画家ならやりたいアトリエ記者会見。

佐伯アトリエ19260901.jpg
 大正期から昭和初期にかけ、画家たちは展覧会などで作品が受賞・入選すると、自身のアトリエで新聞や雑誌の記者たちと会見することが流行っていたようだ。一種のステータスでもあったのだろう。もっとも、現在でも事情は同じなのだろうが、当時は大きな展覧会で有名賞を受賞したりすると、新聞記者や雑誌記者がドッと大勢アトリエに押しかけたようで、今日とは比べものにならないほど画家たちは注目を集めていた。当時の新聞などを見ても、画家の受賞記事は社会面に大きく取り上げられることが多かった。このサイトでも、受賞時ではないがアトリエで記者たちに応対する、中村彝Click!大久保作次郎Click!などの様子をご紹介している。
 1926年(大正15)9月1日、佐伯祐三Click!のアトリエにも大勢の新聞や雑誌の記者たちが押しかけている。アトリエ周辺の路上には、社旗をひるがえしたたくさんのクルマが駐車していた様子が伝えられている。第1次滞仏時の佐伯作品19点が、石井柏亭のはからいで二科展に特別陳列されたからだ。一度に19点の入選というのは前代未聞で、翌年の4月に新宿紀伊国屋で開催された佐伯祐三個展Click!も、石井はサポートしている。また、同時に米子夫人の作品5点が入選したため「夫婦で入選」と、記者たちへかっこうの話題性を提供するかたちとなった。5点入選は、同展で曾宮一念Click!小島善太郎Click!などと同数だ。当時、二科展にはあまり人が集まらなくなっており、大きな話題づくりが必要な時期にきていたことは否めない。上掲の写真は、佐伯アトリエで9月1日に撮影された佐伯一家だ。翌日に発行された、東京朝日新聞から引用してみよう。
朝日19260902.jpg
  
 夫婦一緒に入選 佐伯祐三氏夫妻の喜び
 十八点(ママ)の作品が全部入選して。その上奥さんまで入選した佐伯祐三氏夫妻を、目白の暗い木立の中の明るいアトリエに訪れる。/「本当でございますか、お友達がちつとも来てくださらなかつたので、駄目なのだらうとあきらめてゐましたのに」と米子夫人は本当にうれしさうに夫君を仰ぎ見る、「僕のも全部通つたのですか、作品は全部フランスで描いたものばかりです。米子のは花は日本で描いたのですが、「アールの橋」は去年の秋サロン・ドウトンヌに出品したものです。十二年に美術学校を卒業するとすぐこの娘と三人でフランスに行つてブラマンクについてやりました。大阪にゐる兄が金をだしてくれましたから食ふには困りませんでしたが、随分苦労しました。絵は死にもの狂ひに描きました、ここにあるのは皆さうです、」と山の様に積立てられた絵わくを示す、米子夫人は虎の門出の才女である。[写真は佐伯夫妻]
  
 インタビューの受け答えが、わざとらしくて白々しい。二科展での陳列は、とうにふたりとも知っていたはずだ。そばから弥智子ちゃんClick!が、「この前ね、ニカテンで決まったって、パパと喜んで一緒にアトリエで踊ったのよ~」と、そばからバラしやしなかっただろうか? もっとも、「わしら、とうに知ってましたんや」と言っても、記者たちが「それじゃ感動的な記事になりませんや」ということで、知らなかったことにさせられた可能性もある。冒頭の写真は、のちに発行された9月のアサヒグラフからのものだけれど、グラフの記者はどうやら朝日新聞に掲載された記事を、まったく読んではいないようだ。写真のキャプションには、次のように書かれている。
  
 佐伯勇三氏(ママ)と夫人よね子さん
 夫妻時を同うして今秋二科展に入選の栄を得、殊に二科賞の受賞確定者として、又新会員候補の有力者として今年の美術界の寵児、佐伯勇三氏(ママ)の家庭、中央は令息
  
 「あたし令息じゃないもん、令嬢だってば。それに、パパの名前が間違ってるもん」(爆!)と、さっそく弥智子ちゃんからアサヒグラフ編集部へクレームが入りそうな、いい加減なキャプションなのだ。
佐伯アトリエ内東壁面.JPG 朝日19280830.jpg
 それに比べると、前年の1925年(大正14)9月10日に、二科樗牛賞を里見勝蔵Click!とともに受賞した曾宮一念Click!のインタビューは素直だ。『冬日』Click!『荒園』Click!、そして『晩秋風景』の3作品が受賞している。曾宮は、なぜか自身のアトリエではなく、中村彝アトリエClick!で記者会見を開いている。中村彝Click!に兄事していたせいで、その恩返しの意味もこめているのか、あるいは自身も病気がちだが、自宅にはもっと体調が優れない綾子夫人や、まだイタズラ盛りの幼い俊一(3歳)がいるせいで、当時は中村彝画室倶楽部Click!が管理していた彝アトリエへ、あえて場所を移しているのかもしれない。1925年(大正14)9月10日の東京朝日新聞に掲載された記事から引用してみよう。
  
 病床から喜びの声、曾宮一念氏
 樗牛賞の曾宮一念氏と云えば二科の常連には最も親しみ深い人、十年一日のごとく二科を自分の唯一の発表機関としコツコツ勉強して来た。氏の過去は世間的な眼からは、悲壮なしかも不遇なものであつた。しかも今年の痛快なる躍進振り! 第五室の一隅につつましくも光る理智の作品三点の前には、「やったネ、曾宮君は」と知人達の感歎が続き通して居る。氏は昨年秋、私淑した中村彝氏が死ぬ前後から健康を害し、いまだに病床を起きないでゐたが、本社よりの受賞の知らせを聞いてはもうじつとして居ることも出来なくなつたらしい。友人達が記念のために共同管理のクラブにして居る「彝さんのアトリエ」へ記者達を案内して、輝くばかりうれしさうに何かと語り合つたのも、第一番に故恩師への喜びの報告がしたかつたためではなかつたらうかとも察せられ、/病中、製作を遠慮して、清水良三さんに世間へはないしよでこつそり運んでもらつたのでして、受賞なぞとは夢にも思わないことでした/と告げる心は天へでも登つたやうに明るさうだつた。
  
二科・曾宮一念.jpg 二科・林重義.jpg
二科・佐伯祐三.jpg 二科・林武.jpg
 「十年一日のごとく」というのは、聞きようによっては非常に失礼な言い方だけれど、曾宮が二科へ応募しはじめたのは数年前からなので、「十年」というのは取材記者の大きな勘違いだと思われる。いずれにしても、当時の曾宮や佐伯は、自宅に集まる取材記者たちのクルマを見て、文字どおり「天へでも登つたやうに」感じていただろう。ふたりのアトリエには当時、電話など引かれていなかったので、受賞の知らせは近くにあった落合局Click!からの電報でとどけられたにちがいない。

■写真上:1926年(大正15)9月1日のおそらく夜間に、佐伯アトリエで撮影された佐伯一家。
■写真中上:1926年(大正15)9月2日の、東京朝日新聞三面(社会面)に掲載された受賞記事。佐伯夫妻のほか、下落合ではお馴染みの画家の名前があちこちに見られる。
■写真中下は、記者会見で佐伯一家が並んだと思われるアトリエの一角。は、曾宮一念が富士見療養所で「遺作」の文字に気づかず、佐伯が第2次渡仏の作品を二科へ出品していると勘違いClick!した、佐伯の訃報と遺作展が掲載された1928年(昭和3)8月30日の東京朝日新聞。
■写真下:1926年(大正15)の『中央美術』10月号に掲載された、「二科賞を受けたる人々」の曾宮一念と林重義Click!()、「二科会会友に推された人々」の佐伯祐三と林武Click!()。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    バンクーバーは、あと女子のフィギュアで盛り上がりそうですね。
    nice!をありがとうございました。>風の子さん
    2010年02月23日 10:44
  • ChinchikoPapa

    25分前後の演奏というのは、相変わらずチカイは吹きまくってくれますね。
    nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2010年02月23日 10:49
  • ChinchikoPapa

    そろそろ雛祭りですけれど、女の子に恵まれなかったうちでは縁が薄い祭りです。
    nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
    2010年02月23日 10:52
  • ChinchikoPapa

    子供のころから、サザエには目がないですねえ。あの苦いのもかまわず、つぼ焼きはいくつも“お代わり”してました。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2010年02月23日 10:54
  • ChinchikoPapa

    政子さんの供養塔、きれいになりましたね。わたしが子供のころは植木もなく、境内の地面にそのままボコッと置かれているだけでした。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
    2010年02月23日 11:30
  • sig

    こんにちは。
    アサヒグラフの間違い記事に関するChinchikoさんのフォローには大笑い。
    画壇は分かりませんが、芥川賞、直木賞をはじめとする文壇における発表では、今でもこういう感じなのではないでしょうか。
    2010年02月23日 15:03
  • ChinchikoPapa

    長崎地域にも、ネコがたくさんいそうですね。少し洋ネコが入っている雑種でしょうか。nice!をありがとうございました。>漢さん
    2010年02月23日 22:07
  • ChinchikoPapa

    全体にモノトーンのテクスチャーをほどこすのも、画面に落ち着きが出ていいですね。nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
    2010年02月23日 22:11
  • ChinchikoPapa

    少し円形が崩れると、曲の半分ほどで迷路を抜けられますね。
    nice!をありがとうございました。>トメサンさん
    2010年02月23日 22:14
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントとnice!をありがとうございました。
    同じ新聞社でも、新聞と雑誌とでは編集局同士で情報交換がないんでしょうか。いまでは、ちょっと考えられないミスですね。
    文学賞では、いまでも電話を前にジリジリと選考委員会が終わるのを待っているのでしょうね。もっとも、現代では携帯がありますから、どこにいてもいいのでしょうが、飲み屋で酔いつぶれてたりするとやっぱりマズイのでしょうか。w
    2010年02月23日 22:22
  • ChinchikoPapa

    憂歌団とはなつかしい。「おそうじオバチャン」のフレーズは、いまだに口をついて出ます。nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
    2010年02月23日 22:28
  • ChinchikoPapa

    血栓ができては流れ、できては流れする多発性梗塞は、うちの母親で起きました。少なからずダメージを受けたのですが、さやちゃんはまだ若いから回復する可能性が大きいですね。nice!をありがとうございました。>shinさん
    2010年02月24日 10:40
  • ChinchikoPapa

    アンギラスが出てくるVSものの「ゴジラの逆襲」は、その後、60年代に多作される怪獣映画の方向性を決定づけるような作品ですが、わたしはどちらかといいますと得体の知れない怪物然とした初代「ゴジラ」のほうが好きです。nice!をありがとうございました。>isana88さん
    2010年02月24日 10:45
  • ChinchikoPapa

    大型船の場合、ドックでの舷側の足場は高さ数十メートルにもなるのでしょうから、安全第一ですね。nice!をありがとうございました。>篠原さん(今造ROWINGTEAMさん)
    2010年02月25日 11:45
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2010年02月26日 15:08
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>ひまわりさん
    2010年02月26日 23:18
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2010年02月28日 23:20

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