根っからの(城)下町Click!育ちの親父が、なぜ山手趣味の謡(うたい)Click!にはまったのかはよくわからない。習っていたのは観世流で、膨大な謡曲関連の資料や、練習用のLPレコード/テープが部屋にはズラリと並んでいた。それは、芝居や仏教彫刻・寺院建築に関する書籍や資料類に匹敵するほどのボリュームだったろう。数ある謡曲の中で、耳にタコができてしまったのは、『橋弁慶』と『隅田川』だ。親父の部屋から、あるいは風呂場から練習する声が頻繁に聞こえていたので、わたしまでが両曲をそらんじられるまでになってしまった。
『隅田川』(金春流でいえば『角田川』)は、室町期の1420年代に観世元雅が創作したとされる謡曲だが、江戸期に入ると「隅田川もの」と呼ばれる一連の芝居や文芸を生みだす母体になった作品だ。物語はあまりにも有名なので省略するが、いまでもTVで同曲が演じられているのを見かけると、夜道をだんだん玄関へと近づいてくる親父の帰宅の足音と、謡の声音を思い出す。もっとも好きで、頻繁に口ずさんでいたのは『橋弁慶』だったようだが・・・。
子どものころ、ときに能を観に連れていってくれたことがあったが、新派Click!の舞台Click!とまったく同じで、わたしにはちょうどいい午睡タイムだった。芝居とは異なり、演者のくぐもった声音は聞きとりにくく、むずかしい文語調の表現でなにがなにやら意味不明だし、その動きは芝居に比べればやたらじれったくて、舞台の展開も終始変わり映えがしない・・・という、子どもにとってはまさに寝てすごすしかない時間と空間だったのだ。いまから思えば、そうそうたるメンバーが演じていたのであり、もったいないことをしたと思うのだけれど、当時は早くうまいもんClick!を食べにいきたくて、早々に退屈な時間がすぎてくれればと、そればかりを願っていた。
家には、仏教美術の置き物や壁架けはたくさんあったけれど、能面のたぐいはひとつもなかったと思う。おそらく、親父は謡曲そのものに熱中していたのであり、その道具類や楽器には興味を惹かれなかったのだろう。唯一、舞台で使用する扇類はいろいろと揃えていたような記憶があるけれど・・・。腹の底から絞りだすように詠じる謡の心地よさは、きっとカラオケへ出かけて無我無心で歌いまくったときに感じる爽快感や解放感に通じるものがあり、いまなら親父はカラオケへ出かけて各大学の寮歌でも勇んで歌っていたのかもしれない。親父は謡曲を、わたしの知る限り25年以上つづけていたので、しまいにはレコードや書籍、資料類は書棚からあふれていた。
わたしの世代では、『隅田川』というと1976年(昭和51)に発売された、穐吉敏子=ルー・タバキン・ビッグバンドの『Insighta(インサイツ)』(RCA)に収録された、B面全曲(当時はLPレコードだった)の「Minamata(ミナマタ)」が思い浮かぶ。オーケストレーションの途中から、観世寿夫(シテ)に亀井忠雄(大鼓)と鵜澤速雄(小鼓)の『隅田川』が混じりはじめると、のどかで平和な村に不吉な影がさしはじめる。曲は、当初はコード(協和音)のあるバップのサウンドでスタートするのだが、途中からモードないしはフリーの演奏が少しずつ響きはじめる。
穐吉敏子の娘のかわいい歌声、「♪ムラあ~り、その名を~ミナマタという~」からスタートする組曲「Minamata」は、曲の構成全体が水俣地域の歴史物語になっていて、おそらくネコの脳が有機水銀に侵され踊り狂う現象がみられるあたりからだろうか、観世寿夫の不吉な謡がどこからともなく入り混じりはじめる。それまでオーケストラは、統一されたコード演奏を繰りひろげていたのだが、楽器ごと徐々にコードが消滅していき、破局へ向けてバラバラな不協和音のフリーイディオムへと急速に突入していく。そして、ひときわ『隅田川』の謡が大きく、野太くエンディングへ向けて途切れずに響きつづける・・・というような展開だった。これも、江戸期からつづく悲劇「隅田川もの」の流れだろう。
1926年(大正15)に作成された「下落合事情明細図」には、下落合515番地に二世・観世喜之邸が採取されている。牛込区矢来町60番地の観世九皐会能楽堂(のち矢来能楽堂)の前身となる、いわゆる現在の「矢来観世」が主催する能楽堂は、当初、下落合の自邸内に設置されていた。目白通りから、目白中学校Click!(近衛新邸Click!の敷地の一部)の角を、南へ林泉園Click!へ向かって100mほど入った右手(西側)に、広い敷地の観世喜之邸は建っていた。
1930年(昭和5)に矢来町へ新しい能楽堂が竣工するまで、能楽シテ方観世流と呼ばれる矢来観世家の拠点だったのだろう。ちなみに、1930年(昭和5)に完成した矢来町の観世九皐会能楽堂は、1945年(昭和20)5月25日の第2次山手空襲Click!で焼失しているが、戦後の1952年(昭和27)に名称も新しく矢来能楽堂として再建され現在にいたっている。
この二世・観世喜之邸の下落合能楽堂には、能楽関係者ばかりでなく近所の能楽ファンの人々も、たくさん集ったのではないかと思われる。きっと当時の乃手には、謡をやっているファンが大勢いただろう。下落合の観能会の広告でもないかどうか、当時の資料に気をつけてみたい。余談だけれど、現在の下落合では謡の声音をほとんど聞いたことがない。そのかわり、面白いことに清元や常磐津の三味の音色をあちこちで聞く。20年ほど前まで住んでいた聖母坂のマンションの隣りには、小唄のお師匠(しょ)さんが住んでいて、午後になると毎日三味の稽古をしていた。まるで下町のような風情なのだが、たまには乃手の下落合らしい謡や詩吟の声音が聞こえてこないものだろうか。
早大演劇博物館Click!には、さまざまな時代の能面や伎楽面が保存されているが、親父に連れられて何度か出かけた憶えがある。親父は、能面の陳列棚の前で立ちどまってはしばらく鑑賞していたようだが、わたしは文楽の頭(首)のあるガラスケースへ貼りつき飽きもせず眺めていた。もちろん、わたしのめあては、なにを考えてるのかわからないちょっと不気味な能面ではなく、そのままストレートにすごく怖いガブClick!のお姉さんであり、以来、彼女たちに魅入られ憑かれてしまったのだ。
◆写真上:観世流の能舞台があった、下落合515番地の観世喜之(二世)邸跡の現状。
◆写真中上:能楽の代表的な演目である、『隅田川』(左)と『橋弁慶』(右)。
◆写真中下:1976年(昭和51)に発表と同時に購入した憶えのある、穐吉敏子=ルー・タバキン・ビッグバンド『Insighta』(RCA)のジャケット(左)と、穐吉敏子の近影(右)。
◆写真下:左は、1926年(大正15)作成の「下落合事情明細図」にみる二世・観世喜之邸。右は、10年後の1936年(昭和11)に撮影された空中写真にみる観世喜之邸跡。
この記事へのコメント
niki
知ると面白いなぁと感じたのを覚えています。
小学校低学年のころに漢詩を習って意味も分からずそらんじていましたが、
大きくなってやっと意味が分かりました☆
幼いころは難しいことはわからなくても、なんでも覚えてしまいますね。
ChinchikoPapaさんはお父様の影響で謡曲を覚えられたのですね^^
資料に魅了されるようになったのは、もしやその少年のころからなのかも
しれませんね~~~(*'A^q)
ChinchikoPapa
子どもがすぐに、なんでも憶えてしまうのは、意味ではなく音で認識して記憶するからなんでしょうね。芝居の台詞もそうですが、「♪岩本院で講中の~枕さがしもたびかさなり~」とか憶えても、当時はまったく意味不明(もっとも意味が解ったら、それはそれで問題ですがw)のまま口ずさんでました。
なんでもそうですが、内容をある程度勉強しないと、その面白さはわからないですね。謡に限らず、子どものころに暗誦した、親が唄うさまざまな歌の意味が理解できたのは、かなりたってからのことでした。
親たちの書棚をのぞくのは、けっこう小さいころから好きでした。でも、芝居はともかく、謡関連の資料はつまらなかったですね。^^;
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>源整院さん
Marigreen
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
こちらにも、nice!をありがとうございました。>CROSTONさん
ChinchikoPapa
ぜんぜん素晴らしくなく、謡は家の中でやられると非常にうるさくて、傍迷惑な趣味です。w ピアノの音色と同じように、近所から漂ってくるぶんには風情があってよいのですが、家の中であまりうまくはない曲を練習されたりすると、ヘッドホンの音楽で耳をふさぎたくなりますね。
「♪たけにうまるる」は、『竹生島』ですね。この曲を親父がやっていた記憶がないのですが、家では謡わなかっただけなのかもしれません。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
sig
ChinchikoPapa
小津安二郎の映画を見ていますと、ときに能を鑑賞するシーンが出てきますね。鎌倉か山手が舞台の作品だったと思いますが、鎌倉の薪能は一度出かけてみたいと思っています。でも、前夜は睡眠をたっぷりとっていかないと自信がありません。w
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
fumiko
小さい時の刷り込み、脳への刺激効果大ですね。
ChinchikoPapa
当時はかなり憶えていたのですが、いまでは断片的にしか思いだせません。むしろ、芝居の台詞(特に世話物)のほうがよく憶えてますね。七五調で調子もよく、そのリズム感が身体に染みついているようです。w
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa