牧野虎雄のタコ揚げ場所は?

牧野虎雄「凧揚げ」1924.jpg
 あけまして、おめでとうございます。今年も、「落合道人」サイトをよろしくお願いいたします。さて、きょうはお正月らしく、子どものころの遊びのエピソードから……。
  
 子どものころ、正月に限らずよく遊んだ玩具に、コマ(独楽)とメンコ(面子)とタコ(凧)がある。近くの駄菓子屋やオモチャ屋には、必ずこれらの玩具が売られていて、おこづかいをためてはいそいそと買いにいったものだ。コマやメンコは自分で選べるのだが、タコはたいがい高いところに何枚も重ねて吊られており、店のおばちゃんに中からひとつ取ってもらうので、ゆっくり自分で好きなものを選べないのが悔しかった。
 コマ遊びは、湘南の真ん中あたりでよく売っていた神奈川県の「大山独楽」ばかりで、それ以外の製品を見たことがない。紐を、コマの心棒から外へ向けてぐるぐる巻きつけ、地面へ向けサッと引いてまわすのだが、この「引きまわし」のほかに「ガンツ」というまわし方もあった。まるで野球のボールを投げるように、上からふりかぶって地面に叩きつけるようなまわし方だ。コマで勝負をするとき、自身のコマを相手のコマにぶっつけて停止させれば勝ちなのだが、強烈な「ガンツ」で相手にぶつけると、ときに相手のコマばかりでなく自分のコマを割ってしまうこともあった。
 コマが少しでも長くまわりつづけるように、着地する芯のあたまへ鉄釘を打ちこんだり、芯をできるだけ上部にだして重心を低くするなど、いろいろと改良するのもコマ遊びの醍醐味だった。いつだったか、親父が九州へ出張したとき、「佐世保独楽」を土産にもらったことがある。ムク材を、ほとんど球形に近い形状に削り、ズシリと持ち重りのする関東では見たことのないコマだ。重量も「大山独楽」の倍近くあって、ちょっとやそっとの攻撃ではビクともしない。「ガンツ」で相手のコマにぶつければ、向かうところ敵なしのお化けゴマだったが、さっそく遊び仲間から禁止条例が布告された。
 わたしより上の世代が、さんざん遊んでいたベーゴマだが、わたしの世代ではすでにブームが去ったものか、店では目立つところで売ってはいても、近所の子どもたちの間ではまったく流行らなくなっていた。ベーゴマを買うようになったのは、むしろ大人になってからで、オーディオ機器(ことに中型スピーカーシステム)のスタビライザー用として、金属製のベーゴマが安価でおあつらえむきだったからだ。わざわざベーゴマを探しに、学生時代のアパートから日本橋まで出かけたのを憶えている。
 多彩なアニメや、子ども向けドラマのキャラクターたちが印刷されたメンコでも、よく遊んだ。メンコに印刷されたキャラクターに飽きると、その上から当時は大流行していたシールを貼ったものだ。メンコは高価なコマとはちがい、負けると相手に取られてしまう真剣勝負だったので、できるだけひっくり返らないような工夫をほどこした。防御側は、できるだけ空気が抜けるよう、また攻撃側はより威力を増すようにメンコを曲げるのが一般的で、カーブのついていないメンコは「女メンコ」などと呼ばれてバカにされた。
大山独楽.jpg 佐世保独楽.jpg
 湘南の海岸べりは、もちろんほとんどすべてが砂地であり、土面とはちがってすぐに起伏ができる地面だったので、メンコ遊びはかなり面白かった。一度勝負をすると、たいがい10~20枚前後のメンコを取られたり、あるいは取り返したりするので、常に店へ出かけては新しいメンコを補充していたように思う。
 メンコがひっくり返らないよう(負けないよう)、重量を重くするために子どもたちはさまざまな工夫をこらした。勝負の前に、アイロンの霧吹きで水分を吸わせたり、裏側にロウソクの蝋(ろう)を塗ったり、同じサイズのメンコを2枚貼りあわせて二重にしたりと、できるだけ重量を増やして負けないようにしていた。中には、「鉄化面(てっかめん)」あるいは「鉄面」と呼ばれた、とんでもないメンコまでが出現したが、通常の紙メンコ同士の勝負では“反則”として使用できなかった。
 「鉄化面(鉄面)」とは、不要になった乳幼児用の粉ミルクのフタをどこからか探してきて、サイズのちょうどいい大きめなメンコを中に入れ、フタの縁を内側へ向けてトンカチで叩いて曲げ、メンコを封じこめて“鋼鉄仕様”に仕上げた特製のメンコのことだ。もちろん、通常の紙メンコではまずひっくり返せないので、「鉄化面(鉄面)」は事実上まったくの“無敵”な存在だった。当初は、呆気にとられて負けつづけていた子どもたちの間で、すぐにも禁止条例ができたのは当然だった。以来、「鉄化面(鉄面)」は「鉄化面(鉄面)」同士の勝負でのみ、許された特別な最終兵器となった。
蝉凧.jpg 奴凧.jpg
画家たち凧揚げ19280101.jpg 佐伯祐三「原」1926.jpg
 わたしが物心ついたころ、近所で売られていたタコにはヒーローやキャラクターを描いたものがなく、ほぼすべてがセミダコ(蝉凧)だった。セミダコも「大山独楽」と同様に、神奈川県の県央部で多く作られていた特産品なのだろう。セミが飛んでいる姿を、和紙でていねいに作った、見るからに独特な形状をした色彩も美しいタコで、バランスをとるためにタコに下げる“おもり”は、のちに多くなる細長い新聞紙ではなく、さまざまな色合いの紐状のものが用いられていた。わたしの記憶では、当時のセミダコは赤と白、紫、黄、そして黒の和紙を貼りあわせて作られていたように思う。祖父Click!に連れられ、よく海辺へ出かけてはタコ揚げをしたものだ。
 わたしが小学校にあがるころから、さまざまなヒーローものをプリントしたキャラクターのタコが主流となり、セミダコはほとんどの店頭から姿を消してしまった。これらのタコは、よくあるヤッコダコ(奴凧)と同じような形状をしていて、“おもり”の細長い新聞紙をたらすと、子どもでも簡単に揚げることができた。セミダコが廃れた理由には、揚げるのに独特なスキルと馴れが必要なので、子どもにはむずかしかったせいもあるのだろう。セミダコは敬遠され、やがて駄菓子屋やオモチャ屋から消えていった。
 タコを揚げるのは、できるだけ電柱や樹木のないところが理想的だが、当時はあちこちに原っぱがあったので、揚げる場所には困らなかった。トノサマバッタが大量発生している塩工場跡の原っぱとか、宅地開発で整地が済んだのになかなか家が建たない原っぱなど、広い空間がどこにでもあった。また、ユーホー道路(遊歩道路=国道134号線)をわたり湘南海岸へと出れば、TVアンテナにひっかかって叱られたり、電柱に糸がからまり大人にバレないうちに逃げだす必要もなく、心おきなくタコを揚げることができた。ただし、海に落ちればタコは“パー”になるので、それだけリスクも高かったのだけれど…。
 ことほどさように、習いごとへと通う成績優秀な子たちを尻目に、わたしはまったく勉強をせずに遊びまわっていたので、いまでも抜けない街じゅうをフラフラする「遊びグセ」は、きっとこのころについたのだろう。「勉強しないで、外で遊んでばかりいるとTちゃん(わたしの名)みたいになっちゃうよ」と、近所のお母さん方にいわれていたような気もするのだけれど、子どもたちが集まってキャーキャーやってる輪に、海やプールのしぶきの中に、必ずわたしはいたと思う。いっしょに遊んだ仲間に、いわゆる成績優秀な「できる子」はほとんどいなかった。
 大人になってからも、タコ揚げが大好きだった洋画家に、旧・下落合2丁目604番地に住んだ牧野虎雄Click!がいる。斜向かいには、大酒のみだった帝展の片多徳郎Click!がアトリエをかまえ、土井邸(旧・浅川邸Click!)をはさみ2軒西隣りには、曾宮一念アトリエClick!が建っていた諏訪谷エリアだ。長崎村荒井1721番地から下落合へ転居してきたのだが、牧野虎雄は大量のタコを所有していた。長崎時代も、大久保作次郎Click!金山平三Click!など下落合の親しい画家たちを家に呼んでは、タコ揚げ大会を開催している。片多徳郎と同じく、生命をちぢめるほどの酒好きで孤独を好んだらしい牧野だが、近所の曾宮一念はときどき訪ねては、牧野のタココレクションを見せてもらっていたらしい。
牧野虎雄(長崎時代).jpg
 牧野虎雄が下落合でタコ揚げをするとすれば、どのあたりまで出かけたのだろう? 下落合の東部や中央部には、すでに家々がかなり建てこんでおり、タコをのびのび揚げられる原っぱを探すのが困難だった。したがって、画道具と好きなタコを手に、戦前はいまだ多くの原っぱが残っていた、下落合の西部(現・中井)まで出かけているのかもしれない。あるいは、相当な腕前だったと思われる牧野は、耕地整理が済んだ電柱さえいまだまばらな、上高田のバッケが原Click!まで出かけていったものだろうか。

◆写真上:椎名町界隈の原を描いた、1924年(大正13)制作の牧野虎雄『凧揚げ』。
◆写真中上:神奈川では主流の「大山独楽」()と、めずらしい「佐世保独楽」()。
◆写真中下は、湘南でよく揚げた「蝉凧」()と、江戸東京では定番の「奴凧」()。下左は、1928年(昭和3)1月1日に長崎村荒井で行われた牧野虎雄主催による画家たちのタコ揚げ大会。下右は、1926年(大正15)制作の下落合に残る原っぱを描いた佐伯祐三『下落合風景(原)』で、第二文化村Click!の西側に残っていた原っぱだと思われる。
◆写真下:和室の仕事場なので、長崎時代に撮影されたとみられる牧野虎雄(右)。

下落合サウンド(2014年12月31日23:58~0:00/薬王院除夜の鐘)

この記事へのコメント

  • アヨアン・イゴカー

    明けましておめでとうございます。
    本年も宜しくお願いします。

    子供の頃、凧揚げやコマ回し、メンコでも遊びました。雑木林の探検や秘密基地作り、セイタカアワダチソウの枯れた茎の刀でするちゃんばら、忍者ごっこなども面白かったものですが。我が家では小遣いは貰ったことがないので、何か遊び道具を自分で購入するということは非常に稀でした。また玩具や遊び道具はほぼ買ってもらうことはありませんでした。コマは父が鉄ゴマを2つ買ってきてくれたので遊びました。父も子供の頃は瀬戸物の急須の蓋を独楽にして遊んだと言う話も聞いていましたので、玩具はなくとも良いのだと思っていました。
    2015年01月03日 15:23
  • ChinchikoPapa

    わたしも10年以上つづけていますが、ランキングの意味がわかりません。1日に7,000PVを超えている日に、2ランクも落ちたことがありますので、やはりnice!数がランキングを左右するように思います。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
    2015年01月03日 17:41
  • ChinchikoPapa

    NHKの「若い季節」というドラマは、まったく憶えてないのですが(たぶん寝てる時間帯に放送された作品だと思います)、もう少し早い時間帯で「素顔の青春」というドラマは主題歌とともに憶えています。nice!をありがとうございました。>いっぷくさん
    2015年01月03日 17:51
  • ChinchikoPapa

    子どものころやってきた獅子舞は、みんな印袢纏を着た仕事師(トビ職)の格好をしていましたが、いまはかわいいスタイルなんですね。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2015年01月03日 18:01
  • ChinchikoPapa

    ローソク・アルバムなどと読んでいたギルの『The Individualism of Gil Evans』は、ウェイン・ショーター(ts)のソロが印象に残ってますね。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2015年01月03日 18:09
  • ChinchikoPapa

    あけまして、おめでとうございます。
    早々に、nice!をありがとうございました。>AKIさん
    2015年01月03日 18:12
  • ChinchikoPapa

    雨が降ると、モミジの幹が黒くなって背景に沈むので、よけいに紅葉が映えますね。本年もよろしくお願いいたします。nice!をありがとうございました。>opas10さん
    2015年01月03日 18:15
  • ChinchikoPapa

    今年の正月も宵っぱりをし、起きたのは9時をまわっていました。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
    2015年01月03日 18:23
  • ChinchikoPapa

    地元の神社で引く元旦のおみくじは、毎年「小吉」なんですよね。いつも、わたし以外の家族が「大吉」なんですが……。w 本年もよろしくお願いいたします。早々に、nice!をありがとうございました。>redroseさん
    2015年01月03日 18:29
  • Marigreen

    コマもメンコも凧揚げも男の子の遊びじゃなかったですか?私は男の子が牛乳の紙の丸い蓋でメンコをしているのを横で見ていた覚えがあります。
    私はというと羽根つき以外は、駄菓子屋さんで食べる方にいそしんでいたような気がします。
    2015年01月03日 18:41
  • ChinchikoPapa

    アヨアン・イゴカーさん、あけましておめでとうございます。
    早々にnice!をありがとうございました。こちらこそ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
    店でなにか玩具を買っても、そのまま遊びに使うことは少なくて、コマでもタコでも、なにか自分なりにひと工夫してから「対戦」で使っていたように思います。それがまた、面白さを増していたものでしょうか。
    竹の棒を振りまわす、チャンバラごっこもよくやりましたね。海岸沿いに植えられた、防砂林のクロマツ林ではチャンバラごっこと、松ぼっくりを投げ合う雪合戦ならぬ「松ぼっくり合戦」をしました。松かさが開き、枯れて落ちた松ぼっくりは当たっても痛くないのですが、幹からもぎたての松かさが閉じた青いのを当てられると、飛びあがるほど痛かったのを憶えています。
    クロマツ林は暖かくなると、大人の指ほどもあるスズメガの毛虫がうじゃうじゃしていましたが、いまから思えば、そんな中でよく遊んでいたと思いますね。大人たちは、クロマツにたかる無数の毛虫がイヤで、夕食ができても絶対に松林には呼びに入ってきませんでしたので、よく暗くなるまで遊んでいたものです。
    2015年01月03日 18:57
  • ChinchikoPapa

    Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
    コマもメンコもタコ揚げも、みんな男子の遊びです。ただし、中にはまれに男の子の遊びが大好きな女の子もいて、「おまえ、あっちで遊べよ」と仲間外れにしても、男子の遊びが好きなので近くから離れず、必ず翌日も「仲間」に入りにきました。当時の男子には、うっとうしい存在でしたが、いまから考えるとオオしい女子で、ちょっと惹かれますね。w
    牛乳瓶のフタでも、よく遊びましたね。人差指と親指にはさんで力を加え、どこまで遠くへ飛ばせるかの対戦をしました。
    2015年01月03日 19:10
  • ChinchikoPapa

    あけまして、おめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。早々に、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2015年01月03日 19:13
  • ChinchikoPapa

    すごい数の白鳥の群れですね。こちらでは、数羽ごとに飛来するぐらいです。nice!をありがとうございました。>モリガメさん
    2015年01月03日 20:55
  • SILENT

    あけましておめでとうございます。職場が神田美土代町だったので日本橋たいめい軒には、昼を食べに行きましたが、凧の博物館は覗かなかったのが残念です。明治村で映画「明治はるあき」の中で東京の空に上がっていた多くの凧が印象的でした。安鶴さんの監修だった記憶があります。昭和も子供達の遊びは懐かしいですね。今年もよろしくお願いいたします。
    2015年01月03日 21:06
  • ChinchikoPapa

    SILENTさん、あけましておめでとうございます。
    こちらこそ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
    江戸から明治にかけての空は、凧だらけで壮観だったでしょうね。わたしはやったことないですが、ガラスの欠片を糸にくくりつけ、相手の凧糸を切る「ケンカ凧」で、町内同士の対戦は正月に限らず、非常に盛り上がっていたんだと思います。
    安藤鶴夫・監修の、その映画は観たことがないです。明治村以外でも、上映される機会があるでしょうか。
    2015年01月03日 21:41
  • ChinchikoPapa

    SILENTさん、さっそく情報をありがとうございます。
    夜の町屋の背景に、浅草の凌雲閣がそびえて見えますね。
    また、上映会があるかもしれませんので、気をつけてみます。
    重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。
    2015年01月03日 22:26
  • sig

    おめでとうございます。例年よりも寒いお正月に戸惑っています。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
    話は外れますが、今朝の朝日の別刷りに原節子さんの記事があり、興味深く読みました。ご覧になりましたか。
    2015年01月04日 00:01
  • 古田宙

    久しぶりに薬王院の除夜の鐘の音をききました、ありがとうございました。以前はわが家にまで響いて来たのですが、いまはさっぱり。高い建物が建ってしまった故でしょう。
    ことしも楽しみに拝見いたします。
    2015年01月04日 09:07
  • ChinchikoPapa

    sigさん、あけましておめでとうございます。
    早々に、コメントとnice!をありがとうございました。除夜の鐘の録音も震えましたが、今年の初詣も寒かったですね。
    原節子さんの記事は読みました。鎌倉から池袋・目白近辺に転居という情報は、過去の一時期のものか、あるいは週刊誌あたりのガセですね。それにしても、94歳でお元気というのにはビックリです。
    2015年01月04日 15:52
  • ChinchikoPapa

    おめでとうございます。
    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>simousayama-unamiさん
    2015年01月04日 15:53
  • ChinchikoPapa

    わたしは逆で、寝ていいと言われるといつまでも眠れますので、いかに目を醒ますかが課題だったりします。nice!をありがとうございました。>やってみよう♪さん
    2015年01月04日 15:56
  • ChinchikoPapa

    あけまして、おめでとうございます。
    早々に、ご訪問とnice!をありがとうございました。>makimakiさん
    2015年01月04日 15:57
  • ChinchikoPapa

    この三が日は、さすがにこちらでも池には氷が張り、地面には霜柱が立ちました。nice!をありがとうございました。>okin-02さん
    2015年01月04日 16:00
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>neo-kaminewsさん
    2015年01月04日 16:04
  • ChinchikoPapa

    ネットの「チェ・エバラ」は傑作です。
    nice!をありがとうございました。>trending-nowさん
    2015年01月04日 16:08
  • ChinchikoPapa

    古田宙さん、あけましておめでとうございます。
    早々に、コメントをありがとうございました。
    いつもの大晦日ですと、年越しには薬王院の鐘音に混じって、東京港に停泊している船が、午前0時になると一斉に鳴らす汽笛も聞こえるのですが、今年は風向きが悪かったせいかあまり聞こえませんでした。
    2015年01月04日 16:13
  • 明けましておめでとうございます。

    初めまして、下落合2丁目に住み始めて3年目、近所ではメダカのおじさんって呼ばれている峰と申します。
    ※※せいが保育園でメダカ池と花壇を毎日数時間ボランティアで手入れしていることから回りの方からそのように呼ばれております。

    このサイトのファンで度々読ませていただいております。今日は薬王院山門前の元瓦屋さんの○森さん宅へおじゃまさせていただき、下落合の昔のお話を聞かせていただきました。 機会がございましたら是非落合道人さんにもお聞かせ頂ければと願います。 本年もよろしくお願いいたします。
    2015年01月04日 18:24
  • ChinchikoPapa

    峰さん、あけましておめでとうございます。
    ごていねいに、コメントをありがとうございました。また、いつもお読みいただきありがとうございます。
    わたしも〇森様には、いまは移転してしまいましたが「カフェ杏奴」で、昔の貴重なお話をじっくりうかがったことがあります。特に、西武線の開業当初、折り返し場(引き込み線)のある下落合駅につきましては、詳しくおうかがいいたしました。
    わたしは、昔から下落合に住んではおらず、せいぜい付近で暮らしはじめた学生時代(1970年代)からの記憶しかありませんので、実体験としての昔話はできそうもありません。こちらに書かせていただいている、昔日の落合地域の姿は、すべて同地域の取材ないしは資料調査で得た知識ですので、〇森様のお話とは比べものにならないかと存じます。
    こちらこそ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
    2015年01月04日 20:14
  • ChinchikoPapa

    もう、明日から仕事ですね。アッという間の冬休みでした。
    nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2015年01月04日 20:16
  • NO14Ruggerman

    あけましておめでとうございます。

    薬王院の除夜の鐘は子供のころ何回か撞きに行きましたが
    今でも一般の方が撞けるのでしょうか・・

    今年もよろしくお願い致します。
    2015年01月04日 23:48
  • ChinchikoPapa

    NO14Ruggermanさん、あけましておめでとうございます。
    また、早々にコメントとnice!をありがとうございます。
    何年か前まで、薬王院の除夜の鐘は参拝者が撞いていたと思うのですが、現在はちがうように思います。野鳥の森から、鐘楼付近の賑わいが聞こえなくなりました。
    本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
    2015年01月04日 23:59
  • ChinchikoPapa

    あけましておめでとうございます。そうなんですね、正月は近くの喫茶店をハシゴしてました。本年もよろしくお願いいたします。nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
    2015年01月05日 09:43
  • ChinchikoPapa

    近江守継平は、越前下坂出身の代々幕府お抱え鍛冶の一派で、体配からすると享保以降の3-4代目あたりでしょうか。nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
    2015年01月05日 09:50
  • ChinchikoPapa

    あけまして、おめでとうございます。暮れの大掃除で測定したケヤキの落ち葉の放射線量は、昨年に比べて大幅に増えています。(場所によっては2013年の倍です) おそらく、今年から来年あたりにかけ「濃縮」現象のピークを迎えるのではないかと想像しています。nice!をありがとうございました。>Ujiki.oOさん
    2015年01月05日 10:56
  • ChinchikoPapa

    あけまして、おめでとうございます。今年も、よろしくお願いいたします。映像にするとホラーそのものですが、語り部の口から聞く物語になると、子どもにとっては適度に怖い怪異譚になるのでしょうね。nice!をありがとうございました。>nikiさん
    2015年01月05日 12:22
  • ChinchikoPapa

    あけまして、おめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。わたしもマスクをしながら道を歩いていたら、日の丸を掲げた街宣車の前あたりで、そんなことをしそうです。nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
    2015年01月05日 12:25
  • ChinchikoPapa

    餅とお節を食べすぎて、体重が少々オーバー気味です。
    nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
    2015年01月05日 20:06
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>sarusanさん
    2015年01月06日 20:26
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>fumikoさん
    2015年01月07日 16:12
  • ChinchikoPapa

    遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
    本年も、よろしくお願いいたします。
    ワッペンをオーダーメイドされたんですね。わたしは先年、Tシャツをつくりました。落合にちなんだTシャツなのですが、収財などでお世話になった方へ差し上げています。 nice!をありがとうございました。>suzuran6さん
    2015年01月10日 15:39
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、ごていねいにnice!をありがとうございました。>suzuran6さん
    2015年01月24日 14:06

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牧野虎雄アトリエに見る大正の長崎風景。
Excerpt: このような文章を書いていると、どうしても欲しい資料が見つからないことがままある。その反対に、いともたやすく立てつづけに欲しい資料が、まとめて手に入ることもある。今回は、後者の典型的なケースだ。以前、下..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-01-22 00:01