貴重な西武鉄道沿線御案内をいただいた。

西武鉄道沿線案内1.jpg 西武鉄道沿線案内2.jpg
 先日、ある方からたいへん貴重なものをいただいた。1927年(昭和2)3月に作成され、西武電車の沿線などで配布された、「西武鉄道沿線御案内」Click!パンフレットの本モノだ。制作したのは、豊多摩郡淀橋町角筈788番地に建っていた西武鉄道株式会社の本社、発行したのは日本橋区浜町3丁目5番地にあった日本名所図絵社だ。この会社は、図案家(今日のイラストレーターやグラフィックデザイナー)などをたくさん抱えた、観光パンフレット専門の制作プロダクションだ。鳥瞰図画家として知られる金子常光も社員であり、本パンフレットも彼の手によって描かれている。
 とても84年前の印刷物とは思えないほど、保存状態がきわめてよく、表紙や沿線図絵は当時の美しい彩色がほとんどそのまま残っている。この西武鉄道沿線御案内は、鉄道資料に掲載されているのを頻繁に見かけてきたが、実物を手にし端々までチェックするのはもちろん初めてだ。従来の資料に掲載された写真からはうかがい知れなかった、全体像や細部までが把握できる。パンフの仕様は、イラスト部の表紙と沿線図絵の部分がオフセット印刷の4色(カラー)で裏面がC(シアン)の1色、図絵裏面の本文はCとM(マゼンタ)の2色刷りとなっている。
 沿線図絵には、西部電車沿いに点在する名所旧跡や、新たに拓けた行楽地や散策コース、あるいは有名な施設などが紹介されている。このパンフレットが配布された、1927年(昭和2)3月という時期は、西武電鉄が山手線へと連絡する井荻~下落合間の線路敷設工事Click!が、陸軍の鉄道連隊によって完了し、下落合15~16番地あたりに決められた高田馬場仮駅Click!の建設が、なんとか4月中旬の開業まで間に合うClick!かどうか?・・・という、きわどい瀬戸際の状況だった。
 西武鉄道としては、省線・山手線と連絡することで、西武線全線の観光名所を積極的に開発・宣伝し、旅客輸送による収益増をねらっていたのだろう。西武鉄道の経営には、鉄道事業と砂利採掘・輸送事業のほかに、沿線の土地開発事業も含まれており、関東大震災Click!のあと郊外へと拡がりつづける住宅地の開発や、レジャーブームにのって郊外へ散策Click!ハイキングClick!に訪れる、東京市内の観光客の増加も見こんでいた。
 このパンフは、東京市街地から郊外への引っ越しを考慮中の家族、郊外別荘を検討中の裕福な家庭、あるいは遊園地や自然をめあてにやってくる家族連れやハイカーたちをターゲットに作成されているのだろう。東京市の人口密集地における感染症の蔓延、特にコレラや結核の流行は、抗生物質が存在しなかった当時は深刻な社会問題であり、空気がよく水が清冽な郊外での生活や、週末になると郊外へ散策に出かけ、健康生活をめざすライフスタイルが流行していたのだ。
哲学堂・遊楽園.jpg 新井薬師本堂.jpg
小金井サクラ.jpg 石神井三宝寺池.jpg
 同パンフに描かれた西武電鉄のルートには、高田馬場駅を通過し、地下鉄化して早稲田大学付近まで乗り入れる路線が描かれている。すでに地下鉄「西武線」Click!の認可は、前年の1926年(大正15)11月19日に鉄道省から下りており、ひょっとすると地下トンネル工事に取りかかっていたかもしれないことは、以前の記事Click!にも書いたとおりだ。
 下落合周辺で名所として描かれているのは、文化村と万昌院(功運寺)のみであり、なぜだか下落合駅と中井駅の中間あたりに誤って万昌院や落合火葬場Click!が記載されている。そして、新井薬師前駅の北側には、大きなプールなどがあった遊楽園とともに、とんでもなく巨大なイラストで井上哲学堂Click!が描かれている。文章による名所旧跡の紹介も、なにを基準に掲載しているのか、ちょっと不明な選択のしかただ。高田馬場駅と下落合駅の紹介文を、以下に全文引用してみよう。
  
 ▽高田馬場駅
 高田馬場の遺跡 駅より東約十町 往年赤穂義士として知られたる中山安兵衛仇討の古跡にして其の記念碑あり。
 ▽下落合駅
 薬王院 駅より北方約ニ町 新義真言宗瑠璃山薬王寺と号し、本尊薬師如来は行基の作なり、又観音の立像あり運慶の作なりと云ふ、願行上人の開山にして、府内八十八ヶ所第三十六番札所とす。 藤稲荷 駅より北東方一町 延長五年初午の日京都稲荷山より勧請したるものにして東山稲荷と言はれしが境内に老幹の藤あり、為に藤稲荷と称せられ高峯にして眺望佳なり。 文化住宅地 駅より北町余 西より東に流るゝ妙正寺川の清流に臨み目白台より御霊神社の付近に至る南傾斜高台一帯の地にして、広く文化村と称せらる縉紳(しんしん)富豪の邸宅を初め(ママ)瀟洒、典雅なる別荘住宅櫛比し現実に郊外生活の真味を味はしむ。
  
 西武電鉄の高田馬場駅は、省線・高田馬場駅と連絡しているので、当然「たかだのばば」駅だったのだろうが、解説文にある幕府の高田馬場(たかたのばば)Click!には特にルビがふられていないので、このころから「たかだのばば」という鉄道院オリジナルの駅名と、地名である「たかた」あるいは江戸期からの「たかたのばば」Click!との、発音をめぐる混同が生じていると思われる。また、氷川明神の前にあった下落合駅Click!では、薬王院や藤稲荷が紹介されているけれど、目の前にある上落合・下落合の総鎮守であるかんじんな氷川明神社が、なぜか掲載されていない。上高田の氷川社は詳細に紹介されているので、名所旧跡の選択・紹介のしかたに統一性が感じられないのだ。
西武鉄道沿線図絵.jpg
 また、「文化住宅地」の規定も奇妙で、東は目白台から下落合西端の御霊社までが「文化村」と呼ばれていたことになっているが、こんな話をかつてわたしは聞いたことがない。それぞれ近衛町Click!目白文化村Click!アビラ村(芸術村)Click!というように、下落合でもエリアによって個別の名で呼ばれていたはずであり、昭和初期の新聞記事にも個別の住宅地名称が使われている。以前、中村彝Click!を支援していた中村春二Click!の子息である中村秋一が書いた「中村彝の手紙」Click!で、彝アトリエが建っているエリアを「目白文化村」Click!と表現している箇所があって不可解に感じたのだが、下落合の地元ではなく外部の人々がこのようなパンフレットを読んで、目白崖線沿いの住宅街をすべて「文化村」ないしは「目白文化村」と呼ぶのだ・・・と、まったく誤解してしまった可能性がある。次に、下落合と上落合にはさまれた中井駅の紹介文を、同様に全文引用してみよう。
  
 ▽中井駅
 御霊神社 駅より西方約ニ町 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、仁徳天皇及び鹿島神を合祀す、社頭に約三百年を経れる杉聳え、妙正寺川を隔てゝ眺望宜し、毎月十六日に安産の祈祷を執行す、神意に依り白布を得れば男児、紅布を得れば女児を挙ぐべしとの伝説あり。 万昌院 駅より南方約三町 久実山と号し曹洞宗なり、当寺は麹町区永田町にありたるも、元禄年間牛込筑土八幡付近に移され更に大正二年六月此処に転じたるものなり、吉良家の菩提寺にして吉良上野介義央父子を初め(ママ)歴代の墓碑一郭をなして存せり、寺宝に吉良上野介の首請取状一札あり。
  
 ここでも、下落合御霊社Click!はともかく、大正期に移転してきた万昌院功運寺Click!が紹介され、おそらく鎌倉期からの古刹である最勝寺が紹介されていない。地元としては、非常に不可解な名所旧跡のピックアップのしかたなのだけれど、西武線沿線の事情や地域史を、おそらく日本橋浜町の日本名所図絵社がまったく知らず、あるいは一度も現地を調べようとしなかったか、ないしは西武鉄道から言われるままに、案内説明文を書いてしまったのではないだろうか。
 西武線の奥を見ると、善福寺池、花小金井のサクラ、村山貯水池(多摩湖)の水遊び、稲荷山のツツジ、所沢飛行場の飛行機見物、はては大宮線をへて氷川大社と、上石神井あたりを扇のカナメに、さまざまな行楽ポイントが扇状に大きく描きこまれている。このパンフは、その後何度か版を重ね、沿線に建設された遊園地や学校、運動場、ホテルなど観光施設のイラストが増えていく。
西武鉄道沿線図絵(裏).jpg
 また、沿線には次々と駅前住宅地が造成され、西武電車に限らず山手線の西側に展開する省線駅を起点に、東京郊外の人口は急速にふくれ上がっていく。これら沿線の行楽施設やホテル、デパート、住宅、別荘などを開発・建設していたのも西武鉄道であり、のちに総合レジャー企業化する西武鉄道の出発点が、このパンフレット制作にあるといっても過言ではないだろう。

◆写真上:1927年(昭和2)3月に発行された、「西武鉄道沿線御案内」の表紙と裏表紙。当時、日本橋の日本名所図絵社に勤めていた金子常光の落款(サイン)が見える。
◆写真中上:同パンフに掲載された行楽ポイントの写真で、哲学堂と南の遊楽園プール(上左)、 新井薬師の本堂(上右)、小金井のサクラ(下左)、そして石神井公園の三宝寺池Click!(下右)など。
◆写真中下:同沿線図絵にみる、下落合駅と中井駅周辺。高田馬場駅を経由して早稲田駅までが路線として描かれており、地下鉄「西武線」の認可から4ヵ月ほどしかたたない時期の発行だ。
◆写真下:蛇腹式の折りたたみ沿線図絵の裏面に印刷された、路線と駅ごとの行楽地案内。
田無駅1927.jpg

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    こちらでも、花々がいっせいに開いています。ケヤキの大木にも、新芽が肉眼で確認できるようになりました。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2011年03月30日 13:44
  • ChinchikoPapa

    サクラが満開の雛祭りというのも、春らしくて周囲がピンクだらけの風情でいいですね。nice!をありがとうございました。>飛騨の忍者 ぼぼ影さん
    2011年03月30日 13:47
  • ChinchikoPapa

    先日、銀座を4丁目から7丁目あたりまで歩いたのですが、やはりシャッターを閉めているお店が多かったです。撮影講座の女性たち、きれいに撮れてますね。nice!をありがとうございました。>kiyoさん
    2011年03月30日 13:56
  • ChinchikoPapa

    そういえば、地震以降に音楽を聴く時間がすごく減っていることに気づきました。nice!をありがとうございました。>cjlewisさん
    2011年03月30日 14:02
  • sonic

    博物館か何かの展示で似たものを見たことがあります。
    チャンスがあれば是非、手に取って見てみたいあこがれの地図です。
    2011年03月30日 15:22
  • まるまる

    珍しいですね。
    こちら、最寄り駅が西武線の旧田無駅だと聞いてます。^^
    2011年03月30日 16:24
  • ChinchikoPapa

    sonicさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    わたしも、資料などではときどき目にしていたのですが、実物を手にできるとは思ってもいませんでした。しかも、かなり保存状態がよくて、作成当初の様子をそのままとどめています。お譲りいただいた方へ、もう感謝感謝です。
    2011年03月30日 18:10
  • ChinchikoPapa

    50年前の夏は、さすがに記憶にありませんが、40年前の夏をすごした大磯を思い出します。当時の大内館は、もちろん戦前の古い建物のままで、そこから海まで5分、セミの声が途絶えるのは西湘パイパスの高架下だけでした。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
    2011年03月30日 18:16
  • ChinchikoPapa

    まるまるさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    記事末に、田無駅を中心に周辺部をスキャニングしてみました。田無の北側には「三宝寺池」、南側には「小金井ノ桜」が描きこまれています。また、東側の武蔵関駅や上保谷(東伏見)駅には「西武鉄道会社住宅地」や「早大グラウンド」、「本立寺」などがみえ、西側の小平駅と久米川駅には「箱根土地会社住宅地」と「商科大学建設地」、そして「東京土地会社住宅地」の記載がみえますね。
    2011年03月30日 18:34
  • ChinchikoPapa

    わたしは、「ゴリ次郎」のほうがいいです。ややチョコレートの量も多そうですし・・・。w nice!をありがとうございました。>今造ROWINGTEAMさん
    2011年03月30日 18:37
  • ChinchikoPapa

    「牛」のメールアートがいいですね。知り合いに「牛」の好きな方がいて、先日、三上知治の絵葉書をプレゼントしたばかりです。w nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
    2011年03月30日 19:53
  • ChinchikoPapa

    今週末、歯医者の定期健診なのを思い出してしまいました。地震以来、ソワソワと落ち着かないせいか、また磨き残しを叱られそうです。nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
    2011年03月30日 19:58
  • まるまる

    ChinchikoPapaさん、ありがとうございます。
    なんだか、聞いた話だけなのですが、目で見られるとは思っていなかったのでほんとうに嬉しいです。
    2011年03月30日 20:53
  • ChinchikoPapa

    まるまるさん、重ねてコメントをありがとうございます。
    田無駅の周囲は、大正末から昭和初期にかけて、いろいろな郊外「文化村」型住宅街が次々と建設されているようですね。古い造成地には、いまでも当時の建築が残っていそうです。
    2011年03月30日 23:03
  • ChinchikoPapa

    最初のタイトル曲と最後の「Degi-Degi」は、1972~73年のマイルス的な匂いがします。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2011年03月31日 11:34
  • ChinchikoPapa

    お父様の“方便”ではないでしょうか。その筋の人から「いい女の子いるよ」と街で声をかけられたら、「これから彼女とデート」と答えて断るお約束のようなものですね。w nice!をありがとうございました。>tamanossimoさん
    2011年03月31日 11:56
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>webtrueさん
    2011年03月31日 11:59
  • ChinchikoPapa

    “大正硝子”をとおして射しこむ光が、やわらかでステキですね。
    nice!をありがとうございました。>ryo1216さん
    2011年03月31日 12:02
  • sig

    こんばんは。
    貴重な資料が届きましたね。
    価値の分かる人の元で、この地図は何倍もの価値を生むことでしょう。
    2011年03月31日 20:55
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    西武鉄道が昭和初期に発行した「沿線案内」パンフレットは、このあとバージョンアップをつづけて複数の版が存在しているのですが、これはその初版ということになります。だから、とても貴重な資料なんですね。いろいろなテーマの記事で、これから参照していきたいと思います。
    2011年03月31日 23:48
  • ChinchikoPapa

    外出すると、汗ばむ陽気になりました。こういうときは、よく冷えた白ワインを片手に、しばしなにもかも忘れて音楽でも聴いていたいです。nice!をありがとうございました。>fumikoさん
    2011年04月01日 10:35
  • ChinchikoPapa

    天台地蔵のイチョウ周辺の造作は、樹木が成長するにつれ、子供のころから数えると知りうる限り二度改築されてますね。nice!をありがとうございました。>dendenmushiさん
    2011年04月01日 10:43
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。>ヒロさん
    2011年04月01日 12:39
  • ChinchikoPapa

    オール電化の家にしてしまった住宅では、今回の輪番停電ではほんとうにたいへんでしょうね。nice!をありがとうございました。>siroyagi2さん
    2011年04月01日 18:57
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>ひまわりさん
    2011年04月02日 17:26
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>opas10さん
    2011年04月02日 18:06
  • hanamura

    大好物です!双六風、錦絵風の沿線図…わくわくします。
    浜松市博物館で見た、天竜浜名湖鉄道の沿線図が記憶にあります。
    2011年04月03日 09:35
  • ChinchikoPapa

    hanamuraさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    大正期あたりから、観光地などでは鳥瞰図画家による案内図絵が増えていきますね。記事中にも登場している日本名所図絵社が、全国でかなりのシェアを占めていたのではないかと思います。
    2011年04月03日 12:07
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
    2011年04月04日 23:41
  • ChinchikoPapa

    少し前の記事にまで、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2011年04月12日 12:56

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