深夜に聴く小学生のあこがれサウンド。

椎名林檎長谷川きよし2007.jpg
 このところ、お隣りで好物のギョウザや鶏肉をもらって食べているタヌキたちが、ときどき縄張りのネコを牽制して脅かしているのか、なんともいえないすさまじい声をあげて鳴くことがある。暗くなると、3~4匹のタヌキが家のまわりをウロウロして、晩秋の“食いだめ”をしているようだ。
  
 わたしはませた子どもだったので、小学生のころからラジオの深夜放送をよく聴いていた。当時はめずらしかった、秒針がなめらかに動く目ざまし電気時計に付属していた粗末なラジオで、音質はひどく、最悪だった。イヤホンを耳に、それを親に隠れて寝床の中で聴いていたのだ。「パック・イン・ミュージック」(TBSラジオ)とか、「オール・ナイト・ニッポン」(ニッポン放送)をよく聴いただろうか。「セイ・ヤング」(文化放送)は、少し遅れてスタートしたように記憶している。真っ暗な中、布団の中で聴くわけだから、ときに眠ってしまうこともめずらしくなかった。もう少し音質のいい、ナショナルの「ワールドボーイ」を買ってもらったのは、中学に入学してからのことだ。
 時計ラジオが置かれた横には、小学館版『少年少女世界の名作文学』(全50巻)が並んでいたけれど、親が買ってくれたこの全集は半分も読まなかったのではないか。むしろ、親父の書棚からこっそり『戦艦大和ノ最期』Click!とか、『風立ちぬ』、『古寺巡礼』、『硝子戸の中』、『芝居台詞集』、『浮世絵全集』などを抜き出しては、勉強をしているフリをして読んでいた。親に気づかれるとまずいので、たいがい夕食前には元へもどしておいたのだが、翌日になると再び抜き出してはつづきを読んでいた。親にあてがわれた本を、わたしは熱心に読んだ記憶がない。
 中でも、漱石の『硝子戸の中』はどこがどう面白かったものか、小遣いを片手に生まれて初めて書店で買った本は、つい最近まで手もとにあった旺文社文庫版の『吾輩は猫である』だ。わたしはさっそく親父をマネて、この薄緑色でしゃれた装丁の内扉に、蔵書印ならぬ郵便小包の受けとり用“みとめ印”を押している。こういう、どうでもいいこと、あるいはどうしようもないことにこだわるわたしの妙な性癖は、今日にいたるまでそのまま治らずにつづいている。
 さて、その当時聴いていた深夜放送からは、さまざまな歌声が流れてきた。1964年(昭和39)の東京オリンピックが終わって、数年たってからのことで、印象的だったのは浅川マキや長谷川きよし、加藤登紀子、新谷のり子、カルメン・マキなどの歌だろうか。どこか、大人の世界がプンプン匂うような、そんな歌声に強く惹かれたのを憶えている。これらの曲を楽しんだ翌朝、学校の教室で意識朦朧としていたわたしは、教師に指されたのも気づかないことがあった。
 1960年代後半の深夜は、外からいろいろな物音が聞こえてきた。通奏低音のように響く相模湾の潮騒や、ときおりユーホー道路Click!(湘南道路=国道134号線)を走るクルマの音にまじって、フクロウだかミミズクが鳴くのを聞いたのもこのころのことだ。でも、この鳴き声は西湘バイパスが完成してユーホー道路の交通量が急増し、防風・防砂用のクロマツ林にヘリコプターによるDDTの空中散布Click!がはじまったころから、まったく聞こえなくなった。
浅川マキ.jpg
小学館版「少年少女世界の名作文学」.jpg 陸軍喇叭.jpg
 遠くで、ラッパが鳴っていたのも憶えている。トランペットのようなキラキラした音ではなく、豆腐屋が吹くラッパのような物寂しく枯れた音色でもない。最初は、誰かが海岸に出て、深夜の浜辺でトランペットの練習をしているのかと思った。でも、たった一度だけ鳴ってすぐに消えてしまうラッパの音は、明らかに練習音ではなかった。この音色がなんだったのか、気がついたのはもう少し成長してからのことだ。「新兵さんはか~わいそ~だね~、また寝て泣くのかね~」と、陸軍の消灯ラッパだったのだ。おそらく、旧・陸軍の元ラッパ手が近くに住んでいて、ときどき深夜に懐かしんで鳴らしていたものか、それとも死んだ戦友たちを悼んで吹いていたのか、いまならすぐにもこのラッパ手を探し出して、お話を聞いてみたいところだ。
 当時は、お祭りへ出かけると、手足を爆弾や砲弾で吹き飛ばされた傷痍軍人たちが、陸軍病院を模した白い寝間着姿でアコーディオンやハーモニカを演奏しながら、通行人たちに土下座をして施しを受けている光景によく出くわした。「御国(みくに)」を守るために身体を張った傷痍軍人が、なぜ平和に暮らし祭りで遊ぶ人たちに土下座をしなければならないのか、小学生だったわたしにも理不尽に感じた姿だ。わたしの義父は、退役軍人なので軍人恩給を毎月もらっていたが、補充兵や動員兵として戦争末期に臨時徴兵された人の中には、きわめて短期間のために恩給対象から外れたり、戦後の混乱から記録が不十分で見つからず、恩給の認定から漏れた方々もいたものだろうか。ただ、これには後日譚があって、「戦争中はどう見たって小中学生じゃねえか、オレより若いだろ」と、親父が疑念をもちながら五体満足な「傷痍軍人」たちを眺めはじめたころ、組織的に集金するこの種の「詐欺団」が摘発されている。
 深夜放送でひときわ耳をそば立てたのは、新宿のライブハウスに忽然と姿を現わした浅川マキだった。この人が、寺山修司とのコラボ時代のことだろうか、ちょっとくずしたアンニュイかつ蓮っ葉な声で「♪夜が明けたら~、いちばん早い汽車に乗るから~・・・」と唄うのを聴いて、小学生のわたしはひとりで歩いたことさえない新宿駅から、いまだ経験のないひとり旅に出るワクワクと楽しい想像をしていた。汽車を乗り継いで出かける先は、毎日眺め暮らしながら育った、穏やかでやや食傷気味の太平洋ではなく、波が荒々しく紺色が濃いといわれるわたしにはあこがれの日本海だった。なぜか旅というと、そのころは日本海側の海岸線が多くイメージされていたように思う。
浅川マキの世界1970.jpg 長谷川きよし加藤登紀子LIVE1978.jpg
 当時の浅川マキに匹敵するインパクトや、オリジナリティ、圧倒的な存在感のある歌手は、いまの音楽界を眺めまわしても椎名林檎Click!ぐらいしか見あたらないな・・・などと、何年か前、高校生だった下のオスガキと話していたら、クラスには林檎ファンがたくさんいるという。いまや、音楽をめざす子や音楽好きな子にとって、椎名林檎はカリスマであり“神様”であり、もはや“伝説”なのだそうだ。うちには、ほとんどのアルバムやDVDがそろっているからと教えたら、さっそく家でDVDコンサートをやることになってしまった。下の子がいそいそと連れてきたのは、なんと全員が女子だったのだ。どうやら、椎名林檎は男子よりも圧倒的に女子のファンが多いらしい。
 アルバムやDVDを片手に、キャーキャー「これ聞きた~い!」などといっている彼女たちは、わたしが浅川マキの曲を聴いては、深夜あれこれ“大人の世界”をわくわく想像していたのと同様に、どんな夢を見ていたのだろう? 「〇〇パパ(〇〇は子供の愛称)、インプロヴィゼーションってなんですかぁ?」、「メロディラインのコード進行ないしはモードにのせて奏でる、アドリビトュムの演奏やヴォーカルのことだよ」・・・などと、女子高生たちにまじってウキウキはしゃぎながら、調子にのって“解説”していたわたしは、すぐに深く、深く反省している。男子ばかりで、やたら男くさい家の中にさんざん飽きていた、小学生のころから“お調子者”のわたしは、久しぶりに大勢の女子の匂いに囲まれて舞いあがってしまったのだ。
 深夜放送では、浅川マキばかりでなく長谷川きよしや加藤登紀子の曲も流れていた。少しあとの時代になるけれど、このふたりが歌った『灰色の瞳』は、いまでも諳んじている。その長谷川きよしと、椎名林檎がデュオで歌う『灰色の瞳』や『りんごのうた』、『化粧直し』、『別れのサンバ』などを聴いて、めずらしく全身がゾワゾワと総毛立ってしまった。歌や曲を聴いただけでそんな気分になるのは、実に何年ぶりのことだろうか。どこかで、40年以上も前の感性や感情が目をさまし、すり減った精神にちょいとイタズラをしたのかもしれない。そういえば、小学生のわたしは寝床の中でわけもわからないまま、ラジオから流れる大人たちの歌に涙を流したこともあったっけ。
椎名林檎「第一回林檎班大会の模様」2007.jpg 椎名林檎with長谷川きよし.jpg
 ラジオではなく、加藤登紀子が長谷川きよしをエスコートしてステージに登場するシーン(長谷川きよしは目が見えない)を、いつかTVで見たことがある。そのときは、なんら違和感をおぼえなかったのだが、ほとんど当時と変わらないサングラスでギターを抱えた長谷川きよしを、椎名林檎がエスコートするのを見て、思わず「あれ?」と思ってしまった。長谷川きよしが、やたら小さいのだ。「なぜ、1969年のボクの曲を林檎さんが知っているのか、非常に不思議ですが・・・」とMCで楽しそうに話す、ギターの腕も歌唱も衰えない長谷川きよしなのだが、“21世紀女子”の椎名林檎と並ぶと、いやでも40年以上の歳月を思い知らされる。
 久しぶりに、ラジオをこっそり寝床へ持ちこみ、イヤホンで深夜放送でも聴きながらゆっくり寝てみようか。でも、深夜の暗闇にいくら耳をすましても、「新兵さんはか~わいそ~だね~、また寝て泣くのかね~」の消灯ラッパは、もはやどこからも聞こえてきはしないだろう。

◆写真上:代官山UNITで開催された、椎名林檎と長谷川きよしのライブコンサート。椎名林檎『第一回林檎班大会の模様』のアルバムジャケットより。
◆写真中上は、2010年に亡くなった浅川マキ。下左は、その大半を読まなかった小学館版『少年少女世界の名作文学』(全50巻)の第1巻。下右は、真夜中に聞こえた旧・陸軍のラッパ。
◆写真中下は、1970年(昭和45)にリリースされたアルバム『浅川マキの世界』。は、1978年(昭和53)にリリースされたLPで加藤登紀子・長谷川きよし『LIVE』。
◆写真下は、2007年にリリースされ長谷川きよしとのデュオを収録した椎名林檎『第一回林檎班大会の模様』。は、ステージで長谷川きよしをエスコートする椎名林檎。

この記事へのコメント

  • hanamura

    長女が椎名林檎さんのファン(ファンクラブ)なので、林檎大会を聞いてみて、CDか何かあれば聴いてみます。
    2013年11月21日 07:15
  • minase

    五木寛之の昔の短編小説「帝国陸軍喇叭集」のような話fですね。
    ラッパの音を聴くことがなくなりました。
    2013年11月21日 12:13
  • ChinchikoPapa

    考えてみますと、子どものころから東博よりも科学博へ出かけたほうが多いですね。「お宝」の山なのだから、わたしも東博をもっと観なければ・・・。nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
    2013年11月21日 14:42
  • ChinchikoPapa

    わたしは『北の国から』というドラマはあまり観ていないのですが、ちょいと卑怯で情けない役どころの田中邦衛が好きですね。そういえば、小川真由美とのコンビ劇もありました。nice!をありがとうございました。>いっぷくさん
    2013年11月21日 14:49
  • ChinchikoPapa

    きょうは、暖かいですね。久しぶりに街中では、あちこちでネコが散歩をしています。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
    2013年11月21日 14:51
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>やってみよう♪さん
    2013年11月21日 14:56
  • ChinchikoPapa

    hanamuraさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    椎名林檎は、「東京事変」に代表されるぎんぎんのロックから、フルオーケストラをバックにしたJAZZやポップス、歌曲、フォーク、歌謡曲、ときに演歌、果ては「NHKのみんなのうた」まで守備範囲が広大な“多面体”のシンガーソングライターですので、いろいろ聴かれてみてください。w
    2013年11月21日 15:05
  • ChinchikoPapa

    なんだか、tsをasに持ち替えて吹く、同時代のImpulsコルトレーンアルバムのような演奏です。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2013年11月21日 15:11
  • ChinchikoPapa

    分倍河原や北府中、新しい西府は仕事でときどき出かける駅です。少し時間に余裕があれば、周辺を散策したいですね。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2013年11月21日 15:21
  • ChinchikoPapa

    昔はよく辞書や事典をひいていましたが、最近はネットに依存して開くことが少なくなりましたね。nice!をありがとうございました。>teftefさん
    2013年11月21日 15:23
  • ChinchikoPapa

    寿司屋にしばらく入ってないですね。そろそろ魚に脂がのって、うまい季節です。nice!をありがとうございました。>ぼんさんさん
    2013年11月21日 15:28
  • ChinchikoPapa

    minaseさん、コメントをありがとうございます。
    五木寛之の「帝国陸軍喇叭集」は未読ですね。そういえば、小川紳介のドキュメンタリー映画で、ラッパ手だった元陸軍の兵士が出てきて、服装もカーキ色の軍服に着替え、えんえんとラッパを吹いて聴かせる・・・という夜のシーンがありました。さて、どの作品だったものか。
    2013年11月21日 15:32
  • ChinchikoPapa

    今年の米国のモーターショウは、高級車の新モデルが多いそうですね。
    nice!をありがとうございました。>あんぱんち〜さん
    2013年11月21日 20:02
  • NO14Ruggerman

    傷痍軍人の思い出は私にもあり、懐かしく情景を
    思い浮かべてしましました。
    初詣に親に連れられ川崎大師へ向かう駅前に
    寒風のもと、白い寝間着姿の2人が片腕でアコーデオンを
    奏でる姿は、大変失礼ながら子供心には恐怖に映ったものです。
    2013年11月21日 22:46
  • ChinchikoPapa

    NO14Ruggermanさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    通常の兵役ですと4年間で退役ですが、たとえば1944年(昭和19)も後半期に召集された兵士は、おそらく翌年の8月15日まで1年もなかったはずで、そのとき重傷を負ってしまった方は微々たる恩給額だったのではないかと思います。保険も生活保護制度も未整備だった時期は、たいへんだったでしょうね。
    2013年11月21日 23:00
  • kako

    私は「オールナイトニッポン」「セイヤング」を頑張って起きて聴いていられるようになるまで、深夜放送としては早い時間帯の「あおい君と佐藤クン」(ケメ!「早苗ちゃん」!)や「私のロストラブ」(中村メイコ!)を、子供心にわくわくしながら(ほとんどわかってなかったと思いますが)聴いていました。
    浅川マキは、新宿のジャズバーでアルバイトしていたとき、唯一かけることを許されていた日本人ボーカリストでした。私は「かもめ」が好きで、やはり23、4ではわかるはずもない歌詞のヒロインの気分になりきっていました。
    それにしてもPapaさん、懐かしいお話ばかり…。ノスタルジックなご気分ですか?
    2013年11月21日 23:27
  • ChinchikoPapa

    kakoさん、コメントをありがとうございます。
    そういえば、中村メイコの「私のロストラブ」という番組、かすかに憶えています。「パックイン・ミュージック」がスタートする前の、30分番組ではなかったでしょうか。それにしても、雑音が混じる性能の悪い、ステレオでさえないラジオで、よくあれだけ音楽を聴けていたと思います。
    JAZZバーで流す日本人の作品で、唯一の認可アルバムが浅川マキというお話は面白いです。「カモメ」は、EP盤「夜が明けたら」のB面だったんですね。彼女は音楽畑ばかりでなく、演劇界にも強いインパクトを与えていて、70年代から80年代にかけ、舞台でピアノを弾く演奏シーンがあると、みんな浅川マキ風な表現になっていました。わたしの学生時代、新宿2丁目がいまだ演劇をめざす子たちが集まる飲み屋街だったころ、バーで浅川マキが流れていたのを憶えています。
    最近、なんだか昔話が多いですね。w ちょっと、疲れ気味なのでしょうか。
    2013年11月22日 10:04
  • ChinchikoPapa

    わたしはどちらかといいますと、早飲みのライトボディよりも、どっしりとした重厚なフルボディのワインが好きです。nice!をありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
    2013年11月22日 10:08
  • ChinchikoPapa

    ちょっと惹かれる本ですね。見かけたら読んでみます。
    nice!をありがとうございました。>makimakiさん
    2013年11月22日 10:10
  • ChinchikoPapa

    天然記念物の「伊木力のコミカン」は、ぜひ一度味わってみたいですね。でも、特別天然記念物では口にするのは無理でしょうか。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
    2013年11月22日 10:17
  • sig

    こんにちは。
    浅川マキ、カルメン・マキの両方とも好きでした。このあたりだけわずかな接点がありますね。「少年少女世界の名作文学」の写真を観ると、全50巻は、読まれなくとも今でも大事にされているのではないでしょうか。
    2013年11月22日 11:46
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    『少年少女世界の名作文学』は、わたしが学生時代に独立するとき家に置いて出てしまい、その後、親によって処分されているようです。いま手もとにあったら、全巻読み直してるでしょうね。惜しいことをしました。
    カルメン・マキは、清水邦夫・田原総一郎監督によるロードムービー『あらかじめ失われた恋人たちよ』(1971年)で、ドアを開けると明るい光の中に彼女が座っている・・・というシーンが、強烈な印象となって残っています。そういえば、同作でデビューした桃井かおりも、ピアノを弾きながら浅川マキのような唄い方をしますね。
    2013年11月22日 13:42
  • ChinchikoPapa

    このドキュメンタリー映画は観てみたいですね。東日本大震災のとき、茫然として仕事をしないスタッフたちを前に、宮崎監督が「生産点を守れ!」と怒鳴りつけたのが印象的です。この言葉、実に何十年ぶりかで耳にするワードですね。nice!をありがとうございました。>楽っくん。(らっくん) さん
    2013年11月22日 14:50
  • ChinchikoPapa

    映りこみの料理は、身体が温まる麻婆豆腐でしょうか。
    nice!をありがとうございました。>SILENTさん
    2013年11月22日 23:55
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>げいなうさん
    2013年11月23日 10:21
  • ChinchikoPapa

    最近は甘口の日本酒が多くて、飲み心地も飲んだあともスッキリしないものが多いですね。「辛口」とラベルに書いてある酒が、昔の甘辛の「中間」ぐらいの風味でしょうか。口がまがるほど辛くて、シャキっとした日本酒を、飲んでみたいものです。nice!をありがとうございました。>fumikoさん
    2013年11月23日 12:48
  • うたぞー

    僕の小学生時代はキャンディーズとピンクレディーです。
    ちょっと山口百恵。そのまま松田聖子をはじめとするアイドル
    全盛時代に突入します。落ち着いた歌を聴くということが
    少なかったような気がします。
    2013年11月23日 17:35
  • ChinchikoPapa

    うたぞーさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    わたしの小学生時代は、お兄ちゃん・お姉ちゃんたちがみんな洋楽にシフトしていた時代ですので、わたし自身もあまり日本人の印象に残る歌を知らない・・・という傾向があります。なにしろ、ビートルズ全盛の時代と重なっていますから。そんな中で、深夜放送から流れていた曲は、次の70年代に流行るフォークの原型のような曲が多かったように思いますね。
    学生時代からほとんどJAZZ(たまにクラシック)しか聴かないようになってましたが、アイドル時代といわれる80年代の後半は、唯一、森高の不思議な曲にひっかかり、動きが気になっていました。
    2013年11月23日 18:19
  • ChinchikoPapa

    先月の「厚生労働」10月号が、「非正規雇用対策」が特集でしたね。「自分の働く環境をよくする権利を、誰もが持っていることを知ってほしい」と、ドラマで労働基準監督官役の竹内結子がイメージキャラクターでした。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
    2013年11月23日 21:16
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>opas10さん
    2013年11月24日 00:35
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>茶の間おやじさん
    2013年11月25日 00:03
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2013年11月25日 00:12
  • 古田 宙

    私もタヌキウォッチャなのでして、つい最近一勧信組の角を曲がった通りの先で3頭ファミリーを見掛けました。「探検隊」にレポしたら、今の時期には珍しいとのことでした。
    ことしよく出会わしたのは「大倉山坂」上あたりでした。
    2013年11月25日 09:30
  • ChinchikoPapa

    古田さん、コメントをありがとうございます。
    最近は、中落合や中井のほうでもタヌキがあちこちに出没しているようで、なんだか増加しているような印象があります。増えて1家族あたりのテリトリーが狭くなると、外へ外へと拡張していくのかもしれませんね。
    2013年11月25日 09:58
  • ChinchikoPapa

    少し前の記事にまで、nice!をありがとうございました。>sonicさん
    2013年11月27日 23:07
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2014年01月18日 15:50

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