チャコちゃんが池袋にやってくるまで。

豊島師範学校跡.JPG
 先週末から今週にかけ、1日で110,000PVという日があった。これまで、12,000PV超えという日はときどきあったが、こんなにアクセスが集中(通常の20倍)して混雑するのは初めてだ。どこかで紹介されてPVが激増したものか、それとも新手のリファラスパムか、連日50,000PV超えはちょっと気味が悪い。Android端末でYahoo! JAPAN経由が多いようなので、タブレットあるいはスマホのデバイスからの大量アクセスだろうか。
PV20160521.jpg
  
 東京藝大の門前に近い浅尾沸雲堂Click!浅尾丁策(金四郎)Click!は、敗戦直後から豊島区長崎へ頻繁に足を運んでいる。東京市街地が空襲で焼け野原になってしまい、それまで仕入れていた国産絵の具メーカーの工場がほとんど全滅してしまったため、ほぼ市内で唯一焼け残った長崎のクサカベ絵の具工場へ、油絵の具を仕入れに出かけていた。
 1928年(昭和3)に創業した絵の具メーカーのクサカベは、いまでも埼玉県朝霞市で健在だが、長崎の製造所は家族総出による家内制手工業の典型的な工場だったらしい。クサカベの本社は神田小川町にあったはずだが、たび重なる空襲でとうに焼けていただろう。創業者の日下部信一は敗戦直前に死去し、二代目が引き継いで長崎の工場で油絵具を生産していた。当時の様子を、1996年(平成8)に芸術新聞社から出版された浅尾丁策『昭和の若き芸術家たち-続金四郎三代記[戦後編]』より引用してみよう。
  
 絵の具メーカーはほとんど戦災に遭い焼失したがクサカベ絵の具の長崎町の工場は幸運にも難をのがれた。そして製造再開の知らせがあったので早速行ってみた。/創始者の日下部信一さんは終戦間際に亡くなり、息子の松助君は二十代前半位で坊主頭のまだ学生気分の抜け切れない青年であった。松助君とヤブさんと呼ばれていた中年の人が絵の具練り仕事やチューブ充填等をやり、お母さんと女中さんが、チューブにレッテルを張ったり箱詰めを忙しそうにやっていた。外歩きは従兄の早川さんが一生懸命に働いていた、というような本当の家内工業であった。連日三十二、三度の猛暑つづきの一日であったので、松助君は氷を飲みに行こうと言って、すぐ近所の店へ連れていかれた。
  
 このクサカベ絵の具の長崎工場が、どのあたりに建っていたのかは不明だが、戦後間もない時期に操業を再開しているので、空襲の被害をほとんど受けなかった千早町あたりか、西落合寄り(南長崎)のほうではないかと想定している。
 このとき、日下部松助に連れられて浅尾丁策が入った氷屋は、きれいな姉妹が切り盛りをしていた。この姉妹の兄は、のちにクサカベ絵の具の営業部に入り営業部長をつとめたあと、独立して美術ジャーナル画廊を起ち上げる羽生道昌だった。
日下部信一.jpg クサカベ絵の具.jpg
浅尾丁策「昭和の若き芸術家たち」1996.jpg 浅尾丁策1980.jpg
 さて、浅尾丁策は西落合や長崎地域にアトリエをもつ画家たちへも、敗戦直後から画材をとどけたり制作を見学したりしているが、もうひとつ池袋駅でよく下車する理由があった。それは、敗戦と同時にニーズが急増した絵画モデルを、東京藝大や画家のアトリエへ派遣するために、宮崎モデル紹介所Click!のビジネスにならい浅尾沸雲堂に隣接してモデル紹介所(プール・ヴーモデル紹介所)を設立したが、その事務所のディレクターをしていた元モデルの北村久子が、昼間の仕事を終えたあと、夜は池袋駅前に酒場「炎」を開店していたからだ。
 北村久子は結婚前、岡田三郎助Click!や平岡権八郎、田辺至などに気に入られて“専属モデル”をしていたが、どうやら酒を飲むと性格が一変するらしく、誰彼となくケンカをふっかけては取っ組みあいになったらしい。下町言葉Click!を流ちょうにしゃべる、もともと東京出身の女性だったらしいが、酒席で気に入らない人間がいるとケンカを売り、柔道初段の心得があった“チャコちゃん”から、ひどいめに遭わされた画家もいたようだ。北村久子の性格を知る人々は、まったく根に持たない、明日になればすべてを忘れるサッパリした気性なのを知っていたが、その酒癖が災いしてほどなく離婚されたらしい。
 酒場「炎」は、池袋西口の空襲で焼けた豊島師範学校Click!(現・東京芸術劇場界隈)跡の空き地に建ったバラックだが、原っぱや水たまりが拡がる焼け跡には、やき鳥屋やおでん屋、飲み屋が10軒ほど固まって営業していた。酒場「炎」のバラックは、ちょうどその真ん中あたりに建っていたらしい。「炎」の後援会の会長になったのは浅尾丁策で、池袋や長崎、目白、落合の各地域に住む若い画家たちへ、開店の通知をガリ版で刷っていっせいに配布している。その全文を、以下に引用してみよう。
豊島師範学校通り1937年頃.jpg
豊島師範学校1932.jpg 豊島師範学校跡1947.jpg
豊島師範学校通り.JPG
  
 MADAM CHAKO後援の会
  CHAKOは江戸ッ子
  竹を割ったような はげしさの
  裏をかえせば、とてもとても淋しがりや
  面倒くさい特定の一人を守るより
  大勢に愛されたい、と願う
  本当に女らしくない 女性です
  若いころの彼女を知ってゐる皆さん
  素晴らしかったでネ
  良かれ悪しかれ、誰もが、そのイメージを
  大なり、小なり、心のどこかに
  持ってゐない方は 無いでしょう
  大勢に愛されたい、彼女の生き甲斐は
  どこかに酒場らしい酒場を持ちたいと
  訴えてゐます
  皆のイメージをサインにかえて
  後援者の一人になってやってください
  そして命ある限り
  アルコールと共に
  楽しく明るく 永らえましょう
             発起人 浅尾丁策
  
 開店してみると、酒場「炎」は池袋西口で大当たりをした。もともと画家たちの間で、彼女の人気が絶大だったのだろう。周辺に住む画家たちや美術関係者らが押しかけ、連日満員の盛況だったようだ。「炎」の常連客には、大河内信敬や南正善、藤本東一良、柳瀬俊雄、金子徳衛、榑松正利、鈴木栄二郎、笹鹿彪、原精一、寺田政明Click!、木内岬、川瀬孝二、大橋純らがいた。豊島師範学校跡地の原っぱ飲み屋街でも、酒場「炎」はひときわ繁盛している店となった。
 「炎」のメニューには、画家にはおなじみの「カルバドス」があったけれど、敗戦直後の物資のない時代に、本物のカルバドスが手に入るわけがない。リンゴ酒のカルバドスは、銀座にあったカフェ「プランタン」の松山省三が、大正期にフランスから輸入していた酒だが、画家たちの間で特に人気の高かった安いリキュールだ。「炎」の和製カルバドスは、焼酎を水で割りライムジュースを加えて香りをつけたもので、実際のカルバドスとは似ても似つかない風味だったが、ほかの酒類をおさえて圧倒的な人気だったらしい。1杯50銭で飲ませたらしいが、毎日売り切れるほどだった。
 北村久子は姐御肌で、若いモデルたちにも人気があったらしく、店の仕事を手伝いに樋田真代や中村豊子、大畑せい子、高野桂子、大島節子、北村啓子といった、当時は名の知られたモデルたちも大勢集まっていた。
 酒場「炎」は、地元の画家たちも印象に残ったのか記録している。二科の桑原実が書いた随筆、「“炎”という店」から引用してみよう。
  
 旧豊島師範の校舎跡が、附属小学校との間に一本の道路を残して全て闇市となったが、その道路に一番近いところに、師範の書庫が鉄筋建てだったので焼けのこり、そのまま簡易診療所か何かに改装されていた。それに添って上原組のバラックが並んでいたのだが、そこの一隅に“炎”という店が開店した、上野プールブ(浅尾仏霊堂経営のモデル屋)のモデルさんが経営していて、夜になるとモデル嬢が交代でホステスをつとめていた。名前のように、毎夜、画家が集り炎のような熱気を発散していたものである。
  
 藝大門前の浅尾佛雲堂のことを、「浅尾仏霊堂」とはあんまりな書きようだろう。まるで、葬儀屋か仏具店がモデル事務所を開いていたようだ。w
東京藝大食堂パーティー1950.jpg
東京藝大キャンパス1.JPG
東京藝大キャンパス2.JPG
 酒場「炎」で真っ先に酔っぱらってしまうのは北村久子だったが、機嫌が悪いと気に入らない画家へケンカを売った。さんざん大ゲンカして別れたのに、翌日になるとケンカ相手の画家は平然とやってきてはカルバドスを注文し、チャコちゃんも前日のことなどケロッと忘れてもてなしていたというから、彼女はよほどの“人格者”か“健忘症”のサッパリした性格で、周囲からモテたのだろう。戦後もしばらくすると、豊島師範学校の跡地は再開発されることになり、酒場「炎」は閉店を余儀なくされている。

◆写真上:原っぱに北村久子の酒場「炎」が開店して和製カルバドスが人気だった、池袋西口の東京府立豊島師範学校の跡地(現・東京芸術劇場)の界隈。
◆写真中上上左は、クサカベ絵の具の創立者・日下部信一。上右は、敗戦でほとんどの絵の具メーカーが壊滅した中で生産をつづけたクサカベ絵の具。下左は、1996年(平成8)に芸術新聞社から出版された浅尾丁策『昭和の若き芸術家たち-続金四郎三代記[戦後編]』。下右は、1980年(昭和55)の「林武の会」における浅尾丁策。
◆写真中下は、1937年(昭和12)ごろ撮影の豊島師範通り。中左は、通りの突き当たりにあった東京府立豊島師範学校の本館。中右は、1947年(昭和22)の空中写真にみる豊島師範学校の焼け跡。原っぱのどこかに、北村久子の酒場「炎」があるはずだ。は、消滅した豊島師範学校通りの駅前起点あたりの現状。画面の左方向に見えた豊島師範へ向け、斜めに通りがつづいていたが現在はすべてが消滅している。
◆写真下は、1950年(昭和25)に東京藝術大学のおそらく「大浦食堂」で開かれた画家たちのパーティ。中央にいる女性が“チャコちゃん”こと北村久子で、その左横に立っているのが浅尾丁策。は、現在の東京藝術大学のキャンパス。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>DorakenBeginnerさん
    2016年05月24日 14:16
  • ChinchikoPapa

    有楽町駅では、反対側に銀ブラの帰りに寄ることが多い、いきつけのコーヒー店があるのですが、場所で憶えているため名前がいつまでたっても憶えられないですね。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kurakichiさん
    2016年05月24日 14:29
  • ChinchikoPapa

    伊豆大島でもそうですが、太平洋を眺めながら浸かる温泉は格別ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
    2016年05月24日 14:32
  • ChinchikoPapa

    バラ園は、藤子・F・不二雄ミュージアムの近くにあるんですね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
    2016年05月24日 14:39
  • ChinchikoPapa

    わたしも最近、街を歩いていてブラッと画廊やギャラリーをのぞくことがあります。「落合風景」に絡む作品があったりすると、つい欲しくなってしまいますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
    2016年05月24日 14:42
  • ChinchikoPapa

    まとまった時間が普段とれないので、Amazonプライムでは映画よりも電子BOOKや音楽に惹かれますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>やってみよう♪さん
    2016年05月24日 14:45
  • ChinchikoPapa

    とんでもなく手間のかかる、スマホ買い替えになってしまいましたね。記事を拝見しただけで、ちょっと疲れました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
    2016年05月24日 14:49
  • ChinchikoPapa

    東京湾の安房(apa/aha)と、瀬戸内の阿波(apa/aha)の関係が面白いですね。原日本語では、「(湾・内海への)入口」になります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>大和さん
    2016年05月24日 14:55
  • ChinchikoPapa

    うちでも杉花粉の心配がない、4月後半から布団を干しはじめました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>AKIさん
    2016年05月24日 14:56
  • ChinchikoPapa

    野生のキジが見られるのは、ステキですね。ときどき、鳴き声も聞こえるのでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
    2016年05月24日 14:58
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>しゅわっちさん
    2016年05月24日 15:17
  • ChinchikoPapa

    他の有機物に溶けこんで一体化するような、メルティな感覚がいいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>シルフさん
    2016年05月24日 15:57
  • ChinchikoPapa

    こちらでときどきご紹介している「下落合ドラマ」の録音も、当時は大きかったウォークマンにSONYのカセットを入れTVとつなげて録ったものです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
    2016年05月24日 18:10
  • hirometai

    落合道人様
    貴重な面白いお話をありがとうございました。
    池袋西口バラックの飲み屋さんは、親戚が住んでいて、上京してきて高3の夏休みにそこから予備校通いをした思い出があります。あの何とも言えない臭いが嫌だったですね。(:_;)
    2016年05月24日 19:25
  • ChinchikoPapa

    hirometaiさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
    西口のバラック時代は知らないのですが、池袋は名画の旧・文芸座や文芸地下があった関係から、学生時代はよく駅前あたりをウロウロしました。西口のあのあたりは、しょっちゅうどこか一画が工事中か、なにもない広場が多く目についたような記憶があります。
    満開のアマリリス、すばらしい咲き具合ですね。w
    2016年05月24日 19:56
  • ChinchikoPapa

    わたしも、どちらかというとタヌキ顔が好きなのですが、背が高い女子に惹かれますね。洞口依子といいますと、すぐに伊丹十三監督『マルサの女2』の入浴シーンを思い出してしまいます。^^; 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
    2016年05月24日 20:00
  • ChinchikoPapa

    湘南の海辺でヒルガオというと、どうしても子どものころに摘んで遊んだ草液の白い、ハマヒルガオを思い出してしまいます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
    2016年05月24日 22:37
  • ChinchikoPapa

    ほんとに煎茶のような色をした、めずらしい酒ですね。出雲には何度か出かけていますが、いまだお目にかかったことはありません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
    2016年05月24日 22:42
  • ChinchikoPapa

    “風”を見つめているのでしょうか、なにかを見つめているようないないような少女の眼差しがいいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2016年05月25日 11:38
  • ChinchikoPapa

    昭和初期に出版された、親父譲りのポケット版「草花図鑑」(春・夏・秋)があるのですが、外来種の急増で危機的な在来種の花々が多いのに気づきます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
    2016年05月25日 11:55
  • ChinchikoPapa

    なぜか昔から、SFの分野は苦手です。友人たちが読んで「面白い」といって奨められた作品を読むのですが、面白くないんですね。きっとジャンル的に、わたしの肌へ合わないのでしょう。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>lequicheさん
    2016年05月25日 11:59
  • ChinchikoPapa

    A.シェッブとP.J.ジョーンズの組み合わせが面白いですね。演奏は初めて聴きました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
    2016年05月25日 12:06
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>コミックンさん
    2016年05月25日 12:07
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>あんぱんち〜さん
    2016年05月25日 12:08
  • ChinchikoPapa

    わたしは、おそらく『大地礼賛』は選ばないと思います。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>mentaikoさん
    2016年05月25日 12:10
  • ChinchikoPapa

    きょうも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>宝生富貴さん
    2016年05月25日 12:13
  • ChinchikoPapa

    リスは外見のイメージとは裏腹に、けっこう気が強くて獰猛ですね。ヘビを噛み殺した映像を見たことがあります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>モグラたたきさん
    2016年05月25日 12:17
  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>shingekiさん
    2016年05月25日 12:19
  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>nandenkandenさん
    2016年05月25日 16:32
  • ChinchikoPapa

    労組結成や二組に入らないと恫喝は、いまにはじまったことではないですが、不思議なことに不健全な経営環境にはいい製品が生まれないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
    2016年05月25日 16:40
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>mangaharaさん
    2016年05月25日 16:41
  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>剛力ラブさん
    2016年05月25日 16:42
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>banpeiyuさん
    2016年05月25日 16:43
  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>たかおじーさん
    2016年05月25日 17:03
  • ChinchikoPapa

    地域の祭りの日を知らずに、うっかり街歩きをするとすごい混雑に巻きこまれることがありますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>stakaさん
    2016年05月26日 09:49
  • ChinchikoPapa

    佐々木剛という俳優は、横溝正史の映画で記憶にあります。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
    2016年05月26日 09:57
  • ChinchikoPapa

    国立新美術館は、まだ数回しか出かけたことがないですね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
    2016年05月26日 10:02
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>クッキーさん
    2016年05月27日 17:28
  • Marigreen

    チャコちゃんなんていうから『チャコちゃん、はーい』というテレビ番組を思い出した。お転婆なところは似てるかも。Papaさん見てた?
    2016年05月28日 15:50
  • ChinchikoPapa

    Marigreenさん、こちらにもコメントをありがとうございます。
    「チャコちゃん、はーい」というTVは見てませんでしたが、小学校高学年からナッちゃん・チャコちゃんの深夜放送(TBSパックインミュージック)は聞いてました。w
    2016年05月28日 17:56
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
    2016年05月28日 18:04
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>讃岐人さん
    2016年05月28日 23:08
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>opas10さん
    2016年05月28日 23:10
  • ChinchikoPapa

    わたしは、塩タラコを焼いたおむすびを選びそうです。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>みっち〜さん
    2016年05月30日 20:56
  • ChinchikoPapa

    これで新宿から日本各地へ、バス旅行がしやすくなりますね。従来の西口に散在していた長距離バス停留所は、特に夜間の出発便だと非常にわかりにくかったです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sigさん
    2016年06月01日 21:11
  • 古田宙

    豊島師範の跡地には、1960年頃まで広大なグランドが残ってました。通ってた珠算塾が催した野球大会とか運動会に参加したことが。当時一角に大東文化大学がありました。
    2016年06月04日 08:30
  • ChinchikoPapa

    古田宙さん、コメントをありがとうございました。
    わたしの学生時代にも、豊島師範の跡地には広い空き地が拡がっていました。グラウンド状ではありませんでしたが、工事を待つフェンスで囲まれた建設用地のような状態で、1980年代末にはなんらかの工事がはじまったように記憶しています。池袋駅前なのに、なんで原っぱがあるんだろうと、不思議な感じがしたのを憶えています。
    2016年06月04日 11:43
  • ChinchikoPapa

    サンフランシスコ人さん、コメントをありがとうございます。
    ちょうどこちらでも、東京各地で秋祭りの時期ですので、知らずに街歩きをしていると、思わぬ人出や混雑に遭遇することがありますよ。
    2018年09月18日 10:38

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「風花」に集った人々の記録。
Excerpt: 1976年(昭和51)の3月、わたしはなにをしていたのかを細かく思い出せる、すでにリアルタイムに近いタイムゾーンだ。なぜ藝大の試験に数学があるのかと、部屋のアグリッパと油絵の具(クサカベ製Click!..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
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池袋西口の酒場「炎」のゆくえ。
Excerpt: 毎夜、池袋界隈に住んでいる画家たちを集めて人気が高かった、池袋駅西口の豊島師範学校Click!の焼け跡バラックで営業していた酒場「炎」Click!は、再開発のため東京都からの立ち退き命令を受けて、突然..
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長崎で焼け残ったクサカベ絵の具工場。
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すぐに「斬ってやる!」の高田町議会。
Excerpt: 1932年(昭和7)に豊島区が成立する直前、高田町最後の町長となった海老澤了之介Click!は、1902年(明治35)に水戸中学を卒業すると、早稲田大学を受験するために東京へやってきている。下宿先は、..
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