電話のあいさつ言葉である「もしもし」が、武家が使用していた(城)下町Click!の旧・山手弁Click!の「申す申す」から転訛したものだ・・・という通説が、ずいぶん以前からもっともらしく語られてきた。これもまた、明治以降にどこかでつくられた付会ではないかと思う。そもそも、日本語で母音が大きく変化する、すなわち「申す」の「す(u)」の母音が「し(i)」に変わるというのは稀だという課題もあったりする。東京弁では、「おかえ(e)り」(山手言葉)と「おかい(i)り」(下町言葉)が混在するように「e」が「i」に変化する、あるいはその逆のケースは多いのだが・・・。
いきなりの余談で恐縮なのだが、原日本語(アイヌ語に継承)では「u」から「o」「a」への転訛、あるいはその逆が見られる。「ウ・ス」(usu)、「オ・ソ」(oso)、「ア・ソ・(マ)」(aso-ma)は、いずれも活火山あるいは噴火を意味する原日本語(古・現アイヌ語)だけれど、母音の推移はその時代で語られる言葉によって、非常に特徴的な変化を見せている。
さて、「申しあげる」「申しわけない」という言葉は、別に武家のみが使用した言葉ではなく、同様に(城)下町の町人たち(特に神田や日本橋などの商人たち)も、ふつうに使用していた表現だ。「もしもし」という呼びかけの言葉は、江戸期からつづく(城)下町言葉(一部は山手言葉)には存在しており、特に旧・山手言葉(武家言葉)に特化した言い方ではない。
また、路上などで誰か知らない人に呼びかけるとき、江戸期の下町言葉では「もしもし」だが山手言葉ではもう少し武骨な「おいおい」が主流だったろう。電話が普及しはじめたのは山手の官吏が多く働く官公庁が早いのだろうが、1890年(明治23)に東京-横浜間で電話が初めて開通すると、しばらくして爆発的に普及していったのはビジネスの現場、すなわち東京市街地(下町)の商業・製造・金融街だった。そこでは当然、電話の向こうではどこの誰が電話口に出るかわからない状況(当時は交換台が仲介システムとして存在していた)なので、「こんにちは」でも「やあ」でも「よう」でもなく、不特定の相手へ呼びかける「もしもし」になったと思われるのだ。
2012年(平成24)の『日本橋』11月号に、1875年(明治8)11月5日に発行された読売新聞からの引用がある。「明治の日本橋区/今月の事件簿」という、路上観察学者の林丈二が書いた記事だ。当時の読売新聞に設けられている、読者の声欄に寄せられた投書から引いたものだ。
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モシモシ、子供ある親御たち、私はまことに見るごとに、冷やつこい汗が出ますから、どうぞ止めさせて下さいな。ほかでもない、子供衆が独楽当てをして遊ぶのは、まるで戦場(いくさば)のように東西に別れて双方から我劣らじと、鉄輪の独楽を打ち合いまするが、もし足にでも当たつてご覧なさい。じきにケガをするし、悪くすると生まれもつかぬ身体になつて、おまけに人に笑われますから、よくよく諭して止めさせて下さい。実に剣呑(けんのん)だ。
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ここでの「モシモシ」は、読売新聞を読んでいる自分と同じ不特定多数の読者(子どもをもつ親)へ向けた、呼びかけ調子として用いられている。この「モシモシ」の町言葉の用法が、のちに電話口での呼びかけ用語として広く一般化していった様子がうかがわれる。著者の林丈二も、「また電話のない時代に、『モシモシ』と始めているのが面白い。こういう習慣がそのまま電話での話しかけに移行したことがわかる」と書き添えている。
交換台があった時代、「もしもし、落合長崎局の〇〇〇〇番お願いします」という電話のかけ方だったのが、自動電話交換機(PBX)になって相手へじかにかけられるようになり、電話口へ誰が出るかわからない状況になると、「もしもし、こちら〇〇〇だけど、どなた?(どちらさま?)」あるいは「もしもし、〇〇〇さんのお宅ですか?」という呼びかけに変わっていく。
でも、携帯やスマホが普及し、デジタルPBXやVoIPサーバによる音声ネットワーク時代になると、あらかじめ電話口に出る相手がピンポイントで特定される、あるいは能動的に規定できるから、つながった当初に「もしもし」などという呼びかけの言葉は基本的に不要になっていく。固定IPアドレスがふられた端末同士なら、当人以外の誰かが出る可能性などほとんどゼロに近いので、ますます改まった呼びかけは不要だろう。「もしもし」は、むしろちゃんと相手に自分の声が聞こえているかどうか、話中の確認言葉へと移行しつつある。
最近、携帯端末の電話に出ると、誰からの電話であるかは自明なので「もしもし」からはじまらず、いきなり用件からスタートするケースが急増している。一時期、「もっしー」Click!というちぢめた簡略形の呼びかけ言葉が流行ったけれど、いまではそれさえも省略されがちだ。電話口の「もしもし」用法は、単に相手への呼びかけ言葉という意味合いを超えて、どこか「こんにちは」とか「元気?」とか、挨拶の意味合いをも包含する言葉だったようにも思う。
先日、飯田橋で人待ちをしていたら、呂律が少し不自由なお年寄りから声をかけられた。「もしもし、九段下へ行きたいんですが・・・」と聞こえたので、東西線の地下鉄階段までご案内をしたのだが、もう少し若い世代だったら「もしもし」ではなく、「すみません」(山手言葉)あるいは「すいません」(下町言葉)と呼びかけられるところだろう。知らない他者へ呼びかける、おもに(城)下町でつかわれていた「もしもし」は、電話口ばかりでなく日常会話からも消えていきつつあるようだ。
◆写真上:大正期から大量に普及しだした、壁掛け用の電話機。
◆写真中上:左は、日本橋の北詰め。右は、日本橋から千代田城をはさんで眺めた新宿方面。
◆写真中下:左は、昭和30年代の黒電話。右は、現在もかろうじて現役の昭和公衆電話。
◆写真下:記事とはなんの関係もない、日本橋・千疋屋(左)と新宿・タカノ(右)のマロンパフェClick!。これはハナからまったく勝負にならず、千疋屋のマロンパフェは次元が異なる圧倒的な美味しさで、タカノの「オシャレ」なパフェがこざかしくまた物足りなく感じた。
この記事へのコメント
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
SILENT
思い出しました。あのお巡りさんは相当な落としでしょうね。
「頼もう」と門前から呼びかける言葉が私は好きなのですが。
ChinchikoPapa
ひょっとすると、そのときに警官に扮して唄った曾根史郎は、すでに「もしもし」は電話以外であまりつかわなかったかもしれないですね。w 作詞者の方の世代では、きっとまだ活きていた言葉なのでしょうか。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>sonicさん
yutakami
ChinchikoPapa
いつもの駄文を書いてるにすぎませんので、どうぞ読み飛ばしてください。(汗)
書かれているコンコースの意匠ですが、1レストランの店内デザインにしておくには、あまりにももったいなさすぎますね。もっと、ちがうスペースに活かせなかったものでしょうか。
YUKO
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
公衆電話は、駅などのターミナルに残っているのは見かけますが、住宅街に残っているのはめずらしくなりました。
藤色の半襟と手絡のおそろい、きれいですね。w
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>にゃんこっこさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
Marigreen
ChinchikoPapa
かかってくる電話で、「もしもし」という人は確実に減少しています。わたしも、いきなり名前や要件の端緒から話しはじめることが多くなりました。かえって、顔を合わせたときのように「こんにちは」とか「よう」なんて挨拶をしたりします。いわゆる「TV電話」のアプリが普及すれば、「もしもし」はもっとつかわれないでしょうね。
ChinchikoPapa
銀鏡反応
アヨアン・イゴカー
tree2
伯母の家にいくと、奇妙なオッパイのある木箱の電話器がありました(真鍮製のベル?)。箱の前面にそれがついていたのしら。
受話器は細長いラッパ状。黒のエボナイト(?)。
通話先は、「七番」とか、口頭で伝えていたのではなかったかしら。
ダイヤルはあったのかどうか。
よく見ておけばよかったなあ。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
「ハロー」は、たぶんずっと残るでしょうね。日本の「もしもし」は、そのうち「♪カメよ~カメさんよ~」の「もしもし」ってどーゆー意味?・・・という子が出てくるかもしれません。w
ChinchikoPapa
そういえば、学生時代に公衆電話がなかなか見つからず、見つかっても誰かが使用中だったりして、とてももどかしい思いをしたことがあります。ああいうじれったさというか、ときにロマンチックな想いも乗せた焦燥感というのは、これからの子たちは味わえないんでしょうね。w
相手を確実に、ピンポイントで捉えることができる時代というのは、便利なようでいて物語の消滅や、人の豊かな想像力の消滅に拍車をかけそうです。
ChinchikoPapa
わたしも、この記事冒頭の上部にオッパイベル^^;が付いている仕様ではなく、前面にオッパイベルが付いた壁掛け電話をどこかで見たことがあります。いまの調節のきく呼び出し音に馴れてしまった現在、きっとこのベルの音を聞くと飛び上がるほどのすごい音に聞えるのではないでしょうか。黒電話の呼び出し音も、いまから思えばすごいベル音がしていました。
交換台を通じての電話は、経験がないのでわからないのですが、きっとその昔、旅先の古い旅館で経験した内線電話のように、帳場へ外線電話の取り次ぎを頼んで電話を切ると、しばらくしてから呼び出し音が鳴って「外線へお繋ぎします」という声とともに、目的の相手と話すことができて、電話を切ると「12分ですのでOOO円です」というような報告が入る形式だったのでしょうか。
でも、すぐに内線・外線も小型PBXの普及で自動化されてしまいましたね。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
sig
ChinchikoPapa
1980年前半ぐらいに、デンマークのデザイン会社が開発したプッシュ式の電話機は保存しているのですが、それ以前の黒やベージュのダイヤル式電話機は棄ててしまいました。いまとなっては惜しいですね。