落合地域にもあった「東京牧場」。

福室軒牧場跡.JPG
 1919年(大正8)現在、落合村には2つの「東京牧場」Click!が存在していたことがわかった。ひとつは、上落合429番地あたりにあった福室軒牧場であり、もうひとつが江古田村との境界も近い葛ヶ谷(西落合)374番地にあった斎藤牧場だ。葛ヶ谷の斎藤牧場については詳細が不明だが、福室軒牧場についてはいくらか記録が残っている。
 上落合にある、佐伯祐三Click!の実家と同名の光徳寺Click!は、江戸期には「高徳寺」と記録されている。江戸時代の初期に、この地へ住み着いた300石取りの幕府郷士・福室家が、屋敷の敷地内を掘ってみたら石地蔵が出てきたので、「延命地蔵」と名づけて奉ったのが延命山高徳寺の縁起のようだ。宗旨は真言で、江戸期には付近の人々へ学問や農業技術を伝授する、上落合村の学問所のような役割を果たしていたらしい。ちょうど、了然尼Click!のいた泰雲寺Click!が幕末に果たしていたのと同じような役割、すなわち村の寺子屋のような存在だった。
 でも、明治以降は中野の宝仙寺が管理する無住の寺となり、寺名もいつの間にか高徳寺から光徳寺へ変わっていたようだ。わたしが、佐伯の『堂(絵馬堂)』Click!について取材Click!をさせていただいたとき、方丈にみえた女性が「戦前は無住の寺だったので、大正期のことはまったくわからないんです」と答えられたのは、このような由来や背景によるものだろう。最勝寺Click!の住職が、光徳寺の住職を兼任するようになったのも、それほど昔のことではないらしい。
 さて、江戸初期に登場する福室家だが、江戸時代全期を通じて上落合村に一族が住みつづけたようだ。そして、明治期を迎えてから、上落合でミルク牧場の経営に乗り出している。これまで、落合地域の周辺に散在していた「東京牧場」については、何度も記事に書いてきた。戦後まで事業を継続し戦時中は牛のほかに馬(軍馬?)も飼育していた、上落合の西端に隣接する上高田322番地の牧成社牧場Click!をはじめ、落合地域の北側にあったキングミルクで有名な長崎2109番地の安達牧場Click!、同じく長崎地域では最大の牧場だった長崎4265~の籾山牧場Click!および足立牧場、雑司ヶ谷鬼子母神Click!の目の前に隣接していた高田1469~番地の北辰牧場Click!などがある。
延命山光徳寺.jpg 福室軒牧場.jpg
 また、落合地域の南には、小島善太郎Click!が大久保から下落合へ向かって帰宅するとき目にしていた、戸山ヶ原近辺に点在する牧場Click!などがあった。ちなみに、小島善太郎が目撃していた牧場のひとつが、小滝橋から南の大久保方面へと向かう途中にあった、柏木985番地の「ゲルンジー牧場(ゲルンジー農園ミルクプラント)」という名称であることが判明した。
 福室家が経営し、光徳寺の東側に隣接する上落合429番地にあった牧場は「福室軒牧場」と呼ばれ、乳牛ホルスタインを中心に飼育していたようだ。いまとなっては当時の面影は皆無だが、その様子を、1983年(昭和58)に出版された『昔ばなし』(上落合郷土史研究会)から引用してみよう。
  
 さて、光徳寺の向って右側に、福室軒と言う牧場があった。先日、鈴木米蔵さんのところで一枚の写真を見せて貰った。ホルスタインのワキに福室軒と染ぬいた伴天(ママ)を着た青年が立っている。この青年は鈴木平吉さん(米蔵さんの兄さん)とのことである。大正十二年頃まで、上落合に二軒の牧場があった。その一つがこの福室軒で、もう一つは、現在の共立土地(株)のところにあった。やはり福室さんである。この牧場で牛が六十頭位いたと云うから、相当大きな牧場であった。/この近所の人々は、ここの牛乳を飲んで大きくなった方が少なくないと思う。震災後、どんどん発展して行く上落合のため、牧場は歓迎されなくなったのか、牧場もなくなり、通りに面しているところには商店が出来た。従ってこの辺の商店街は光徳寺附近であった。
  
 光徳寺に隣接する上落合429番地ばかりでなく、福室軒牧場の分舎は現在の共立商事(福室ビル)のある、上落合247番地あたりにも存在していたことがわかる。
光徳寺1921.jpg 光徳寺1936.jpg
 なお、牧場で搾られたミルクは明治期とは異なり、そのまま消費者へ直接販売されることは少なく、大正後期ともなれば殺菌・加工を行って、あるいは加工工場へ委託して販売する牧場が増えている。朝早く搾った原乳を、市街地にある加工場へ荷車で輸送する光景があちこちで見られていた。また、分業化が進みミルクを生産する牧場と、さまざまな製品に加工して販売する乳業とが分離しはじめている。したがって、上落合の人々が福室軒牧場の牛乳を、そのまま飲んでいたかは定かでない。上落合の西端に接した牧成社牧場では、安達牧場のブランドである「キングミルク」を委託生産して出荷していたようなので、地元の牛乳がそのまま地元で流通・消費されるとは限らないシステムが、大正期あたりからできあがりつつあった。
 1919年(大正8)に作成された『東京牛乳畜産組合員名簿』(雪印乳業東京史料室)には、落合村で2軒の牧場が登録されているが、そのうちの1軒は福室軒牧場であり、もう1軒が葛ヶ谷の斉藤牧場ではないかと思われる。また、同名簿の1933年(昭和8)版では、すでに落合町に牧場は存在せず、淀橋区全体でもたった3軒にまで牧場は激減している。また、東京牧場が比較的多かった豊島区でも、この時期にはわずか7軒に急減している。前述のように大震災の直後から、住宅地の波が市街地から郊外へと押し寄せ、東京牧場を次々と飲みこんでいったのだ。
民生軒原料牧場(中野).jpg ゲルンジー牧場(戸山ヶ原).jpg
 もうひとつ、衛生問題に付随して牛乳業界の大規模なリストラが行われ、中小規模の牧場が大手乳業の傘下へ次々と吸収、組み入れられてしまうという動向もあった。1935年(昭和10)前後になると、牧場に殺菌消毒・加工場を併設するミルクプラント方式があたりまえとなり、牧場の設備は資金がなければ維持しつづけることができなくなっていった。柏木(5丁目)985番地にあった「ゲルンジー農園ミルクプラント」は、同方式を導入した淀橋区でも先進の牧場だったとみられる。

◆写真上:光徳寺の東隣り、福室軒牧場のあった上落合(1丁目)429番地あたり。
◆写真中上は、光徳寺本堂の現状。は、大正中期ごろに撮影されたとみられる福室軒牧場の貴重な写真で、1983年(昭和58)出版の『昔ばなし』(上落合郷土史研究会)より。
◆写真中下は、1921年(大正10)発行の1/10,000地形図にみる上落合の光徳寺とその周辺。は、1936年(昭和11)の空中写真にみる同所で、すでに大規模な宅地化が進んでいる。
◆写真下は、中野駅近くの宮園通4丁目22番地にあった民生軒原料牧場。は、昭和初期の地形図にみる戸山が原西端の柏木5丁目985番地にあったゲルンジー農園ミルクプラント。

この記事へのコメント

  • Marigreen

    Papaさんが、刀剣を所持しているというので、てっきり武家の出と思っていたら、造り酒屋で、後に町火消しとは知りませんでした。私も刀は武士しか持たないと思い込んでいたので。文部省の指導要領に従った教師の教えをそのまま信じてきたので、Papaさんの記事を読んでると、ハッとさせられること多く、刀剣史に限らず、歴史観を根本から見直す必要性を痛感します。
    2012年05月26日 09:30
  • ChinchikoPapa

    なんだか昔の水道タンクのようで、ギャラリーブロッケンの建物は見飽きないですね。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2012年05月26日 18:50
  • ChinchikoPapa

    通夜島のような島影を見ると、渡りたくてウズウズしてきます。w
    nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
    2012年05月26日 18:56
  • ChinchikoPapa

    杉並区が気温25℃で「雪」という天気予報は、近来にない大ボケ予報で楽しいです。nice!をありがとうございました。>うたぞーさん
    2012年05月26日 19:06
  • ChinchikoPapa

    Liberation Music Orchestraに惹かれるのは、ラテン系(中南米)のモードが多用されているからかもしれません。本作はイタリア録音ですから、いわば“本場”での仕事ですね。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2012年05月26日 19:13
  • ChinchikoPapa

    殉教者たちを描いた、『沈黙』という遠藤周作の小説を思い出してしまいました。下落合を散歩していて思わずニヤリとしたのは、徳川さんちの庭に大きなサンタの人形と、クリスマスデコレーションを見つけたときです。nice!をありがとうございました。>nikiさん
    2012年05月26日 19:19
  • ChinchikoPapa

    「あいみ」さんの逆光ポートレートが、アルバムジャケットのようできれいですね。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
    2012年05月26日 19:25
  • ChinchikoPapa

    築地本願寺の窓のデザインは、どこか擬宝珠のようでいてロシア正教会のドームのような風情でもあり、面白いですね。nice!をありがとうございました。>opas10さん
    2012年05月26日 19:28
  • ChinchikoPapa

    「街歩きマーケティング」が急増→団塊の世代を中心に「散歩バブル」→見やすくて美しいマップニーズ→芸術・歴史等への関心増大→街ごとに歩きやすいテーマごとのイラストマップ制作・・・という流れはどうでしょうね。w nice!をありがとうございました。>sonicさん
    2012年05月26日 19:37
  • ChinchikoPapa

    Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
    江戸期以前は不明ですが(北関東にいたという説も伝わっていますが)、少なくとも寛永年間よりは先祖代々、江戸で町人をしていたようです。
    ただひとつ残念なのは、伝わる刀のうちどれが江戸期からのもので、どれが明治以降に入手したものなのか、祖父に聞きそこなっていることです。いまでは、わたしが入手したものもありますので、手入れがたいへんになっており、少し手放そうかと思案中です。
    2012年05月26日 19:46
  • ChinchikoPapa

    「社訓のパネル」のエピソードが面白いですね。ジンクスのあるパネルを掲げて、「倒産しない」事業展開を日々実践しているんでしょう。nice!をありがとうございました。>marumaruさん
    2012年05月26日 19:59
  • ChinchikoPapa

    「わんこ蕎麦」は蕎麦がいくらでも好きなだけ食べられるということで、大人になったら絶対にやってみたいと思い東北まで出かけているのですが、ほかのさらに旨そうな蕎麦料理に目移りがしていまだ果たせていません。nice!をありがとうございました。>yutakamiさん
    2012年05月27日 11:42
  • ChinchikoPapa

    住職の役、すごくお似合いだと思います。w
    nice!をありがとうございました。>江藤漢斉さん
    2012年05月27日 11:50
  • Marigreen

    低脂肪牛乳とかも、東京牧場の原乳をもとにして作られていたのでしょうか?といっても低脂肪牛乳が、いつごろから作られ始めたのかも知らないのですが。
    2012年05月27日 15:48
  • ChinchikoPapa

    Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
    低脂肪牛乳は、おそらく戦後何度めかの「健康ブーム」のときに、カロリーと脂肪分の摂取過多になりはじめた日本人の食生活を、改善する目的で考案された商品だと思います。戦前の食生活は、とにかく脂肪分以前にカロリーや栄養分が絶対的に不足しており、病気に対する耐性の低い食生活だったでしょうから、「低脂肪」という概念そのものがそもそも存在しない時代だったでしょうね。
    低脂肪牛乳は、飽食でゼイタクな時代の牛乳製品です。
    2012年05月27日 16:29
  • ChinchikoPapa

    梅雨どきになるとアマガエルが、家の建て替えだとガマガエルがウロウロしているのを見かけますが、ふだんはどこにいるものか突然ゾロゾロ現れることがありますね。nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼち さんさん
    2012年05月27日 16:32
  • ChinchikoPapa

    幼児の肥満は、少し前に日本でも問題になっていましたが最近は少し減っているのでしょうか、あまり聞かなくなりました。nice!をありがとうございました。>Lobyさん
    2012年05月27日 22:48
  • アヨアン・イゴカー

    北海道にいた頃、近所から牛乳を貰ってきて飲みました。御飯にかけて食べるのも美味しかったのを覚えています。牛乳はそのままではなく、一旦沸騰させていました。
    2012年05月27日 23:37
  • ChinchikoPapa

    アヨアン・イゴカーさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    新鮮な牛乳をご飯にかけて食べる話は、いつか信州の知り合いから聞いたことがありました。わたしは、熱いご飯にバターを載せ、醤油をかけて食べるのが好きでしたね。質のいいバターでないと、美味しくありません。
    2012年05月28日 09:48
  • ChinchikoPapa

    下仁田ネギが手に入ると、料理に混ぜてしまうのが惜しくて、そのまま味噌をつけて食べます。甘くて美味しいですね。nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
    2012年05月28日 10:07
  • ChinchikoPapa

    このところまたまた吸血鬼ブームなのでしょうか、米国の「B級」映画も含めてけっこうバンパイア作品を見かけますね。nice!をありがとうございました。>月夜のうずのしゅげさん
    2012年05月28日 10:27
  • ChinchikoPapa

    わたしも、人混みと行列が苦手ですね。気が短いのでしょうか、人混みでグズグズしていると頭痛がしてきます。nice!をありがとうございました。>ばんさん
    2012年05月28日 13:24
  • ChinchikoPapa

    わたしが物心つくころから、唐招提寺の鴟尾(おそらく西側)のレプリカが置いてありました。いまは、大修理後でどこかに保管されたんでしょうね。nice!をありがとうございました。>マチャさん
    2012年05月28日 22:21
  • ChinchikoPapa

    千葉県の海岸に表示されていた0.07μSV/hという数値が、自然放射線量を差し引いた「純粋な原発による汚染値」でないとすれば(自治体でよく発表される、総量被曝を考慮しない不可解な数値ですが)、東京の新宿区の地面よりかなり低く室内の濃度に近い数値となります。どのようなメソッドで、どんな機器を使いながら、どのような場所で測定したのか知りたいですね。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
    2012年05月28日 22:33
  • ChinchikoPapa

    ボートの競技で、ウェイトトレーニングがあるのはつらいですね。体調を壊しませんように。nice!をありがとうございました。>イデケンさん(今造ROWINGTEAMさん)
    2012年05月28日 22:36
  • ナカムラ

    うちは福室軒牧場のそばです!
    2012年05月29日 13:14
  • ChinchikoPapa

    ナカムラさん、コメントをありがとうございます。
    はい、いまも牧場があってミルクプラントがあれば、落合地域では新鮮な牛乳が毎日飲めたのに・・・と残念です。ww
    2012年05月29日 17:10
  • ChinchikoPapa

    ごていねいに、nice!をありがとうございました。>fumikoさん
    2012年05月29日 19:25
  • sig

    こんばんは。
    農業や酪農というのは、真っ先に都市化の影響を受けた産業でしたね。
    2012年05月30日 19:36
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    宅地化が進むと、真っ先に家畜の臭いや鳴き声のクレームがくるのでしょうね。上高田にあった牧成社牧場も、上落合の住宅街側からの苦情で戦後廃業しています。もともと「東京牧場」は、広大な敷地ではありませんので、よけいに住宅街と近接することになったんですね。
    2012年05月30日 20:30
  • ChinchikoPapa

    物語に新しいイラストが、どんどん増えつづけていますね。w
    こちらにも、nice!をありがとうございました。>タッチおじさん
    2012年05月31日 21:20
  • ろっく

    初めまして。
    大学の授業で東京と牛乳(牧場)のことを調べています。参考ということで利用させていただきます。
    2016年05月03日 14:02
  • ChinchikoPapa

    ろっくさん、わざわざコメントをありがとうございます。
    はい、レポート等に活用ください。なお、豊島区郷土資料館では、「東京牧場」について『ミルク色の残像』という小冊子を発行しています。こちらも、資料として役立つのではないかと思います。ご参照ください。
    2016年05月04日 16:23

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