カルピスの三島海雲がいたお化け屋敷。

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 カルピスが好物だった中村彝Click!のせいで、こちらでも創業者の三島海雲Click!と絡めて何度かカルピスClick!を取りあげてきた。わたしは学生時代、その三島海雲が住んでいた家の前を、それとは知らずに1年近く何度も毎日往復していた。学生時代にアルバイトをしに通っていた会社が、新宿区の信濃町にあったのだ。
 わたしのバイト先は信濃町駅前から北へ少し歩き、右折して東へ300mほど歩いたところにあった。その道すがらの右手には、CBSソニーの大きな録音スタジオがあったのだが、その斜向かいにボロボロになったお化け屋敷のような西洋館が、樹木に囲まれてひっそりとたたずんでいた。そのときは、「このへんは、めずらしく空襲にも焼け残ったんだな」ぐらいの感慨しか持たなかったのだけれど、このお化け屋敷こそが「デ・ラランデ邸」であり、1956年(昭和31)から三島海雲が暮らしていた家だったのだ。
 アルバイト先の企業は、スーパーマーケットのさまざまなPOPやチラシをデザインして印刷し、それを店舗ごとに仕分けして発送する業務を行っており、わたしは印刷室から上がってきたばかりのPOPやチラシを、リストにもとづいて首都圏に展開する店舗ごとに仕分けする仕事をしていた。コーヒー専門店のカウンターClick!業務に比べたら、はるかに単調で考えたり工夫したりすることも少なく、休み時間にはストレス解消と気分転換のために、デ・ラランデ邸の東側に隣接していた公園で、よくアルバイト先の社員たちと野球やキャッチボールをしたものだ。
 投げたり打ったりしたボールが、細い道路をはさんだ同邸の敷地へ飛んでいったことも何度かあった。そんなときボールを拾いにいくのは、ジャンケンで負けた人が探しにいくことになっていた。誰もが、なにが出てくるかわからない、不気味な幽霊屋敷の敷地へなど入りたくなかったのだ。わたしはジャンケンが強かったので、ボールを探しにいったことは一度もなかったように思うが、いまから考えるとジャンケンなどせず、自ら進んで敷地内にボールを探しにいけばよかったと、心底後悔している。建物をすぐ間近から、ハッキリと仔細に観察できたからだ。
 デ・ラランデ邸の前身が建てられたのは、1892年(明治25)ごろとみられているが、当初は平家建ての住宅で物理学者で気象学者の北尾次郎が住んでいた。その家を、日本で設計事務所を開業していたドイツ人建築家のゲオルグ・デ・ラランデが、1910年(明治43)ごろ全面的に設計しなおし、木造3階建ての大きな西洋館へとリニューアルしたとされている。当時の西洋館では一般的だった下見板張りの外壁に、スレート葺きのマンサード屋根が特徴的な、お化け屋敷とはいえ美しい意匠の西洋館だった。ただし、デ・ラランデはあくまでも北尾家の借家人であり、その後の研究によれば正確には「北尾次郎邸」と表現しなければ誤りのようだ。
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 デ・ラランデは、1910年(明治43)に同邸を改築したとすれば、1914年(大正3)に東京で肺炎が悪化して死去しているので、わずか3年余しか住まなかったことになる。彼の死後、妻が子どもたちを連れてドイツに帰国してしまうと、同邸は北尾次郎とその遺族が所有したまま、さまざまな住人が入れ代わり立ち代わり暮らしたようだ。そして、1956年(昭和31)に三島海雲が同邸を買収すると、1974年(昭和49)に彼が死去するまで暮らしている。三島の死後は、三島食品工業(カルピス)の事務所として1999年(平成11)まで使われていた。わたしがアルバイトで同邸の前を往来していたころは、カルピスの養蜂部門のオフィスとして機能していたことになる。
 そのころのデ・ラランデ邸は、近所からお化け屋敷と呼ばれても仕方がないほど傷んでいて、暗くなってから前を通ると独特な雰囲気を周囲へ発散していた。下落合の西洋館がいくら古いといっても、大正期から昭和初期の建築なので、どこかハイカラで明るい雰囲気を漂わせているのに対し、明治建築の同邸はよくいえば重厚、悪くいえば重苦しい気配を一帯にふりまいていたような記憶がある。
 それは、同邸を包むように大きく育ってしまった屋敷林の陰影が、より暗い雰囲気を演出していたせいなのかもしれないけれど、たとえば同時代に建てられた、よく手入れのゆきとどいている大磯Click!の西洋館などと比べてみると、いまにも朽ち果てそうな、廃屋へ一歩手前のような風情は、なにやら見てはいけないものを見てしまったような気がして、わたしには不気味な印象だけしか残っていない。同邸がついに解体されたと聞いたのは、前世紀の末ごろだったろうか。
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 それから長い歳月が流れ、学生時代のアルバイトをしているときに見た風景など、とうに記憶の片隅から消えてしまいそうになっていたとき、わたしは再びこの西洋館を目にすることになる。2013年(平成25)に、小金井にある江戸東京たてもの園に同邸が復元されたというニュースを、添付された美しいカラー画像とともに知った。最初、復元された同邸の写真と、信濃町にあったお化け屋敷の印象とがあまりにもかけ離れているので、かなり意匠を変えた復元なのではないかなと疑ったが、実際に復元された同邸を近くで眺めてみると、確かに信濃町に建っていたころのファサードと同じなことがわかった。
 これはあとで知ったことだが、信濃町に建っていたデ・ラランデ邸は昭和期にかなりの増改築が行われており、江戸東京たてもの園に復元された同邸は、できるだけ1910年(明治43)に大改築された当初の姿にもどして復元されたようだ。だから、わたしの学生時代に見た同邸の印象と、江戸東京たてもの園のそれとが大きく乖離しているように感じたのだろう。
 また、同邸は園内の日当たりのいい場所に復元されており、信濃町で屋敷林に囲まれて建っていたころの薄暗い風情と、まるで180度異なる環境なのも大きな違和感をおぼえた要因なのかもしれない。しかも、同邸の1階はテラスまで含めてカフェが開店しており、まるで繁華街の店舗のような賑わいを見せていた。
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 わたしが同邸の前を往来していた1981年ごろ、門前には「カルピス」を想起させる表札や看板などは、特になかったように思う。あれば、すぐに気がついていたはずだ。どこかに「三島食品工業株式会社」のプレートはあったのかもしれないが、やはり野球のボールを取りにいくのさえちょっと怖い、いまにも朽ち果てそうなお化け屋敷と「初恋の味・カルピス」とは、どうしても結びつかなかったにちがいない。

◆写真上:1980年代の撮影とみられるデ・ラランデ邸だが、もっと薄暗い印象だった。
◆写真中上は、1947年(昭和22)と1975年(昭和50)撮影の空中写真にみる同邸。1975年の時点では、邸の東側に野球ができるほど拡張された「もとまち公園」が存在していない。は、2013年(平成25)に江戸東京たてもの園で行われた復元工事。
◆写真中下:江戸東京建物園に復元された、デ・ラランデ邸内部の様子。三島食品工業の時代とは、かなり異なる意匠で復元されているとみられる。
◆写真下は、わたしがバイトで通っていた少し前の1979年(昭和54)に撮影された同邸。もとまち公園が東側に拡がり、わたしたちはここで昼休みにキャッチボールや野球をしていた。は、1階にカフェが入る復元された同邸の外観。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はじドラさん
    2018年10月18日 09:57
  • ChinchikoPapa

    実際に震災が起きてみないと、見えないことがたくさんありますね。東日本大震災のせいで、東京でもさまざまな課題がリアルに浮上してきました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
    2018年10月18日 09:59
  • ChinchikoPapa

    豚肉を茹でたまま、好みのタレをかけて食べる豚しゃぶは、家でもときどき作りますが、ブタはよく火を通さないと寄生虫が心配ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>マルコメさん
    2018年10月18日 10:03
  • ChinchikoPapa

    茶器がまるで煎茶の急須と茶碗の喫茶セットのような雰囲気で、めずらしいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
    2018年10月18日 10:06
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>鉄腕原子さん
    2018年10月18日 10:08
  • ChinchikoPapa

    F.プリムは、懐かしいネームですね。でも、彼女はH.ハンコックではなく、どうしてもC.コリアとのコラボを思い浮かべてしまいます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
    2018年10月18日 10:11
  • ChinchikoPapa

    なんの人形でしょうね? 女武者の巴御前に金太郎?……でしょうか。巴御前は信濃から神奈川の鎌倉、金太郎も同じく神奈川の足柄山のはずですが……。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
    2018年10月18日 10:16
  • ChinchikoPapa

    重病のときだけ粥を食べる家庭環境で育ったわたしは、中国粥もちょっと苦手です。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
    2018年10月18日 10:19
  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
    2018年10月18日 10:20
  • ChinchikoPapa

    映画やドラマのさまざまなシーンで、殿山泰司の姿がチラつきますね。あの雰囲気と滑舌の悪いセリフまわしが、えもいわれぬリアリティを醸し出していました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
    2018年10月18日 12:46
  • ChinchikoPapa

    「ピンポン」のモデルになった、昭和の匂いのする山手卓球場は健在ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
    2018年10月18日 15:44
  • ChinchikoPapa

    きょうはよく晴れましたけれど、足もとから冷えるほどの涼しさですね。さすがに、温かめの服装をしています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okina-01さん
    2018年10月18日 15:46
  • ChinchikoPapa

    このへんでカナヘビは目にしますが、ニホントカゲは少なくなりました。子どものころカナヘビを捕まえては、切り離したシッポがいつまでも動くのを眺めていましたね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
    2018年10月18日 22:52
  • ChinchikoPapa

    クッキリとよく晴れた、秋らしい見晴らしの別府湾ですね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>soramoyouさん
    2018年10月19日 00:07
  • ChinchikoPapa

    半島や岬ではないのですが、人気があった山岳の縦走コースの途中に観光道路が横断し、登山路がズタズタにされた箇所が全国にありますが、写真を拝見していて思い出してしまいました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
    2018年10月19日 09:56
  • ChinchikoPapa

    わたしも週末は、ずっとずっとずっと台風や雨だったので、遠出の計画がまったく立てられずにきました。そろそろ、天気が落ち着いてきたでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
    2018年10月19日 22:12
  • ChinchikoPapa

    「カニは甲羅ににせて穴を掘る」とはいいますが、身の丈がわからずに自己を大きく見せようとする人物が多いのに、ちょっと辟易します。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>mwainfoさん
    2018年10月20日 21:32
  • ChinchikoPapa

    こちらでは、畑の脇に飢えられた柿の実が色づいています。今年も、軒先につるして干し柿にするのかもしれませんね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>水郷楽人さん
    2018年10月20日 21:40
  • ChinchikoPapa

    料理にダシは欠かせないのですが、最近、質のいい本醸造の生醤油でこそ、大豆の風味が引き立つ納豆にまでダシが付いているのは、雑味を増すだけでお呼びでないと思います。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
    2018年10月20日 23:44
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2018年10月21日 16:32
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
    2018年10月21日 17:09
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sigさん
    2018年10月23日 12:45
  • ChinchikoPapa

    以前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
    2018年10月24日 13:31
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
    2018年10月26日 22:22