下落合を描いた画家たち・笠原吉太郎。(3)

笠原吉太郎「下落合風景」カラーチャート.JPG
 一昨日、このブログをご訪問いただいた方が、のべ800万人を超えました。連動している扉サイトのオルタネイト記事のカウントを含めますと、1,100万人ほどになります。いつも拙記事をお読みいただき、ありがとうございます。今後とも「落合道人」ブログを、よろしくお願いいたします。
PV.JPG
  
 先日、笠原吉太郎Click!の三女・昌代様の長女・山中典子様Click!とお会いし、1930年協会展へ参加していた笠原吉太郎の、貴重な『下落合風景』Click!作品をお預かりした。山中様は、新宿区への寄贈を希望されており、さっそく翌日に新宿歴史博物館へご連絡を入れて、新宿区での受け入れを検討していただくことになった。当該の『下落合風景』は、八島さんの前通りClick!沿いの下落合679番地(のち下落合2丁目667番地)に建っていた、笠原吉太郎邸Click!(アトリエ含む)を描いたものだ。以前にご紹介した、同じ通り沿いの小川邸Click!を描いた作品とともに、現存が確認できた2点めの『下落合風景』ということになる。
 笠原吉太郎邸(+アトリエ)は、下落合でもかなり早い時期、1918年(大正7)の少し前に建設されている西洋館だ。下見板張りの外壁で2階建ての、当時としては典型的な「大正風西洋館」の姿をしている。笠原邸が建設されたのは、目白文化村Click!近衛町Click!が分譲をはじめるかなり前で、周辺には西坂の徳川邸Click!の巨大な西洋館(旧邸)Click!会津八一Click!霞坂秋艸堂Click!などが散見され、いまだ建物があまりなかった郊外の別荘地然とした風情の時代だった。目白駅寄りに中村彝アトリエClick!はすでに存在したが、佐伯祐三Click!曾宮一念Click!もいまだ下落合へはアトリエを建設していない。当時の様子を、1973年(昭和43)刊行の『美術ジャーナル』に掲載された、外山卯三郎「画家・笠原吉太郎氏を偲ぶ」から引用してみよう。
  
 大正七年の春、今の下落合はまだ東京の郊外の田舎で、細い道を歩いて丘陵を越えたり、渓谷を渡るといった状況だったのです。当時まだ北多摩郡(ママ:豊多摩郡の誤記)落合村字下落合といった時代で、草ぶき屋根の落合村役場の隣に、落合村の尋常小学校があり、その隣に火見の楼があった頃のことなのです。この村役場のうらの方の徳川家の牡丹園のはずれのところに、スレイト葺の入母屋の洋館が建っていたのです。これが笠原吉太郎氏の家で、いわゆる大正タイプの洋館だったのです。(中略) 私の父親は、その笠原氏の住居が気に入って、数回にわたって見学にゆき、笠原氏と交友が始まり、大正七年の秋に明治式入母屋スレイト葺の洋館であるわが家が落成したのです。当時、早稲田大学にいた実兄も水彩画を描いていたので、笠原家をおとずれることもあったのです。(カッコ内は引用者註)
  
 下落合1146番地の外山秋作邸Click!(外山卯三郎の実家)が、笠原邸を参考にしながら建設されたスレート葺きの西洋館だったことがわかる。
 お預かりした『下落合風景(笠原吉太郎邸)』(仮)は、330(W)×240mm(H)のほぼ4号Fサイズを想定した、スギと思われる板材に描かれた作品で、近年にクリーニングと額装がほどこされ往年の色彩や美しさを取りもどしている。画面は、絵筆による描画(ないしは絵筆の背による線描き)とペインティングナイフによるスクラッチなど、さまざまな技法を使って描かれており、おそらく大正末から昭和初期にかけての笠原邸を描いたものだ。板に下塗りは見られず、じかに油絵具を載せて描かれているらしい。最初に、絵具の薄塗りで全体の構図を決め、すぐに下描きなしで制作しはじめている印象を受ける。なお、このスギ材は美寿夫人の部屋を増築(画面右手の1階建築)する際に出た、天井板などの余材に描かれている可能性もある。
笠原吉太郎「下落合風景」全体.jpg
笠原吉太郎「下落合風景」01.JPG 笠原吉太郎「下落合風景」02.JPG
 笠原アトリエには、先の外山卯三郎Click!をはじめ、ときに前田寛治Click!里見勝蔵Click!、佐伯祐三など1930年協会Click!のメンバーたちが集合して、芸術談義に花を咲かせていた。特に佐伯祐三とは家族ぐるみの付きあいで、お互いが作品を交換しあうほど親しかったようだ。佐伯が描いた『K氏の肖像(笠原吉太郎像)』Click!は有名だが、ふたりは同一の地点にイーゼルClick!を立てて『下落合風景』を描くこともあったらしく、『下落合風景を描く佐伯祐三』Click!(行方不明)などが画像で残されている。そのころの様子を、先述の外山卯三郎の文章から引用してみよう。
  
 原稿の用件で、中央美術社をたずね、横川毅一郎氏に会い、田口省吾のアトリエで雑談をしていると、前田寛治と里見勝蔵が来訪して、ここで両氏を知り、下落合の住人であるところから交友が初(ママ)まったのです。当時戸塚四丁目に住んでいた彫刻家の藤川勇造夫妻Click!を中心として、毎日曜日に西武線の沿線の田舎をさがして、ピクニックを続けたものだったのです。中山巍Click!が帰朝し、中野和高がかえり、だんだんと、そのサークルがふくれ上っていったのです。さまざまな飲物や菓子や、弁当や果物をもちより、ポータブルのプレイヤーをもって、タンゴをおどるのが常であったのです。(カッコ内は引用者註)
  
 ひょっとすると、安井曾太郎Click!に師事していた藤川栄子Click!も、頻繁に佐伯アトリエを訪れているClick!ところから、彼女もまた笠原アトリエへ遊びにきているのかもしれない。
 描かれた笠原邸は、邸敷地の南東隅の庭にイーゼルを据え、西北西を向くように描かれている。笠原邸の向こう側には、八島さんの前通り(星野通りClick!)が通じており、左手が南で建物の南側面を描いていることになる。笠原作品にしては、それほど厚塗りではなく、かなり手早い仕事だったように見える。面白いのは、画面左などに描かれた樹木の表現が、選ぶグリーンの絵具からタッチまで、どこか佐伯の『下落合風景』シリーズClick!に似ていることだ。特に、下の絵具が乾かないうちにすばやく別の色を上塗りし、下の絵具との混ざり具合を効果的に活かして、木々のリアリティを出していく手法は、佐伯の『下落合風景』でも多用されている。建物の影や輪郭は、濃いブルーで描かれているようで、ブラックは右隅のサイン以外ほとんど使われていない。
笠原吉太郎「下落合風景」03.JPG 笠原吉太郎「下落合風景」04.JPG
笠原吉太郎「下落合風景」05.JPG 笠原吉太郎「下落合風景」06.JPG
笠原吉太郎「下落合風景」07.JPG 笠原吉太郎「下落合風景」08.JPG
 青空は薄塗りで、ところどころに下の板目が顔をのぞかせているが、雲は相対的に厚めの塗りで、太い絵筆を反復して動かし、筆先の筋目が残るよう質感をうまく表現している。オレンジないしは黄色を混ぜて、雲に当たる射光をリアルに見せるのも、佐伯の「テニス」Click!に描く雲などに見られる表現法と同じだ。佐伯作品と大きく異なるのは、笠原が描く『下落合風景』には大胆なデフォルマシオンがほどこされている点だろう。佐伯の『下落合風景』は、モチーフとなる風景をかなり正確かつ几帳面にとらえて描いている。おそらく、モチーフとなった下落合風景を、当時の実景写真と重ねあわせても、それほどの狂いはないだろう。モチーフの形象やそれぞれの距離感、パースペクティブなどのとらえ方が驚くほど正確で、その卓越したデッサンの技術力とともに、当時の実景を目にしているような錯覚Click!をおぼえるほどだ。
 それに対して、笠原吉太郎が描く『下落合風景』は、残されている数少ない画像Click!を参照する限り、かなり自由なデフォルメがほどこされており、実景というよりは笠原自身が内部で消化した、下落合の心象風景のような画面をしている。どこか、物語のひとコマのような情景や、ユーモラスであたたかい風情を感じさせる仕上がりのように思える。それは、モチーフを見たまま生真面目に写生して描くのではなく、自己の内部で一度咀嚼して再構成しなおし、当時の展覧会では多々見られていた、どこかプリミティーフな表現へと笠原自身が惹かれていたものだろうか。あるいは、既存の印象派の表現に引きずられぬよう、画面を「暴れさせる」フォーブの表現を、ことさら意識していたものだろうか。いずれにしても、描かれた笠原邸はまるで魚眼レンズでとらえられたように大きく歪み、屋根の縁や建物の角は野太い線で無造作に型どられている。
 山中典子様によれば、親戚の方々と建物の構造について検討した結果、正面左手にある扉は台所の勝手口ドアで、建物の角を折れた右側に見えているのが、風呂場の扉とのことだ。勝手口の左側に見えている窓は、1階にあった洋間の窓であり、笠原吉太郎の画室はその向こう側、建物の北西角側にあった。また、2階手前(東側)の窓が4畳の、西側の窓が8畳の和室のものだという。さらに、右手に見える増築された建物は美寿夫人Click!の部屋で、おそらくこの部屋で家庭用フランスパン焼き器や笠原手織機など、夫人のさまざまな発明が生まれたのだろう。
 笠原吉太郎が、この作品を描くためにイーゼルを立てている背後は、急激に5~6mは落ちこむバッケ(崖地)の地形となっており、第2の洗い場Click!のある西ノ谷(不動谷)Click!が口を開けていた。この谷戸の突き当たりが青柳邸Click!であり、その北隣りが佐伯アトリエということになる。
笠原吉太郎「下落合風景」09.JPG 笠原吉太郎「下落合風景」10.JPG
笠原邸間取り.jpg
笠原邸1947.jpg 笠原邸跡.JPG
 画面のていねいな洗浄により、およそ90年も前に描かれた作品とは思えないほど、笠原吉太郎の『下落合風景(笠原吉太郎邸)』(仮)は、鮮やかでみずみずしい画面をしている。現在、同作は新宿歴博へお預けしているが、90年前の下落合風景をとらえた画面であり、また1930年協会のメンバーが集った記念すべき笠原邸作品なので、ぜひ永久保存していただきたいものだ。
その後、2014年夏に新宿区で保存決定がなされ、無事、新宿歴史博物館へ収蔵されることになった。

◆写真上:山中様よりお預かりした、笠原吉太郎『下落合風景(笠原吉太郎邸)』(仮)。
◆写真中上:全体画面と、各部分のクローズアップ。笠原邸を囲む樹木が、いまだ大きく育っていない様子から大正末か昭和の最初期に描かれた『下落合風景』作品と思われる。
◆写真中下:同じく、『下落合風景(笠原吉太郎邸)』(仮)画面の部分クローズアップ。
◆写真下は、画面の角度から見た笠原邸の間取り。下左は、1947年(昭和22)の空中写真にみる同作の描画ポイント。すでに庭の樹木が大きく成長し、1階部分の屋根を覆っているのがわかる。下右は、八島さんの前通りに面した笠原邸跡の現状(道路の右手)。

この記事へのコメント

  • kiyo

    ChinchikoPapa さん
    800万人突破、おめでとうございます。
    引っ越す前、目白学園の近所に住んでいた懐かしさから、
    お訪ねするようになって、いまや、ChinchikoPapa さんの記事が
    日々の糧と行っても良いくらい、必須となっています。
    これからも、落合を中心に、幅広く地域の歴史、アートな歴史、
    建物の歴史、民族史などなど、お教え頂ければと願っています。
    2013年12月12日 07:34
  • NO14Ruggerman

    ご訪問者800万人達成おめでとうございます。
    これかも楽しみにしておりますので
    引き続きよろしくお願いいたします。
    2013年12月12日 07:40
  • ChinchikoPapa

    この外苑の景観に調和する、新国立競技場を建ててほしいですね。
    nice!をありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
    2013年12月12日 12:52
  • ChinchikoPapa

    建物から樹木が生えているように見える、フンデルトヴァッサー・ハウスがいいですね。東京の街角も、こんな風情にならないでしょうか。nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
    2013年12月12日 12:58
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>いっぷくさん
    2013年12月12日 13:03
  • ChinchikoPapa

    「さらく」はちょっとかわいい九州方言で、「どけぇさらきよっとっと?」(どこへ散歩に行ってたの?)と女の子がつかうとチャーミングです。w nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
    2013年12月12日 13:08
  • ChinchikoPapa

    最近、「おじさんたち、もう一度がんばるぞ」映画が多いような気がします。w nice!をありがとうございました。>makimakiさん
    2013年12月12日 13:13
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>やってみよう♪さん
    2013年12月12日 13:16
  • ChinchikoPapa

    ロフトJAZZ全盛の学生時代、ほぼ同時代作品です。当時は、アーサー・ブライスとかモンティ・ウォーターズなどの輸入盤が、日本へどしどし届いてました。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2013年12月12日 13:22
  • さらまわし

    初めまして♬
    800万人突破、おめでとうございます(^^)v
    2013年12月12日 13:29
  • ChinchikoPapa

    kiyoさん、ごていねいなコメントとnice!をありがとうございます。
    落合地域を「全的」にとらえる・・・などと書いておきながら、自身の非力さを痛感して非常に後悔しているこのごろですが、これからもなんとか、少しずつ書いていきたいと思います。
    また、落合地域を眺めていますと、どうしても他地域との史的つながりや交流、あるいは現代における課題つながりで落合以外の地域のことにも触れざるを得ない場合があります。そんな場合には、落合地域に限定せず、視野を拡げて積極的に取り上げていきたいと思っています。
    テーマによっては、この地域を飛び出して、新宿区、東京都、さらには全国というように拡がるものもありますので、接写レンズばかりでなく、ときに広角レンズの視界で書いてみたい・・・などと空想しています。w
    これからも、よろしくお願いいたします。
    2013年12月12日 13:34
  • ChinchikoPapa

    NO14Ruggermanさん、わざわざコメントとnice!をありがとうございます。
    ちょっと立ちくらみしそうな数字ですが、これからもNO14Ruggermanさんの下落合でもある^^、地元の物語を少しずつ書いていきたいと思っています。次回は、下落合から大川へと流れ下る、神田川の物語です。
    これからも、よろしくお願いいたします。
    2013年12月12日 13:37
  • ChinchikoPapa

    蚕影神社の「猫返し」のエピソード、面白いですね。いま、うちのネコは病気で病院通いなのですが、なんだか“ネコ物語”をまとめて書いてみたくなりました。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2013年12月12日 14:10
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>ゆきママさん
    2013年12月12日 14:11
  • ChinchikoPapa

    さらまわしさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    こちらこそ、はじめまして。
    PCにもオーディオ装置と同じような、アイドリングをしたくなる寒さですね。真空管コンピュータの時代には、おそらく効果があったんじゃないかと思います。w これからも、よろしくお願いいたします。
    2013年12月12日 14:18
  • ChinchikoPapa

    谷間を埋める雲や霧の上に浮かんだ城跡は、幻想的ですね。
    nice!をありがとうございました。>teftefさん
    2013年12月12日 16:16
  • ChinchikoPapa

    いつも、ご訪問とnice!をありがとうございます。>siroyagi2さん
    2013年12月12日 18:43
  • ChinchikoPapa

    そういえば、007映画を映画館で観たことがないですね。
    nice!をありがとうございました。>はせおさん
    2013年12月12日 23:29
  • ChinchikoPapa

    本阿弥家は、名匠といわれた本阿弥光遜が湘南に住んでいましたけれど、そのあとは誰が継いでいるんでしょうね。nice!をありがとうございました。>opas10さん
    2013年12月12日 23:58
  • hanamura

    のべ800万おめでとうございます。当方は記事数600回で、浮かれております。閲覧数は90万でした。まだまだですねぇ~。
    2013年12月13日 04:38
  • suzuran6

    800万人超えとは・・・
    ChinchikoPapa さんのブログは「読んで」しまいますからね。
    (通勤途中のスマホでは無理です)
    読むと次も気になる…で。通い詰めてしまうんですね。

    来月 三岸好太郎 の「オーケストラ」の裏面の「鬼」身に行けます。
    2013年12月13日 09:31
  • ChinchikoPapa

    hanamuraさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    みなさん、落合地域に興味をもってくださるのが、とってもうれしいですね。最近、hanamuraさんの記事に誘われて、寝酒にウィスキーではなく日本酒を飲んでいます。w
    2013年12月13日 10:33
  • ChinchikoPapa

    suzuran6さん、コメントとnice!をありがとうございます。
    記事が長くて、すみません。次の「神田川」も長くなってしまいそうなのですが、できるだけ2,000文字以内で抑えられるよう、テーマを絞りに絞りこんだ書き方を勉強中です。
    「オーケストラ」の裏面「鬼」、どんな画面なのかぜひご報告ください。^^
    2013年12月13日 10:40
  • Marigreen

    800万人突破おめでとう。どうも私は雲の上の人に生意気にも一庶民の分際でコメントしたりして滑稽なんじゃないだろうか?それ以上出世しないでおくんなさい。友達面もできないじゃないか。
    2013年12月13日 17:02
  • ChinchikoPapa

    Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
    別に「出世」などしていませんので、ご安心を。それから、わたしを勝手に昇天させないでください。w わたしは、まちがいなく地上にいて、落合地域に着地しています。もう少し、書いていたいテーマがありますので、まだまだ死ねません。
    2013年12月13日 19:13
  • ChinchikoPapa

    いいですね、朝のご飯の炊ける温かい匂いがしそうです。
    nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2013年12月13日 19:24
  • ChinchikoPapa

    秋は脂がのって美味しいので、このところサバ、サワラ、サケとうちでも魚づくしです。nice!をありがとうございました。>道多田さん
    2013年12月13日 20:18
  • ChinchikoPapa

    先日、東京湾岸の水門を見学したのですが、電力が不通になった場合どうやって水門を閉めるのか・・・と不安になりました。nice!をありがとうございました。>yamさん
    2013年12月13日 23:38
  • ChinchikoPapa

    子どもたちが小さいころ、この時期にに流れていた「オーベルビリエのノエル」が耳についています。nice!をありがとうございました。>じじさん
    2013年12月13日 23:42
  • ChinchikoPapa

    長雨の季節は乾燥機があると助かりますが、やっぱり外気と陽光で乾かしたほうが気持ちがいいですね。nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2013年12月14日 20:43
  • ChinchikoPapa

    いつも、ご訪問とnice!をありがとうございます。>げいなうさん
    2013年12月14日 23:51
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>mwainfoさん
    2013年12月14日 23:51
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2013年12月15日 22:33
  • sig

    来訪者1100万人との数字にびっくり。それよりも、記事数1600に迫り、なお書ききれないほどのネタがおありのご様子、そちらの方が驚きです。なにはともあれ、おめでとうございます。
    2013年12月16日 23:27
  • ChinchikoPapa

    sigさん、ごていねいにコメントとnice!をありがとうございます。
    わたしも、こんなことになるとは思ってもみませんでしたので、PVカウンターを見るたびにやや茫然としています。まだまだ非力で、思いどおりの表現がなかなかできないでいますが、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
    2013年12月16日 23:44
  • fumiko

    素晴らしいことです、おめでとうございます!
    引き続き、ご邁進くださいませ!!
    2013年12月21日 19:53
  • ChinchikoPapa

    今年も、神田神保町で個展があるんですね。白山もそうですが、時間が合えばまたうかがいます。nice!をありがとうございました。>sonicさん
    2013年12月21日 22:46
  • ChinchikoPapa

    fumikoさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    わざわざ激励いただき、たいへん恐縮です。どこまでつづくかわかりませんが、面白い物語を求めて、これからも動きつづけたいと思います。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
    2013年12月21日 22:52
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
    2013年12月21日 23:24
  • かわしま

    おそれいります。明治以降の桐生の笠原姓について調査をしていてたどり着きました。明治時代の地元の雑誌に、吉太郎が村田丹陵塾で学んでいたことやフランス、スペインに出かける際の送別会が紹介されていましたが、その後の消息が分かりませんでした。画家だったのですね。ありがとうございました。
    2017年04月18日 06:06
  • ChinchikoPapa

    かわしまさん、コメントをありがとうございます。
    群馬の地元では、笠原家と親しく姻戚関係だった星野家一族も、下落合に集合しています。星野家(あるいはそこの出身者)の家が並ぶ道路は、「星野通り」などと呼ばれていました。
    笠原吉太郎については、1973年の『美術ジャーナル』に外山卯三郎がまとまった記事を載せ、個展を開催していた東京朝日新聞にも、当時の記録が若干残っています。また、笠原(星野)美寿については、ご存じかもしれませんが星野達雄・著『からし種一粒から』(ドメス出版)が出ています。機会がありましたら、ご参照ください。
    2017年04月18日 10:07
  • かわしま

    貴重な情報をありがとうございました。
    現在、桐生歴史文化資料館では、桐生出身でありながら現在は、なかなか地元で知られていない人を紹介しようと考えております。
    6月には、笠木實さんを紹介をしようと進めており、のち、笠原氏についても照会できればと考えております。
    ただ、肝心の絵がなかなか見つからないことや、経歴など人となりがなかなか分からないことで、なかなか進みません。
    関係者が、みな高齢になっており、できるだけ早く紹介できればと奮闘しております。
    2017年05月05日 20:04
  • ChinchikoPapa

    かわしまさん、コメントをありがとうございます。
    笠原吉太郎の主な作品は、いまでもご遺族の元に何点かが残されています。この記事の『下落合風景(笠原吉太郎邸)』は新宿歴史博物館に収蔵されていますが、房州シリーズの代表作で東京朝日新聞社の個展にも展示された『舟の艫(房州)』は、ご遺族からお譲りいただきわたしの手もとにあります。
    http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2014-04-17
    もし、展覧会を予定されているのでしたら、ご遺族にお伝えして作品や資料等を集めることが可能かと思います。その節は、改めてご連絡ください。
    2017年05月05日 22:00
  • かわしま

    ありがとうございました。

    6月6日から7月2日まで、群馬県桐生市の桐生歴史文化資料館で笠木實先生についての紹介展「桐生出身画家笠木實の足跡と魚萬笠木萬吉」展の実施が決まり、最後の詰めを進めています。
    作品はわずかですが、ご実家の紹介などを含めた展示を計画しておりまして、多くの方々にご協力を頂きながら進めています。

    お問い合わせ先は kawasimaアットマークsunfield.ne.jp まで。アットマークは@に置きかえてください。

    笠原吉太郎さんもできるといいなぁ。
    2017年06月02日 23:05
  • ChinchikoPapa

    かわしまさん、ごていねいにコメントをありがとうございます。
    先週、たまたま東京へみえていた笠原吉太郎の孫にあたる方にお目にかかり、何気なく桐生歴史文化資料館と「笠木實展」についてお話しました。笠原吉太郎のご子孫の中では、笠原作品や遺品をもっともまとまってお持ちです。
    でも、お子様やお孫様たちがまったく美術に興味を持たれず、彼女(吉太郎・美寿夫妻の三女の長女にあたる方です)の死後は作品が散逸してしまうのではないか……と、以前より心配されていました。この記事に掲載している『下落合風景(笠原吉太郎アトリエ)』も、そのようなご心配から新宿歴史博物館へ寄贈された経緯があります。
    桐生歴史文化資料館についてはご存じなく、初めてお知りになったようですが、画伯の故郷にあるということもあり、「もし寄贈できれば…」というようなお話になりました。笠原吉太郎の作品や遺品の寄贈が、もし可能であればご検討ください。
    2017年06月03日 12:43
  • かわしま

    昨日から、笠木先生と生家の笠木家(魚萬)、とりわけ父親の万吉氏の紹介展が始まりました。
    開催に当たり、笠木先生にもお目にかかり、ご家族から桐生時代の貴重なお話しを伺うことができました。
    資料館は、現在ホームページを準備中で、なかなか目に止まらないことと存じますが、なにかの機会にご紹介できればと考えております。

    また、笠原吉太郎さんの件につきまして、ご配慮を賜りましてありがとうございます。桐生市内で吉太郎氏の作品は未見ですので、もしもお話しをお進め頂けましたら、ありがたいことと考えます。
    まずは、御礼まで
    2017年06月07日 20:39
  • ChinchikoPapa

    かわしまさん、コメントをありがとうございます。
    郷土資料館や歴史博物館のサイト設計は、とても楽しそうであこがれます。楽しみにしています。
    笠原吉太郎の遺作の件、ご検討くださりありがとうございます。さっそく、先方(このサイトでも何度か登場されている山中典子様)にご連絡してお話してみます。お話がそのまま通じましたら、メールで山中様のご連絡先等をお知らせいたしますので、あとは寄贈に関しましては直接先方とご相談ください。
    ちなみに山中様は、ご結婚後ずっと恵比寿に住まわれていましたが、現在は福岡県の博多にお住まいです。ただ、笠原家のご子孫の集まりが開かれますので、よく東京へはお出かけになります。
    では、少しお時間をください。
    2017年06月07日 22:10
  • かわしま

    なにかと、ありがとうございます。
    機会があって、桐生における明治期からの笠原姓の系譜について
    調査する中で、吉太郎にような方がいらっしゃったことを初めて
    知ることができました。
    今となっては、吉太郎を知る市民は殆ど居ないかもしれません。
    そうした方の、掘り起こしによって、桐生における美術史に新しいページを開くことができるでしょう。

    桐生織物史の年表に登場する笠原吉郎が祖父であろうと考えられ、またその祖父の岩瀬吉兵衛など、機工師の血筋が吉太郎のルーツと見立てています。

    1841年に紋罫引器を発明した笠原吉郎
    1783年に水車動力の八丁撚糸機を考案する岩瀬吉兵衛
    2017年06月09日 09:15
  • ChinchikoPapa

    かわしまさん、重ねてコメントをありがとうございます。また、メールも拝見いたしました。
    おそらく近代美術ファンの桐生市民なら、佐伯祐三の『男の顔』あるいは『K氏の像』の画面で、笠原吉太郎をご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
    もうひとつ、笠原吉太郎のご子孫の方々とは別に、宮内庁にも少なからず資料が残っているかもしれません。笠原吉太郎は洋画家になる以前、皇族の衣装類をデザインする専属のデザイナーでしたので、ひょっとすると当時の衣装や型紙、スケッチなどが宮内庁に眠っている可能性があります。笠原吉太郎が、皇室の牧場や領地などで写生ができたのは、当時の宮内省が発行したフリーパスを持っていたからでした。
    また、美寿夫人は発明家として知られており、フランスでパン好きになった夫のために、おそらく日本初の家庭用のパン焼き器(ガス天火)や、独自の小型家庭用織機を開発していますね。特に戦後は、各地で笠原小型織機の講習会を開いています。あと、戦後に各地へ設置される「敬老会館」の企画・発案者としても有名でしょうか。
    2017年06月09日 12:48
  • かわしま

    たいへんお世話になっております。
    何かと、ありがとうございました。御礼申し上げます。

    新宿歴史博物館の吉太郎の絵は、普段は見ることはできないのでしょうか。7/19or/20に、新宿に行く予定があるものですから、見られると良いかと。

    桐生でも吉太郎の作品展を、計画の中に入れてみたいと考えます。
    それには、吉太郎と桐生の関わりについて、もう少しひもとければと考えています。地元の資料の中には、フランスに行く際に、桐生の仲間達が壮行会をしたことの記録などが断片的に残っています。

    現在行っている笠木先生の展示は、次のページをご参照下さい。
    作品のジャンルが多方面にわたっており、たいへん器用な方だと言うことが分かります。
    作品展示と言うよりも、桐生出身画家の紹介というところがメインですが、先生は桐生での生活も長かったので、逸話がたくさんあり、その一つ一つが楽しいです。

    http://www.sunfield.ne.jp/~kawasima/kasaki/kasaki.html
    2017年06月15日 11:47
  • ChinchikoPapa

    かわしまさん、コメントをありがとうございます。
    桐生がもう少し近くて仕事がなければ、笠木實展を拝見しにうかがいたいですね。ぜひサイトを起ち上げられたあかつきには、面白い逸話・エピソードの数々をご紹介ください。
    新宿歴史博物館には、さまざまな画家による数多くの絵画作品が収蔵されていますので、時期によって展示される作品が次々と変わります。したがいまして、同博物館へ事前に連絡を入れられ、事情を説明される際に、下落合のわたしの名前をお出しになれば、あらかじめ笠原作品を倉庫から出しておいてくださると思います。
    その際は、同博物館の副館長であり美術のご担当でもある、守谷さんへのご連絡がスムーズではないかと思います。
    2017年06月15日 19:37

この記事へのトラックバック

海の匂いがする笠原吉太郎『房州』。
Excerpt: 先日、笠原吉太郎Click!が描いた油彩画『房州』(キャンバス6号F/318×409mm)を、三女・昌代様の長女である山中典子様Click!よりお預かりしている。わたしは潮風Click!で育ち海辺が大..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-04-17 00:02

前田寛治が残した「制作メモ」。
Excerpt: ★ご報告 以前、山中典子様Click!よりお預かりし、こちらの記事でご紹介していた笠原吉太郎の『下落合風景(笠原吉太郎邸)』Click!が、正式に新宿歴史博物館で収蔵されることに決定した。大正期から昭..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2014-09-08 00:00

下落合を転居していたらしい阿部展也。
Excerpt: 下落合で「アトリエ研究会」を開催していた、阿部展也Click!のアトリエの記録がまちまちで悩ましい。人によって、書いていることがバラバラで、正確な状況が不明なのだ。敗戦の直後、抑留先のフィリピンから引..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-07-02 00:01

昭和二年四月下落合ニテ佐伯祐三君。
Excerpt: 先日、笠原吉太郎Click!の三女・昌代様の長女である山中典子様Click!より、親戚の家で新たな画面が見つかったというお知らせを受けた。この11月に、山中様が東京にみえられた折に、さっそく画面を拝見..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2016-12-14 00:00

ときに日本画を描く洋画家たち。
Excerpt: 洋画家たちの中には、油絵ばかりでなく岩絵の具や墨を使って、日本画を描いた画家たちがいる。逆に、日本画家が油絵や水彩などの洋画を描き、その自由な表現の魅力にはまって抜けられず、洋画へ転向した画家たちも少..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2017-01-04 18:18