先日、目白は雑司ヶ谷にある日本女子大の学生寮の周辺を散歩していたら(もちろん、女子寮ではなくて金川と呼ばれた弦巻川跡と金山稲荷Click!がめあてだったのだが)、このあたりは「浮雲ガード」Click!の成瀬巳喜男ではなく小津安二郎Click!の物語世界だったことを思い出した。小津作品としては、めずらしくストーリーが暗くて陰鬱な1957年(昭和32)制作の『東京暮色』だ。
本作に先だつ5年前、目白駅をはさんで反対側の下落合地域を舞台にしたと思われる、1952年(昭和27)制作のいかにも東京山手らしい家庭を描いた、わたしの好きな『お茶漬の味』Click!もあるのだが、『東京暮色』のほうは同じ小津作品とは思えないほどの、明暗がクッキリ分かれた仕上がりになっている。事実、『東京暮色』のスタッフたちは、作品が完成したあとも同作には批判的であり、当時の映評もふるわなかったことが今日まで伝えられている。
笠智衆や原節子、有馬稲子、そして相変わらず「叔母さん」役の杉村春子が上り下りする雑司ヶ谷の坂道は、ほとんど当時の面影を残してはいないのだが、戦災をくぐりぬけた明治末から昭和初期にかけて建てられた近代建築がまだ随所に見られ、落ち着いた街並みを形成している。坂道の両側に並ぶ家々のほとんどが、いま風の住宅に建て替えられているけれど、坂下の突き当たりにある瓦屋根の日本家屋は、映画が撮影された当時の風情をそのままとどめている。また、映画のシーンには出てこなかった、坂を上りきった左手(西側)にある大きめな西洋館も、『東京暮色』のロケ当時と変わらぬ姿を見せているのだろう。
この坂の上から、小津監督は坂下へ向けて少し長めのレンズを装着したカメラを設置し、坂を上下する人々やクルマをとらえている。やや望遠気味のレンズなので、画角も狭くパースペクティブもかなり浅めで、坂下の和館が実際よりも手前に近接して感じるのだが、現場のロケーションでは案外長い坂道だったことがわかる。父親と次女(夫とケンカして家出した長女も)が暮らす「杉山家」は、坂上から向かって右手(西側)の和館という設定になっているのだが、ひな壇状に造られたおそらく大谷石による住宅敷地の築垣(擁壁)が、現在ではほとんど撤去されていて見えなくなっている。
住宅敷地を、できるだけ接道と水平になるよう造成しなおして、車庫を設置するための今日的な敷地改造Click!なのだが、これは下落合の坂道でもよく見かける光景だ。自家用車が普及していなかった時代、宅地造成における当時の方法論のひとつなのだが、盛り土をし大谷石やコンクリートの擁壁によって、接道からできるだけ高い位置に宅地を造成するのは、高低差を利用して道路脇に敷設された下水道Click!(側溝)へ、家庭からでる汚水がスムーズに流れこむようにする必要があったからだ。また、当時の住宅地の道路は舗装されていないのがふつうで、住宅敷地を高くすることで水はけをよくし、地表面からの湿気を防ぐという目的もあった。
映画の中に登場する坂道と、現在の舗装・整備され擁壁が撤去された坂道とでは、とても同じ風景とは思えないのだけれど、この坂道を野良犬とともに上ってくる山田五十鈴の姿がとても印象的だったのを憶えている。『東京暮色』における山田五十鈴は、夫とふたりの娘を棄てて好きな男といっしょに出奔してしまい、久しぶりにもどってきた東京で娘たちと再会する・・・という、ひとつひとつの表情づくりさえむずかしい役どころだった。長女(原節子)に焼香を断られた彼女が、雑司ヶ谷の坂道をゆっくりと下っていくうしろ姿もまた、彼女にしかできない“表情づくり”だったろう。
わたしは、山田五十鈴をじかに三度見たことがある。最初は、親父と観に出かけた『たぬき』(1974年~)の舞台上でなのだが、当時はむしろ同舞台に出演していた古今亭志ん朝の存在感のほうが印象に残った。残りの2回はホテル・オークラだったか、ホテル・ニューオータニのほうだったものか、いまとなっては判然としないのだが、クライアントとの打ち合わせで待ち合わせをしたロビーに、彼女はスキのない着物姿でソファに浅く座りながらタバコを吸っていた。その“オーラ”はものすごく、ロビーに入ったとたんに目がクギづけになったほどだ。あとで知ったのだが、当時の山田五十鈴は家を持たず、1年じゅうホテル暮らしをしていたらしい。
余談だけれど、わたしの世代では必然的に“おばあさん”役の女優という位置づけになってしまうのだが、山田五十鈴に北林谷栄、そして落合地域にも住み関連が深い原泉(はらせん:中野重治夫人)が大好きだった。まず原泉が逝き、一昨年(2010年)には北林谷栄が亡くなり、そして今年は山田五十鈴がいなくなってしまったのが残念でならない。目白台の庭園で、わたしは一度北林谷栄を見かけたことがあるのだが、目の前に立つまで「生きる演劇史」たる大女優の存在に気づかなかった。北林谷栄は、街中ではみごとにオーラを消して「フツーのおばあさん」と化すことができたようだが、山田五十鈴は24時間365日、絶え間なく女優でありつづけた・・・そんな気がする。
山田五十鈴は、『東京暮色』では雑司ヶ谷の坂道を上り下りしたが、『さよなら・今日は』Click!(1973~1974年)では森繁久彌Click!と夫婦役で下落合の坂を上ってきている。小津作品では、おそらく几帳面な監督から細かな注文が出たものか、ことさら強い緊張感と指示どおりらしい所作とが感じられるのだが、『さよなら・今日は』では森繁との共演のせいもあるのだろう、のびのびとリラックスした構えない“素”の演技で好対照を見せている。後者のドラマとほぼ同時期に、ちょうど舞台の『たぬき』は上演されていた。それにしても、好きな女優が次々といなくなるのは寂しいかぎりだ。
◆写真上:雑司ヶ谷の「東京暮色」坂だが、舗装とともに傾斜角も少し修正されているようだ。
◆写真中上:上は、『東京暮色』で同坂を上る山田五十鈴と野良犬。下左は、同坂を杉村春子を乗せてやってくるハイヤー。下右は、坂の突き当たりに現存する瓦屋根の日本家屋。
◆写真中下:上左は、坂の途中から下を望む。上右は、『東京暮色』の山田五十鈴。下は、同坂の周辺に散在する大正期から昭和初期にかけて建てられたとみられる西洋館。
◆写真下:上は、坂を下りる山田五十鈴のうしろ姿。下左は、同坂を下りる笠智衆のうしろ姿。下右は、1974年(昭和49)に上演された『たぬき』で立花家橘之助役の山田五十鈴。
★1973年(昭和48)12月8日(土)に放映された、『さよなら・今日は』の第10回「嫁の母親」の予告編です。下落合のアトリエを改造した喫茶店「鉄の馬」に、高橋菊代役の山田五十鈴が突然やってくるシーンからスタートしますが、さっそく原田芳雄を相手に台本にはないアドリブ台詞を繰り出しているようで、傍らにいる大原麗子が思わず笑っているのが記録されています。
浅丘ルリ子の「原子力かなんかで、東京じゅうが温ったまる時代がこないかしらね」という台詞は、スリーマイル島原発が1979年(昭和54)に制御不能でメルトダウン事故を起こす6年ほど前、いかにも「夢と希望」にあふれ、いまだ制御可能で廃棄物処理もなんとかなると思われていた、当時の原子力への楽観イメージが反映されていて、非常に感慨深いものがありますね。
また、下落合駅近くの看板屋のシーンでは、緒形拳と浅丘ルリ子の会話の背後で、当時の西武線の発車する音がとらえられています。少し大きめのヘッドホンで聴くと、低音部まで含めた当時のサウンドやリアルな会話が甦ります。看板屋の店主が、「カダルカナルでドンパチドンパチやっていたろ?」という台詞から、当時はいまだ戦争体験者がバリバリの現役で働いていた時代でした。
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この記事へのコメント
ChinchikoPapa
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SILENT
白眼の演技でしたでしょうか。
五十鈴さんと野良犬の坂道いいですね
野良でなく飼い犬にも見えるのは土地柄でしょうか
五十鈴さんの後ろ姿も絵になりますね
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
北林谷栄がある役をやると、もうその「現場」にいる本物の素人を連れてきて出演させているとしか思えない・・・というぐらいリアリティがありました。
一時、山田五十鈴と結婚していた加藤嘉にも同様のリアリズムがあって、海外では山暮らしの素人老人を映画『ふるさと』へ起用している・・・と思われていたらしいですね。ちょっと耳の遠い農婦役とかやると、北林谷栄はもうそれ以外の何者でもなく見えました。w
山田五十鈴のうしろ姿、ステキですね。彼女の大阪女らしい、しなやかな身ごなしやきめ細かな所作、やさしくてかいがいしい雰囲気が好きでした。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
tree2
とても楽しみにいていたのに、船が動きだすか出さないかというときに眠くなりました。ふと気がつくと、船はまだ停泊中。
じゃなかった、再び停泊していたのです。
人々が下船しはじめたので、自分がすっかり寝ていたことを自覚しました。
口惜しく、恥ずかしかった。
その後機会がないので、十和田湖遊覧はいまだに幻です。
sig
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>yutakamiさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
子どもって、そういうところが多々ありますね。w 遠足というと、前日に熱を出して行けない・・・というのにも、どこか通じるものを感じます。
わたしは、楽しみにしていたアニメ映画に出かけ、始まってから20分ほどで熟睡し、気がついたら照明が点いて明るくなっていた・・・という経験もあります。1時間以上も、寝ていたようなんですね。ww
当時の映画館は、もう一度観ても追い出されることはなかったのですが、母親は忙しい家事の合い間に連れてきてくれましたので、「いい加減になさい!」とそのまま映画館から連れ出されました。
ChinchikoPapa
80年代以降は、山田五十鈴にピッタリな役どころが、あるいは彼女をうまく「使いこなせる」監督や演出家が、映画でもTVでも減っていったものでしょうか。活動は舞台が中心で、なかなか映画やTVには出ませんでしたね。彼女の「必殺」シリーズは観てないのですが、若い世代にはその印象がかなり強いようです。
たまに単発で、「日曜劇場」のドラマに出ていた記憶があります。人にいえない事情や過去のある、ちょっと崩れた楽天家の大阪女は、山田五十鈴のためにあるような役どころでした。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
アヨアン・イゴカー
これでは365日、女優であり続け、女優を演じ続けなければいけなかったでしょうね。相当にストレスがありそうですが、長生きだったことを考えると、性にあっていたのでしょうね。
ChinchikoPapa
わたしも、イゴカーさんのおっしゃるとおりだと思います。きっと、緊張感を持続させたいというのと、どこかに人間のいろいろな表情や動作を絶えず観察して吸収しておきたい・・・というような欲求が強くあって、「自宅」というものを持たなかったのではないかなという気が強くしますね。
「全身俳優」という言葉が、彼女にはピッタリでしょうか。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
fumiko
山田五十鈴さんの映画デビュー作だったそうですね。
加齢して、ますます艶っぽくなっていった山田五十鈴さんの美に
惹かれておりました、いい女ですよね。
ChinchikoPapa
「いい女」ですね。w 東京の下町の女性にはない、大阪女性の“かいがいしさ”みたいなものを強く感じました。でも、大阪も地域によっては気質がかなり異なるのでしょうから、彼女の雰囲気がどのあたりの気性を反映しているものか、ちょっとわたしにはわかりません。
余談ですが、大阪駅前の阪神デパートへ入ったら、なんとなくわたしの言動から大阪が不馴れな客と思ったのか、お姉さんが入り口の近くから目的のフロアの売り場2ヶ所の買い物へ付き添ってくれて、ビックリしたことがあります。「さすが大阪やな~」と感心したものですが、このかいがいしさは東京のデパートではありえないですね。w
ChinchikoPapa
サンフランシスコ人
http://bampfa.org/event/yojimbo-7
ChinchikoPapa
『用心棒』は、どこか西部劇の拳銃を刀に持ち替えたような雰囲気がありますので、人気が高いのかもしれませんね。
サンフランシスコ人
ChinchikoPapa
わたしは刀剣が趣味のひとつなのですが、大江戸の街に根づいた町人の「義理人情」には惹かれますけれど、武家の規範にはあまり惹かれないですね。
サンフランシスコ人
ChinchikoPapa
江戸時代の後期は、徳川幕府の旗本・御家人などにも町人言葉や風俗が浸透し、かなり「武家の規範」が薄れ、より近代的な思想や社会観、生活規範ができていたのではないかと思いますが、幕末の尊王攘夷思想では幕府以外の諸藩で「王政復古」のかけ声とともに、ことさら昔の「武家の規範」が前面に出てきますね。
サンフランシスコ人
San Francisco has played host to the American premieres of notable international films, including Akira Kurosawa's "Throne of Blood" in 1957......
http://archive.dailycal.org/article.php?id=112874
ChinchikoPapa
『蜘蛛巣城』は、子どものころTVで最初に観たのですが、かなり怖くて怪談映画のように映りました。学生時代に観直して、まったくちがった印象になりましたが。
サンフランシスコ人
ChinchikoPapa
わたしは、『蜘蛛巣城』のストーリー全体を把握したのは、学生時代になって改めて観なおしてからでした。子どものころは、物の怪やお化けが出てくる暗い画面の怖い映画というイメージが先行し、特に山田五十鈴が憑かれたように「血が落ちない」と、手洗いで何度も手のひらをぬぐう仕草が怖かったですね。
サンフランシスコ人
アメリカでは、子供でもシェイクスピアの『マクベス』を知っています...
サンフランシスコ人
http://mospace.umsystem.edu/xmlui/bitstream/handle/10355/33115/research.pdf?sequence=2
山田五十鈴の写真 P198....サンフランシスコ人は大仰天......
ChinchikoPapa
書いてある内容が、わたしの英語力が低いせいで理解できないですね。
サンフランシスコ人
http://www.nikkeyshimbun.jp/2007/071107-66colonia.html
ChinchikoPapa
山田五十鈴が亡くなったとき、マスコミは「必殺」シリーズの元締め役ばかりを紹介してましたけれど、その他の膨大な舞台や映画作品がなおざりにされていて残念でした。
サンフランシスコ人
http://www.nikkeyshimbun.jp/2012/121222-column.html
"山田五十鈴さんは、黒澤明監督の「蜘蛛巣城」の名演技でスクリーンに躍動し、三味線の名人であり津軽三味線の響きを観客に放ち観客席が沸騰したのも懐かしい..."
ChinchikoPapa
日本では、晩年に出ていたTVの役柄のイメージが、若い世代には強かったんでしょうね。
サンフランシスコ人
http://businessmirror.com.ph/2019/08/15/international-movie-fest-brings-silent-films-back-to-life/
On Saturday, August 31 at 3 p.m., the Japan Foundation-Manila will present The Downfall of Osen (1935) by Kenji Mizoguchi, a story about a beautiful servant girl used by her unscrupulous employer, an antique dealer, to help his illegal business. A live musical performance by Kaduma ni Karol will accompany the film.
ChinchikoPapa
フィリピンでは、いまの日本映画の作品上映が多いと思うのですけれど、歴史的な作品上映はめずらしいのではないでしょうか。フィリピンの方は、たいてい現代の作品は知ってますね。
サンフランシスコ人
http://www.nikkeyshimbun.jp/2012/120509-76colonia.html
ChinchikoPapa
この作品、わたしは観たことがないです。
サンフランシスコ人
http://www.clevelandart.org/events/films/the-lower-depths
12/20 クリーブランド美術館で上映...
ChinchikoPapa
サンフランシスコ人
http://jftor.org/event/fall-films-2019-10-29-throne-of-blood/
THRONE OF BLOOD 蜘蛛巣城
Akira Kurosawa 110 MIN | 1956
"...Toshiro Mifune gives a remarkable, animalistic performance, as does Isuzu Yamada as his ruthless wife.."
ChinchikoPapa
『蜘蛛巣城』は子どものころTVで観たのですが、陰惨なモノクロ画面で怖かったですね。
サンフランシスコ人
http://nyunews.com/arts/film/2019/10/28/tokyo-twilight-4k-film-restoration-review/
‘Tokyo Twilight’: Ozu’s Metaphorical Landscape of Heartbreak and Change
Master Japanese filmmaker Yasujiro Ozu illustrates a complex narrative of transformation through the breaking of a family and the evolution of Tokyo.
October 28, 2019
Alexandra Bentzien, Contributing Writer
ChinchikoPapa
『東京暮色』は、批評を前提に観賞するならクールに分析できますけれど、映画を味わう(楽しむ)にはやはり救いようがなく、落ちこんでしまう作品です。同じ黄昏どきをテーマとする作品では、三谷幸喜の『ザ・マジックアワー』が、あまりにもバカバカしくて下らなくて楽しいですね。
サンフランシスコ人
http://www.arsenal-berlin.de/en/arsenal-cinema/current-program/single/article/8215/2796.html
ChinchikoPapa