東京近郊だった下落合には、明治期から大正期にかけ田園都市構想による「文化村」と呼ばれたモダンな建築群とは別に、市街地から移築された江戸期あるいは明治初期の古い建物が散見される。2005年(平成19)まで建っていた、タヌキの森Click!の前田子爵邸Click!や、目白に建っていた戸田邸Click!から移築された洋風建築Click!などが印象的だ。また、逆に下落合から別の場所へ移築されてしまった建物も少なくない。記憶に新しいところでは、千葉へ移築されたヴォーリズClick!設計のメーヤー館Click!をはじめ、先の重厚な和館だった旧・前田邸、相馬孟胤邸Click!の正門(黒門)Click!や妙見社、目白からは八ヶ岳高原へ移築された徳川邸Click!などを挙げることができる。
これらの建物が解体のあと廃棄されず、所有者が不要になったのち移築されたのには、大別するとふたつの理由が考えられる。ひとつは、建物に使われている柱や部材、また建築工法や技術そのものが非常に高品質のもので、解体して廃材にしてしまうにはあまりにもったいなく、その一部あるいは全部を再活用しようとするリサイクルの発想だ。明治期から大正期にかけ、この部材を再利用する発想は、決してめずらしいものではなかっただろう。
もうひとつの理由は、それがなんらかの記念的な、あるいは有名な建物であり、解体して廃棄してしまうのが惜しいケースだ。当該の建物にゆかりのある人物、あるいは特別に思い入れのある方が、移築を計画する場合も少なくない。また、移築の対象となる記念的な建築物の場合は、おしなべて良質な部材で建造されており、ふたつの理由が重なって・・・というケースも多いだろう。荻窪にある「荻外荘」の部分移築は、おそらく双方の理由によるものと思われる。
今年(2010年)の3月に、栗原行廣様よりお送りいただいた、近衛文麿が写る貴重な室内写真Click!の撮影場所が判明した。写真は、荻窪にある「荻外荘」の内部に間違いないとのこと。さらに調べてみると、どうやら同荘の応接室だった部屋の可能性が高い。応接室は1階の玄関近くに設置されており、この時期、来客が多かった近衛文麿はこの部屋で応対していた。すでに記事にも書いたが、第2次近衛内閣が成立する直前に閣僚予定者が集まり、軍部の主導で太平洋戦争の引き金となる“南進”が決定された「荻窪会談」Click!が開かれたのもこの部屋なら、日米開戦にネガティブな海軍Click!の山本五十六Click!を招いて所感を訊いたのも、この部屋だったろう。
以前、「荻外荘」へお邪魔Click!したとき、玄関口の西園寺公望の揮毫額を見上げながら、この廊下のどこかに例の応接室があるんだ・・・と、いまにも東條英機のせっかちな足音が聞こえてきそうな感覚にとらわれたのだけれど、それは大きな間違いだった。応接室を含む建物の一部は、1960年(昭和35)に巣鴨にある天理教教務支庁の「東京寮」として、とうに移築されてしまっていたのだ。天理教二代真柱・中山正善と近衛文麿とが親しかった関係から、戦後少したってから移築話が持ち上がったものらしい。応接室の現状写真も、同所を訪問された栗原様からお送りいただいた。その写真を拝見すると、1939年(昭和14)に撮影されたころと、さして変わっていないように思える。よく手入れがなされ、建築部材にも良質なものが用いられているのだろう。
善福寺川の北岸、南向きの崖線斜面に建っていた「荻外荘」の建物は、下落合にあった近衛新邸Click!のように近衛文麿が建てたものではない。明治期に別荘として建てられたらしく、大正初期には医学博士で天皇侍医だった入澤達吉が購入して住んでいた。この入澤から、1937年(昭和12)に近衛が譲り受けて「荻外荘」と名づけている。近衛は下落合の新邸から、一時期首相公邸へと移り、そのあと「荻外荘」を購入して転居しているのだろう。下落合の近衛邸も、そのまま存続して現在にいたるので、ときには親戚の顔を見に立ち寄っていたのかもしれない。
「荻外荘」の応接室を含む建物の一部は、天理教教務支庁の敷地内に移築され、現在では同教団の寮生宿舎として利用されている。一度うかがって拝見したいと思ったのだが、関係者以外の一般の見学はできないとのことで残念だ。
◆写真上:天理教教務支庁の敷地内へ移築された、「荻外荘」の一部棟に残る応接室。
◆写真中:左は、1939年(昭和14)5月25日撮影の「荻外荘」応接室。右は、同室の現状。
◆写真下:上は、1939年(昭和14)に撮影された同室内写真。下左は、昭和初期に撮影されたとみられる「荻外荘」。下右は、天理教教務支所に現存する旧「荻外荘」の一部外観。
この記事へのコメント
kaiharaten
本日、exblogに『絵描き・貝原浩』というサイトを開きましたkaiharatenと申します。
『絵描き・貝原浩』(http://kaiharaten.exblog.jp/)は、多くの方と共に貝原浩さんの作品や人となりを辿りたく、諸々のご紹介をするサイトです。
ChinchikoPapaさんの「風刺や揶揄ではなく否定する貝原浩。」(http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-09-23)と
「下落合を描いた画家たち・貝原浩。」(http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-05-13)も、
「これまでの展覧会記録」(http://kaiharaten.exblog.jp/i4/)と
「私の好きな作品」(http://kaiharaten.exblog.jp/i5/)でリンクさせていただきました。
まだ生まれたてのサイトですので、ご高覧の上、なにかとお力添えください。
まずは、取り急ぎのご挨拶まで。
なお、リンクを望まれない場合は、お知らせください。すみやかに対応いたします。
sig
こうした記念碑的な建物が残っていたのは良かったですね。
ただ公的機関ではないので一般は入れないというのは残念なことですね。
ChinchikoPapa
さっそく、リンクしていただきました記事ページからも、『絵描き・貝原浩』サイトの当該ページへ、リンクを張らせていただきました。記事のいちばん下へ、赤い★印とともに入れさせていただいてます。とても光栄です。
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-09-23
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2010-05-13
先日こちらでご紹介しました、目白通り沿いの小野田製油所を描いた、「ケアネットワーク」の『東京・目白』以外にも、落合地域を描いた作品がもう少しあるのではないかと、実はひそかに期待しておりまして、「なんとなく、ご近所の街風景のようなのだけれど・・・」というお声が聞こえてこないかどうか、ちょっと楽しみにしていたりします。w
こちらこそ、いろいろとご教示いただければと思います。今後とも、よろしくお願い申し上げます。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
解体されて、この世から永久に消えてしまうよりはいいですよね。NHKの番組で、1940年(昭和15)に荻外荘で行なわれた「荻窪会談」の舞台として、この部屋がロケーションに使われたようです。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
kaihataten
少しずつコンテンツを増やしてまいりますので、どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
はい、貝原さんの描く「下落合風景」らしき作品がお目にとまりましたら、なにはなくとも真っ先に、こちらへお知らせくだされば幸いです。^^;
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>ロボライターさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございます。>ナカムラさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
栗原行廣
たった一か所の写真の特定でしたが、その作業をつうじて事実とそこにまつわる人々の思いを深く感じました。
ChinchikoPapa
こちらこそ、貴重でかけがえのない画像をお送りくださり、ほんとうにありがとうございました。いろいろ興味深いことが判明して、とても面白く、また勉強になりました。
1枚の写真から、さまざまなことが明らかになり、史実がとてもリアルな空気感をともなってよみがえり、さらに、いまに繋がる人々の物語が見えてきたりと、このようなサイトをやっていますといちばん感じる嬉しい醍醐味です。
重ねて、お礼申し上げます。
倉橋喜一
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
また、わざわざこちらへのお声がけいただき、ほんとうにありがとうございました。もし撮影された写真画像をお送りいただけるのでしたら、下記のメルアド宛てまでお願いできれば幸いです。
tomohiro.kita@gmail.com
ぜひ、ご紹介させていただきます。また、撮影をされた際に、建物についてお気づきの点などございましたら、併せてご教示いただければ幸いです。どうぞ、よろしくお願いいたします。
倉橋喜一
また、写真添付方法もわかりません。如何したらよろしいでしょうか。
ChinchikoPapa
いま、念のために別ドメインから上記のメルアドをコピー&ペーストし、テストメールを送信してみたのですがスムーズにとどきますね。フィルタリングを厳密に設定していないメールボックスですので、たいがいのメールは拒否することなく届くと思うのですが・・・。もし、メルアドをご教示いただけるようでしたら、こちらからメールを差し上げます。
また、写真がデジカメ等で撮影されましたデジタルデータでしたら、カメラからPCへ一度取りこんでいただき、メールの添付機能(クリップなどのアイコンで表示されている機能です)を使ってメール自体に添えていただき、送信いただければ写真画像も同時に届くかと存じます。スマホで撮影された場合でも、PCの場合と手順は同じですね。
もし、フィルム撮影の紙焼き写真ですと、一度イメージスキャナーでPCへ画像を取りこみ、デジタルデータ化してから・・・ということになり、ちょっと煩雑な作業が発生してしまいますが。
ChinchikoPapa
メールに写真を貼付される場合、容量が7Mバイトを超えると中継するメールサーバに蹴られ、届かない可能性があります。
これは、一般のインターネットの負荷を高めないために、システム上の暗黙の“お約束”ルールのようなものでして、メールサーバを管理するSEは添付ファイルの容量が7MBを超えた場合には、当該メールを廃棄するという設定をしているところが大半です。(5年ほど前までは、3MB規制が主流でした)
したがいまして、大きなファイルをメールに貼付した場合、どこか途中にある中継メールサーバで通過を拒否される可能性が高いと思います。
お手数をおかけして、申しわけありません。ちょっと気づいたテーマですので、追記させていただきました。