矢田津世子は下落合がお気に入り。

下落合1986矢田津世子邸跡.JPG
 以前、矢田津世子Click!(やだつせこ)が1931年(昭和6)の夏、初めて下落合に足を踏み入れたとき、目白文化村Click!の第三文化村に建つモダンな「目白会館・文化アパート」Click!(下落合1470番地)で暮らしていたことをご紹介した。このアパートは、多くの小説家や画家たちが去来したようで、1945年(昭和20)5月25日夜半の空襲で焼け落ちるまで、下落合では芸術的な匂いのする文化アパートとして特異な存在だっただろう。
 結核に罹患し、わずか37歳の若さで死去する矢田津世子について書いた際、彼女は目白会館・文化アパートを起点に下落合を西へ東へ少なくとも4回引っ越しており、そのうちの1回はほぼ同じ住宅敷地で暮らすための再転居だった。新宿歴史博物館から、2000年(平成12)に刊行された『新宿区の文学者』には、その引っ越し先が掲載されているので以前の記事にも書いたけれど、もう一度整理する意味から改めて引用してみよう。
 ●1931年(昭和6)8月~1932年(昭和7)11月→下落合1470番地
 ●1932年(昭和7)11月~1939年(昭和14)7月→下落合1986番地
 ●1939年(昭和14)7月~1940年(昭和15)6月→下落合4丁目1982番地
 ●1940年(昭和15)6月~1941年(昭和16)3月→下落合4丁目2015番地
 ●1941年(昭和16)3月~1944年(昭和19)3月(歿)→下落合4丁目1982番地
 (正確には下落合4丁目1985番地へともどり、地番変更で1982番地へ)

 なぜ、矢田津世子はこれほど頻繁に、下落合で引っ越しを繰り返しているのだろうか? 秋田生まれの彼女は、松竹少女歌劇団の男役スターだったオリエ・津坂とは姻戚関係だと紹介されることが多いが、これはのちに彼女について書いた吉屋信子『自伝的女流文壇史』の記述の誤りで、その後、1978年(昭和53)に講談社から出版された近藤富枝『花蔭の人-矢田津世子の生涯-』の中で、津世子の兄・不二郎によって血縁関係は否定されている。だが、当時の女流作家の中ではひときわ目を惹く美貌だったので、いま風にいえば“追っかけ”の数も相当な数にのぼっただろうことは、以前の記事にも書いている。しかし、目白会館・文化アパートから引っ越した先の下落合(4丁目)1986番地には、25歳から32歳まで母と兄とともに7年間も暮らしているので、自宅まで押しかけてくる濃いファンの男たちを避けるのが目的の、頻繁な転居とは考えにくい。
 あるいは、作家によく見られるように、表現のモチベーションを持続し維持するため、新鮮な執筆環境を求めつづけたものだろうか。ひとついえることは、彼女は父親を早くに亡くし、下落合でも最初の目白会館・文化アパート住まいを除き、母親および兄とずっと同居していることから、その引っ越しが単身の身軽なものではなかったということだ。それでも、死去するまでの13年間に4回も転居を繰り返しているのには、なにか特別な理由があるのだろう。たとえば、初期の結核症状が表面化したあと、より陽当たりのいい南向きの住宅を探しての、病気療養が目的の転居……というようなケースだ。あるいは、自邸が改正道路(山手通り)の工事にひっかかり、引っ越し(仮住まい)をしなければならないなんらかの要因があったのだろう。
 彼女が1931年(昭和6)8月に下落合へ住みはじめて早々、アビラ村(芸術村)Click!の下落合2018番地に住む吉屋信子Click!を、目白会館・文化アパートから訪問している。1962年(昭和37)に中央公論社から出版された、吉屋信子『自伝的女流文壇史』から引用してみよう。吉屋信子は一貫して、矢田津世子には好印象を抱いていたようだ。
矢田津世子.jpg 吉屋信子「自伝的女流文壇史」1962.jpg
  
 化粧などしているかいないかわからない、いつもついさっき顔を洗って来たばかりのような清潔な感じだった。わたくしの家に最初現われた時もよく似合ったグレイのスーツに襟元に濃朱のエシャープをのぞかせたさわやかな何気ないよそおいだったが、玄関の扉を開けた時、一陣の風が薫る感じだった。/彼女はその頃(現在もだが)ほとんど和服を着る人の多い女流作家のなかで、わたくしと共に洋装党だった。/彼女はやがてその頃わたくしの棲んだ下落合のしかもわたくしの家の近くに移った。そのせいもあってわたくしと彼女はゆききした。散歩がてらに歩いてゆけばその道のほとりが津世子さんの家だった。(そうした範囲に方角はおのおのちがうが、林芙美子さんもおり、文芸評論家の板垣直子さんもそして神近市子さんも棲んでおられた)
  
 この記述の中で、「わたくしの家の近く」と書かれている家が、目白会館・文化アパートの次、1932年(昭和7)11月に転居した、下落合4丁目1986番地(現・中井2丁目)の借家と思われる一戸建ての住宅だ。矢田津世子は、この家に1939年(昭和14)7月まで住んでおり、吉屋信子がたびたび目白文化村へと抜ける散歩Click!の途中で立ち寄っていたのはこの矢田邸だ。ちなみに、矢田津世子は1933年(昭和8)7月、同家の2階に大谷藤子といるところを、共産党への資金カンパを理由に特高Click!に逮捕された。前田寛治Click!の逮捕と同様に、矢田が身体を壊すきっかけとなった最初の出来事だ。1ヶ月余ののち、林芙美子も特高に同じ理由で逮捕されている。
 この文章から吉屋信子が犬を連れ、ベストポケット・コダック(小型カメラ)を携帯した散歩コースが透けて見える。ひとつは、矢田津世子邸をかすめながら目白文化村の第二文化村へと抜けるコース。もうひとつは、五ノ坂下の下落合2133番地にあった林芙美子Click!“お化け屋敷”Click!から、妙正寺川沿いに上高田方面へと抜けていく、牛(ホルスタイン)Click!を撮影した葛ヶ谷御霊下コース。そして、妙正寺川を越えて南側の上落合469番地に住んでいた神近市子Click!邸や吉武東里邸Click!古川ロッパ邸Click!の周辺を散策する上落合コースだ。
 さて、下落合1986番地の矢田津世子邸は、いまの感覚で表現すれば、第二文化村の南側へと下る振り子坂Click!の坂下から、山手坂を西へと上り、その突き当たりの左手が1935年(昭和10)前後の矢田邸にあたる。山手坂を上る左側には、1931年(昭和6)に洋画家・宮下琢郎Click!の『落合風景』に描かれた、おそらく前年の1930年(昭和5)に建設されたとみられる佐久間邸(モダンハウス)Click!が建っており、同作の制作時期から吉屋信子や矢田津世子が実際に目にしていた、下落合の風景を想像することができる。また、振り子坂から山手坂の情景は、おそらく昭和10年代に撮影されたとみられる写真にもとらえられており、その画面の左端に写る2階家が矢田邸の可能性がある。吉屋信子の同書から、矢田邸の様子を引用してみよう。
目白会館1938.jpg 目白会館19450517.jpg
矢田津世子邸火保図1938.jpg
  
 ある年の早春の朝、犬を連れて散歩の途中に津世子さんの家へよると庭先で彼女も飼犬と遊んでいた。米琉の黒地に大柄な絣のお対を着た和服姿は日頃の洋服とちがった味わいでその頃の女子大学優等生のような清純な眉目とその米琉のお対が調和してさわやかな限りだった。/彼女の家庭は未亡人の品のいいお母さんとすでにどこかに勤めていられるお兄さんとの暮しだった。彼女の書斎は二階の小ぢんまりした部屋で窓の前の机と書架その上にふらんす人形が置かれてあるのにわたくしは微笑させられた。/その家へ遊びにゆくと、お母さんはたいへん歓待して下すって、紅茶よお菓子よ果物よとはてはお手製のおいしいちらし鮓など運ばれて恐縮させられるのだった。
  
 ここに登場している矢田津世子の愛犬が、テリアの「プッペ」だろう。1938年(昭和13)に作成された「火保図」には、住民名の採取されていない下落合1986番地の家が2棟あり、親子3人で住んでいた矢田津世子邸はこのうちのどちらかだ。
 さて、吉屋信子と矢田津世子の交流は、吉屋が下落合から市谷砂土原町へと転居してからも、そのままつづいていたようだ。再び、吉屋信子の前掲書から引用してみよう。
  
 その後、わたくしがこの思い深い下落合の家――この家で『放浪記』を発表する以前の林芙美子さんに初めて会い、いまの佐多さん当時の窪川稲子さんClick!壺井栄さんClick!と同伴して見えたり、そして矢田津世子さんを迎えたりのそこから旧区名時代の牛込砂土原町の新居に移ってのちも、津世子さんはやはり時折に姿を現わして、大谷藤子さんと共にの満州旅行の話を一篇の小説のように聞かせたりした。
  
 このあと、吉屋信子はすがすがしくてストイックに映る「知的美女」に、恋愛話が聞こえてこないのを不思議に思って話題にしたのだろう、すると待ってましたとばかり林芙美子から、トゲや悪意のある「不倫騒動」(吉屋へ語った下落合での目撃情報のほとんど大半が、林芙美子のデマだった)を聞かされ、吉屋にとっては「青天の霹靂のごとき驚くべき事」となった。林芙美子は同業者の女性、特に自分より優れているか、文学界で注目され評判が高いか、あるいは美しい同性に対し、こういう徹底して貶(おとし)める機会は絶対に逃さないようだ。特に、美しい矢田津世子は林芙美子の第一の標的になっていたらしいふしが見える。
 長谷川時雨Click!が死去したとき、林は矢田津世子のみへ「いっしょにスーツで弔問に行こう」と声をかけ、他の女流作家には「喪服で」と示し合わせて矢田を通夜の席で笑いものにしている。こんな嫌がらせは、ほんの軽い部類に属していて、林は表面では親しい友だち面(づら)をしながら、矢田津世子を陰で徹底して攻撃しつづけていた。それらは、矢田の死後に次々と明らかになっていく。
 矢田津世子の場合、彼女の作品に嫉妬した男性作家が表現活動を妨害したケースはほとんどなく、最大の“敵”は友だちのような顔をして、同じ下落合の町内に住み、親しげな笑みを浮かべながら彼女に近づき、いつも目の前を横切る彼女と同じ職業の同性だった。林芙美子のこのような「ひどいこと」(川端康成)をした性格については、彼女の葬儀の際に葬儀委員長だった川端康成の「弔辞」でも特に触れられ、もうすぐ灰になるので「どうか故人を許して貰いたいと思います」とまで言わせているが、それはまた、別の物語……。
モダンハウス佐久間邸.jpg
矢田津世子邸1947.jpg
下落合1986.JPG
 尾崎翠Click!は、昔住んでいた上落合850番地の住宅Click!を、わざわざ大家を介して林芙美子に紹介し友情をしめしていたはずなのだが、彼女が兄に連れられ故郷の鳥取にもどるやいなや、おそらく東京の編集者から彼女のもとへ仕事の依頼が二度といかないようにしたかったのだろう、さっそく「鳥取で死んだ」と吹聴してまわり、尾崎翠を文学界から「殺し」た。矢田津世子に対しては、吉屋信子が書きとめている以上に、ひどい言質でデマをあちこちでまき散らし、ことさら念入りに貶めているのだが、吉屋が生前、『花物語』の「水蓮」に登場する「寛子」のように、手のひらを返すような裏表の顔をもつ林芙美子の性格を見抜いていたら、はたして「女の友情」をどこまで信じられただろう。

◆写真上:下落合1986番地にあった、矢田津世子邸跡の現状。
◆写真中上は、20代と思われる矢田津世子。は、1962年(昭和37)に中央公論社から出版された吉屋信子『自伝的女流文壇史』(中公文庫版)。
◆写真中下上左は、1938年(昭和13)に作成された「火保図」にみる下落合1470番地の第三文化村「目白会館・文化アパート」。(「目」の字が印刷過程で抜けている) 上右は、1945年(昭和20)4月13日夜半の空襲にもかろうじて焼け残っている、同年5月17日に米偵察機に撮影された第三文化村の家々と目白会館・文化アパート。このあと、同年5月25日夜半の空襲で全焼している。は、1938年(昭和13)作成の左手が北の「火保図」にみる下落合1986番地で、2軒の家屋のどちらかが矢田津世子邸だ。
◆写真下は、昭和10年代の撮影とみられる山手坂と振り子坂。画面左端の丘上には、下落合1986番地の矢田津世子邸があるはずで、手前に見えているモダンハウスは佐久間邸。は、1947年(昭和22)の空中写真にみる焼け残った矢田津世子邸。は、矢田津世子も日々目にしていたと思われる昭和初期に建てられたとみられる矢田邸前の和館。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    近代建築と現代建築とが合体した、不思議な感じのビルですね。
    nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
    2015年01月21日 12:58
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>やってみよう♪さん
    2015年01月21日 12:59
  • ChinchikoPapa

    探照灯のようなライトが、空へ向けられていますね。雲があると、より幻想的でしょうか。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
    2015年01月21日 13:00
  • ChinchikoPapa

    工事で地層が露出すると、さっそく出かけていって観察させてもらっています。工事がお休みの日は、管理者に断ればたいがい入れてくれますね。旧石器や埴輪片などがめあてです。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2015年01月21日 13:06
  • ChinchikoPapa

    ネコは案外、炎に興味があるようで、ガスレンジやライターの火が気になるようです。nice!をありがとうございました。>シルフさん
    2015年01月21日 13:09
  • ChinchikoPapa

    子どものころ、科学雑誌のオマケでずいぶん遊びました。
    nice!をありがとうございました。>simousayama-unamiさん
    2015年01月21日 15:59
  • Marigreen

    坂口安吾が矢田津世子を好きになるでしょう?彼は何人もの女と関係を持ちながら、矢田津世子への想いは他の女と違うとする。そういう女性差別、人間差別はいやだな。
    正宗白鳥はキリスト教信者でありながら、悪所通いをしていた、というのを昨日読み、その気持ちも一向にわからん。
    2015年01月21日 16:22
  • ChinchikoPapa

    Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
    矢田津世子は、坂口との交際を3年で切り上げて絶縁していますね。そのあたり、アタマのよい彼女に敏感に察知されたものか、何度か矢田津世子のほうから「別れ話」を持ち出されて、坂口は「苦悩」を深めている印象です。
    2015年01月21日 17:24
  • ChinchikoPapa

    対外的にことさら「敵」をつくることで、悪循環のはじまりのように感じますね。nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2015年01月21日 20:05
  • ChinchikoPapa

    この映画は劇場で予告編を見て、面白そうだったのでぜひ観たいですね。nice!をありがとうございました。>makimakiさん
    2015年01月21日 20:06
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>TERUさん
    2015年01月21日 20:10
  • ChinchikoPapa

    岩崎別邸内の長屋は、面白いですね。実際に住んだ人がいれば、どこかに証言が残っているでしょうか。こちらの華族屋敷や別邸にも、敷地内長屋や住宅が建設されて、医者や警察官など敷地内にいるとなにかと「便利」な人たちを、優先的に住まわせていたようです。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
    2015年01月21日 21:50
  • ChinchikoPapa

    キンクロハジロは、どこかふてくされたような目つきが好きです。こちらでも、よく見かけますね。nice!をありがとうございました。>okin-02さん
    2015年01月21日 21:53
  • ChinchikoPapa

    山野の風景にポツンと、橙色の「落ち葉掃き列車」がいいですね。
    nice!をありがとうございました。>sonicさん
    2015年01月21日 21:54
  • ChinchikoPapa

    ブログ5周年で145万PV、おめでとうございます。
    nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
    2015年01月22日 14:10
  • ChinchikoPapa

    今週の土曜日が、歯医者さんの定期検診なのですが、正月にダラダラと美味しいものを食べつづけましたので、磨き残しや歯石で怒られるのではないかと思います。nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
    2015年01月22日 14:24
  • ChinchikoPapa

    PCは小学生のときからいじらせていましたが、携帯を子どもに与えたのは中学からでした。もちろん当時はケータイで、スマホではなかったのでゲームのやりすぎはなかったものの、メールのやりすぎは少し気になりましたね。nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
    2015年01月22日 14:28
  • ChinchikoPapa

    『DIG』のサウンドを聴くと、すぐにも香ばしいコーヒーやタバコの匂いが充満する空気を想起します。ついでに、SPはパラゴンですね。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2015年01月22日 14:31
  • ChinchikoPapa

    「Blue」のキーワードといいますと、W.ケリーの『Kelly Blue』(Riverside)が昔から好きですね。マイルスだと、あまり誰も取り上げませんが、LPとしてはハンパな録音時間でジャケットも粗末だった『Blue Moods』(Debut)が大好きです。nice!をありがとうございました。>lequicheさん
    2015年01月22日 14:37
  • ChinchikoPapa

    山梨には鍾乳洞を活用したワインカーヴがあると聞いたことがありますが、シャンパーニュのカーヴはすごいですね。nice!をありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
    2015年01月22日 14:41
  • ChinchikoPapa

    わたしが中古のタイプライターを手に入れたのは学生時代で、オレンジ色をしたブラザー製でした。レコードが増えてきたので、バインダー綴じのディスコグラフィーを作りたかったのが動機ですが、あと数年待てばワープロやPCが発売されるという微妙な時期でしたね。3~4年しか使わなかったと思います。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
    2015年01月22日 14:52
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>suzuranさん
    2015年01月23日 00:48
  • ChinchikoPapa

    「7人のリブ」というドラマは、一度も見たことがないですね。
    nice!をありがとうございました。>いっぷくさん
    2015年01月23日 09:54
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>未来さん
    2015年01月23日 14:07
  • ChinchikoPapa

    昨日はほんの少しですが、昼間に雪がチラつきましたね。雪が苦手なわたしとしては、このままウグイスの声を聞きたいのですが……。nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2015年01月23日 18:03
  • ChinchikoPapa

    まわりに、インフル患者がけっこう出てきています。こういうとき、病院へ出かけると、かえって罹患しそうですね。nice!をありがとうございました。>opas10さん
    2015年01月23日 23:24
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>suzuran6さん
    2015年01月24日 14:02
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>nikiさん
    2015年01月25日 23:16
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2015年01月25日 23:47
  • sig

    こんにちは。
    苦労して育つと、やはりまん丸な性格というのは難しいのでしょうか。林芙美子はそれを作品にだけ向けていればよかったのですね。
    2015年01月30日 11:08
  • ChinchikoPapa

    sigさん、こちらにもコメントとnice!をありがとうございます。
    どこまでも作品で勝負するのが、表現者の闘いだと思うのですが、どうも下落合に住んだ作家の中で、林芙美子だけは異なるようですね。新聞や文芸誌の記者を半分「脅し」、矢田津世子への原稿依頼をしにくくするなど、ちょっと度外れてひどい人物だと思います。林の死後に、みんなが堰を切ったように証言してしまうことを、まったく考えなかったのでしようかね。
    2015年01月30日 12:42
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
    2019年12月16日 11:33

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