あけまして、おめでとうございます。本年も「落合道人」サイトを、よろしくお願い申し上げます。
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子どものころ、明治座Click!での新派Click!の芝居(新国劇Click!の上演もあったかもしれない)で午睡Click!したあと、日が暮れていれば江戸期からのすき焼きを継承する、日本橋薬研堀の鴨すき「鳥安」Click!へ、昼間だったら大橋(両国橋Click!)をわたった東詰め、江戸期からつづく本所の“ももんじ屋”(肉料理屋)である「豊田屋」へ立ち寄っては、うまいもんを食べていた。
いきなり余談だけれど、安産の神様で全国から参詣者を集める有馬の水天宮Click!が、日本橋浜町の明治座前へ遷座しようとしている。明治期から蠣殻町にあったので、出かけるには地下鉄の人形町駅か水天宮前駅で下りていたから、そちらのほうが馴染み深いのだけれど、わたしの故郷(東日本橋の薬研堀)のすぐ南側に引っ越してくるのが、ちょっとうれしくもある。でも、半蔵門線の水天宮前駅はどうなってしまうのだろう。「元水天宮前」駅とでも改名するのかな? 江戸期の赤羽橋にあった、有馬屋敷以来のめずらしい遷座だ。
※その後、一時的な浜町遷座であることが判明した。
江戸すき焼きの鳥安は、当時は料理屋というよりは料亭の趣きがあって、夕方からしか営業していなかったが、ももんじ屋は昼間から営業していたので、まだ明るいうちに舞台が終わると食べに寄れたのだ。ももんじ屋の豊田屋さんは、1718年(享保3)の開店だから、そろそろ創業300年を迎える。徳川吉宗が将軍に就き、前年に大岡忠相Click!が南町奉行に任命された時代だ。開店した当初から、おそらく新しもん好きなわたしの先祖は食べに通っていたと思われる。
“ももんじ屋”とは、江戸時代を通じて存在した肉料理屋の一般名称で、特定の店に固有の屋号ではない。江戸も後期の朱引き墨引きが拡大した大江戸(おえど)時代になると、街中のあちこちには“ももんじ屋”が見世を開いていた。江戸期には、四つ足の獣肉は食べなかった・・・なんてウソ八百の付会が生まれたのは、いったいどういう根拠からだろう? 地方から江戸の藩邸へ詰めていた、自由に出歩けず(城)下町の様子をよく知らない乃手の武家ならともかく、下町に住んでいた町人や御家人・旗本なら、“ももんじ屋”は決してめずらしい存在ではなかったはずだ。
「薬食い」などといわれ、体調が悪く病気のときにやむをえず食っていた・・・なんて記述も、流行りの江戸ブーム本で見かけるけれど、これも地元(下町)の伝承や記録を知らない、まったくいい加減な記述だ。町人たちが足しげく通う、「下世話」な見世でうまいもんClick!を食べるのに、病気を治すための「薬食い」だなどと、上役に言いわけをしなければならなかった、どこかの藩士の伝承だろうか? もっとも、肉料理が身体を温めるのは事実で、夏場よりも冬のほうが客足は伸びたらしい。安藤広重Click!が描く、『名所江戸百景』Click!の第114景「びくにはし雪中」には、「十三里Click!」(焼き芋屋)の斜向かいに「山くじら」の看板を出した、いかにも厳寒期には流行りそうな“ももんじ屋”(屋号は不明)が見世を張っている。こちらは、京橋界隈にあったももんじ屋だ。
豊田屋さんにうかがったら、1960年代には昼も夜も開店していたのだが、1970年代後半から夜だけの営業になり、現在は夜だけでなくランチタイムには再び営業をはじめているそうだ。わたしが、豊田屋さんへ最後に食べに寄ったのは、1970年代の半ばぐらいだったろうか? だから、1979年(昭54)に木造2階建ての店をビルに建て替えてから初めて出かけたわけで、およそ35年ぶりぐらいになる。それだけ、薄給のわたしには、いまや高級料理となってしまった“ももんじ”は、敷居が高かったわけだ。日本橋側の江戸すき焼き「鳥安」さんへは、最近までずっと途切れず出かけているので、本所側の豊田屋さんにはずいぶんご無沙汰をしてしまった。
わたしが物心つくころ、昼下がりの豊田屋さんの2階からは大川(隅田川)が見え、川を上り下りするポンポン船の音が聞こえていたように思う。世界万国博覧会'40Click!のために造られた勝鬨橋Click!が、いまだ開閉していた時代だ。川端の柳が風にゆれ、広小路のクルマの音はそれほど気にならなかった。ところが、1964年(昭和39)の東京オリンピックで、周囲の風情は激変してしまう。関東大震災Click!の教訓から、防災インフラClick!として造られた大川端の火除け地や避難場所が、次々と高速道路に変わっていったのだ。おかげで、豊田屋さんは首都高の真下とはいわないまでも、とんでもなくクルマの騒音がうるさい店になってしまった。1979年(昭和54)に店舗をビルに建て替えるまで、店内には上を走るクルマの騒音がかなり響いていた。
さて、久しぶりの江戸“ももんじ屋”なのだが、メニューが少し変わっていた。わたしが食べて、子ども心にも「超マズイ!」と思ったタヌキ汁がなくなり、代わりにクマ汁が加わっていた。タヌキは、誰が食べても臭くて脂っぽくてうまくないと思うので、だいぶ以前にメニューから外されたのだそうだ。再び余談だけれど、昨年の秋口から、うちの裏庭でタヌキが2~3匹、ガサゴソとうるさい会議を開いている。「タヌキは、まずくて食えないんだな・・・」といったのが聞こえて、「ここなら安心だポン!」と縁の下に巣穴か、トイレでもこしらえていなければいいのだけれど・・・。
豊田屋さんで、昔どおりのシシ鍋コースを注文したところ、シカの刺身とから揚げ、それにクマ汁がついていた。わたしは淡白な赤身のニホンジカ肉と、対照的にこってりしたツキノワグマ肉の両方が大好きなので、さっそくワインもいっしょに注文する。クマ鍋も出しているそうだが、やはりシシ鍋のほうが数段うまい。クマ肉は、北陸の寿司屋がよくそうしているように、殺虫のためにルイペにして、刺身で赤みがさしたところを食べるのがいちばんうまいと思う。
江戸のシシ鍋は、いわゆる「ぼたん鍋」のことではない。いま風にいうなら、すき焼きにもっとも近い料理のしかただ。あらかじめ、すき焼き風の鍋に醤油と甘味噌ベースの汁をうっすらと張るので、「シシすき」ではなく「シシ鍋」と表現される。ここでも、江戸期からの料理である“すき焼き”に関連して、明治期から普及した「牛すき焼き」と「牛鍋」との取りちがえによる混乱=料理名の珍現象は、さすがに江戸期からの老舗なので見られない。
この街では、すき焼き鍋(鉄板)で肉を焼いてから食う(なぜか今日では「関西風」などと呼ばれてしまっている)のが、江戸からのすき焼き料理であり、あらかじめ少しでも汁を張れば「XX鍋」と呼ばれてきている。明治期に、東京じゅうで流行った牛鍋を称して、「東京のすき焼きは汁を先に張る」・・・などというトンチンカンな“解説”は、ももんじ屋の「薬食い」とまったく同様、少なくともこの街(城下町)のことを知っている人間の口から出た言葉ではないだろう。ついでに、「日本橋や銀座は下町じゃないですよ」にいたっては、もはやおきゃがれClick!もんで、なにをかいわんやだ。(城)下町Click!・銀座の岸田劉生Click!が聞いたら、即座に「バッカ野郎!」とぶん殴られるだろう。w
豊田屋さんのシシ鍋は、昔と変わらず絶品だった。わたしは、「ぼたん鍋」風のシシ鍋は食べたくないけれど、江戸“ももんじ屋”ならではのシシ鍋だったら、佐伯祐三の下落合「すき焼き大会」Click!ではないけれど、冬なら毎週でも食べたい。(毎日はさすがに無理だ) わたしの記憶では、子ども時代のシシ鍋には、すき焼きとまったく同じ具が入ったように思う。すなわち、焼き豆腐に椎茸(ないしは榎茸)、長ネギ、春菊、しらたきだ。でも、当代の豊田屋さんではキノコが入らず、春菊の代わりに芹が入っていた。なるほど、春菊よりも芹のほうがシシ肉の味を引き立たせている。
◆写真上:すき焼きに似た昔ながらの鍋を用いる、ももんじ屋「豊田屋」の江戸東京風シシ鍋。
◆写真中上:左は、1979年(昭和54)にビルへ建て替えた豊田屋の見世先。右は、しばらく寝かせて食べごろになった野生のシシ肉。養殖ではなく三重、滋賀、兵庫などで獲られた野生イノシシしか仕入れておらず、養殖ものやブタ肉とは異なり脂身がしつこくなくあっさりとしている。
◆写真中下:上は、シカ肉の刺身(左)とから揚げ(右)。下左は、大橋(両国橋)の東詰め(本所側)。下右は、安政年間に描かれた安藤広重の『名所江戸百景』のうち114景色「びくにはし雪中」。ももんじ屋(肉料理店)は別にめずらしい見世ではなく、大江戸のあちこちに開店していた。
◆写真下:左は、鼈甲色になるまで煮こんだいちばんうまくて食べごろのシシ肉。右は、本所側から大川をはさんで日本橋側の薬研堀(東日本橋)あたりを眺めた夜景。ひときわ強いライトは日本橋中学校(旧・千代田小学校)の校庭で、その右手に見えるビルが旧・ミツワ石鹸Click!のあったカゴメビル。その右下には、震災復興計画で設置された元祖・すずらん通りClick!が見えている。
この記事へのコメント
kiyo
旧年中はたいへんお世話になりました。
今年もよろしくお願いします。
opas10
NO14Ruggerman
今年も下落合を中心とした話題を
楽しみにしております。
ChinchikoPapa
昨年は、長崎の風景をたっぷり楽しませてもらいました。
本年も、よろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
tree2
今年もよろしくお願いいたします。
シシ鍋、旅先でご馳走になったことがありますが、味噌味の汁が多すぎたせいか、ぴんときませんでした。
それよりも、シシ肉のかたまりを入手して、塩麹で漬けて食べたい。
ChinchikoPapa
近々、小金井地域も含めて武蔵野の昔の写真が出てきましたので、記事を書きたいと思っています。本年も、よろしくお願いいたします。>kurakichiさん
ChinchikoPapa
こちらこそ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
早々に、コメントとnice!をありがとうございました。。
ChinchikoPapa
早々に、nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
ChinchikoPapa
豊田屋さんの「シシ鍋」は、昔から受け継がれた江戸東京ならではの食べ方です。これに明治期から牛肉を入れたものが、「牛鍋」と呼ばれた料理ですね。
早々にnice!をありがとうございました。。こちらこそ、本年もよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
お正月は、次回が下落合関連の記事ですが、そのあとはしばらく落合地域から離れます。でも、第3週にはまた落合記事を書く予定です。w
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
わたしも、味噌汁のような「ぼたん鍋」はピンと来なかったです。塩麹シシ肉のあぶり焼きも美味しそうですね。
こちらこそ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
SORI
本年もよろしくお願いいたします。
うたぞー
おいしそうな写真ですね。
今年もためになる記事、楽しみにしております。
アヨアン・イゴカー
山鯨というと、新宿の青梅街道沿いに栃木屋という店があったのですが、気が付いた時にはなくなっているように思います。小田急線の車内広告に「取ってきて食はせるやまくじら」と書いてありました。どうなったのかご存知でしょうか?
ChinchikoPapa
早々にnice!をありがとうございました。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
お父様はまだまだお元気そうで、10年どころか20年は大丈夫でしょう。w
nice!をありがとうございました。こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
「夜回り君」はけっこうリアルな構想で、某セキュリティ会社とITベンダーとが共同開発している・・・というウワサを聞いたことがあります。夜間の「火の用心」も、ロボットになる時代がそれほど遠くないかもしれませんね。nice!をありがとうございました。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
今年は、遷座後の水天宮へお参りしてみたいですね。
早々に、nice!をありがとうございました。
fumiko
今年もよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
「東洋佐々木ガラス」、あこがれのワイングラスですね。w
早々にnice!をありがとうございました。こちらこそ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
SILENT
箱根駅伝ヘリの音を聞きながら
新年二日目の昼過ぎのひと時過ごしています。
ChinchikoPapa
あけまして、おめでとうございます。本年も、よろしくお願いいたします。
nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
ChinchikoPapa
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。美しい、大磯海岸の初日の出ですね。小学5年生から中学2年生までの4年間、1月1日の午前3時30分に家を出て、高麗山から湘南平へ登って初日の出を眺めていました。電車やバスは動いてないので、家から徒歩で山頂まで歩いてました。
ChinchikoPapa
今年こそは、ご健勝でおすごしください。早々にnice!をありがとうございました。。本年も、よろしくお願いいたします。
ぼんぼちぼちぼち
今年もブログ楽しみやしょうでやすっ(◎o◎)
Marigreen
しし肉は親が依頼主にもらったのをよく回してくれたので、食べましたが、食べ方がわからないので、勝手にステーキみたいにして食べてました。
このブログ、昨年の一ヶ月くらいご無沙汰していたので、また溜まった分を読むのが楽しみです。今年もよろしく。
かあちゃん
本年もよろしくお願いいたしまーす!!
ことしこそは、日本でおいしいものをたくさん食べるのが目標です!
ChinchikoPapa
いつも仕事と下落合を飛びまわっているので、雑煮を食べてはゴロゴロしていると、みるまに体重が増えそうです。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
わたしも、飲みすぎるとアタマの中がガンガンドキドキ鳴り、生命をちぢめていそうですね。nice!をありがとうございました。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。。
ChinchikoPapa
そんなこと言ったら、「じゃあ、なにかい? 日本橋や銀座は千代田城の(城)下町じゃねえってのかい?」と、両地域に住みつづけている昔からの人たちは、きっと気色ばむでしょうね。w
シシ肉をステーキのようにして食べるのも、料理の仕方によってはうまいと思います。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
ロサンゼルスでコメントを書き込まれた時間が、きょうも午前1時近くですね。^^; 寝不足にご注意ください。
日本では、うまいもんと美味しいコーヒーもどうぞ。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
西武線と初日の出の写真を見せていただき、そしてnice!もありがとうございました。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
suzuran6
このお店、以前仕事で森下へ通っている頃、いつも気になっていました。
しかし、亥年の私、ぶら下がっている猪がかわいそうで…
しかしこのお店興味があります。
試みてみたいお店ではあります。
今年もよろしくお願いいたします。
yutakami
さすが東男のChinchikoPapaさんですね。私などは浅草ちんや、駒形どぜう、うまぎの野田岩、あたりまでは何とか思いつきますが、ももんじやは出てきません・・・。
今年も知的なBlogで、どうぞよろしく数々のご教示をくださいますようお願いいたします。
ChinchikoPapa
わたしが子どものころ、寒い時期に出かけると軒下にぶらさがっていたイノシシは、肉を熟成させるためのホンモノの死骸でしたが、いまぶら下がっているのは中身のない剥製です。w
子どものころはイノシシだけでなく、ほかの動物も下がっていたような憶えがありますけれど、ハッキリとした記憶ではありません。当代のお祖父さん、つまり2代前の仕事ですから、いまとはまたちがった仕組みで仕事をしていたんでしょうね。
ChinchikoPapa
早々に、nice!をありがとうございました。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
ちんやや駒形どぜうは、明治以降も変わらずに人気を集めた店ですが、江戸のももんじ屋は牛肉が食べられるようになり、しかも牛肉料理が大ブームになったころから、「牛鍋屋」や「牛すき焼き屋」へ商売替えをしていった店も多かったようです。「豊田屋」さんのように、ブームに乗らずに辛抱してつづけた店は、ほんとうにめずらしいですね。
近々、駒形どぜうについて、佐多稲子がらみで書きたいと思っています。
ChinchikoPapa
まさに、ponpocoponさんのおっしゃるとおり、「すき」に汁を張って「鍋」にすることなどできない・・・とふつうに考えれば、江戸東京の「すき焼き」と「牛鍋」のおかしな混同は、すぐにも気づくことですよね。w
早々にnice!をありがとうございました。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
早々にnice!をありがとうございました。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。>たいせいさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>namieさん