「池袋シンフォニー」と小泉清。

西池袋文化住宅.JPG
 1920年(大正9)のある日、里見勝蔵Click!は新大久保駅から歩いて5~6分ほどの、西大久保405番地(現・大久保1丁目)にある小泉清Click!の自宅を訪ねている。西大久保の小泉清の家とは、もちろん故・小泉八雲邸Click!(現・小泉八雲記念公園)だ。小泉清は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の3男として生まれ、会津八一Click!が英語教師をしていた早稲田中学校を卒業したあと、1919年(大正8)に東京美術学校Click!へ入学している。
 小泉清が1年生のとき、同級には内田巌Click!が、2年生には佐伯祐三Click!山田新一Click!が、3年生には前田寛治Click!が、そして5年の研究科には里見勝蔵Click!がいた。5年生の里見が1年生の小泉清を訪ねたのは、小泉家にはストラディバリのヴァイオリンがあると聞いたからだ。このころの洋画家をめざす美校生は、里見に限らず美術ばかりでなく音楽や文学にも傾倒する学生が多かった。
 里見は音楽に興味をもち、ヴァイオリンを“佐藤”というプロのヴァイオリニストへ習いに通っていた。小泉家と親しくなったのは、年級が大きく異なるものの音楽趣味が一致したからだろう。初めて小泉邸を訪れたときの様子を、1973年(昭和48)に求龍堂から出版された『小泉清画集』所収、里見勝蔵の「告別辞」から引用してみよう。
  
 美校の多くの生徒は帝展に(ママ)志すのだが、僕は二科会に出品していたので、新傾向を志す若い者は池袋の僕の家に集った。/その連中は文学も好きだったが、殊に音楽を愛好し、皆連れ立って、しばしば音楽会に出かけて行った。又、その頃、レコードは、日本では家庭に於て、手軽に外国の最高の音楽を自由に聞く機関として、僕等はこれに傾倒した。/小泉さんがストラバリウス(ママ)のヴァイオリンを持っていると言うので、僕は大久保のお家を訪ねて行った事を忘れない。2階家で、道路を隔て、広い原っぱが見えた。小泉さんはその2階の部屋で《ドクダミ》のしげみを描いた4号や3号などの画を私に見せた。この様な雑草を描く小泉さんのゆたかな詩的な人となりや素朴な心境を僕は非常に感激したのであった。思えば小泉さんは生涯この思想を描き貫いたと言い得よう。
  
 ほどなく、西巣鴨町池袋にある里見勝蔵の下宿では、弦楽四重奏曲を演奏するカルテットが結成された。初期のメンバーは、小泉清が第1ヴァイオリン、西村叡Click!が第2ヴァイオリン、里見勝蔵がヴィオラ、菅原明朗がチェロというメンバー構成だった。毎週土曜日になると、この4人は池袋の里見下宿に集まり、食事も忘れて深夜まで練習をつづけた。当時は、池袋駅のかなり近くでも人家がまばらで密集しておらず、弱音器をつけず夜間に楽器を鳴らしていても苦情は出なかったのだろう。
池袋駅西口1926.jpg
小泉八雲邸跡.JPG
小泉清.jpg 小泉清「自画像」.jpg
 やがて、菅原明朗が武井守成の主宰するマンドリン楽団「オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ」の仕事が忙しくなったのかカルテットを抜け、つづけて西村叡も抜けると、メンバーは大きく入れ替わっている。チェロの奏者がいなくなったので、今度はトリオを編成し第一ヴァイオリンが里見勝蔵、第二ヴァイオリンが佐伯祐三、ヴィオラは小泉清が担当することになった。そして、土曜日の練習には山田新一やプロのヴァイオリニストをめざす林龍作Click!鈴木亜男Click!なども顔を見せるようになる。
 林龍作が加わったことで、第一・第二ヴァイオリンが里見勝蔵と林龍作、ヴィオラが小泉清、チェロが佐伯祐三というカルテット編成になった。山田新一はマンドリンが弾けたため、ときに加わって五重奏団(クインテット)で演奏したことがあったかもしれない。いつとはなしに、この楽団のことを里見が下宿する最寄りの駅名からとって、「池袋シンフォニー」と呼ぶようになっていたが、池袋にある里見の下宿で演奏がつづけられたわけではなかった。ときに、新たな参加メンバーの交通の便を考慮し、大久保町の当時は美校3年生だった鈴木亜夫の家に集まることが多くなっていった。だから、「池袋シンフォニー」から実質は「大久保シンフォニー」へと移行したわけだが、どうやら楽団名は「池袋シンフォニー」を踏襲していたらしい。
 里見勝蔵が渡仏する直前、「池袋シンフォニー」の様子を、1980年(昭和55)に中央公論美術出版から刊行された、山田新一『素顔の佐伯祐三』Click!から引用してみよう。
  
 (前略)しばしば手近な里見の家で音楽会を催した。しかし皆が集まるのに比較的都合の便がいい、大久保駅を降りて徒歩で十分とかからない、やはり絵仲間で美校の僕より一級上の鈴木亜夫のアトリエで催すことも多かった。亜夫、本当の訓みは“つぐお”であるが、彼のところで音楽会を開くと共にレコードコンサートをも度々開いた。勿論、当時はステレオなどないし、手廻しのビクターの蓄音機で、カッターで竹製の針を截り、針先を三角形に尖らせ、重いピックアップに差込み、シェラック製のSPレコードの溝にタッチさせる方式であった。音が鋼鉄製の針よりふやけるという難もあったが、レコードの針はこれに限るといって、繰り返し聴いた。曲目は、ショパンやモーツァルト、またシューベルトやメンデルスゾーンが多かった。それに散歩する時も、あの有名なメロディーを繰り返し口ずさむことが、仲間の流行になった。チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタヴィーレ」などであった。
  
小泉清アトリエ内部.jpg
小泉清「夜景(隅田川)」.jpg
小泉清「岩と海」.jpg
 このあと、東京美術学校を中途退学した小泉清は、母親や兄の猛反対を押し切って、絵画のモデル・間針シズと駆け落ちすることになる。駆け落ちした先は、彼にはまったく馴染みのない京都だった。絵筆は棄ててしまい、京都市京極にあった松竹館の専属オーケストラでヴァイオリンを弾く、楽団員の仕事をはじめている。
 フランスからもどったばかりの里見勝蔵は、1925年(大正14)に京都の実家へ帰省していたが、ある夜、四条通りを散歩しているとヴァイオリンケース抱えた小泉清とバッタリ路上で出会った。このころの小泉には長男が生まれ、伏見稲荷社の近くに家を借りて住んでいた。ふたりは遠く離れた京都で、「池袋シンフォニー」以来のデュオを再現することになった。そのときの様子を、『小泉清画集』の里見勝蔵「告別辞」から、再び引用してみよう。
  
 昔僕等が学生の頃、クワルテットをやっていた時、僕らの中の誰かが、ヴァイオリンでメシを食う……とは思いもよらなかった。しかし小泉さんだけではない。やがて菅原が新作曲家として花々しくデビューしたのを思えば、僕らはヴァイオリンを画より前にはじめて、すでに10年も経ていたのであった。/京都でも小泉さんと僕とは、以前レコードで感激していたクライスラーとジンバリストのバッハのヴァイオリン二重奏協奏曲を毎週熱心にやった。小泉さんがクライスラーで、僕がジンバリスト分を引き受けたのであった。やがて第一楽章は完全に出来て、第二楽章の半ばまで来た所で、僕が東京へ出る事になって、ついに僕らの二重奏は終った。もし今日の如くテープ・レコーダーが容易く入手出来たなら、僕等の二重奏をレコードする事が出来たかも知れない。
  
 その後、小泉清は指にリューマチを患って、ヴァイオリンが演奏できなくなり、油絵の仕事へもどってフォービズムを追究することになった。そのときも、里見勝蔵は西武線の車内で小泉清と偶然に邂逅し、お互いが沿線に住んでいることを初めて知った。
 里見勝蔵は下落合から転居して井荻駅Click!の南、井荻町下井草1091番(のち杉並区神戸町116番地)へアトリエを建設し、1934年(昭和9)に小泉清は母親の遺産で鷺ノ宮駅の駅前、中野区鷺宮3丁目1197番地にアトリエとビリヤード場を開設したころだ。おそらく、ふたりが西武線車内でいっしょになったのは、1935年(昭和10)前後のことだろう。
小泉清アトリエ界隈1960.jpg
鷺宮八幡橋.JPG
小泉清「不動明王」.jpg
 小泉清は、戦後の1946年(昭和21)に第1回新光日本美術展で読売賞を受賞し、次々と作品を制作していく。小泉は16年間、1962年(昭和37)にガス自殺をとげるまで、鷺宮のアトリエで描きつづけた。『小泉清画集』(求龍堂)には、生前の小泉と関係が深かった下落合にもゆかりのある武者小路実篤Click!や里見勝蔵、曾宮一念Click!、石川淳、岡田譲などがさまざまなエピソードを紹介しているが、それはまた、別の物語……。

◆写真上:西池袋(旧・雑司谷町)に残っていた、オシャレでかわいい西洋館。
◆写真中上は、1926年(大正15)の「西巣鴨町西部事情明細図」にみる山田新一が下宿していた池袋1125番地界隈。佐伯祐三から山田新一あてのハガキClick!では、里見勝蔵へ円とフランの通貨レートを問い合わせる依頼しているので、里見の下宿は山田の下宿に近接していたと思われる。は、小泉邸が建っていた西大久保405番地の小泉八雲邸跡の現状。は、小泉清()と制作年が不詳の『自画像』()。小泉清は、あまり展覧会へ作品を出さなかったため制作年のハッキリしない作品が多い。
◆写真中下は、鷺宮の小泉清アトリエの内部。は、やはり制作年不詳の小泉清『夜景(隅田川)』と同『岩と海』。後者は太海Click!の岩場風景と思われ、たびたび房総半島へ写生に出かけており曾宮一念との交流は深く長かった。
◆写真下は、1960年(昭和35)の「東京都区分地図」にみる鷺宮3丁目1197番地界隈。は、鷺ノ宮駅前に架かる八幡橋Click!は、制作年不詳の小泉清『不動明王』。
下落合サウンド(おまけ)
朝っぱらから、裏のケヤキで目覚まし並みにうるさいウグイス。午前5時前から大声で「ケッキョッケッキョッケッキョ」と絶え間なく鳴かれると、正直、なにかぶつけて追い払いたくなる。3月も終わり、ようやく上手に鳴けるようになったみたいだ。


この記事へのコメント

  • pinkich

    いつも楽しみに拝見しております。小泉清は好きな画家です。色彩感覚や造形が日本人ばなれしていてスケールの大きい絵が魅力です。しかし、日本人ばなれしているので、なかなか理解されないのもわかるような気がします。件の中井のワンルームマンションは、周辺住民の反対をよそにいよいよ着工されますね。この手のマンションがこの地域に増えそうで心配です。
    2016年04月03日 15:32
  • ChinchikoPapa

    きょうは新宿も神田川も、目白も下落合も、周囲はどこもかしこもお花見客でいっぱいでした。お店に立ち寄ると、サクラにちなんだ料理やお菓子が並んでいました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kurakichiさん
    2016年04月03日 20:04
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>やってみよう♪さん
    2016年04月03日 20:07
  • ChinchikoPapa

    学生時代に習っていた馬術の教師は、馬肉は一生食べません…といっていたのが印象的でした。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
    2016年04月03日 20:12
  • ChinchikoPapa

    先年、鎌倉高校前を通ったら、超ミニスカートの女の子たちが集団でいました。「なんで?」と思ったら、みんな中国の子たちでスラムダンク・ファンなのですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
    2016年04月03日 20:15
  • ChinchikoPapa

    きょうは南風なのに気温はあまり上がらず、サクラが満開の公園ではトイレに行列ができてました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
    2016年04月03日 20:17
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>ネオ・アッキーさん
    2016年04月03日 20:18
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>讃岐人さん
    2016年04月03日 20:21
  • ChinchikoPapa

    pinkichさん、コメントをありがとうございます。
    実は、小泉清と縁のある方と知り合いまして、いろいろ資料を提供いただいています。鷺宮のアトリエの場所もわかり、写真も撮ってきました。井荻の里見勝蔵と上鷺宮の三岸好太郎、そして里見と鷺宮3丁目の小泉清と、いろいろな物語が眠っていそうです。
    第1種住専で無理やり5階建てが可能ということは、ひょっとすると前の道路を「みなし8m」にする、つまり道路が5mしかなくても残り3mのスペースを建物の前面に設ければ、「8m道路に面している」とみなして(誤魔化して)建築確認が下りる特例ケース、すなわち俗にいう「ヘビ玉」違法建築の可能性はないでしょうか。
    一度、周囲の方々は、建築の専門家にご相談されたほうがいいかと思います。それで違法性が臭うようであれば、新宿区の建築審査会へ申し出れば、少なくとも審査の間は行政の「指導」で、建設がストップできるのではないかと思います。
    2016年04月03日 20:37
  • ChinchikoPapa

    生協で注文する料理用の酒は、東京の酒蔵に決めていて「澤乃井」と「千代鶴」ですが、確か「千代鶴」が中村酒造だった気がします。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
    2016年04月03日 21:10
  • ChinchikoPapa

    JALのファーストクラスは、至れり尽くせりのサービスだったようですね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
    2016年04月03日 21:58
  • ChinchikoPapa

    フルコースの値段が、驚くほど安いですね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>banpeiyuさん
    2016年04月04日 00:30
  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>剛力ラブさん
    2016年04月04日 00:30
  • ChinchikoPapa

    無料Webサイト制作というと、必ず広告が付属するのがひとつのビジネスモデルですが、広告なしとは奇特なサービスですね。時間の経過で、どう変更が加えられるのか、ちょっと心配ではありますが、期間限定の短期使用なら十分ですね。。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
    2016年04月04日 10:27
  • ChinchikoPapa

    今年は曇りや雨が多く、カラッと晴れた花見はできなかったですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
    2016年04月04日 10:28
  • ChinchikoPapa

    日本全国の「浦島」と「龍宮」の伝承をたどった本を、学生時代に読んだ記憶があるのですが、確か「海人」伝説とのつながりで解釈されていたでしょうか。近くだと、横浜(旧・神奈川地域)の浦島町の伝説が有名ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
    2016年04月04日 10:35
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>コミックンさん
    2016年04月04日 10:35
  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>mentaikoさん
    2016年04月04日 10:38
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>宝生富貴さん
    2016年04月04日 10:39
  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>モグラたたきさん
    2016年04月04日 14:17
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>shingekiさん
    2016年04月04日 14:18
  • ChinchikoPapa

    先日、近所にあったソメイヨシノの老木(花歴100年ほど)が、ついに伐られてしまいました。よく生きたソメイヨシノですが、幹の中が空洞化し倒木の怖れがあるとのことでした。淡いピンクのヤマザクラは、樹齢が数百年ととんでもなく長いので、大磯丘陵はいつまでもヤマザクラが楽しめますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
    2016年04月04日 14:27
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>dougakunenさん
    2016年04月04日 14:28
  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>nandenkandenさん
    2016年04月04日 14:29
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>mangaharaさん
    2016年04月04日 14:30
  • アヨアン・イゴカー

    佐伯祐三はバイオリンやチェロを弾いたのですね。
    伊丹十三がバイオリンを弾いていたのにも驚きましたが、佐伯祐三については全くもって驚きました。絵だけではなく音楽も必要としていたとは、素晴らしいですね。
    2016年04月04日 23:25
  • 古田 宙

    “池袋シンフォニー”は初めて知りました。かれらはどんな曲を弾いていたのでしょうか?目白町には有名音楽家が居住していたのは知っておりましたが、絵描きさんが楽器も手にしていたとはビックリでした。
    2016年04月05日 09:12
  • ChinchikoPapa

    アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
    大正から昭和初期にかけての画家は、楽器を弾く人が多いですね。1930年協会の画家たちもそうですが、実家が裕福な育ちの画家は、なにかしら楽器をやっていたようです。たいがい洋楽器が多いのですが、佐伯の友人だった鈴木誠も、山田新一と同様にマンドリンをやっていたようです。
    ただ、出自が(城)下町の画家たち、たとえば岸田劉生とか木村荘八は、やはり三味に小唄・端唄が上手だったようですが。w
    2016年04月05日 10:42
  • ChinchikoPapa

    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>love-peaceさん
    2016年04月05日 10:52
  • ChinchikoPapa

    今年は曇り空のサクラで、なんとなくぼんやりした印象になっています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
    2016年04月05日 10:54
  • ChinchikoPapa

    挙げられている3枚のトリオ作品のうち、わたしが好きなのはC.コリアの『Now He Sings Now He Sobs』です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>芝浦鉄親父さん
    2016年04月05日 10:57
  • ChinchikoPapa

    古田宙さん、コメントをありがとうございます。
    里見勝蔵は、小泉清とのデュオでバッハの名前を挙げていますが、彼らが蓄音機で聴いて耳に馴染んでいた曲、モーツァルトやメンデルスゾーンなどではないかと思います。レコードを聴いて気に入ると、丸善で楽譜を手に入れてさっそく練習していた気がしますね。
    また、画家たちは音楽家のコンサートプログラムのデザインを手がけていたりしますので、諏訪根自子などのパンフには、洋画家がデザインしたものがあるかもしれません。
    2016年04月05日 11:15
  • ChinchikoPapa

    日本IBMの不当解雇認定に次いで、働く側にいい判決がつづくと嬉しいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
    2016年04月05日 11:51
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>U3さん
    2016年04月05日 23:17
  • 古田宙

    アンサー有難うございました。実はメンバーにピアノが入っていなかった、というのが意外でした。ヨーロッパでしたら、ピアノを中心にしたアンサンブルが室内楽の定番なので。楽器が手近にかなったはずがないし・・・
    2016年04月07日 09:49
  • ChinchikoPapa

    古田宙さん、重ねてコメントをありがとうございます。
    習いごとでピアノ教室に通う男子というのは、当時、音楽学校をめざす学生は別にして、かなり少なかったのでしないでしょうか。ピアノが弾けた男の画家は、ちょっと思いつきません。
    うちの親父の世代でさえ、「ピアノは女子の習いごと」という意識が強かったですから、大正期から昭和初期にかけては、なおさらピアノが弾ける男の数は少なかったような気がします。
    2016年04月07日 10:04
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>クッキーさん
    2016年04月07日 17:23
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>lequicheさん
    2016年04月08日 09:57
  • ChinchikoPapa

    「イエローテイル」、どのボトルも手軽にテーブルに置けそうですね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
    2016年04月10日 18:28

この記事へのトラックバック

鷺宮の小泉清アトリエを拝見する。
Excerpt: 洋画家の小泉清Click!は早稲田中学校Click!時代に、英語教師だった会津八一Click!の自宅に下宿していた。小泉清の母・セツが、英語のできない息子を心配して会津にあずけたもので、彼は会津の家か..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-05-18 00:00

中村彝の病床近くにいた楠目成照。
Excerpt: 1918年(大正7)に東京美術学校の西洋画科へ入学した画学生に、福岡県小倉出身の楠目成照(くすめしげてる)がいる。同年入学の同級生には、佐伯祐三Click!や山田新一Click!、二瓶等Click!な..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-10-24 00:00

「眉目秀麗・挙止端正」な画家・田口省吾。
Excerpt: たとえば、ある画家が同じ画家の作品を評する場合、批評対象となる画家の父親が時代を代表する主要美術誌の経営者だったりしたら、「あとあとのことを考えるとさ、うっかりしたこたぁ書けねえぜ」……と思うにちがい..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-11-17 00:01

最後に小泉清と会った画家。
Excerpt: 小泉清Click!は、1962年(昭和37)2月21日の夜、中野区鷺宮3丁目1197番地のアトリエClick!でガス自殺をとげた。同じく、鷺宮にアトリエをかまえていた峰村リツ子Click!は翌2月22..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-01-28 00:03