アビラ村(芸術村)開発から見えてくること。

アビラ村眺望.jpg
 東京土地住宅(株)による、アビラ村(芸術村)Click!の開発を見ていると、その事業推進の過程で面白いことがいろいろと見えてくる。前回、ものたがひさんが探し出してくださった、1922年(大正11)6月10日の読売新聞の記事からわずか4日後、同紙の6月14日号に東京土地住宅の専務取締役だった三宅勘一が、「阿比良村について」という署名入りの記事広告を載せている。以下に、三宅勘一が書いたコピーの全文を引用してみよう。
  
 阿比良村について           東京土地住宅株式会社  三宅 勘一
 ◆京都に昔 光悦といふ人が自分の住宅の周囲に多くの家を建て画家、彫刻家、塗物師、刀剣師等の芸術家を集め 自ら名主格で愉快な変つた生活をした事をきいてゐます。今も京都の近郊では佳都美村といふ所に同様な芸術家の一部落があるそうで
 ◆此様な村 を東京にも造つてはどうかと京都のある実業家から慫慂(しょうよう)されたので 甚だ面白いと思ひそれとなく心掛けてゐましたが 単調な武蔵野には中々そんな場所は見当りませんでした。処がある機会に偶然発見しましたのは 目白駅から十四五丁で(市電延長線終点より三丁程約七千坪)
 ◆眺望は絵 の様なまことに芸術家の住居としてふさはしい場所だと思つて早速買約しました、偶然にも其隣りには京都の島津氏が新邸と側に三戸の最も新しい文化住宅を作られてゐまして 此度の挙と新しい隣人を迎ふるに一方ならぬ厚意を示されてゐる事も茲(ここ)に住まるる方の幸福の一つと思ひます。まだ地均しにも取掛らないのに洋画家の泰斗
 ◆満谷、南両画伯 を始め、金山平三氏、夏目政利(ママ)氏、彫刻家小村西望(ママ)氏、夏目貞亮(ママ)氏等から申込がありました 芸術家に限らず普通の人にも此村で生活したいと云ふ人もある様で折角に此土地がそういふ人々の為めに使はれたら仕合せだと思います 私も
 ◆近衛町を 経営する為めに最近目白に一家を移転しましたが 空気の善いためか非常に頭がよくなり身体が健康になつた事と 周囲の人柄の善い事に驚きました 此村の名を前記の諸氏が北阿の勝地アビラの名に因んで 阿比良村と命名されました 此村には出来得る限り設備もよくして 生活を楽しむ事の出来得る様し度いと考へてゐます
  
阿比良村について19220614.jpg
 相変わらず、画家や彫刻家の名前が適当に書かれているが、夏目政利は夏目利政、彫刻家・小村西望は北村西望、利政の弟である夏目貞亮は夏目貞良Click!が正しい。この広告で面白いのは、アビラ村(芸術村)を開発しようとしている際、下落合2095番地に住んでいた島津源吉邸Click!を、三宅勘一が強く意識している点だ。島津家では、すでに邸のそばに「三戸の最も新しい文化住宅」を建てていると記されているが、この3戸とは1926年(大正15)の「下落合事情明細図」に記載された、東から西へ木村・兼松・永田の3邸のことだろう。島津家では、アビラ村の道(上の道)から中ノ道(下の道)の南、妙正寺川の河畔にいたるまでの、南北に長い広大な所有地の一部へ、シャレた設計の洋館を建てはじめていたものと思われる。すなわち三宅は、島津家が先行する宅地開発とも連携して、アビラ村(芸術村)構想を推進しようとしていたのではないだろうか?
 島津家とアビラ村(芸術村)構想との関わりは、東京土地住宅とのつながりばかりではない。この事業に共鳴して三宅をサポートし、「村長様」というネームを戴いている満谷国四郎Click!は、島津源吉とは親しかった形跡がある。なぜなら、東京土地住宅がアビラ村(芸術村)構想を発表した同年、島津源吉は満谷の第4回帝展出品作である『島』(1922年)を入手しており、その後も満谷作の第7回帝展出品作である『海棠樹』(1926年)も購入している。パトロンとまではいかないまでも、島津源吉は満谷国四郎とは顔なじみだった可能性が高い。
クロケーの画家たち192106.jpg
 満谷国四郎は、1918年(大正7)9月に下落合753番地に邸とアトリエを建設し、日暮里Click!の自宅から転居してきている。そして、翌々年の1920年(大正9)には、かなり年下の若い福井宇女(うめ)と再婚している。だから、満谷のアビラ村(芸術村)移住は、新居での結婚生活が軌道に乗ったか乗らないかのタイミングで計画されていたのがわかる。下落合753番地へ数年前に建てたばかりの邸とアトリエを棄ててまで、下落合西部のアビラ村(芸術村)へ移住しようと決意したのは、東京土地住宅の三宅が語る開発構想が魅力的に感じたのと、近くに金山平三Click!など親しい画家たちが数多く住む予定になっていたからだろう。
 余談だけれど、下落合には一時期、満谷国四郎の本宅と妾宅が非常に近接して建っていた・・・というウワサが流れていたようだ。それは1936年(昭和11)に満谷が死去したあと、下落合753番地の満谷邸がいつの間にか紡績会社の寮に変わり、気がつけば下落合595番地に「満谷」と「宇野」の表札が出ていて、「おっかしいじゃん、満谷じいちゃんの奥方とは思えない、若くてすげえ美人」が出入りしていたことから、「近くに妾宅が」というところに結びついたらしい。おそらく、歳がうんと離れた若い宇女未亡人のことを見て、ご近所がエピソードをこしらえてしまったのではないか。宇野は満谷家の親戚筋の姓であり、どう考えてもお妾さんと親戚とは一緒に住まないだろう。写真で見ても想像がつくけれど、ご近所のウワサになるほど宇女夫人は若くて美しかったと思われる。
満谷国四郎と宇女夫人.jpg
全住宅案内図帳1960.jpg
 1925年(大正14)に東京土地住宅が破たんClick!すると、下落合における近衛町とアビラ村(芸術村)の両事業はストップした。おそらく、同社と協同でアビラ村(芸術村)構想を推し進めていた島津家では、とてもガッカリしたのではないだろうか。同年までにアビラ村(芸術村)構想がどれだけ進展し、また計画がはるかに拡がっていたことを示す資料こそが、島津家に残る一ノ坂から六ノ坂までを包括した、広大な宅地開発の「下落合(阿比良村)平面図」ではないだろうか。
 その後、島津家では所有地へ独自の宅地開発事業Click!を行い、50棟にもおよぶ「文化住宅」Click!を建設している。その開発地域には、まるでアビラ村(芸術村)構想を継承するかのように、刑部人Click!をはじめ、松本竣介Click!林芙美子Click!など、多くの芸術家が移り住むこととなった。

◆写真上:アビラ村(芸術村)を南から眺めたところで、右端丘上の赤い屋根が金山平三アトリエ。
◆写真中上:1922年(大正11)6月14日、読売新聞に掲載された東京土地住宅の記事広告。
◆写真中下:1921年(大正10)6月に戸山ヶ原でクロケットを楽しむ、アビラ村(芸術村)構想の推進者たち。後列右から左へ南薫造、大久保作次郎Click!、満谷国四郎、岡田三郎助、金山平三。
◆写真下は、下落合753番地のアトリエにて満谷国四郎と宇女夫人。は、1960年(昭和35)発行の「全住宅案内図帳」に掲載された戦後の満谷邸で、下落合595番地へ転居している。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    夏休みの自由研究は積極的にやりましたが、ドリルは嫌々で適当した。
    nice!をありがとうございました。>tamanossimoさん
    2010年07月03日 20:48
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>一真さん
    2010年07月03日 20:48
  • ChinchikoPapa

    自身のアバターを自在にあやつりながら、SL(セカンドライフ)の3D社会で映像を観たり音楽を聴いたり、好きなコスチュームを着てJAZZバーで飲んだり、ときに好きなアルバムをリクエストしたりしてると、妙な感覚にとらわれてきます。SLのみの通貨経済が成立しているわけですけれど、仕事(キャンプ)をして稼ぎながら遊ぶことをつづけていると、この3D世界からもどれなくなってしまう人が出てくるのもわかりますね。nice!をありがとうございました。>sigさん
    2010年07月03日 21:00
  • ChinchikoPapa

    カラスビシャクは、どこかノッポのマムシグサにも似ていますが、背が高いぶん、マムシではなくてほっそりしたアオダイショウが鎌首をもたげたところぐらいはありそうです。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2010年07月03日 21:06
  • ChinchikoPapa

    きょうは、なんともコメントしづらいアイテムでした。ww
    nice!をありがとうございました。>cocomotokyoさん
    2010年07月03日 23:43
  • ChinchikoPapa

    ブラジルのサイトが軒並み「喪」に服しているようですが、そこまで熱くなれるのがうらやましいです。nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
    2010年07月03日 23:47
  • ChinchikoPapa

    「ダメ」出しのイエローカード、かわいいですね。
    nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
    2010年07月03日 23:48
  • ChinchikoPapa

    曲のタイトルを見てますと、「海」に関連した歌がかなり多いのに改めて気づきます。nice!をありがとうございました。>Webプレス社さん
    2010年07月04日 13:04
  • sig

    こんにちは。
    ここだけの話ですが、私はあらゆる科学技術を統合しての究極の帰結点は、おっしゃるように、もう一人の自分をもう一つの世界で生かし続ける。そのためにクローン人間を作り上げる。そこに向けられているのではないかとさえ思えてくるのです。そんなSF映画もすでに作られていますね。
    すてきなコメント、例によって私のブログに頂いて帰ります。
    2010年07月04日 15:44
  • ChinchikoPapa

    sigさん、重ねてコメントをありがとうございます。
    現時点でのSLは、RL(リアルライフ=現実)の経済基盤の影響をまともに受けやすく、出店している企業が予算縮小で引き上げたりすると大きな影響を受けるようで、趣味性のほうにいくらかシフトしてしまっているようですが、クリック&モルタル的な意識が薄れ、SLとRLとはまったく別の世界という概念が浸透してくると、RLは不況なのにSLは好況・・・というような現象も出てくるのかもしれません。
    少し前に見た、アニメ映画『サマーウォーズ』に登場するネットワーク世界は、日経BPでも取り上げられるなどクラウド概念をベースとしたこれからのネットワーク社会を説明する資料としてつとに有名ですが、あそこまで統合化されたネットワーク環境はいまだまったく存在しないものの、規模こそ違えSLではそれに近い状況が現出していますね。
    http://www.youtube.com/watch?v=JwqMNjRlqfA
    余談ですが、『サマーウォーズ』は以前、同様のアニメ映画『時をかける少女』を制作した方と同一なのですが、けっこう好きなのです。w
    2010年07月04日 16:05
  • ChinchikoPapa

    神楽坂は学生時代から歩いていますが、通りに面した2階建ての座敷料理屋が消えたあたりから、街の風情がガラリと変わったのを憶えています。いまの季節だと、2階座敷からスダレ越しに路地を眺め、吊りしのぶの風鈴の音色を聴きながら、大汗かいて牛鍋をたべていたのを思い出します。nice!をありがとうございました。>銀鏡反応さん
    2010年07月04日 21:18
  • ChinchikoPapa

    全員の予選通過、おめでとうございます。さて、決勝戦はいかがだったでしょう。(ワクワク) nice!をありがとうございました。>キャプさん(今造ROWINGTEAMさん)
    2010年07月04日 22:32
  • 水無瀬

    アビラ村売り出しの際の読売の広告。「北阿の勝地アビラの名に因んで・・」とあるのが気になりますね。アビラはスペインにあり、地図で見るとほぼ真ん中。マドリードから西北西に90キロほど。「北阿」とは北アフリカのことですから、間尺が合いません(阿はアフリカ、亜はアメリカですね)。「ピレネー山脈から南はアフリカみたいなもの」とぶっきらぼうなことを言う場合もありますが、イスラムの影響の強い地域はアフリカだと解釈したのでしょうか。スペインがどうして北アフリカなのか、どうもよくわかりませんね。
    2010年07月05日 17:28
  • ChinchikoPapa

    水無瀬さん、コメントをありがとうございます。
    ほんとですね、アビラ(アヴィラ)は金山平三が訪れて作品を残しているスペインの高原にある町名ですが、東京土地住宅の三宅勘一専務は、確かに「北阿」と書いてますね。
    この記事は、記者が取材をして書いたというよりは、三宅自身が原稿を作成して新聞社の広告部へ持ち込んだ可能性が高いように思いますので、三宅がそのような表現を元原稿でしているんじゃないかと思います。
    画家や彫刻家の名前を、片端から間違えていることといい、非常におおざっぱな性格の人だったものでしょうか。w
    2010年07月05日 19:38
  • ChinchikoPapa

    楳図かずおの世界にトラウマのあるらしいうちの連れ合いは、特に1枚目の絵は夢見が悪いかもしれません。nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2010年07月06日 00:15
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>SILENTさん
    2010年07月06日 23:37
  • sig

    こんにちは。
    再度のコメントありがとうございました。お知らせのURL覗いてみました。
    なかなか面白そうですね。
    2010年07月07日 09:34
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントをありがとうございます。
    『サマーウォーズ』に描かれた巨大ネットワークですが、現実にはあれほど集中的にさまざまな分野のプロセッシングが、ほぼ同一と思われるネット基盤上で行われるか?・・・ということと、映画の後半はちょっと荒唐無稽な“ゆるい”なりいきにややガッカリはしますが、ある部分、非常にリアルな表現ではあると思います。
    2010年07月07日 12:26
  • ChinchikoPapa

    少し前の記事にまで、nice!をありがとうございました。>sonicさん
    2010年07月09日 11:22
  • 大善士

    ChinchikoPapa さん こんにちは^^
    好厉害啊。介绍日本的点点滴滴真的好详细啊。
    すごいですね。日本の少しを紹介するのは本当にとても詳しいです。
    我很想要了解日本的历史,但中国详细介绍日本历史的书很有限。所以今后还请多多关照^^
    私はとても日本の歴史を理解することが要って、しかし中国が詳しく日本の歴史の本を紹介するのがとても有限です。だから今後またどうぞよろしくお願いしますもらいます^^
    ありがとうございます~
    2010年07月10日 10:11
  • ChinchikoPapa

    大善士さん、コメントをありがとうございます。
    わたしが、ここで主にご紹介している歴史や物語は、日本の中の古代から江戸(東京)と呼ばれた地域の、そのまた一部に当たる小さな地域で起きた出来事にすぎません。日本の歴史全体から見ますと、ほんとうに部分的なものなのです。でも、地域の歴史を。細かく丁寧にすくい上げていきますと、「国」としての教科書的な歴史とはまた違った視野から、民衆レベルの歴史が垣間見えてきて、とても面白いですね。
    わたしの拙文でも、なにかのお役に立てれば幸いです。
    2010年07月10日 21:23

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