熱いコーヒーをついで、そのままかきまわさずに上すみだけを静かにのむのだそうである。なるほどうまそうだ。僕は喫茶店でコーヒーをのむときは、大体ブラジル風にすることにしているが、ポットを持ってコーヒーをつぎにきたボーイやウェイトレスはそんなに砂糖を使ってはこまりますとも言えず、しぶしぶついでくれる。大抵の店はそうはさせまいと、砂糖をあとから入れる仕組みにして持ってくる。
  
 いくら「上すみ」だけ飲んでも、飲み進めるうちにとんでもない甘さになるのは想像にかたくない。コーヒー羊羹のような甘さになるのではないかと思われるが、頭痛がしそうな味わい方だ。
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 土門拳は、東京じゅうの喫茶店をハシゴしながら、「うまい」と思う店のランクづけをしていたようだが、実はベスト1は喫茶店で出されるコーヒーではなかった。歌舞伎座の楽屋で、初代・水谷八重子が魔法瓶から注いでくれた、自家製の「舌もとろける」濃厚なコーヒーだったようだ。

◆写真上:新型コロナ禍で休業していたが、10年以上前から開店しているCafé「hiroma」。
◆写真中上は、おうちCafé「hiroma」の扉とメニュー。は、「味なもの」では著者が挿画も描いており健康志向の喫茶店の常連だった久邇朝融「グリーン・カウ」。
◆写真中下は、ケーキ工場と隣接して青山に開店していたケーキ&喫茶を訪れた石川栄耀が描く「ROXY」。は、さまざまな喫茶店の趣きのある店内の情景。
◆写真下は、都内各所の喫茶店を訪れていた土門拳だが、挿画は銀座の「マミー」で出されたアイスコーヒーらしい。は、音楽にこだわるマッキントッシュが置かれた喫茶店の内観。

この記事へのコメント

  • てんてん

    こんばんは。
    今日も来ましたよ♪
    2025年03月05日 20:38
  • 落合道人

    てんてんさん、コメントをありがとうございます。
    葬儀のあとは、なにかと休みなしに忙しく体調を崩しやすとおもいますので、
    くれぐれもお気をつけください。
    2025年03月05日 21:14
  • NO14Ruggerman

    「hiroma」は平日の日中にオープンしているのですね。
    もう何年も前からお店の前を通るたびに開いていたら入店しようと
    狙っていましたがそれが週末だったため願いがかなわずにおりました。
    耳寄り情報をありがとうございます。
    2025年03月05日 23:39
  • 落合道人

    NO14Ruggermanさん、コメントをありがとうございます。
    わたしも、ずいぶん以前から気になっていました。4年ほど前から
    開いているのを見かけなくなりましたので、てっきり閉店されたのか
    と思っていましたが、新型コロナ禍で自粛されていたのですね。
    宿題を片づけに、小学生でも気軽に安心して立ち寄れる喫茶店という
    のは、いまどきちょっと貴重だと思います。w
    2025年03月06日 09:58

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