わたしが物心つくころ、確か夕方の5時からTVの8chでは、『怪獣マリンコング』Click!(1960年制作)の再々放送あたりが流れていた。もう、この怪獣番組は最悪で、恐怖に震えあがった6歳前後のわたしは、マリンコングが知らないうちに虹ヶ浜へ上陸していないかどうか、どこからか咆える声が聞こえてこないかどうか、戦々兢々の日々を送っていた。
なにしろ、「その異様な姿を、平塚海岸に現わしたのです」ではじまる『怪獣マリンコング』Click!は、登場する海岸や防砂林、住宅街、大磯の山々などの風景が、すべて家の近所のいつも見馴れている光景ばかりだったので(つまり当時の自宅周辺がロケ地だったと思われるので)、幼い子どもにとってはどれほど最悪な状況だったか、おわかりいただけると思う。松林を踏みつけて薙ぎ倒し、海岸の釣り人を踏みつぶし、海辺の家々を次々と破壊するマリンコングは、2階から眺めていた湘南海岸にいつ上陸してきてもおかしくない、夢にまで見る恐怖の対象となった。
いまでも、その咆哮を聞くと「ついに出たか?」と、条件反射のように窓から外を見あげるぐらいだから、小さな子どもにとってはかなりのトラウマ(心的外傷)になっていたのだろう。クロマツの林に出現したマリンコングに見つかり、追いかけられる和夫少年(太田博之)の必死の形相が、明日はわが身だったのだ。いまから見れば、アタマでっかちでちょっとトボケたオマヌケな顔のマリンコングなのだが、小学校にあがったばかりのわたしには、とんでもない化け物に見えていた。
マリンコング・トラウマをきっかけに、怪獣モノが大キライになったかというと、これがまったく逆で大好きになったのが面白い。「とても怖い」と「すごく愉しい」が、1枚のコインの裏表のような感覚であることを、子どもながら身をもって知った・・・ということだろうか。明日をも知れぬ恐怖とともに、毎日が“地獄”の怪獣マリンコング体験の記憶はしだいに薄れていったが、その後もTVの怪獣番組や上映される怪獣映画は“順調”に欠かさず観つづけ、勉強などまったくせずに怪獣写真を集め、怪獣の絵ばかり描いていた。(もちろん流行のアニメにも、さらに深く没頭していった)
小学校生活も後半になったとき、そんな怪獣大好きなわたしに、“天国”のような怪獣体験の機会がやってきた。大映が撮影していた「ガメラ」シリーズへ、エキストラとして出演することになったのだ。当時、ボーイスカウトへ参加していた(親に参加させられていた)わたしは、茅ヶ崎海岸へテントを張って野営する隊の一員として参加している。
当時は上原謙Click!と加山雄三親子が経営していた、茅ヶ崎のパシフィックパークホテル(いわゆるホテル・パシフィック)が「大洋科学研究所」という設定になっていた。またしても、湘南海岸へ怪獣が出現するシチュエーションなのだが、実際のロケ現場にガメラや宇宙怪獣バイラスがいるはずもなく、とても残念に感じたのを憶えている。つまり、この時点ではすでに、いつ上陸してくるかわからない怪獣の恐怖感からはすっかり解放され、海岸にやってきてそこらの街を破壊しまくる怪獣を、ウキウキしながら待望する妙な少年へと変貌していたわけだ。
このとき、わたしの隊の隊長は、なぜか急に本郷功次郎へとすり変わり、シニアスカウトのお兄さんはちょいと頼りない篠田三郎Click!となり、ボーイスカウトなのになぜか女の子のシニアがいて、どこか妙に色っぽい渥美マリがお姉さんだった。彼女は、この映画が大映でのデビュー作だったと思うけれど、その後、シニアスカウトのやさしいお姉さんではなく、「和製ブリジッド・バルドー」の妖艶なお姐さんとして、小中学生のわたしを悩ませていくことになる。こういうお姉さんを、男の子だけのボーイスカウトに参加させたら、団結心も協調性もなにもあったもんじゃないでしょ。w
ちょうど同じころ、東宝の「ゴジラ」シリーズや大映の「ガメラ」シリーズの人気にあやかろうと、日活も怪獣映画に参画してきた。でも、日活は出発点の構想からしてまちがってしまった。ゴジラは、水爆実験の影響で巨大化したジュラ紀の生き残り生物だし、ガメラは氷の中から出現した地球の守護神(玄武)なのだが、日活がゴジラやガメラをジッと横目でにらみながら、もっと怖い怪獣をと“あとだしジャンケン”で創造した渾身の怪獣が、ただの「カッパ」だったのだ。
そう、単なる「カッパ」なのだ。当時から流れていた「黄桜」のCMだが、♪カッパッパルンパッパの「カッパ」を、いくら巨大化して街を破壊させたとしても、どこかひょうきんでオマヌケなカッパなど、子どもたちはまったく怖くもカッコよくもないし魅力も感じなかった。『大巨獣ガッパ』Click!と名づけられた作品を、わざわざ映画館へ観にいった友だちはほとんどいなかったと思う。わたしも「ダメだこりゃ」とパスしたので、いまだに全編を観たことがない。日活の怪獣映画はこの1作だけでコケてしまい、信じられないような大赤字で懲りたものか、以降、二度と制作されることはなかった。
先日、錦糸堀(跡)にある「鳥の小川」さんClick!へ寄ったら、「かっぱハイ」というメニューがあった。もちろん、錦糸堀(おいてけ堀)のカッパClick!にちなんだメニューで、焼酎のソーダ割りへ刻んだキュウリを浮かべたものだ。合いそうもない組み合わせなのだが、これが意外にいける。なんとなく、メロンベースのドライ・カクテルのような風味で、夏場にはサッパリしていいのではないか。『大巨獣ガッパ』はコケたけれど、「かっぱハイ」は案外ヒットしてメニューに根づくかもしれない。
◆写真上:夜が近づくと、子ども迷惑なZ団のマリンコングが上陸してきた湘南海岸。
◆写真中上:咆哮ばかりがすごく、なかなか動きがじれったくてノロマな怪獣マリンコング。
◆写真中下:上左は、1968年(昭和43)に上映された『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(大映)。バイラスは、相模湾で獲れるイカのオバケのような怪獣だった。上右は、お姉さんスカウト役の渥美マリ。なんだか制服キャバクラのお姉さんみたいで、子ども心にもミスキャストだと感じた。下左は、カメなので仰向けに倒れると情けないことになかなか起きあがれないガメラ。下右は、1967年(昭和42)に上映された『大巨獣ガッパ』(日活)なのだが、巨大化したカッパに子どもたちは爆笑した。
◆写真下:本所七不思議「おいてけ堀」のカッパにちなんだ、鳥の小川さんの「かっぱハイ」。
この記事へのコメント
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>nikiさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
駅員3
いやー、楽しい逸話を聞かせていただきました。
ありがとうございました。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
はい、50人ほどの隊が丸ごと参加した憶えがありますので、全員制服でした。パシフィックパークホテルが見える茅ヶ崎海岸で、「ジャンボリー」が開かれている・・・という想定だったと思います。
3人のシニアスカウトのお姉さんはかわいかったのですが、かんじんのガメラはやってきませんでした。着ぐるみでもいいから、本物が見たかったですね。w
siina machiko
怪獣映画のお話、楽しく読みました。怪獣が現れる海岸は湘南だったのですね。私が覚えているのはゴジラですがもし今現在店の近くにあるあの話題の「塔」を壊せる怪獣を出現させるとしたらどのくらいの大きさになるでしょうか?でも近くに相当の怪獣が来た時点で塔を破壊する前に周辺の建物を巻き込んで地盤沈下してお終いでしょうね><;
お借りしている本、あれから三日くらいで読んでしまったのですがまだお返しせずにすみません^^;これから夏に向かい充分涼しくなるお話ばかりでした。
SILENT
ChinchikoPapa
新宿西口に東京都庁ができたとき、子どもと観に出かけたキングギドラと戦うゴジラは、身長がもはや100mになっていたと思います。1954年に、東京湾の品川は八ツ山に上陸したゴジラは身長45mだったそうですから、倍以上に「成長」したことになりますね。
スカイツリーを壊すには、身長100mではちょっと無理そうですので、次に出現するときは200mぐらいになっているものでしょうか。そうすると、昔のように国会議事堂をガラガラ手で壊す・・・というような感覚ではなく、せっかく大熊喜邦と吉武東里が設計した議事堂は、たったひと踏みでぺちゃんこになりそうです。w
夏向きの本は、いつでもけっこうです。ごゆっくりどうぞ。^^;
ChinchikoPapa
マリンコングは最悪でした。当時、幼稚園から小学1年生ぐらいだったと思うのですが、クルマがあまり通らなかったユーホー道路(134号線)を、たまにトラックが夕方通ったりすると、その低いエンジン音がマリンコンクの咆哮に聞こえ、つい窓の外をキョロキョロ見まわすありさまでした。w
海から「やってくるもの」では、たった一度だけ出た「津波警報」にも緊張しましたが、マリンコングほどではなかったです。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
fumiko
茅ヶ崎のパシフィックホテル、とっても懐かしいです
若大将シリーズの加山雄三の絶頂期でしたね。
下手なボーリングをしたのが私の思い出のひとこまかな
ChinchikoPapa
ふふふ、fumikoさんもひととき、「湘南ガール」をしてたのですか?w
パシフィックパークホテルが建設されてからこのかた、「大洋科学研究所」として以外に^^;利用したことは一度もなかったのですが、ボーリング場があったんですね。
その後、上原親子の経営が傾いて倒産してしまったように記憶していますが、茅ヶ崎海岸にポツンと建っている独特な意匠の建物(ビル)は、子ども心にも強く印象に残りました。いまから考えれば、背の低いクロマツの防砂林など役に立たず、相模湾の潮風がまともに吹きつける立地ですので、メンテナンス費が膨大だったのではないかと想像しています。
かもめ
初代のゴジラは、よく夢に出ました。後日、品川の仕事場近くにゴジラ上陸地点の石碑があって、行き帰りには必ず立ち寄ってみてました。線路際で、あそこが海辺だったのも想像つかないし、周辺が再開発されたから、石碑ももう無いかもしれない。放射能怪獣ゴジラ、映画では原発を食べてましたよ。
Marigreen
ChinchikoPapa
どうして、クリクリお目めのちょっとおまぬけ顔のマリンコングが、そんなに怖かったものでしょうか。いまからは、不可解に感じてしまうのですが、きっと低音の咆哮と夜に多く出現するところが、なんとなくお化けじみて怖かったのかもしれません。
「怪獣マリンコング」というタイトルですが、実際はZ団が設計・製造した火を吐くロボットでしたね。w 相模湾なんかに隠しておいて、ロボットの部品が錆びないのかな・・・とか、だんだん理屈を考えるようになる少年時代を迎えると、マリンコングがおまぬけ顔に見えはじめたのでしょう。^^;
八ツ山(谷ツ山)には、付近案内図があちこちに建てられていますが、1954年のゴジラ上陸地点が「ゴジラマーク」で記載されていますね。w 石碑は、まだ見たことがありません。
原発の放射性物質を残らず吸収してくれるゴジラが、どこからか上陸してくれないものでしょうか。
ChinchikoPapa
わたしにも、ちゃんと少年時代がありました。いきなり、大人で生まれてきたわけではありません。^^;
あまり自意識のない子どものころの経験ですので、監督が言うとおりに動いていただけで、なにがなにやらわからないうちにロケは終了しました。しばらくして、ガメラのタダ券をもらって映画館へいったのが楽しい思い出ですね。でも、肝心のガメラ映画よりも同時に上映されていた『妖怪百物語』のほうが、よほど映画として面白かった記憶があります。(爆!)
ガメラ医師
突然コメントを差し上げ、大変恐れ入ります。
はじめまして。 私は、下記のTBを致しました「ガメラ医師のBlog」管理人のガメラ医師と申します。映画ガメラに関する情報収集Blogを更新しており、こちらの記事には「ガメラ」の検索から参りました。
今回の更新では、「ガメラ対宇宙怪獣バイラスロケ、エキストラ参加の思い出話」を掲載いただき誠にありがとうございました。
拙Blogでは従来より、昭和のガメラシリーズに付いて言及された記事情報をまとめておりまして、この度6月23日付けの下記TBの更新
「ガメラ:昭和(湯浅)版視聴記など 2012/06/23」
中にて、こちらのガメラ関連情報を紹介させて頂きましたので、ご挨拶に参上した次第です。差し支えなければ拙Blogもご笑覧頂ければ幸いです。
長文ご無礼致しました。それではこれにて失礼します。
ChinchikoPapa
さっそく、こちらからもTBさせていただきました。ありがとうございました。
1960年代の「ゴジラ」シリーズも懐かしいですが、「ガメラ」シリーズはいくらか縁があったせいか、さらに懐かしいですね。ゴジラはあちこち壊してまわるあくまでも「怪獣」ですが、ガメラは出発点からして「子どもの味方」というコンセプトがあったせいか、子どもたちの間でも好き嫌いが分かれていたように思います。わたしも、どちらかというと当時はゴジラが好きでしたが、1995年以降の新しいガメラシリーズはけっこう好きですね。w
さっそく、ブログを楽しみに拝見させていただきます。^^
わざわざ、ありがとうございました。
アヨアン・イゴカー
しかし、今改めて見てみると、なんとも子供だましの稚拙な作りの怪獣ですね。目も開きっ放しで。子供の頃はもっと恐ろしい顔、形状をしているように思っていました。
美術が劇団プークだったのを初めて知りました。プークならば仕方ないと思います、夢のある人形劇を得意とされていますから。
ChinchikoPapa
わたしも子どものころは、マリンコングはこんな“変な”怪獣ではなく、もっと怖ろしい姿をしていたように記憶しています。きっと、子どもの爆発的な想像力で、ものすごい怪獣のイメージが脳裏で増幅されていたんでしょうね。いま見ると、拍子抜けしてしまうのがちょっぴり残念だったりします。
人形劇が得意な劇団が創作したからでしょうか、マリンコングはほんの少しデザインをまちがえると、「怪獣ブースカ」に変身しそうです。ww
ChinchikoPapa
sig
マリンコングは知りませんが、初代仮面ライダーの撮影に地元の土砂採取で垂直に切り立った崖がロケに使われ、よく何かが爆発して砂塵を上げていました。
ChinchikoPapa
エキストラですので「出演」はしていないのですがw、先日、この記事を書いてから映画を観なおしたところ、監督から「演技」を注意されたシーンを思い出しました。
それは、本郷隊長が「大洋科学研究所を見学させてもらえることになった」と隊員たちに報告したあと、スカウトたちが「ワーーイ」と喜ぶ場面があるのですが、「喜び方が足りない」と監督に指導され、「だって大洋科学研究所ってなんだよ、あれはパシフィック・ホテルじゃん。ガメラもいないし、つまらないなぁ」・・・と思ったので、記憶に残ったのでしょうね。w
『八月の濡れた砂』(藤田敏八/1971)では、わたしの小学校前から海辺までがロケ地につかわれているのですが、当時中学生だったわたしは、このロケを知りませんでした。
仮面ライダーは、わたしよりほんの少し若い世代で、リアルタイムでは観てないですね。藤岡弘は、いまでも若い子たちに(コーヒーの入れ方などで)人気が高いですねえ。^^;
さむ
恐怖のミイラとこれが怖かった けど今見ると可愛い怪獣だったんだな
ChinchikoPapa
「マリンコング」は、何度も繰り返し放送されていたのでしょうね。「恐怖のミイラ」は見たことがなく、ようやく観賞できたのはネットの動画サイトでした。