松下春雄の大工仕事と鬼頭鍋三郎の「牛」。

松下春雄「雪の日」1925.JPG
 大正から昭和にかけて、画家たちはアルバイトとして本の装丁や挿画、新聞や雑誌の風刺画などの制作を手がけている。すでに名前の知られた画家でさえ、コンスタントに作品が売れつづける保証はどこにもないので、制作の合間にさまざまなアルバイトをしていた。関東大震災Click!の際、今和次郎Click!のもとでバラック建築の装飾を手がけたのも洋画家なら、昭和初期にビアホールや喫茶店などの壁画Click!をまかされていたのも彼らだった。
 落合地域では、村山知義Click!による村山籌子Click!の童話作品に描いた挿画がすぐにも思い浮かぶが、佐伯祐三Click!も本の装丁を手がけ、岸田劉生Click!でさえ新聞の風刺漫画Click!のアルバイトをときどきこなしていた。そして、帝展に入選や特選を繰り返していた松下春雄Click!も、少しでも生活を安定させるためなのだろう、挿画の仕事を引きうけている。
 昭和の初期、出版業界では子供向けの読み物が人気を集めたのか、各社とも小学生向けの本を次々と出版している。いわゆる「少年少女世界の◎◎◎」というようなシリーズ、あるいは全集ものの企画だった。文藝春秋社も、昭和に入ると石川寅吉を編集長に『小学生全集』全80巻・別巻8冊という、子供向けの大規模な物語全集を企画・出版している。1929年(昭和4)には、その第35巻「外国歴史物語」が発行されているが、その挿画の一部を担当したのが松下春雄だった。アジア・ヨーロッパ・アメリカの歴史、いわゆる“世界史”を扱った同書では、トラファルガーの海戦とネルソン提督の戦死を描いた章の挿画を担当している。艦上で重傷を負ったネルソンを描いた挿画には、タブローとは異なる「HARUO」のサインが入れられている。
 第35巻「外国歴史物語」をたまたま入手できたので、この挿画作品をお見せしに山本和男・山本彩子ご夫妻Click!を再び訪ねたとき、とても面白いお話をうかがった。松下春雄は、大工や工作の仕事が大好きだったのだ。松下春雄は父親を早くに亡くしており、建具商を営んでいた兄の家で育てられている。だから、大工道具や工作用具がかなり身近な存在だったのだろう。邸内のちょっとした家具調度は、彼によって造られたものが数多く置いてあったそうだ。
小学生全集35「外国歴史物語」1929.jpg 挿画家クレジット.jpg

ネルソンの戦死.jpg
 この80年間で、そのほとんどが失われてしまったが、山本家ではいまだに2つの家具がそのまま現役で使われている。ひとつは、当初はサイドテーブルとして制作されたのだろう、花瓶や固定電話を置いておくのにちょうどいい、セピア色に塗られた小テーブル。現在は、彫刻台として用いられている。もうひとつは、庭での作業用として使われている小さな腰かけイスで、あずき色のペンキで塗られた作品だ。松下一家はガーデニングが好きだったようなので、当初から庭用の作業イスとして制作されたものかもしれない。
 いずれも、たっぷりとした厚みの板を用いており、サイドテーブルの脚などにほどこされたデザインや彫刻は、プロはだしの腕前を見せているのに驚く。おそらく、少年時代に兄の建具店で、さまざまな道具や工具をいじりながら育ったのだろう。画家の余技とはとても思えない、かなり高レベルな仕上がりだ。ちなみに、松下春雄はカンナClick!を手にしても、佐伯祐三のように「切れるがな~、気持ちええがな~」と、アトリエの柱を手当たりしだいに削ってしまう・・・というような妙な性癖Click!はなく、きわめてノーマルかつ真面目に大工仕事をしていたようだ。w
 1929年(昭和4)の春から、柳瀬正夢Click!が松下邸を借りることになるのだが、当時の柳瀬アトリエの写真にとらえられた、アトリエの作りつけらしい本棚なども、ひょっとすると松下春雄が仕事の合間にこしらえた“作品”なのかもしれない。
サイドテーブル.jpg 腰かけ.jpg
松下春雄邸1932.jpg 松下一家193304.jpg
 もうひとつ、ビックリすることがあった。1932年(昭和7)に、西落合1丁目293番地に自宅を建設した、「サンサシオン」Click!の盟友である鬼頭鍋三郎Click!は、建て増しでアトリエができる間のことだろうか、徒歩1分弱のところにあった西落合1丁目306番地の松下春雄アトリエを、ときどき借りにやってきていた。松下一家と鬼頭鍋三郎がいっしょに写る楽しげな情景も、アルバムに何枚か残されているのだが、アトリエ内で仕事をする鬼頭の様子をとらえた貴重なショットもある。鬼頭が松下アトリエで描いていたのは、近くの東京牧場Click!で写生してきたものだろうか、「牛」の絵だった。なんと、そのデッサンの1枚が山本家に保存されていたのだ。
 630×480mmの木炭デッサン用紙に描かれた「牛」は、横向きの全身像だった。ちょうど、松下アトリエで撮影された鬼頭鍋三郎の背後にあるイーゼルに載った、「牛」全身像のバリエーション作の1枚だろう。デッサン用紙は、現在でも販売されているキャンソン&モンゴルフィエ社のもので、用紙下部には「Canson & Montgolfier France」の透かしが入っている。ちなみに、世界で初めて熱気球による飛行に成功したモンゴルフィエ兄弟は、16世紀に創業した同社の係累にあたる。鬼頭鍋三郎のデッサン画『牛』は、アルバムの添付位置や当時の状況から、1932年(昭和7)ごろに描かれたものだろう。同作はいま、わたしがお預かりしている。
 デッサン画『牛』が松下アトリエに残されたのは、鬼頭鍋三郎が忘れていったのではないとすれば、アトリエを頻繁に借りた松下春雄へのお礼、あるいは記念という意味合いがこめられているのだろう。鬼頭の手もとにも、松下春雄のデッサンが何枚か残されていたのかもしれない。
鬼頭鍋三郎「牛」1932.jpg
松下アトリエの鬼頭鍋三郎1.jpg 松下アトリエの鬼頭鍋三郎2.jpg
 鬼頭鍋三郎Click!は、戦前戦後を通じて女性像を描くことが多かったが、どこかに牛を描いたタブローが存在している可能性がある。「牛」ないしは「牧場」というタイトルなのかもしれないが、その画面には西落合の彼のアトリエからほど近い、当時の長崎地域に点在していた安達牧場Click!や、籾山牧場Click!などの情景が描かれているのかもしれない。鬼頭作品の中に、従来はヨーロッパか北海道あたりの風景を描いたと思われている、牧場ののどかな風景作品はないだろうか?

◆写真上:山本邸に保存されている、1925年(大正14)制作の松下春雄『雪の日』。下落合1445番地に住んでいたころの作品で、西坂近くの丘上から南を向いて描いているように感じる。
◆写真中上上左は、1929年(昭和4)に文藝春秋社から出版された『小学生全集』第35巻「外国歴史物語」の表紙。上右は、挿画家たちのクレジット。は、松下春雄「ネルソンの戦死」。
◆写真中下は、松下春雄が工作したサイドテーブル()と腰かけ()。下左は、1932年(昭和7)の竣工直後に撮影された松下邸。下右は、長男・泰様が生まれた直後の1933年(昭和8)4月に撮影されたとみられる家族写真。前列が彩子様(右)と苓子様(左)、後列が淑子夫人(右)と胸に抱かれる泰様、左端が松下春雄で産院から退院した際の記念写真と思われる。
◆写真下は、1932年(昭和7)ごろに制作された鬼頭鍋三郎のデッサン画『牛』。は、同年ごろに松下春雄アトリエで「牛」のデッサン画を連作する鬼頭鍋三郎。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    古代から山陰地方は、朝鮮半島や中国大陸との貿易や文化交流の「表玄関」だったはずで、後世になってからの「裏日本」とか「山陰」とかの名称は不本意でしょうね。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
    2012年09月08日 17:19
  • ChinchikoPapa

    昔はよく金魚を飼いましたが、ネコがいるとダメですね。ザリガニだと、ネコと対等に渡りあえるかもしれません。w nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2012年09月08日 17:22
  • ChinchikoPapa

    日本橋の北詰め左手に見えるのが、せいいっぱいがんばってモダンに普請した、駿河町の三井越後屋(三越)でしょうか。w nice!をありがとうございました。>kiyoさん
    2012年09月08日 17:28
  • ChinchikoPapa

    上杉家が会津から米沢へ移封されるとき、3分の1以下の石高だったため、家臣団のリストラクションはたいへんだったようですね。nice!をありがとうございました。>ねじまき鳥さん
    2012年09月08日 17:35
  • ChinchikoPapa

    石屋製菓の生産ラインは、ちょっと面白そうですね。「面白い恋人」の訴訟は、どうなったのでしょう。nice!をありがとうございました。>da-kuraさん
    2012年09月08日 17:38
  • ChinchikoPapa

    近々、仕事で京都へ行くことになりそうですが、早く涼しくなってくれることを祈るばかりです。nice!をありがとうございました。>opas10さん
    2012年09月08日 17:40
  • ChinchikoPapa

    そういえば、石炭の匂いをしばらく嗅いでいませんね。
    nice!をありがとうございました。>suzuran6さん
    2012年09月08日 17:44
  • ChinchikoPapa

    イカの刺身は、まだ動いていそうなほど新鮮ですね。
    nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
    2012年09月08日 21:40
  • ChinchikoPapa

    LaQというブロックがあるんですね。うちの子どもが小さいころは、リブロックという製品でよく遊ばせてました。nice!をありがとうございました。>optimistさん
    2012年09月08日 21:59
  • ChinchikoPapa

    タコ焼きのサイズにも、きっと味わいとともに凝ってる方がいるのでしょうね。nice!をありがとうございました。>nikiさん
    2012年09月08日 22:07
  • ChinchikoPapa

    新宿駅東口の、赤い腰巻きの男が気になりますね。w
    nice!をありがとうございました。>tree2さん
    2012年09月09日 13:42
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>U3さん
    2012年09月09日 13:42
  • ChinchikoPapa

    製糸工場の天井の造りは、明治期に建てられた厩舎とそっくりな構造です。きっと、屋根下に大きな空間が必要な建物を建てるときの、当時は一般的な工法だったんでしょうね。nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
    2012年09月09日 13:46
  • ChinchikoPapa

    美しい河川敷ですね。これからは、虫の音の大合唱が聞けそうです。
    nice!をありがとうございました。>江藤漢斉さん
    2012年09月09日 13:48
  • ChinchikoPapa

    『つぶれかかった右眼のために』は、ずいぶん前に観たことがありました。確か『圧殺の森』(小川伸介/1967年)などと同時に、どこかで企画上映されたのを学生時代に観たものでしょうか。ゴーゴーのお姉ちゃんたちと着替えをする胸の小さいお姉さんとか、ベトナム戦争の枯葉剤で生まれた奇形児とか、警官隊と衝突する学生のヘルメットに「Z」と書かれているので、「ああ、このころは革マル派も街頭にいたのか」・・・とか、いろいろなことを思った記憶があります。nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
    2012年09月09日 14:57
  • ChinchikoPapa

    樹をゆすると落ちてくるセミは、残念ながら経験ありません。ただ、アブラゼミとミンミンゼミの中にはのろまな奴もいて、手づかみで捕まえられますね。今年も、さっそく捕まえてはリリースしてますが・・・。w nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2012年09月09日 15:04
  • ChinchikoPapa

    東京の河口域のセシウム濃度に驚きますが、放射線の被害はまだはじまったばかりですね。この先、何十年間つづくものなのか・・・。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
    2012年09月09日 18:23
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>銀鏡反応さん
    2012年09月09日 20:34
  • ChinchikoPapa

    相模湾を横断するディンギーレースは、まだやってるんでしょうか。三浦半島の小網代湾が、スタート地点だったと思います。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
    2012年09月10日 20:52
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>sigさん
    2012年09月11日 17:21
  • Marigreen

    そうそうたる大家があちこちで挿絵を描いていたのですね。子供のころ読んだ「少年、少女文学全集」等の挿絵は誰が描いていたのか、調べたくなりました。でも、手元にないのがほとんどなのが残念です。
    2012年09月12日 15:59
  • ChinchikoPapa

    ふるい神社の拝殿に、女性の黒髪の束が奉納されてたりするのを見ると気味が悪く感じるのは、どこかに疾しいところがあるからでしょうか。w nice!をありがとうございました。>YUKOさん
    2012年09月12日 16:10
  • ChinchikoPapa

    Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
    今日のように、イラストレーターや挿画家というような独立した職種がなかった当時は、たいてい画家たちがアルバイト感覚でこなしていた仕事のようですね。ちょうど、文学者が広告文案(コピーライティング)を引きうけていたのと、同じような感覚だったのでしょう。同様に、画家と図案家(グラフィックデザイナー)とも未分化の時代でした。
    2012年09月12日 16:15
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>sonicさん
    2012年09月20日 12:30
  • ナカムラ

    ごぶさたしております。新たな物語を綴っていただいているようで、安心しました。宜しくお願いします。
    2012年10月25日 09:41
  • ChinchikoPapa

    ナカムラさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    こちらこそ、ご無沙汰しています。先に、新宿歴博の学芸員の方をご紹介できましたので、松下春雄とサンサシオン関連の写真展あるいは作品展ができるかもしれません。その節は、ありがとうございました。
    2012年10月25日 10:46

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