曾宮一念Click!は、日本橋の浜町出身だけれど、下落合にアトリエをかまえて暮らすようになるまでに東京府内をあちこち転々としている。下町から山手、あるいは逆に山手から下町へと頻繁に往来し、のちの1955年(昭和30)に出版されたエッセイ集『榛の畦みち』(四季社)には、「東京を幾度も引越して育った私には故郷というものが無い」と書いている。他の街に住まわれている方なら、「じゃあ、東京が出身地ということで、東京が故郷ということになるじゃないの」と、きっと不思議に思われるだろうが、この地方ではそのような感覚が昔から希薄なのだ。
「どちらのご出身ですか?」と訊かれて、「東京です」と答えたら、「日本です」と答えているのにも似て、この地方ではほとんどなにも答えてないに等しい。市街地が、他の街に比べて相対的に広大だったせいか、個々の街ごとに少なからず言語や文化、民俗、習慣、料理、はては奉神までが古くから異なってきたため、生まれ育った地域が「江戸東京」内の近接したエリア同士でも、同一のアイデンティティが形成されているとはまったく限らないからだ。
同一のエリア、たとえば日本橋でも「本町です」とか「人形町よ」、「元柳町だぜ」、あるいは「薬研堀っすよ」という答えによって、おおよそ相手が育ち人格が形成されたであろう各時代の環境や習慣を想定すると、まったくちがう「人間像」(人物の気心)が浮かんでくる。余談だけれど、目白文化村Click!を取材中に日本橋人形町から嫁いで来られた方から、「ご出身は?」と訊かれて「日本橋です」と答えたら、「日本橋のどちら?」と重ねて訊かれてしまった。わたしが答えると、どうやら得心されたような表情をされて、いろいろお話Click!を聞かせていただいた。どうやら、わたしの「人間像」がある程度想定でき、いわゆる“気心”が少しは知れる状態になったからなのだろう。
曾宮が自身の出自を“根なし草”のように感じていたのは、浜町で生まれてからすぐに養子へ出され、新聞記者だった父親の都合で山手と下町とを頻繁に行き来したために、「この街の人間」という意識が形成されにくかったからだ。それでも、自我が形成される時期をすごした霊岸島に、もっとも愛着をおぼえていたらしい。1943年(昭和18)出版の、『夕ばえ』(求龍堂)から引用してみよう。
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その頃私の家は京橋、芝の下町生活からまだ畑地の多かつた大久保に移つたところなので、父は花壇を造り、その中に向日葵も咲くやうになつた。今の落合に来たのはずつと年代が飛んでゐて父はとつくの昔に亡く、私が庭の花や蔬菜を造つてゐる。ここに来てからは種子を買つたり、時にはロシヤの種子と称するもの、又或年にはゴッホの墓にあつたものの種子といふのをもらつたこともあつた。 (同書「向日葵」より)
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あちこち引っ越しを繰り返す中で、庭には父親が好きだったヒマワリが植えられていて、曾宮もこの花が好きになっている。下落合のアトリエの庭にもヒマワリを植えては、モチーフとして描いている。文中に「ロシヤの種子」と書かれているのは、おそらく鶴田吾郎Click!がロシア放浪から土産に持ち帰ったものではないかと思われ、また「ゴッホの墓」に植えられたヒマワリの種子は、第1次渡仏から帰った佐伯祐三Click!がヴラマンクも住んでいた土地、オーヴェル・シュル・オワーズClick!の土産として曾宮に手渡しているのではないか。
夏に弱い曾宮一念は、ヒマワリをほとんど描いてはいないけれど、初秋の訪れとともに種子が実った枯れヒマワリはよく描いている。初めて枯れたヒマワリをモチーフにしたのは、1934年(昭和9)の9月だった。『種子静物』と題された同作品は、翌年の独立美術展へと出品されている。冒頭の写真は、下落合のアトリエで『種子静物』を制作する1934年(昭和9)9月15日の曾宮を、南側からとらえた写真であり、背後には北側の採光窓が見えている。下落合の曾宮アトリエClick!内部の様子を写した、きわめて貴重な写真だ。採光窓は、佐伯アトリエの窓ではなく、中村彝アトリエClick!の窓に近似している。そして、曾宮一念がキャンバスを立てているイーゼルは、佐伯祐三からプレゼントされた簡易イーゼルとほぼ同型であり、角材で補強前の佐伯イーゼルである可能性がきわめて高い。
ネコが大キライな曾宮は、家の周囲でネコへ石をぶつけて寄せつけなかったせいか、必然的にネズミの被害に悩まされることになった。モチーフの枯れヒマワリにネズミが群がり、種子をどんどん食われてしまうのだ。描きはじめたときと、描き終えるときとの形状が異なる静物モチーフというのは、ちょっと困った状況だ。のちに雲や噴煙、流れ出た溶岩など、つかみどころのない変化をつづける対象を好んでモチーフに採用しているところをみると、曾宮自身には日々変化をつづける枯れヒマワリの様子は、あまり苦にはならなかったような気もするのだけれど・・・。
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たゞ種子の並び方が一種放射状になつて、渦紋にも見え、螺旋にも見え、蜂の巣状にも見え、規則正しく重なつて良い加減に胡麻化せないのは描きにくい。私は何度この種子を描いても種子の並び方の渦紋になると手古摺り出し、幾度も消したり、削つたり、捏ねまはすことになるのである。/さうして手間取つてゐる間に鼠が種子を食ひはじめ、日一日と種子の列が空いてしまふので、卓子ごと戸棚にしまひ込めば戸棚を食ひ破るといふ工合でさんざんな目にあつてゐる。然し鼠のお蔭で種子が減り、変化が出来て描き易くなつたやうである。 (同上)
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また、ネズミたちが枯れヒマワリを夜中にポリポリ食べていると、曾宮はわざわざ寝床から起き上がり、アトリエに入ってはネズミたちを叱っていたらしい。
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今年もどうかと思つて第一日は画室にそのまゝにして置くと、夜半にポリポリとやつてゐるので私は起きて行つて怒鳴り付けた。鼠を怒鳴り付けに起きる形は、今考へると自ら可笑しくなるが、その時はまさに真剣である。 (同上)
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いまでも、下落合にはネズミがたくさん住んでいる。だから、それをねらって多種多彩なヘビや野良ネコも健在なのだろう。いくら毎晩怒鳴りつけても、下落合のネズミが下落合のネコ以上に、聞き分けがよかったとはちょっと思えないのだけれど・・・。
■写真上:1937年(昭和12)の『美術』9月号に掲載された、下落合のアトリエで制作する曾宮一念。夏に弱い曾宮は、「まだ暑っちい」と気だるそうなポーズをしている。モチーフの枯れヒマワリが手前に見え、どうやら佐伯祐三の簡易イーゼルを使用しているようだ。
■写真中上:左は、上記のイーゼル上に載っている作品で1935年(昭和10)の独立美術展に出品された曾宮一念『種子静物』。右は、昭和30年代に富士宮のアトリエで制作する曾宮一念。
■写真中下:1940年(昭和15)8月25日に描かれた、曾宮一念『種子』(水彩)。
■写真下:1938年(昭和13)に自著の挿画用に描かれた、曾宮一念『大磯高麗山』(素描)。
この記事へのコメント
ひまわり
なんか存在感がありますね。
kaika-t
>「本町です」とか「人形町よ」、「元柳町だぜ」、あるいは「薬研堀っすよ」
面白いですね。ひまわりの絵もすごく興味深かったです。*^^*
ナカムラ
漢
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
曾宮一念が描くモチーフというのは、大正期から昭和初期にかけては「普通」なのですが、だんだん面白いもの、特異なものに目を向けはじめますね。後半生は富士山の裾野に住んでいるのに、富士山をほとんど描かなかった・・・というところにも、曾宮自身のユニークな画家としての視点を感じます。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>kaika-tさん
ChinchikoPapa
わたしも、面白く感じます。曾宮が書いてますが、これが同じ下町でも芝地域になったりすると、わたしはまったく街々の様子から人々の気質まで、ほとんどわかりません。霊岸島で少年時代をすごした曾宮自身も、異なる街へ引っ越すたびに非常にとまどっている様子が、のちのエッセイの中にも登場しています。
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>toshiroさん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
はい、このサイトではまだぜんぜん触れていない人も含め、個性的で面白い人たちがたくさん住んでいたようです。どちらかといえば、文学関連よりは美術関係者に、エピソードが尽きない“変人”が多いですね。^^;
ChinchikoPapa
なんだか、「落合の愉快な仲間たち」というカテゴリーが、もうひとつできてしまいそうですね。文中に登場しています独立美術展は、面白い人たちの宝庫です。
チェリーちゃん、プーさんを見てはしゃいでますね。ww
ChinchikoPapa
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nice!をありがとうございました。>emiさん(今造ROWINGTEAMさん)
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nice!をありがとうございました。>ほりけんさん
sig
本当に単に「東京です」と言われたら、やはりもう一歩聞きたくなりますね。
アトリエのイーゼルなど、よく観察されていますね。
鼠をどやしつけるところは、思わず笑ってしまいました。
試験勉強を邪魔された自分がやった様子を思い浮かべることが出来るからです。w
ChinchikoPapa
道路を歩いてますと、ときどき道端にジッとしている小さなイエネズミを見かけることがあります。庭に実る種子を食べに、ときどき外へも出てくるのでしょうが、ときに家の建て替えなどがあると、今度はどこの家に引っ越ししようか物件を物色中のようにも見えますね。^^;
ChinchikoPapa
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