今年の夏は、落合地域とその周辺域で語り継がれている怪談話Click!をあまり記事にできなかったので(「怪獣サイ」Click!ぐらいだろうか)、季節はずれではあるけれどいくつかご紹介してみたい。いずれも、西隣りの上高田村(町)に伝わった怪談なのだが、そこに登場する寺社や墓地は、落合地域ともいくぶん重なってくるので、書きとめる意味は高いと思う。
だいぶ前に、目白崖線に出る「狐火」Click!のことを書いたが、これも当の“現場”である下落合では、なかなか気づかれにくい現象だった。今回、ご紹介するのは狐狸妖怪譚ではなく、直接的な幽霊話Click!が主体だ。旧・下落合の西はずれ、目白学園のバッケ下に東光寺がある。ここには、昔から誰かが死に瀕すると、寺を訪れて葬式があることを知らせにくる・・・という幽霊譚Click!が伝わっている。1987年(昭和62)に中野区教育委員会より出版された、『中野の文化財No.11 口承文芸調査報告書/中野の昔話・伝説・世間話』から、当の東光寺さんの話を聞いてみよう。
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今もあるんでしょうけどね、世の中が煩雑になったから聞こえないのかもしれませんけど、昔はね、ほんとにね、それこそ、ご本堂の鉦(かね)がガーンと鳴ったこともあるし、それから、裏口の戸がガラガラガラーッと開いたけれど、行ってみれば開いてないんですよね。そうすると、わたしたち、うち(東光寺)ではね、「ああ、また仏さんかな」と、こう言う。そうすると、たいがい一日二日ぐらいの間にね。/昔はね、トタンをよく使ったんですよ、簡単に使えるから。うちなんかでは、納屋なんかにね。あれにぶっつく人が多かったですね。「だれだろう、あんなに大きな音させて」なんてね。何ていうんでしょうね、ただ、物がぶっついたっていう音じゃないんですよ。なんとなく、なにかこう、人がいじったっていうかねぇ。音が違うんですよ。なんとなく。/まあね、気がつかないこともあったでしょうし、「まあっ」ていうような知らせもあった。何か人が来たみたいに言葉かけてね、「ごめんください」とかなんか、声がして。声がしたけれども、だれもいないので、「いやだねぇ、また仏様かしら、気味が悪い仏様だ」なんて言ってね。(上高田 女 明治34年生)
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このような「死者(虫)の知らせ」Click!は、当時の新聞の三面記事でもあちこちで目にすることができる。かくいうわが家にも、祖父がかわいがってもらっていた叔母が、長患いのすえに病死したとき、風呂に入っていた祖父が何度も風呂場の窓ガラスをコツコツたたく音を聞いている。誰かのイタズラかと思い急いで窓を開けると、そこには誰もいないのだが、再び窓を閉めるとほどなく窓をコツコツたたく音が聞こえたという。昭和初期の出来事で、風の音を聞きまちがえたのではないかとも思うのだが、わたしにも何度か話して聞かせてくれたエピソードなので、少なからず不可解さを感じたのだろう。その出来事から数時間後、祖父は叔母死去の電報を受けとっている。
さて、病気で重体になったとき、とうに死んでいる幼なじみの友人から、「早くおいでよ」と呼ばれた経験譚も残っている。その話に付随して、夜、墓場の近くを歩いていると、墓場からガヤガヤと話し声が聞こえる怪談も収録されている。このような「墓場からの呼び声」、あるいは「墓場の話し声」は(城)下町Click!の寺々にも数多く残っていて、親たちから聞かされた幽霊譚のひとつだ。
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わたしはね、大病をしたんですよ。もう、だめになるかと思うぐらいだったらしいんです。そのときはね、十九かしら。/なにしろね、たいへん悪くなって、うちでは、もうお医者さんを呼んで、大騒ぎしているらしいんですよね。わたしは、こんこんと眠っていたらしいんです。/その眠ってるなかでね、そのお墓の中にね、早く亡くなったお友だちがいましてね、その人が、わたしを呼ぶのがよーく聞こえるの。おかしなもんですねえ。わたしのこと「まさちゃーん」って言うんです。わたしは、その人てっちゃんて言うんです。「てっちゃーん」ってね、呼んでるつもりなんです、自分は。「早くおいでよ、早くおいでよ」って。「いま行くよ、いま行くよ」って。「いま行くよ」って言うのは、そばの人にわかったそうです。どこぃ行くんだか、それこそ死んでしまうんだか、「いま行くよぉ」って、言ってるんですってね。もう、バンと跳べばね、すぐそこへ行かれるように見えてました。よーく見えて。/そこは、きれいでもない。当たり前のような気がしましたね。きれえだなあとも思いませんけれど。大勢こう、人がいる中に、友だちがちゃんとわかるの。てっちゃんが、よーくわかるんですよ。「早く来いよぉ、早く来いよぉ」って呼ぶんですよ。そいで、よーく聞こえてねえ。/「いま行くよぉ、いま行くよぉ」って、四度ぐらい言ったそうです。そいで、みんなして、からだ揺すったり何かして、先生も注射をしてするだけのことはしたんでしょう。そしたら、何かの拍子に、ふっとわたし気がついたんですね。それで、目をあいたんですって。意識が戻ったんですね。(上高田 女 明治34年生)
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この経験譚の場合、死者が呼んでいる場所がなんの変哲もない墓地であり、よくありがちな「お花畑」や「川の向こう岸」でないところに、独特な怖さとリアリティを感じる。晴れあがった空が拡がる花畑や、三途の川を連想させる情景が登場すると、それが事実として認知された光景ではなく、あらかじめ後天的に獲得され、仏教的なイメージとして脳内に刷りこまれた「天国」や「黄泉の国」の夢想ではないか?・・・という疑問を抱かせるからだ。
これだけ寺社が多い地域だと、当然ながら呪詛の伝説も残っている。もちろん、丑の刻参りのエピソードで、明治から大正にかけ付近の寺社や森には、五寸釘を打たれた氏名入りの藁人形があちこちで見られたらしい。明治生まれの女性ふたりが、対話形式で話しているのを記録したものだが、話中に出てくる「東福寺の山」とは、江古田氷川明神がある妙正寺川の段丘上のことだ。
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★お宮に、なんかお祈りするっていうの、聞いたことあります。やっぱし、そうに祈願すると、夜の時刻でなくっちゃいけないのね。丑の刻って、ね。その間に神様のところへ行くんだか、どこ行くんだか、その生きてる木でなくちゃいけないのよ。生きてる木に、その人の名前で書くんでしょうね。
★藁人形を釘で打ちつけるんだよ。五寸釘でな。よく東福寺の山で。背伸びして、こうやって、こう、たたくぐらい高くなったところに。
★昔はよくあった。東福寺の山ってね、あすこの山に、よくそういうのがあった。藁人形が。
(★…上高田 女 明治37年生/★…上高田 女 明治39年生)
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さすがに、わたしは下落合の寺社で呪いの藁人形を見たことはないけれど、最近、深夜の寺社に出かけるのがおっかない人は、ネットの「丑の刻参り」サイトで代用しているものだろうか。ネットの社(やしろ)参拝や、代理の墓参りが流行る出不精なこのごろ、Webで藁人形に五寸釘を打っている人がどこかにいないとも限らない。でも、そのほうがよっぽど怖いと感じてしまうのだが・・・。
お隣りの上高田村は、たたりと呪いと狐狸妖怪と幽霊譚の宝庫なのだが、すぐ東隣りの下落合村にはなにもなかった・・・などということはありえない。無数のフォークロアが眠っていたはずなのだが、新宿区教育委員会の学芸員に民俗学好き=「怪談好き」の方がいなかったのが残念だ。もし、江戸期から伝わったと思われる伝承を、当時のしゃべり言葉のままていねいに採取しつづけていれば、もっと物語ゆたかな落合地域の姿が、連綿と今日まで伝わっていただろう。
◆写真上:薬王院の旧墓地に眠る、江戸時代以前からの死者たち。
◆写真中上:上左は、上高田の「バッケが原」Click!に面した下落合のバッケ(崖)。上右は、中野区側にある森の木蔭。下は、中野地域を流れる落合つづきの妙正寺川。
◆写真中下:江古田氷川明神(左)と、近くに残る昭和初期のモダンな住宅(右)。
◆写真下:左は、1779年(安永8)に出版された鳥山石燕『画図百鬼夜行』の中の「丑時参(うしのこくまいり)」より。五寸釘を打つ女性の傍らに、牛のねそべっているのがおかしい。右は、1853年(嘉永6)ごろ描かれた芳国の浮世絵『大石眼龍斎吉弘』。
この記事へのコメント
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>いっぷくさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
suzuran6
私の場合は小学生の頃、寝ていた父親が朝の5時位に突然起きあがり、近所のおじさんの名前を呼びながら、玄関のカギを開けたんです。そのおじさんは「くも膜下出血」で、半年ほど意識が戻らないまま入院していたのですが・・・父親と毎晩の様にどちらかの家で、酒を飲んでいた仲良しでした。
「おかしいなぁ、絶対に玄関を叩いていたんだ。声もしていたのに・・・」
子供ながらに嫌な予感はしていたのですが。7時ころになって、電話があり、朝方にそのおじさんが亡くなったとの事が解り。家族で「おじさん本当にきていたんだね。」との話をしていましたが、怖いと言う感覚ではなく、本当にこう言う事があるんだぁ。と言う感覚でした。
ChinchikoPapa
親しい人が「幽霊」となって訪れた場合、まったく怖くはないのでしょうね。どこか、わざわざ挨拶しにきてくれたんだ・・・というような、ほのぼの系の怪談になりそうです。わたしは、なんとなく“場”の気配や、かつてそこにいた人たちの“想い”は感じるものの、そのような体験は皆無です。
もうひとつ祖父の経験で、戸をたたく音がするので開けてみたら、目の前の地上160cmほどのところで、だいだい色の火がボワッと大きく燃えてすぐに消えた・・・という体験談を聞きました。タヌキかキツネのしわざだろうと思っていたらしいのですが、少しして親戚の訃報がとどき、家族の間では「知らせにきたんだね」ということになったようです。
現代の解釈だと、戸を開けたとき何かがきっかけで、自然界のプラズマが瞬間的に発光したのだろうし、親戚の訃報は偶然だ・・・ということになるのでしょうが、「死生観」は思想や哲学の基盤のひとつとなる領域ですので、そのような現象をこじつけめいた自然科学で否定してしまうと、人間の思想や哲学や物語などが、どんどんやせ細っていくような気がして淋しいですね。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>makimakiさん
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>opas10さん
hanamura
丑時奉り・・・やっぱり、幽霊より生きている人の方が、怖いですね。
ChinchikoPapa
下落合の丘上には、キツネにまつわる怪談もいくつか残っているようですので、ご要望にお応えして再び「怪談話」をアップします。w
あと、このあたりでは病気を治す怪しげな修験者が、あちこちで“活躍”してたようですので、その怪しい実態も調べています。生きている人間のほうが、「怪(あやかし)」ですね。
ChinchikoPapa
Marigreen
ChinchikoPapa
わたしも現実主義者で、どちらかといえば唯物論にシフトしているほうだと思いますが、かなりロマンティックな側面がありますね。自然科学や社会科学で、世の中のことはすべて100%説明でき理解できる・・・などというような「科学教」の信者をみると、どこかすぐにも次々と矛盾を突きたくなるのは、唯心論的な部分があるというよりは、ある側面で説明不能な現象が現実に存在することを認めているから・・・としかいいようがありません。地球の外へ出なくても、地上には不可解な事象や論理的に説明のつかない現象が、まだまだ多々あると認識しています。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
sarusan
栗アイスもつぶつぶ感を味わいながらですね。
山栗、蒸してためします。
ChinchikoPapa
やっぱり、アイスクリームを手作りして、その中につぶつぶ栗きんとんをよく混ぜ、甘さを調節していったほうが、美味しいマロンアイスクリームができそうです。不精をして、既製のバニラアイスに栗きんとんを載せても、なんだか栗とアイスクリームが分離しているような味覚で、美味しくありませんでした。
sig
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>yamさん
ChinchikoPapa
いろいろな地方の伝承や民話も、やはりその地方の言葉で読んだり聞いたりするほうがリアルに感じますね。特に怪談のような、なによりも臨場感がたいせつな伝承ですと、その“場”の空気を伝えてくれるような地場の言葉で知りたいです。
tree2
大病であちらに行きかけた人の話、おっしゃるように墓の中から呼ぶ声がするというのがリアルですね。私の祖母は(40代の頃)、向こうに花園が見え、いこうとしたら呼び戻された(現実に名前をよばれていた)そうです。
この話で思いだしたのは、祖母が60代半ばで亡くなったときのことです。その数時間前、周囲の人が私に(小2でした)、祖母を呼べといったのです。私は祖母の耳元に口を寄せて、「おばあさーん」と二度呼びました。祖母は目をとじたまま、「あー」と答えました。危篤に陥った人を呼んで、呼び戻そうとする習慣があったのでしょうか。
ChinchikoPapa
危篤の病人の名前を、大声で呼んで黄泉の国の入り口から呼びもどす・・・という習わしは、全国あちこちにあるようです。特に、若い人が死にかかると、周囲に親兄弟や友人たちが集まり、大声で呼びもどすケースが多いようですね。なにか、この世でやり残したことを思い出させ、あちらの国へ行ってしまうのを躊躇わせる・・・というような意味がありそうです。
お祖母様は、きっとまだ亡くなっては惜しい方だったのではないでしょうか。天寿をまっとうできるほどの年齢に達した方の場合は、「静かに送り出してやりましょう」ということで、あまり呼びもどしは行われないことが多いようですね。
科学的に考えれば、耳のそばで大声を出されると、きっと脳が多少刺激を受けて活性化し、昔は意識不明の重態を脱した病人もいたんじゃないかと思います。意識がもどれば、経口で薬や食べ物を摂取できますね。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
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