前掛けキャンバスに描かれた雲龍図。

「雲龍」柳家小さん.jpg
 下落合で中村彝Click!がせっせと「もとゆい工場」Click!を描いていたころ、1919年(大正8)に創業し現在は錦糸町に店をかまえている「鳥の小川」さんClick!には、布地に描かれた「雲竜図」が架けられている。岸田劉生Click!が描いた怪しげな「雲虎図」Click!ではなく、見るからに正統派の「雲龍図」だ。描かれているのは通常の画布ではなく、なんと前掛けの布地なのだ。
 「鳥の小川」さんが用いるやき鳥のタレは、1945年(昭和20)3月10日の東京大空襲Click!の際、店は焼けても秘伝のタレだけは・・・とわざわざ持ち出し、大火流Click!が渦巻く本所界隈をタレの容器ともども、命からがらなんとか逃げのびることができた逸品中の逸品だ。同店では代々、そのタレを作り足しては鳥串を焼きつづけている。だから、関東大震災Click!の以前からつづく東京の甘辛な正統派・やき鳥の味は、このお店に行けば味わえるというわけで、わたしも何度かお邪魔している。通常のやき鳥屋さんとは、ひと味もふた味も違ううまさで、一度食べたら病みつきになりそうだ。家から遠くさえなければ、美味しいやき鳥を1週間に一度は食べに行きたくなるだろう。
 お店のご主人のもとに嫁がれたのが、お母様がダット乗合自動車Click!のバスガールをしていた、下落合3丁目(現・中落合)ご出身の小川薫様Click!だ。ご先祖が、地元の富士講・月三講社Click!へ参加されて富士登山をしていた、生っ粋の下落合地付きの方だ。以前、昭和初期の下落合や目白通りClick!長崎界隈Click!の貴重な写真をお借りしてご紹介したので、このサイトをお読みの方なら強い印象を持たれているだろう。その「鳥の小川」さんへおうかがいするたびに、店の突き当たりに架けてある大きな額が目にとまる。それが、冒頭の「雲龍図」というわけだ。
柳家小さん.jpg 柳家小三治.jpg
 描いたのは、目白駅の東側に長く住んでいた柳家小さん。描かれている布地は、ご主人が若いころ某店で修行をしていた時代にかけていた前掛けだ。ご主人が配達で、柳橋Click!の川舟料理「井筒屋」を訪れた際、たまたま柳派の川遊びに出くわした。年に一度、柳家一門は神田川の柳橋を起点にハゼ釣り大会を開いていたらしい。そばにいた柳家小三治に、さっそく「サインをもらえないでしょうか?」と頼んだところ、「オレのかい? いいよ~」と気をよくしたまではよかったが、「いや、大師匠のサイン」と言ったら、「なんだてんだい」とブツブツむくれてしまったようだ。
 それを聞いた小さんが、気に入って面白く感じたのかサインに応じてくれたばかりでなく、当時は修行の身でまだ若かったご主人の前掛けに目をとめ、「そいじゃ、どうでい、ここはひとつ絵でも描いてやろうじゃねえか」てんで、井筒屋の女将から太いマジックを借りて機嫌よく描いたのが、この「雲龍図」というわけだ。後年、ご主人は新宿の飲み屋で小三治に再会したとき、「あっ、オレのサインを断りゃがった野郎だ」と憶えていたというから、よっぽど印象深いシーンだったのだろう。ひょっとすると、どこかで小三治が得意な噺のマクラに使われているかもしれない。
柳家小さん邸1974.jpg 警視庁19360226.jpg
 5代目・柳家小さんは、親父が6代目・三遊亭圓生の次に好きだった落語家だ。二二六事件Click!の現場を、祖母とともに円タクでめぐったClick!せいか、TVで小さんを見かけるたびに、「あの中に、小さんがいたんだよなぁ」とよく話していた。ただし、小さんは1936年(昭和11)2月26日の朝、祖母と親父が円タクでめぐったコースからは外れて、桜田門の警視庁を襲撃・占拠する麻布3連隊(第1師団歩兵第3連隊)の支隊にいたから、どこかですれ違ってはいないのだろう。噺をする小さんが、モノを食うシーンを演じるたびに、「うまいね~」と言っていたのを思い出す。
 小さんは、長く目白駅近くに住んでいるが、落合地域とは反対側の川村学園がある住宅街だ。長谷川時雨Click!の親父さんと同様、北辰一刀流Click!の達人で、自宅には剣道場が併設されていた。この道場で、近所の子供たちを集めては、スポーツの剣道(刃立ての所作が不可欠な“剣術”ではないと思う)を教えていた。また、戦後すぐのころ、下落合側で結成された目白文化協会Click!にも参加しており、吉田穂高Click!などを中心とする青年部「あらくさ会」の催しではなく、衣笠静夫Click!らを中心に徳川邸Click!の講堂で企画された、文化寄席Click!にも登場しているのだろう。
鳥の小川.jpg つくね.jpg
 今度、柳家小三治が落語協会の会長に就任するけれど、いまだ「オレのサインを断りゃがった」と、ご主人のことを憶えているかもしれない。東京の芸人は、そういう街中の小さな口惜しさをバネに、大きく成長していくのだろう。小川様より、新たに見つかった落合・長崎界隈の貴重な戦前・戦中写真を、再びお借りしてきたので、近々また記事を書いてみたい。

■写真上:雲の中に龍が踊る、エプロン・キャンバスの柳家小さん『雲龍図』。
■写真中上は、周囲から「目白の大師匠」とも呼ばれた5代目・柳家小さん。は、今年の6月から落語協会会長に就任する予定の10代目・柳家小三治。
■写真中下は、1974年(昭和49)の空中写真にみる目白駅近くの柳家小さん邸(小林邸)。は、二二六事件で桜田門の警視庁を襲撃・占拠する麻布3連隊の兵士たち。
■写真下は、1919年(大正8)創業の「鳥の小川」。は、戦前・東京の味がするやき鳥。運がいいと、新鮮な鶏からほんのわずかしか取れない「せぎも」も味わうことができる。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    いまの焼き鳥のタレは、やたらに甘いのですが、地元本来の「甘辛」ダレで鶏を食べるとうまさが引き立ちます。nice!をありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
    2010年02月20日 09:54
  • 良いお顔ですねえ……お二人とも!
    2010年02月20日 11:08
  • ChinchikoPapa

    孝助は八丈送りか、潮の流れでたまたま運が悪いと、無人島(ぶにんじま)=小笠原列島まで流されたといいますから、さてどうなることやら。nice!をありがとうございました。>漢さん
    2010年02月20日 11:21
  • ChinchikoPapa

    漢さん、コメントをありがとうございます。
    先週の土曜日も、TVで赤い手ぬぐいを巻いた姿を拝見していますが、漢さんも良いお顔をされています。^^
    2010年02月20日 11:27
  • siina machiko

    さっそくの掲載と詳しい解析と解説をありがとうございます。下落合にいた祖父の冨士講の写真といい目白に住んでいた小さんの絵といいいつも見ていたのに私は何も知らずにいました。夫も今になり「よくおふくろに連れられ寄席に行った時、小さんの噺の中で2・26事件の事もきいていたけどもう一度じっくりきいてみたかったなぁ。特にテレビではあまり話していないような噺を」と言っております。ところで夫が修行していたのは「都内の某牛鍋屋」(店名は御勘弁をとのこと)で「伊せ喜」ではありません。説明不足で申し訳ありませんでした。
    毎回のブログを楽しみにしております(^^)
    2010年02月20日 12:11
  • sig

    小さん師匠の前掛け雲龍、すばらしいものですね。
    口の達つひとは筆も達つものなんですね。
    2010年02月20日 13:17
  • ChinchikoPapa

    「最適化」は、システムの世界でも盛んにつかわれる言葉ですね。円形迷路の組み合わせ、面白いです。nice!をありがとうございました。>トメサンさん
    2010年02月20日 17:35
  • ChinchikoPapa

    雪が積もったハケの風情がいいですね。静寂感が漂ってきます。
    nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2010年02月20日 17:40
  • ChinchikoPapa

    ハンコック『Maiden Voyage』の最初の1フレーズが出ると、わたしはなぜか条件反射のように横浜の「ちぐさ」を思い出します。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2010年02月20日 17:45
  • ChinchikoPapa

    siina machikoさん、コメントをありがとうございました。
    さっそく、文言を修正しておきました。小さんの二二六事件をまじえた噺では、部隊が占拠・籠城のさなか、兵の緊張を少しでもやわらげるためか、上官の命令で「おまえ、落語やれ」と言われ、なにか噺をしはじめるのですが、部隊全員が笑っている場合じゃないせいか、いくら噺をしても誰も笑い声を立てる者はいなかった・・・というのを聞いたことがあります。寄席では、TVではまず演らないような噺も聞けるんですよね。^^
    また、なにかお気づきの点がありましたら、お気軽にコメントをお寄せください。
    2010年02月20日 17:53
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    まだ、小さん師匠も若かったんでしょうね。筆ではなく太マジックというのも面白いですが、とても勢いのある線で描かれています。
    2010年02月20日 17:59
  • ChinchikoPapa

    最初の失敗で吹っ切れたんでしょうね、そのあとが素晴らしい演技でした。
    nice!をありがとうございました。>風の子さん
    2010年02月20日 18:01
  • ChinchikoPapa

    このサイトでも、「アヒンサー」を実践した高良とみをご紹介してますが、タゴールとガンジーの思想はいまだ色褪せていないですね。nice!をありがとうございました。>shinさん
    2010年02月20日 19:25
  • ChinchikoPapa

    特にアプリの操作などでは、マニュアルを読み込むの嫌さに、いろいろ失敗を繰り返して憶えていきます。^^; nice!をありがとうございました。>まるまるさん
    2010年02月20日 19:30
  • ChinchikoPapa

    ミュンヘンのミュンヘン・ティアティーナ教会のデザインも、装飾がゴテゴテあるのに全体的にはあっさりした印象なのが不思議ですね。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
    2010年02月21日 20:39
  • ChinchikoPapa

    そういえば、最近知らない人と食事をしたことがないです。たいがい、親しい友人や家族が多いのですが、たまには知らない人と知らない話をしながら食事をするのも楽しそうです。nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2010年02月21日 20:43
  • ChinchikoPapa

    印刷屋さんは、印刷技術の急激な進化でたいへんですね。印刷機はいずれも高価ですから、ライフサイクルの短命化と設備投資の回収とのはざまで、苦労の多い時代だと思います。nice!をありがとうございました。>emiさん(今造ROWINGTEAMさん)
    2010年02月21日 20:51
  • ChinchikoPapa

    さりげなく、「芸術の丘」と名づけられているところがいいですね。
    nice!をありがとうございました。>kakasisannpoさん
    2010年02月21日 21:10
  • アヨアン・イゴカー

    この二人の噺家さんたちは、味がありますね。
    先日、川村学園の近くを通りました。
    2010年02月21日 22:10
  • ChinchikoPapa

    アヨアン・イゴカーさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    咄家でも、得意な演目によって形成されるのか、表情や味わいがそれぞれ違いますね。滑稽、人情、怪談・・・と、咄家の得意分野が風情をかたちづくるようです。
    2010年02月21日 23:05
  • ChinchikoPapa

    わたしは、新鮮なアンコウの肝に目がないですね。w
    nice!をありがとうございました。>ひまわりさん
    2010年02月21日 23:07
  • ChinchikoPapa

    瓦屋根に積もった雪の文様が美しいですね。大磯は、古い日本家屋もたくさん残っているので、積雪後はよけいな色合いが薄れて、昔の風情が強く感じられます。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
    2010年02月22日 21:41
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
    2010年02月23日 22:12
  • ChinchikoPapa

    昔の記事にまで、わざわざnice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2015年03月15日 19:54

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