下落合を描いた画家たち・松本竣介。(4)

松本竣介「ごみ捨て場付近」194206.jpg
 本来なら、この原稿を松本竣介の(1)として書くべきだったのだが、以前に田島橋と目白変電所を記事Click!に取り上げた際、その作品類にも多少触れていたので、わたしの怠惰な性格から改めて取り上げることをしなかった。きょうは、『立てる像』と『ごみ捨て場付近』など一連の作品について、再び詳しく書いてみたい。
 松本竣介Click!は、1936年(昭和11)に結婚して下落合4丁目2096番地(現・中井2丁目)にアトリエClick!をかまえた。目白崖線の丘上を、禎子夫人とともにブラブラ散歩していた際、南斜面の坂道から眼下に拡がる風景を眺めたとき、いくつかの大きな建物が見えていただろう。ひとつのビル群は新宿駅の東側に見え、ほていや百貨店Click!を吸収して神田から進出してきた伊勢丹デパートと、日本橋から支店を出した三越デパートだ。もうひとつが、戸山ヶ原Click!にあるドーム状をした大久保射撃場Click!の向こう側に見えている、建設されたばかりの陸軍衛戍第一病院Click!とその周辺のビル群だった。
 だが、もう少し手前の下落合寄りの位置にも、拡がる住宅街の間から特徴ある建物がふたつ、ニョッキリと地面から突き出すように見えていただろう。ひとつは、戸塚町下戸塚(現・戸塚町1丁目)にある早稲田大学大隈講堂Click!の時計台だ。もうひとつが、戸塚町上戸塚(現・高田馬場4丁目)の田島橋Click!南詰めに建っていた東京電燈谷村線の目白変電所だった。このふたつの建築は、特に蘭塔坂(二ノ坂)Click!上から眺めると前後に重なって見え、その情景は佐伯祐三Click!『下落合風景』シリーズClick!の中で画面Click!に描いている。松本竣介は、いちばん手前に見えている旧・神田上水(1966年より神田川)沿いの、独特なフォルムをした目白変電所に画因をおぼえたようだ。
 松本竣介は、川沿いに展開する風景や建築物をよく描いている。下落合でも、妙正寺川沿いの落合第二小学校Click!(現・第五小学校Click!)や中井駅、染物工場(二葉Click!)などをモチーフに、タブローやコンテ画、スケッチなどを残している。妙正寺川が旧・神田上水へ合流する先に、目白変電所の独特なコンクリート建屋は建っていた。これは、松本竣介が川沿いの風景をモチーフに選ぶのが好きだった……というよりも、川沿いには彼のインスピレーションを刺激し、画因となりうる面白いかたちをした建築物が多く建てられていた……といったほうが正確だろう。そういえば、彼が好んで描いたニコライ堂も、神田川沿いの丘上(江戸初期に崩された旧・神田山)に建っていた。
 1941~43年(昭和16~18)にかけ、松本竣介は川沿いを歩いてか、あるいは中井駅からひとつ西武線に乗って下落合駅で下車し、何度か田島橋まで足を運んでいる。下落合駅の近くでは、煙突から排煙をモクモク吐き出している堤康次郎Click!東京護謨Click!の工場を右手に見て、整流化工事を終えて直線化した旧・神田上水の護岸沿いの道を、ほぼ真東へ歩いて行っただろう。高い建物のなかった当時は、目白変電所へとつづく谷村線の高圧鉄塔Click!の列とともに、すでに同変電所の建屋が遠くからでも目視できた。ほどなく、彼は田島橋の北詰めにたどり着いた。
松本竣介「立てる像」1942.jpg
松本竣介「立てる像」194106.jpg 田島橋19450517.jpg
 田島橋は、西落合の落合分水Click!沿いから、氷川明神社Click!前にあった旧・下落合駅Click!前を経由し、栄通りを拡幅して高田馬場駅へと抜ける、大正末の十三間道路(現・新目白通り)計画Click!が具体化するとともに、早くも大型の鉄筋コンクリート橋に建て替えられている。しかし、同計画が変更され下落合駅が西へと移転Click!したあと、田島橋は十三間道路の橋梁として位置づけされなくなった。1935年(昭和10)前後に行われた、旧・神田上水の整流化工事にともない、田島橋も大正期より20mほど上流に架け替えられている。
 松本竣介は、新しくなった田島橋の北詰めに立ち、画道具を拡げてスケッチをはじめただろう。橋の手前、すぐ左手(東側)には蒸し工程の蒸気が絶え間なく立ちのぼる、三越デパートの染物工場Click!があり、また右手(西側)には豊菱製氷工場の社屋と、製造した氷を保存する貯氷蔵の“」”型をした建物が見えていた。田島橋の正面、南詰めには東京電燈の目白変電所が、大きく橋のゆく手を遮るように建っていた。目白変電所は、ひとつ下流に建設されたレンガ造りの早稲田変電所とは異なり、よりモダンな総鉄筋コンクリートの仕様で建設されている。
 いちばん最初に、田島橋と思われる橋梁がとらえられたのが、1941年(昭和16)6月に描かれた『立てる像』の初期素描だ。だが、背景に描かれているのは、パースペクティブのきいた大きめな橋らしいフォルムではあるものの、その先には目白変電所と思われる構築物は入れられていない。また、描かれた周囲の家や人間も比率がバラバラで、かなりイメージ構成的な要素が強い画面となっている。
松本竣介「ごみ捨て場付近」194204.jpg
スケッチ帖「TATEMONO2」.jpg
 翌1942年(昭和17)に描かれたタブローの『立てる像』では、田島橋の北詰めに建つ自画像とともに、田島橋と左手(東側)にある三越染物工場の一部が描かれている。遠景に描かれた大きめな煙突は、実景ではもう少し左(東)寄りに見えていた千代田塗料会社の工場煙突だろうか。橋の突き当たり、松本の右手に見える目白変電所は、建物がかなりデフォルメされて描かれ、二等辺三角形の屋根をもつファサードが鋭角に変形されている。また、田島橋の手前右手(西側)には豊菱製氷工場が立っていたはずであり、実際にはこのような風景は存在していない。田島橋からつづく道筋も、画面では直線状になっているが実際には右(西)へカーブしており、実景に照らし合わせると松本竣介の立ち位置は、三越染物工場の塀際か敷地内になってしまう。
 一方、1942年(昭和17)4月に描かれたコンテ画『ごみ捨て場付近』、そして同年6月に制作されたタブロー『ごみ捨て場付近』(冒頭写真)では、目白変電所の建物が比較的(あくまでもデフォルメが軽度という意味で)正確に描かれている。画面左手(東側)の、三越染物工場の表現は『立てる像』とあまり変わらないが、その向こうに描かれている千代田塗料の煙突が、より強調されている。千代田塗料の工場は、実際には旧・田島橋から下流100mほどの旧・神田上水沿い(右岸)にあり、松本がイーゼルを立てた位置からでは三越染物工場の建物群に遮られ、実際には見えなかったと思われる。
 さて、1942年(昭和17)の田島橋付近に、絵のタイトルにある「ごみ捨て場」があったかどうかは不明だ。松本竣介が描いている道路は、川の整流化工事が行われる以前は、旧・神田上水の流れそのものであり、旧・川筋を埋め立てて造成されたのが、新たな田島橋からつづく道路だった。松本がイーゼルを立てている背後には、昭和初期まで水車小屋が残っていたが、流れを埋め立てて道路にした1935年(昭和10)前後には水車小屋も消え、一帯は赤土の空き地が拡がるような風情だったろう。その際に、付近の住民がゴミ捨て場として利用したものだろうか。あるいは、付近に点在する工場の廃棄物置き場が、田島橋近くの空き地に設けられていたのかもしれない。
松本竣介「ごみ捨て場付近」194302.jpg
田島橋194504.jpg
田島橋1955.jpg
 さて、松本竣介が最後に描いた田島橋の風景は、1943年(昭和18)2月の鉛筆(+墨)画『ごみ捨て場付近』だ。だが、実際に田島橋の北詰めまで出かけて、スケッチブックを拡げたかどうかは不明だ。この時期、市街地で工場や変電所をスケッチしている画家がいたら、すぐに地元の隣組ないしは防護団から通報され、警察に引っぱられていただろう。したがって、前年に描きためていたスケッチをもとに、もう一度アトリエで描きなおしたものかもしれない。翌1944年(昭和19)になると、旧・神田上水の両岸は幅80mにわたって防火帯36号江戸川線Click!敷設のため、工場を除いた建物疎開Click!が次々と行われ、再び空き地だらけの一帯となっている。

◆写真上:1942年(昭和17)6月に制作された、松本竣介『ごみ捨て場付近』。
◆写真中上は、1942年(昭和17)制作の松本竣介『立てる像』。下左は、1941年(昭和16)6月に描かれたスケッチ『立てる像』。下右は、1945年(昭和20)5月17日の第2次山手空襲Click!の直前にB29偵察機によって撮影された田島橋周辺。
◆写真中下は、1942年(昭和17)4月に描かれたコンテ画『ごみ捨て場付近』。は、松本竣介のスケッチ帖に残る1942年(昭和17)ごろの「TATEMONO2」。
◆写真下は、1943年(昭和18)2月に制作された鉛筆+墨画『ごみ捨て場付近』。は、1945年(昭和20)4月にB29偵察機が撮影した第1次山手空襲直前の田島橋付近。すでに防火帯36号江戸川線の建物疎開が進み、三越染物工場も南側が解体されている。は、松本竣介が『ごみ捨て場付近』を描いてから13年後の1955年(昭和30)に撮影された田島橋。現在とは、橋柱や欄干のデザインがまったく異なっている。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    「赤坂神社」は明治以降100年ほどの新しい呼称で、江戸東京では昔から赤坂氷川明神(社)が“正式”名称です。明治以前は、神田明神と同様にオオナムチ(オオクニヌシ)1柱が奉られていたようですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>大和さん
    2015年10月09日 13:45
  • ChinchikoPapa

    昼食には、このところ蕎麦が多いですね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ソレイユさん
    2015年10月09日 13:48
  • ChinchikoPapa

    ビールは凝りだすと体重増の原因となるので、近づかないようにしています。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
    2015年10月09日 13:50
  • ChinchikoPapa

    ベランダから身を乗りだす太陽の塔は、ちょっと怖いです。w
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
    2015年10月09日 13:52
  • ChinchikoPapa

    橋田寿賀子の「渡鬼」と呼ばれるこのドラマ、残念ながらわたしは一度も見たこととがありません。昔から、橋田+石井ふく子のドラマが苦手なのです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
    2015年10月09日 13:56
  • ChinchikoPapa

    昔の洗濯板のような岩礁が、目を惹きますね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
    2015年10月09日 13:59
  • ChinchikoPapa

    バリバリのパップ演奏で、F.レッドのソロは“ため”気味の弾き方がいいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
    2015年10月09日 14:06
  • ChinchikoPapa

    ワインショップでは多くのワインを試飲してみるわけにもいかず、このような催しがあるといいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kurakichiさん
    2015年10月09日 14:27
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>やってみよう♪さん
    2015年10月09日 14:28
  • ChinchikoPapa

    わかやま国体は残念でした。この間シーズンがはじまったと思ったら、早くも冬のトレーニングを意識する季節になったのですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>オカベンさん(今造ROWINGTEAMさん)
    2015年10月09日 14:31
  • ChinchikoPapa

    正月が近づくにつれ、太陽はだんだん左側の富士山へ近づいていくのでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
    2015年10月09日 14:33
  • ChinchikoPapa

    このところ空気が澄んでいるせいか、夕焼けがきれいですね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okin-02さん
    2015年10月09日 16:33
  • ChinchikoPapa

    いまのICTに関するお役所の運用管理スキルだと、マイナンバーはあちこちで破綻を起こしそうです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>さらまわしさん
    2015年10月09日 21:51
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>mangaharaさん
    2015年10月09日 22:38
  • skekhtehuacso

    栄通りってのは、高田馬場のさかえ通りのことですか?
    いやー懐かしい。
    っていうか、あの辺りにもかつては変電所があったり染物工場があったりしたのですね。
    2015年10月09日 23:00
  • ChinchikoPapa

    skekhtehuacsoさん、コメントをありがとうございます。
    はい、あの栄通りです。w 1929年(昭和4)ごろまで、田島橋から栄通りへ斜めに抜けて、高田馬場駅のある早稲田通りへと抜ける十三間道路計画がありました。いまでも、落合地域には江戸小紋や江戸友禅の関連工房が40軒前後あり、江戸東京における染物の中核地帯となっています。
    2015年10月09日 23:17
  • ChinchikoPapa

    画像の見せ方を工夫すると、いろいろ面白い記事が書けそうですね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>Ujiki.oOさん
    2015年10月10日 19:48
  • ChinchikoPapa

    先日、書店で美しい装丁に『オルフェオ』を手に取ったのですが、高価だったので買わずにきました。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>lequicheさん
    2015年10月10日 19:59
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>コミックンさん
    2015年10月10日 20:01
  • ChinchikoPapa

    案山子たちは、夜間に出会うとかなり怖そうです。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
    2015年10月10日 20:03
  • ChinchikoPapa

    「君がいると、人生は面白い」の『先生と迷い猫』は、観たいですね。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>makimakiさん
    2015年10月10日 20:12
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>nandenkandenさん
    2015年10月10日 20:15
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>mentaikoさん
    2015年10月10日 21:53
  • ChinchikoPapa

    今週は郵便局の窓口は外国人でいっぱいでしたが、いま通帳をつくるとお米がもらえるので、留学生たちが食費を浮かせるため一斉に郵便局へ預金をしてるようですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
    2015年10月10日 22:03
  • pinkich

    いつも楽しみに拝見しております。「ゴミ捨て場付近」の画像を拝見し、やっぱり松本竣介はいいなと思いました。透き通るような独特の絵肌にひかれます。説明的なものが一切なくなく、ただただ見惚れてしまいます。
    2015年10月11日 08:56
  • ChinchikoPapa

    pinkichさん、コメントをありがとうございます。
    松本竣介の色づかいは、わたしも好きですね。どこか、モノクロームのサイレント映画のような情景なのですが、モノの質感や空気のリアリティを強く感じることができます。樹木を描いても独特の青みの強い色合いで、コンクリートや石の構造物がいまだ目立った、昭和初期のひんやりとする空気感のようなものをおぼえます。
    2015年10月11日 14:41
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>宝生富貴さん
    2015年10月11日 14:43
  • ChinchikoPapa

    今年の8月、久しぶりに大磯に滞在してアオバトの群れを見ることができました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SILENTさん
    2015年10月11日 14:57
  • ChinchikoPapa

    別府温泉のCMは秀逸ですね。なにか広告賞をとれそうです。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>モグラたたきさん
    2015年10月11日 15:03
  • ChinchikoPapa

    たいしたことがなく近々退院できるといいですね。お母様、おだいじに。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>さらまわしさん
    2015年10月11日 15:06
  • ChinchikoPapa

    いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>ネオ・アッキーさん
    2015年10月11日 15:08
  • pinkich

    ありがとうございます。松本竣介氏は線はドイツの風刺画家グロッスの影響、絵の雰囲気は野田英夫、岡鹿之助の影響が指摘されるようですね。マチエールは藤田嗣治に学んだのかな?戦前、日動画廊で開かれた数日間の個展に落合風景という題名の絵を出品したそうですが、現存しているのでしょうか?
    2015年10月11日 15:12
  • pinkich

    先ほどの落合風景は1940年10月に日動画廊で開かれた初の個展に出品された30号の大作ですが、どういう画面だったのかなと想像してしまいます。
    2015年10月11日 15:43
  • ChinchikoPapa

    pinkichさん、コメントをありがとうございます。
    書かれている松本竣介の『落合風景』は、1940年に個展のために制作されたものではなく、おそらく前々年の1938年に二科の25回展に出品した『落合風景』じゃないかと思います。
    この作品は、個人蔵になっている作品だと思われますので、世代が変わらない限り、世の中に出てこないのではないかと思っています。わたしも、画面は一度も観たことがありません。
    2015年10月11日 19:08
  • ChinchikoPapa

    なぜひとりで相続したいのか、意味不明の内容のように思えますが。
    「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ai-zouさん
    2015年10月11日 19:13
  • ChinchikoPapa

    ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>shingekiさん
    2015年10月11日 22:34
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>opas10さん
    2015年10月12日 13:36
  • ChinchikoPapa

    わざわざ、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2015年10月12日 13:47
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>うたぞーさん
    2015年10月13日 10:42
  • Marigreen

    「立てる像」って自画像だったんですか?だとしたら松本竣介さんてなかなか美男子だったんですね。くだらないこと言ってごめんなさい。記事の中の絵も楽しませてもらっているものですから。
    2015年10月13日 15:50
  • ChinchikoPapa

    戦争の殺処分で餓死させられる7年前の、上野動物園にいた「花子」の貴重な姿ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>sigさん
    2015年10月13日 21:36
  • sig

    ゾウの花子さんはそういうことになりますね。残念ながら79年も前のフィルムですから劣化が甚だしく、当時のフィルムからの映像は17分位しか観て頂けないのです。それも大勢で見るには画面が暗く、小さいので、デジタル化したものを上映することにしています。
    この上映会を以て、去年の夏からいろいろな場所と機会に上映や講演の形で展開させていただいた、私の個人的な「映画誕生120周年企画」はおしまいです。
    2015年10月18日 20:03
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントをありがとうございます。
    きょうの記事は、たまたま大正期の映画ロケについてなのですが、明治末から大正期にかけて創られた膨大な作品の数々は、従来は戦災でほとんどが失われた……と考えていたのですが、フィルムの劣化により戦前に廃棄された作品もずいぶんあったのではないかなと思うようになりました。
    映画会社や制作プロダクションが倒産して、多くの作品が失われたケースもあったのかもしれませんが、フィルムセンターに保存されている作品類から見て類推しますと、上映フィルムの寿命の課題も大きかったように思います。映画の「大量生産時代」には、現像から数十年しか耐久性がないフィルムでも、ためらわず使用されていたのかもしれませんね。保存スペースもコストもかかる既存作品が、惜しげもなく廃棄されていた時期があったのではないでしょうか。
    「映画誕生120周年企画」の展開、ほんとうにお疲れさまでした。また異なる角度からの、新たな映画記事を楽しみにしています。
    2015年10月18日 22:43
  • ChinchikoPapa

    ごていねいに、こちらにも「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
    2015年11月03日 22:33

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