学生時代の友人やアルバイト先にはJAZZ好きが多く、よく「無人島に流されるとき1枚だけ持ってけるとすれば、どのアルバム?」というような会話をした。わたしが好きだったバイト先の営業マンは、繰り返し「ライオネルの『スターダスト』だね」と答えていた。彼は自身でもギターを演るのだが、スラム・スチュアート(b)がアルコで“ポパイ”のラインを弾いたりする、スウィングJAZZに両足を突っこんだようなアルバムのどこがいいのか、わたしには皆目わからなかった。
わたしは、クラシックで1枚持ってくなら、当時はブーレーズ=NYphのシェーンベルグ『浄夜』(1973~74年/EMI)に決まっていたのだけれど、JAZZは目移りがしてなかなか決まらなかった。ある日、「それでも1枚持ってくとしたら、どれなんだい?」と先輩からわけのわからない、そもそも前提となる設定からして無茶な詰問を受け、しかたなく「マイルスの『アガルタ』かな」と答えた。バイト先の先輩はシラケて「なーんだ」という顔をしたが、この想いはいまも変わっていない。理由は単純で、身の内から湧きあがる“元気”を取りもどせるからだ。
『アガルタ』(1975年/CBS Sony)は、マイルスが健康上の理由から6年余の“沈黙”に入る直前、1975年2月1日の昼間に大阪城ホールで録音されたライブ演奏なのだが、わたしはこのコンサートを聴いていない。同日の夜に演奏されたのが、『アガルタ』とほぼ同時に発売された『パンゲア』(1975年/CBS Sony)なのだが、両作ともアルバムになってからしばらくたって聴いている。「このレコードは、住宅事情が許す限り、ヴォリュームを上げて、お聴きください」というライナーノーツの註釈どおり、大音量で聴いて親から叱られたこともしばしばだった。親元から独立したあと、木造アパートやマンションで大音量を出すわけにもいかず、ヘッドフォンで聴く機会が多くなった。いまは、また大音量で聴いて家族から顰蹙をかっている。
思えば、『アガルタ』と『パンゲア』は、LPレコードの限界ギリギリの仕様をしていたことに気づく。当時、マイルスの演奏は60~90分間もぶっ通しでつづくのが当たり前になっていた。長時間録音をレコードの溝へ押しこみ気味に刻むには、カッティングする溝と溝の間隔を極限にまで詰めなければならなかった。すると、低音部がみるみるやせ細っていく。これは別にJAZZに限らず、長大で対位法のオバケのようなマーラーの交響曲チクルスのLP(バーンスタイン盤など)でも、同じような低音不足の課題が発生していた。だから、マイルスのようにケタちがいな超ワイドレンジのサウンドは、「住宅事情の許す限り」大音量で聴かないと、なかなか低音部のリアリティが出にくかったのだ。
『アガルタ』は、前年の米国カーネギーホールで行われたコンサートを収録した『ダーク・メイガス』(1974年/Columbia)の発展形ではあるのだが、サウンドの重みや拡がり、空気感や空間感の肌ざわりがまるで異なっている。この時期に録音されたマイルスのライブ・アルバムは、日本のCBS Sonyが米国のCBS Columbiaに強く働きかけて実現していたのを、つい最近知った。当時の米国では、もはや既成JAZZの範疇から大きくはみ出し、JAZZファンへのセールスがかなり低迷していた、「コンテンポラリー・ミュージック」としか表現のしようがないマイルス・ミュージックは、商売にならないと考えられていたにちがいない。そして、“沈黙”直前のラストアルバム『アガルタ』と『パンゲア』は、日本で独自に企画・制作された作品となった。
このLPレコードを、高田馬場にある改装前の「マイルストーン」Click!でリクエストしたときの、友人との会話を憶えている。本アルバムを聴くと、「やってやろうじゃねえか!」と高揚した気分になれるのは、わたしが妄想とともに勝手な聴き方をしているからなのだが、LP1枚目のA・B面(CDでは1枚目)の演奏を「プレリュード」→「マイシャ」の2曲(実際には演奏に切れ目がなく、このタイトルさえレコード会社が便宜的に付与したものだが)のうち、「プレリュード」を2つに分けて3つの組曲として勝手に認識していた。わたしは、その区分を「胎動」→「前進」(以上プレリュード)→「解放」(マイシャ)などと呼んでいたのだけれど、友人からすかさず「そんじゃ、みんな新左翼の機関紙のタイトルみてえじゃんか」と突っこまれ、「なるほど、そういやぁ・・・」と苦笑した憶えがある。
『アガルタ』のジャケット・デザインは、もちろん横尾忠則なのだが、サンタナの『ロータスの伝説』(1973年/CBS Sony)以来の仕事だったようだ。2011年に出版された中山康樹『マイルス・デイヴィス「アガルタ」「パンゲア」の真実』(河出書房新社)から、横尾忠則の話を引用してみよう。
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(制作の期間は)1日か2日でしょうね。そんなに時間はかけません。いつも思いついたらサッとやっちゃいます。/アガルタというのは、マイルスは知ってるかわからないけど、地底王国の地球空洞説のなかの、つまり地底内部の国の名前です。アガルタの首都がシャンバラと言いますね。そういうアガルタやシャンバラ関係のことについてはかつて相当いろいろ研究していましたから、この当時もそうだったと思うんですよ。だからそれをタイトルにしてみたらどうかなって言ったんだと思う。マイルスも知っていたのかな。彼にもそういう神秘主義的なものに憧れる資質がありますから、たぶん知っていたと思うんですよね。
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こんなわけのわからないことを言われ、特色(ゴールド)入りジャケットの色校正を何十回もやらされたら、レコード会社の担当者は悲鳴を上げ、印刷会社から色校費何百万円の請求書を受け取った上司が怒鳴りちらすのも無理はないのだが、それでもなんとかマイルスからOKをもらえて同作は世の中に出た。当初は、『アガルタの凱歌』と『パンゲアの刻印』というタイトルだったが、わたしがおカネを貯めてようやく入手した(2枚組LPは高価だった)アルバムでは、すでに『アガルタ』と『パンゲア』というタイトルに変更されたあとだった。
マイルスのライブ演奏は、世界各地で発売されたブートレグClick!(私家盤/海賊盤)も含め、わたしはLP・CD・DVDとそのほとんどを入手して聴いているが、1985年7月13日にオランダ・ハーグで録音され、FM東京でも同年9月に音源が流されたブートレグ『A DAY BEFORE』(MBGADISC)を例外として、正規盤ではやはり『アガルタ』がいちばん好きだ。
Columbiaレーベル時代の全作品が、オリジナル紙ジャケットのデザインをベースにCD全集化されたので、この際すべてを買い替えることにした。厳密にいえば、『アガルタ』の米国盤ジャケットは廃棄され、横尾のデザインのほうが採用されて全集入りしている。従来のプラスチックケースで出ていたアルバムは、かなり手元にそろっていたのだが破損しやすいため、改めて紙ジャケットのCDを手元に置きたくなったのだ。『The Complete Columbia Album Collection』(2010年/Columbia)がとどいたとき、真っ先に取りだしたのはやはり『アガルタ』と『パンゲア』の2作品だった。マイルスの『オン・ザ・コーナー』(1972年/Columbia)が、いまの若い子たちから「バッハ」(聖典)と呼ばれているように、『アガルタ』はこれからどのような聴き方をされていくのか、楽しみだ。
アルバイト先にいた営業マンの言葉を思いだしたので、久しぶりにライオネル・ハンプトン(vib)の『スターダスト』(1947年/Universal)を探しだして、ターンテーブルに載せてみる。年齢のせいだろうか、「まあ、こういう世界も、たまにはお茶でも飲みながら、いいのかな」・・・と、ネコの頭をなでながら聴いていたのだけれど、やはり、わたしの世代は1970~80年代にかけ、JAZZとカテゴライズされていた既存の音楽をぶち壊し、止揚していく、そして21世紀への音楽をいまから思えば準備しつづけていた、20世紀末の(東京藝大音楽部の学生たちの言葉を借りれば)「インプロヴィゼーション・ミュージック」(だから、それがJAZZなんじゃんw)に、惹きつけられてしまうのだ。
◆写真上:Columbia期の作品を網羅した『The Complete Columbia Album Collection』。
◆写真中上:横尾忠則のデザイン制作による、『アガルタ』ジャケットの表面(上)と裏面(下)。
◆写真中下:左は、中山康樹『マイルス・デイヴィス「アガルタ」「パンゲア」の真実』(河出書房新社/2011年)。右は、1975年ごろに撮影されたとみられるマイルス・デイビス(tp、key)。
◆写真下:左は、音楽好きな若い子たちならたいてい知っている『オン・ザ・コーナー』。右は、80年代のベスト演奏だと思う1985年オランダ・ハーグでのライブ演奏を収めた『A DAY BEFORE』。
★追記
当全集の『アガルタ』と『パンゲア』に収録された音源は、のちのCD制作に使われた日本のCBS Sonyに保存されているマザーテープではなく、1975年にマイルスとテオ・マセロが編集した初期のマスターテープ、すなわちLPレコードと同じ「演奏」でありサウンドであることが判明した。
つまり、マイルスの理想とした1975年現在のサウンドが、この全集の『アガルタ』では聴けることになる。『アガルタ』のたった1枚のために、高価な同全集を購入するのはどうかと思うが、LPレコードの初期サウンドをご存じない方には願ってもないチャンスということになる。
この記事へのコメント
pulin
私は『アガルタ』はCDになってからはじめて聴いたのですが、最初に買ったのは輸入盤で、後に国内盤を買ったら音が違っていました。
輸入盤の方は全体的に音がモヤッとしていましたが、国内盤ではクリアになっていました。そして、収録時間も長くなっていました。
どちらがいいか一概には分からないので両方手元に置いてあります。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
実は、LPとCDとではだいぶサウンドにちがいがあるんです。CDはマザーテープの音源から、そのまま手を入れずにデジタルサウンド化されていますが、LPはマイルスとテオ・マセロが協同で編集作業を行ない、かなり音をいじっていますので別物といってもいいほどのちがいがあります。
特に、ソニーフォーチュンのssがソロ以外はあらかた消されるか、音のレベルが極端に下げられているのと、el-gやpercのサウンドもかなり整理され、よりまとまりのある音楽になっていますね。LPを聴きなれた耳には、CD化された当初の音がいやに“野放図”に聴こえた憶えがあります。
ChinchikoPapa
みなせ
面白いんです。
ジャケットの表、左から三人目のオヤジ。一銭の金もない、ということで、ズボンのポケットを裏返しにして右隣りの女性に見せている。この人、ジャケットの裏では、もっと颯爽とした感じで本を何冊も抱えてどこかの大学教授といった雰囲気。「本とか、既成の知識は、役になんか立たない。そんなもので知的武装をしても女の子は相手にしてくれないよ」ということが伝わってくるようなイラストでした。ヒップ・ホップって、たぶんそういう音楽なんですね。小難しいジャズではなくて。旧来のおじさんが、ポップな若い人たちについていけなくなった、象徴的なアルバムでした。
kako
一瞬で学生時代がよみがえりました。
先日、下落合をお訪ねしたとき、帰りに芳林堂に寄ってみようと思い立ち、久しぶりに高田馬場で下車しました。あまり変わっていないようでもあり、でもやはり、一つ一つのお店は大きく変わってしまったのだろうな…、と、結局、ほとんど変わっていない芳林堂にだけ寄って、帰りました。
(ちなみに、私の学生番号は579×××××でした)
ChinchikoPapa
記事末に、コーキー・マッコイの当該イラストを追加しました。彼のサイケなイラストは、次作の『In Concert』(1972年)でも採用されていますね。
わたしは、「少しは本でも読みなさい」とおせっかいヲジサンがストリート・ガールに説教してて、結局は「あら、あんたおカネないの。じゃ、用なしの能なしだわ」と言われている図かと思ってました。w
確かに勉強ばかりで遊ばない男は、いつの時代でも女の子にはもてませんねえ。『On The Corner』は当然リアルタイムでは聴いてないのですが、「JAZZとはなにか?」などというカテゴライズしたがりヲジサン、枠組みづくり大好きヲジサンが、わたしの学生時代にも『Bitches Brew』(1969年)とともにぶつけてくるアルバムのひとつでした。カテゴライズしないと気が済まない、枠へ押し込めて矮小化しないと気のすまない人間を見るにつけ、「だから、よけいに否定したくなるんじゃん」などと、生意気にも考えてましたね。w
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>HAtAさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
芳林堂はあまり変わりませんが、「マイルストーン」は大きく変わりましたね。巨大で奔放なJBLのオリジナルスピーカーがなくなり、小型ですが品位の高いJBLオリンパスのサウンドに変わって、店内のスペースもやや小さくなり静かにJAZZを聴く雰囲気です。
なぜか、わたしはこのお店と、横浜の「ちぐさ」に「ダウンビート」、鎌倉の「IZA」と相性がよかったのを思い出します。考えてみれば、いつでも自由にJAZZが聴け、うるさいことを言われずにゆったりとくつろげたからかもしれません。特に横浜や鎌倉は、海水浴や散歩の帰りに気軽に入れる、またとないお店でした。今度、ぜひ立ち寄られてみてください。
わたしは、学生番号などすっかり忘れてしまいました。^^; 卒業証書とかに書いてありましたっけ? ・・・あれ、卒業証書はどこへいったのかな?(爆!)
kako
卒業証書には…、書いてありましたかね?(私もどこにあるのか、全くわかりません。おそらく、実家の押入れあたりでしょうが…)
学生証には間違いなく書いてありましたが、在学中、ことあるごとに、この番号を書かされたので、今でも全ケタ記憶しています。
最近は、自分の電話番号すら、すぐ忘れてしまうんですけどね。
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>opas10さん
ChinchikoPapa
そうでしたっけ、わたしは事務手続きのことなどすっかり忘れてしまい、学生証も卒業早々にどこかへやってしまいました。それよりも、学館地下の学食が安いか、それとも生協食堂のほうが同じものでも安いかのほうに気が向いていたんじゃないかと思います。w
じゃあ、わたしは「76」ということになりますね。ただし、大学には他学部への「出向」wも含めて4年+1年いましたので、81年に卒業しています。80年代末から大学カードもできて、いつでも卒業証明書を取れたり施設が利用できるとなると、ほんとうに卒業証書などどうでもよくなりました。
わたしも、光電話にしてから地域性のない「6」ではじまる妙な局番になって、ときどき忘れてしまって困ります。^^;
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
NO14Ruggerman
「凱歌」と「刻印」がタイトルから外れていることを把握していないくらい
久しく聴いていませんでした。
マイルストーンやイントロにもよく行っていたので懐かしいです。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
お手持ちのLPは、超貴重アイテムだと思います。CD化されてからは、ずっと大阪城ホールで録音したままの、マザーテープからのサウンドでやや不満だったのですが、ようやく当初のLPで耳にした「演奏」のCDに出会えた・・・という感じです。ひょっとすると、マイルスとテオの編集テープは米国Clumbiaの倉庫にあったのかもしれませんね。
あと、この全集で面白いのが、CDをPCで聴くと当初のLPジャケットが日本語の帯つきのまま、ポップアップで画面に表示される点です。『アガルタ』の場合は、逆に米国のオリジナルジャケット(今回の企画ではボツ)の写真が表示されます。
SILENT
同じ世代に暮して来た感覚から懐かしく、新鮮に思えるんでしょうね。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
いまの子が見ても、かなり奇抜で新鮮に感じるようですね。『パンゲア』のジャケットは、レコード会社のデザイナーが手がけたもので、それほど若い子の目を惹かないようですが、『アガルタ』は「なに、これ??」と見入っています。
知る人ぞ知るの、「紅葉谷」へ行かれたんですね。天園の茶屋では、子どものころ飲み物だけ買って腰かけていると、焼きそばかおでんも買えと、先代のおかみから叱られた憶えがあります。ww いまの代は、そんなこと言わずに優しい人たちなのでしょうが、「飲み物買ってんじゃんかよ!」と腹を立てた思い出がありますね。そろそろ、山歩きをしたあとのおでんが美味しそうです。
ChinchikoPapa
sig
マイルス・デイビスと聞くと、ディズニー映画の「いつか王子様が」を思い出してしまいます。 いい感じだなあと思ったのはルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」のテーマ曲からでした。ミーハーなんです。笑
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
両アルバムとも、わたしの好きな作品です。^^ でも、『Someday My Prince Will Come』を聴きますと、マイルスの元奥さんの顔を条件反射のように思い出してしまいますね。w
『Sorceror』もそうですが、自分の連れ合いや恋人の写真を、アルバム・ジャケットへ巨大にあしらうというのは、マイルスだからできたことでしょうか。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
gkrsnama
(クラシックは目移りして無理です。ペルトかなあ、クロノスのショートストーリーズもいいし、ジェズアルドもね。案外、捧げものとか、グリニとかサルヴェレジナになっりして。ヒトラーの第九もいいですよ。)
アガルタようわかりませんでした。そもそもLPの音が耐えられなかったのもあります。今、Youtubeで聞いているんですが、あのぺちゃぺちゃしたコンガの音がクリアに聞こえる。LPと全然ちいますね。長い間無視してたんです。パンゲアをCDでききまして、音いいやんって。アガルタも注文しちゃいました。
音だって、おんなじ電気ならツェッペリンとかフロイドの方がはるかにええわ思ってたんです。ロックの方がきれいなメロディがあるでしょ。子供のぼくには、普通の18世紀以来のコード進行っていうか、小学校で習う音の動きの方がよく分かったんですね。ロックも歌謡曲もモーツアルトもそうでしょ。教会旋法を使って調性をくらますのがようわからんかった。
今、12音だってメシアン風の旋法だってミヨーの多調だって聞くわけで、教会旋法だって慣れてます。ノートルダム楽派のオルガヌムだって。日本雅楽だって聞くんですよ。ようやく耳がマイルスに追いついてきた。今じゃ逆にフロイドの音が「ありきたり」「陳腐」にきこえてね。聞こえてきたら電気マイルスはすごいですねえ。商売上なのか、マイルスを継ぐとかいうフュージョンのように、甘ったるくも陳腐でもない。あんな代物とははなから別もんです。もっとはるかにキビシイ。むしろ、教会旋法やら前衛的な音を使ったハードロックとのあいのこという方が正しいでしょうね。(あんまりよう知らんけど知る限りの純ロックで何とか追いつくのはクリムゾンのレッドだけじゃないでしょうか。あとはどれも陳腐で多くはお上品です。)
YouTubeにもいっぱいありますし、楽しめますね。ええヘッドホンですから「住宅事情が許す限り大音量で」聴くことができます。まあ難聴にならんように。
gkrsnama
最初に買ったスピーカがVictorのSX5mkIIでした。今でも一部で神格化されてますけど、好みからは失敗でした。高音も低音もベールをかぶったようにソフトでねえ。同じソフトドームならヤマハのほうがよかった。マイルスはなりません。
今、コンデンサヘッドホンです。ええ、クリアですし、立ち上がりも解像度も優秀ですし。その辺はもう圧倒的です・
ChinchikoPapa
先年、大きなスピーカーが「これ邪魔なんだけど」といわれて処分してから、音楽はAKGのヘッドホンで聴くことが多くなりました。コンデンサタイプではありませんが、そこそこのサウンドが楽しめます、その昔、そういえばコンデンサ型のヘッドホンの代表格だった、ゼンハイザーのモデルが欲しかったのですが、当時は高くて手が出なかったのを思い出しました。
クリスマスの「ケンカセッション」、いいですね。CDになってから、いくつかtakeが収録されたのを聴いて、さらに好きになりました。モンクが沈黙するのは、マイルスがペットを吹きにくいから「バックで弾くな!」と伝えたのが真相らしいですが、ピアノが消えてシーーンとしてしまう、あの緊張感がなんともいえません。
余談ですが、わたしが検診をお願いしている歯医者が、クリスマスになるとときどきこの曲をかけてくれるので、聴き耳を立てている間は気がそちらへ向いて、歯石取りの超音波スケーラーによる不快な振動を忘れられます。w
ロックは高校時代から、ほとんど聴かなくなってしまいましたが、いまはロックに限らず気に入った音楽は、ほとんどジャンルに関係なく聴いています。雅楽はほとんど聴きませんが、常磐津・清元からカラプト(樺太)アイヌに伝わったトンコリの演奏まで、CDラックを見るとけっこう節操のない音楽生活をしているのがわかりますね。JAZZは、LPからCDへと買い替えたものが多いですが、ロックはかなり処分してしまって、手元にあるのもLPのみで「メディア変換」はしませんでした。
おっしゃるとおり、あまた世に出たフュージョン(当初はクロスオーバーとも)の作品は、マイルスの世界とはまったく異質で、マイルス・サウンドは非常に真摯でハードでストイックだと思います。
わたしも、YouTubeのJazzはよく聴くのですが、以前は苦労をして手に入れていたブートレグや私家盤が、容易に聴けるようになったのがありがたいですね。ときに、ライブやコンサートの音源が、映像とともに登録されていると狂喜してしまいます。
SX-5 mark2は、外観が美しい白木のモデルでしたっけ。わたしがアルバイトのおカネをためて、最初に買ったSPがL112(JBL)でした。明るくのびやかな音が魅力でしたが、このタイプ(Lシリーズ)はモニターではなくコンシューマ用として開発されたせいか、あまり評判にはならなかったですね。そのあと、ジーメンスのコアキシャルユニットを手に入れて、クラシック用に大きなSPを自作しましたけれど、当然のことながらLP再生のリアリティはなかなかだったものの、レンジが狭くてCD時代になると完全な時代遅れとなりました。
いまのヘッドホンを使いはじめて10年余がたちますので、そろそろ最新のコンデンサ型ヘッドホンが欲しくなってしまいました。w
gkrsnama
ケンカセッションはもちろんミルトもマイルスも見事なんですが、バックに絡んでくるモンクが素晴らしくてねえ。あのブルージーな曲の背後に、不思議な音を鳴らすモンクがいる。ミルトとマイルスだけだったら、決まりすぎていて予定調和的でマイルスにはたくさんあるクラスの盤になったことでしょう。例の「ケンカ」のフレーズですけど、1st takeでもやってますし、ただ2nd ではちょっと長く止めすぎて入りづらくなった……ということでしょう。で、マイルスが促した後の活発なソロもものすごい。ちょっと破れ目はあるけど、いやそれゆえに圧倒的な名盤だと思います。
YouTubeから拾って電気マイルスをヘッドホンで聞いているんですが、熱いですねえ。陳腐な音は使わないぞという決意みたいなものもあったでしょうし、アイデアに満ちた音が飛び交っています。ただこんな音、一般大衆に届くんですかねえ。
どなたかが、マイルスが消えたためにシーンが迷走して、マイルスが始めたフュージョン音楽があのようなぬるいBGMになり下がったとおっしゃってました。そのことについて、マイルスにも責任があると。フュージョンはほとんど知らないのですが、聞いた範囲で範囲で同意です。(マハヴィシュヌとかヘビーウェザーとか、ああいう陳腐なヌルイのはにがてです。菊池さんのスストはべつですけどね。)アガルタのLPに「フュージョンはここから始まった」とあって、逆にマイルスにBGMになり下がったという変な先入見をもって、追いかけるのをやめてしまいました。ソニーには悪いけど、その斬新さでも、ガッツでも、マイルスとフージョンは別物ですね。
クラシックの方にマイルスとは関係なくフュージョンをやっているのがいまして、大衆性はありません。クロノス四重奏団。こちらは徹底的にシリアスです。熱いというよりは痛い音楽ですねですね。なぜ痛いかって?この半世紀をふりかえってごらん、ポストモダンとかサブカルとか言って文化の表層で遊ぶなら別、徹底的にシリアスであろうとするる限り当然そうなると思いますよ。こちらは大好き。無人島の一枚の候補になってます。
ウチもスピーカはうるさいといわれて鳴らせません(ま、自作でヘッドホンにどうしても勝てないし)で、ヘッドホンマニアになってしまいました。電気をならすなら、静電型はやめたほうがいいかも。PAのきつさというか耳に来る感じが出ないのです。ゼンハイザーの新作HD-800は、ちょっと癖(2-4kがおちているドンシャリ)がありますが、電気にいいのではないかと思います。同社オルフェウスは見たことも聴いたこともありません。まだ新品が残っているとか聞いていますが、いかがです?
おれはSTAXでいいんです。こっちは30年だって使えますよ。35年まえのと25年前のも持ってます。どちらも現役。(今、電気マイルスのベルリンライブはHD-800できいていますが。)
ChinchikoPapa
1969~1974年ごろの「電化マイルス」は、世界各地でコンサートのブートレグが世に出て、ずいぶん「変遷」をたどれるようになりましたね。ただし、コンサートはともかく、レコードの販売実績はサウンドの「難解」さや、「どこまでいくのか見当のつかなさ」さwwとともに、徐々に落ちていったと思われますので、レコード会社としては「やめてほしい」音楽だったのではないかと想像しています。
マイルスの音楽と70年代後半の「フュージョン」とカテゴライズされる音楽とは、おっしゃるとおりまったくちがいますね。当時も今も「コンテンポラリー・ミュージック」としか表現のしようがないサウンドを響かせています。
菊地雅章の『SUSTO』は、確かにマイルスを継承してジャケットデザインのとおり、その「階段」を真面目に一歩一歩登っていく印象があります。やはり身近にいて、そのサウンドを全身に浴びていた所以でしょうか。
クロノスカルテットは、日本での「デビュー」アルバムからほとんどがCDラックに揃っています。ちょうど、クロノスが知られるようになった80年代末あたりから、東京藝大の音楽部(とそのOB)では「インプロヴィゼーション・ミュージック」と銘打ち、似たようなコンセプトのグループが出現しましたけれど、「クラシック」からの進化ではなく、明らかにJAZZを意識した音楽にもかかわらず、決して「JAZZ」とは呼ばないところにニヤついた憶えがありますね。
ヘッドホンの買い替え、落としてやや変形気味の携帯ノートより、優先してみたくなりました。
gkrsnama
ま、JAZZはそういう音楽じゃないんです。ハードバップで大々的にメロディの追及をしてから人気が出たけど、教会旋法を入れてから肝心のメロディが壊れたし。(Jazzは節だなんていうわけのわからん評論家が人気でしょ。あのひとマイルスは50年代しか認めないんだって。)
WマルサーリスがJAZZはアメリカのクラシック音楽だといってまして、納得です。ええシリアスミュージックですから、表現意欲の赴くままやったらいいんです。クラシックの方からはバップやフリーの評価は極めて高いんですが、ハードバップは無視です。(おれもあんまり聴きません。バップに比べるとぬるくて)
マルケヴィッチと同時代というサイトを立ち上げようと、いろいろ調べています。あのひと、最後は首相殺しのうわさまである人ですから、もう何でもありです。
ChinchikoPapa
わたしは生まれてこのかた、吉祥寺方面のJAZZ喫茶には一度も近づいたことがありません。w
ハードバッブは、それなりに楽しんでいるのですが、W.マーサリス(90年代ぐらいまではマルサリスと表記してましたが)の、JAZZをカテゴライズし、博物館へピンでとめて陳列するような感覚は、まったく面白くないですね。JAZZミュージシャンではなく、肩書を学者か学芸員、評論家にすれば納得できるのですが……。
マルケヴィチというと、わたしの好きなハスキルとのコラボ作品や、ロンドンsoとのチャイコフスキーの交響曲チクルスがピンとくるのですが、はたして首相を誘拐して殺しちゃいましたかね。w
gkrsnama
ワシ関西人やさかい音楽喫茶ってえと、シアンクレール、どん底、ブルーライツ、柳月堂や。柳月堂とブルーライツはまだやってまっせ。(どっちも吉祥寺とか四谷みたいなちゃちいスピーカやあらへん。ブルーライツは3m角フロントコンクリートホーン。40㎝4発やで。柳月堂はパチンコ屋の上がりで趣味でやっとりますねん。BGM室にサブのオートグラフがあってなあ。)贔屓の函館バップはパラゴンが水かぶってダメになっもた。シアンクレールは駐車場になっとった(._.)
マルサーリスはクラシックがええねん。バッハは最高やがな。ジャズライブもええで。NYCに行ったとき嫁はんがマールサーリスなんかゆうて反対して危機に行けへんかったけど。代わりにフィルハーモニーとブルーノートに行ったわ。(でかいホール満員。楽章ごとにスタンディグオベーションでべっくらした。BNではシェーラジョーダンやってたで。歌ごっつううまいけどメンは?や。スターダムに乗れへんかったわけがようわかった。)
マルケヴィッチゆうたら、近くで見るとものすごうくっきりはっきりしとるけど、遠くから見るとぜんぜんようわからへん。アイツなにもんゆう感じや。20世紀前半引っ張ったディアギレフの子供の一人でな、バルトークやミヨーに影響を与えるほどの作曲家になったのに転向、スター指揮者で登場したのに大人気なのにマイナー暮らし。トスカニーニ派言われ取るけど、実際はフルトヴェングラーと関係が深い。カラヤンが邪魔したとかも言われとる。
挙句モロ事件。あれCIAとアンドレウォッチ首相の陰謀ゆう話もあるねんけど。
マルケヴィッチはカエターニの人間やさかい、カエターニっていろいろあるねん。法王や首相も出しとるで。バチカン銀行とかマフィアとか英諜報部とかの関連も言われとる。ソ連のスパイともいわれとるで。マイナー音楽家やのに、宮殿や、城やゆうてむちゃくちゃ豪勢や。世界中、鉄のカーテンの向こうまで飛び回る。あれでは変な噂も出るわ。そいでな、ある日自宅のカエターニ宮殿の横の路地に赤いルノーに乗せられたモロが見つかったわけなんや。
まあええねん。マルケヴィッチをネタにいろいろ勉強するんや。マルケヴィッチ本ゆうたら、ほとんど全部独仏伊語やさかいに、語学の勉強にもなるで。イタリア現代政治ゆうたら独仏英とちごうてぜんぜんしらへんしな、勉強もし甲斐がある。モンクもマイルスもセックスピストルズもやで。ホンマは関係のてもええんや。ネタやさかいに。
ChinchikoPapa
クラシック喫茶(名曲喫茶)は、これまであまり目を向けてきませんでしたが、街々を観察するとけっこう残ってますね。先日、日曜の朝にめずらしく荻窪の名曲喫茶へ出かけて、久しぶりにクラシックの手づくりディスコグラフィーをチェックしてしまいました。
わたしのJAZZ喫茶めぐりのコースは、新宿と高田馬場、横浜、そして海水浴帰りの鎌倉でしょうか。この中で大きなSPというと、高田馬場の「マイルストーン」には2mほどの自作の巨大なJBLがありましたけれど、いまはコンパクトなオリンパスに変わっています。ほかは、映画館のSPのようなアルテックの高田馬場「intro」が印象に残ってますね。鎌倉の「IZA」と横浜の「エアジン」も大きかったような気がしますが、ハッキリとません。
NYではなく、原宿のキーストンコーナーでレイ・ブライアントと連れションしたことがあります。w 演奏の直前で、なにかうなりながら用を足していましたが、その“うなり”は彼の粘っこくてブルージーなピアノの旋律みたいでしたね。
改めて聴いてみようと、マルケヴィチのアルバムをCD棚で探しましたが、ハスキルの協奏曲2枚しか出てきませんでした。LPのほうには、チャイコフスキーもあるのかもしれませんが、あまり揃えてなかったようですね。
あと、マルケヴィチのネタ、ぎょうさんおおきに! 今度、ヒマがでけたら、いろいろ勉強してみるわ。翻訳されてへんのがつらいとこやけどな、気ィなるさかい、探してみますわ。ほんま、おおきにな。w