ヴォーリズのメーヤー館を拝見する。

メーヤー館01.jpg
 下落合でひとつ残念なことは、メーヤー館Click!が存在するうちに内部をゆっくり拝見しておかなかったことだ。近くにある街並みはいつでも写真が撮れる・・・と思っていると、それがいつの間にかなくなってしまい、「写真を取っておけばよかった!」と後悔するあの感覚と同じだ。館内をじっくり拝見しないまま、メーヤー館では千葉県東金への移築作業Click!がスタートしてしまった。
 1912年(明治45)に下落合493~500番地の広大な敷地(約2,600坪)へ建設された、落合福音教会(のち目白福音教会へ改称)の宣教師館(メーヤー館)は、W.M.ヴォーリズ(ヴォーリズ合名会社)が設計した建物だということが、今年(2009年)の7月に小道さんClick!の鋭い機転から、一粒社ヴォーリズ建築事務所(大阪市)に現存している原図を通じて判明Click!している。その小道さんから、千葉県東金市へ移築され完成間近なメーヤー館をとらえた、貴重な写真をお送りいただいた。
 いただいた写真を一瞥して、まっ先におぼえた第一印象は「メーヤー館はでかい!」ということだ。下落合に建っていたとき周囲をマンションやビル、大きな家屋、さらには成長した樹木や蔦などに囲まれていたので、そのサイズが実際よりも小さく感じられていたのだが、周囲が抜けのよい広々としたスペースに建つメーヤー館を見ると、意外に大きな建築であったことに改めて気づかされる。見方を変えれば、移築先のメーヤー館の姿は、建てられた当初の風情を髣髴とさせる眺めとなっているのだ。同館の意匠や塗装も下落合時代と変わらず、ほとんどそのままに再現されている。
メーヤー館1936.JPG メーヤー館2005.JPG
メーヤー館02.jpg メーヤー館03.jpgメーヤー館04.jpg メーヤー館05.jpg
 冒頭の写真は、夕陽に映えるメーヤー館の姿だけれど、中村彝Click!が1919~20年(大正8~9)に降雪のあったあと(おそらく1919年12月17日の写生)、夕陽をあびる同館を描いた『風景』Click!を思い起こさせる。建物や樹木に遮られていない現状だと、千葉県に雪が降れば中村彝が眺めたメーヤー館に限りなく近い光景を、実際に目にすることができるだろう。同館の塗装も、30年ほど前の白い外壁に緑の窓枠ではなく、おそらく中村彝が描いた当時と同一の色彩(薄緑の外壁)にもどっていると思われる。ただし、ほぼ同時期の『目白の冬』Click!に描かれたメーヤー館は、彝の恣意的な色選びからだろうか、外壁がベージュにモスグリーンを混ぜたようなカラーで塗られている。
 また、下落合では周囲の樹木や蔦、塀などに遮られてよく見えなかった、大きな煙突のある同館の北西側(下落合時代)も、よく観察することができる。掘潔Click!が1964年(昭和39)に、メーヤー館の南西側を描いた『日本聖書神学校・メーヤー館』の姿だ。もちろん、屋根の上に突き出ていた暖炉の煙突類は古くて傷んでいたため、移築先で新たな煙突が造られているのだが、形状が多少異なるものの同一の場所に再びレンガ造りの煙突が備えつけられている。
メーヤー館06.jpg メーヤー館07.jpg
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メーヤー館10.jpg メーヤー館11.jpg
メーヤー館12.jpg メーヤー館13.jpg
メーヤー館14.jpg メーヤー館15.jpg
 建物の内部は、長く住んでいたP.S.メーヤー牧師Click!の人物像、あるいは移築される前の日本聖書神学校のイメージから、カチッとしたデザインで生真面目な内装をつい想像しがちだったのだけれど、意外なほどやわらかで心休まる印象を受ける。それは、あちこちの壁や天井、階段などに使われている曲線や角がとれたデザイン、あるいはていねいに施された木材の面取りなどが生む効果によるものだろう。この時代の建物によく見られる、腰高の板壁が存在しないほぼ床面からつづく漆喰の壁は、どこまでも白く清潔感あふれる印象なのだが、ことさら窓を大きく取っている同館では、1日の時間の推移とともに、あるいは周囲に茂る樹木を通して射しこむ陽光の加減から、壁の色は刻々と変わりつづけるのではないかと思われる。
 メーヤー館で4人の娘を育てたメーヤー夫妻は、彼女たちのためにいくらか同館の内装をいじってるだろうか? たとえば、階段の手すりや2階の階段への降り口に見える転落防止柵の支柱が、やたら細く間隔が密になっている。2階にそれぞれの部屋を与えられた、幼い娘たちの事故を心配した夫妻が、大正期に改造しているのかもしれない。また、木材が露出している角は鋭角のままにしておかず、ていねいな面取りが施されているので(特に子供が転んで頭を打ちそうなあたり)、幼い子供がいる方にはピンとくる気配りではないだろうか。
メーヤー館16.jpg メーヤー館17.jpg
メーヤー館撮影ポイント.JPG
 それぞれの外観写真が、メーヤー館のどのあたりを写した姿なのか、1947年(昭和22)の空中写真をベースに撮影ポイントを記載してみよう。下落合では周囲に建物が迫って敷地が狭く、また樹木の蔭になってかなわなかったが、これぐらい距離をおいて同館を眺めてみると、とても新鮮な感覚をおぼえる。建物と周囲の環境とのバランスが、いかに大切かを改めて感じさせてくれるのだ。

■写真上:夕陽に映えるメーヤー館(旧・日本聖書神学校/元・目白福音教会宣教師館)。
■写真中上上左は、同じく西陽をあびる1936年(昭和11)のメーヤー館。上右は、2005年の空中写真にみるメーヤー館。は、千葉県東金市へ移築されたメーヤー館の外観。
■写真中下:移築再建の完成が間近に迫る、メーヤー館のさまざまな内外観。
■写真下は、独特な曲線が美しい階段。は、下落合時代の同館をもとにした撮影ポイント。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    いつもご訪問いただき、ありがとうございます。>xml_xslさん
    2009年11月25日 18:29
  • ChinchikoPapa

    ちょうど年末にかけ、おとめ山公園の拡張をめぐって、地元でさまざまな打ち合わせが開かれます。きょうも新宿区の公園ご担当からお電話をいただきましたが、減ってしまった緑を少しでも増やし、同時に歴史的な側面から同公園を活用できればいいな・・・と思っています。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年11月25日 18:36
  • ChinchikoPapa

    泉麻人氏が御留山の「秘境」を探検しようとして、バラ線でケガをしていたとは・・・、初めて知りました。nice!をありがとうございました。>No14Ruggermanさん
    2009年11月25日 18:42
  • ChinchikoPapa

    きょうは、吉本隆明の誕生日なのですね。^^;
    nice!をありがとうございました。>soneさん
    2009年11月25日 18:43
  • ChinchikoPapa

    仕事してると、世の中カメレオン女よりも風見鶏男のほうが多いような気がしてます。nice!をありがとうございました。>@ミックさん
    2009年11月25日 18:47
  • ChinchikoPapa

    ネットしてますと、ネコ好きが多いのに驚きますね。ネコ嫌いなのは、今のところソミヤはんぐらいのもんでしょうか。w nice!をありがとうございました。>shinさん
    2009年11月25日 18:49
  • ChinchikoPapa

    秋の紅葉は美しいですね。でも、これからが落ち葉掃きと腰痛の季節なのです。(爆!) nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
    2009年11月25日 18:51
  • ChinchikoPapa

    大磯に滞在した佐伯祐三は周囲の風景を描きませんでしたが、同じく滞在した曾宮一念はスケッチを描いています。今度、機会がありましたらご紹介したいと思います。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
    2009年11月25日 18:54
  • ChinchikoPapa

    結果を「予見」できたかできなかったかも、まま重要な争点となりますね。重大な結果を生じる事態は、大人だったらたいがいのケースは「予見」できていると思うのですが・・・。nice!をありがとうございました。>トメサンさん
    2009年11月25日 19:00
  • ChinchikoPapa

    昔からなぜか、DNAの螺旋モデルやヌクレオチドの形状に惹かれてしまうのです。nice!をありがとうございました。>ナカムラさん
    2009年11月25日 19:02
  • ChinchikoPapa

    ご訪問、ありがとうございます。>タッチおじさん
    2009年11月25日 19:12
  • ChinchikoPapa

    「コク旨ラーメン」、ちょっと味わってみたいです。
    nice!をありがとうございました。>ほりけんさん
    2009年11月25日 21:19
  • ChinchikoPapa

    子供のころの原体験が作用しているものでしょうか、海と富士山が見えない地域へ行くとなんとなく不安になります。nice!をありがとうございました。>たもぞうさん
    2009年11月25日 21:23
  • ChinchikoPapa

    当時の消防馬車の、大小さまざまなモデルが面白いですね。
    nice!をありがとうございました。>sigさん
    2009年11月25日 23:24
  • ChinchikoPapa

    子供のころ、船のマストにかかげられる国際信号旗のいろいろを憶えたのですが、すっかり忘れてしまいました。nice!をありがとうございました。>ねねさん(今造ROWINGTEAMさん)
    2009年11月26日 10:09
  • ChinchikoPapa

    チョコレート色の山手線、わたしは写真を撮りそこねてしまいました。引っ越したいへんですね、水仕事などで風邪を引きませんよう。nice!をありがとうございました。>ひまわりさん
    2009年11月26日 10:12
  • ChinchikoPapa

    野村芳太郎作品は観ましたが、新しい『ゼロの焦点』も観たいです。
    nice!をありがとうございました。>漢さん
    2009年11月26日 21:29
  • ヴォーリズファン∞

    一度、千葉県東金市に移築された旧メイヤー邸を見に行きたいと思っていますが、大字など詳しい場所を教えていただけませんでしょうか。また、内部の見学等行われていませんでしょうか。
    2013年08月15日 14:33
  • ChinchikoPapa

    ヴォーリズファン∞さん、コメントをありがとうございます。
    わたしも、千葉へ移築されたメーヤー館へは、残念ながら一度も出かけていません。記事中にも書きましたが、上記の写真は同館の竣工直前に、小道さんが特別に許可されて撮影されたものです。
    正確な場所は、あまり公にされたくないものでしょうか、東金市大網白里町としか記載されておらず、わたしも地番までは知りません。下落合の日本基督教団目白教会へお問い合わせされれば、お教えいただけるのではないかと思います。
    http://www.mejiro-kyoukai.net/mejiro-church/kabeshinnbunn-20120506-meiyaakann.html
    現在も牧師館として使われているようですが、個人の住宅と同じだと思いますので、外観以外の見学はできないんじゃないかと思います。
    2013年08月15日 15:42
  • ヴォーリズファン∞

    早速、回答いただきましてありがとうございます。大網白里市と分かっただけでも随分と助かりました。東金市を探すところでした。明日、お邪魔にならない程度に外観だけを見学してきたいと思っています。何か新たな発見があれば、また連絡させていただきます。
    2013年08月15日 16:21
  • ChinchikoPapa

    ヴォーリズファン∞さん、ごていねいにコメントをありがとうございます。
    東金市には含まれるようですが、大網白里町という町名らしいですね。つい先ごろまで、大網町とよばれていた地域のようです。
    わたしも、地番が公表されていないので、もし出かける機会があれば東金駅の駅前あたりで、「最近、東京の下落合から移築された宣教師館はどこらへんでしょうか?」と訊こうと思っていました。たぶん地元の方でしたら、「あれね、あそこだよ」・・・と教えてくれると思います。^^
    2013年08月15日 17:01
  • ヴォーリズファン∞

    旧メーヤー邸、外観見学してきました。大きな家なので分かるだろうと思っていたのですが、実際行ってみると分からないものですね。大網駅前で尋ねてようやく行き着きました。綺麗に移築されていました。移築された方の気持ちが伝わってくる感じがしました。実際に見てみると、ヴォーリズ建築は独特の雰囲気が伝わってきます。
    また、ヴォーリズが最初設計しましたが、その設計案が採用されなかった土浦日本聖公会聖バルナバ教会も併せて見学して来ました。遠かったです。たとえ移築されてもみんなに愛されている建物や地域で愛されている建物というのはいいものですね。ありがとうございました。
    2013年08月16日 20:00
  • ChinchikoPapa

    ヴォーリズファン∞さん、コメントをありがとうございます。
    さっそく、出かけられたのですね。ご報告をありがとうございました。
    下落合に建っていましたときは、目白通り沿いのビルや大きな邸が周囲にありましたので、それほど大きな建物とは思えなかったのですが、小道さんから移築後の写真をおおくりいただいたとき、まず最初に感じたのは「こんな大きな建築だったかな」・・・という思いでした。おそらく、戦前の下落合では大きな建物・・・という印象が強かったかもしれません。
    移築の際は、コンテナへていねいに部材が積まれていましたので、よほどたいせつな思い出がおありなんでしょうね。移築の際は、施工会社が途中で倒産してしまい、資金繰りなどにずいぶん苦労をされたようですが、無事に竣工できてわたしもホッとしたのを憶えています。貴重な建築作品が、この世から消えてしまうよりは、たとえ下落合からなくなったとしても、きれいに保存・活用されているのは嬉しいですね。
    ごていねいに、ありがとうございました。
    2013年08月16日 21:16
  • たけだ

    メーヤーさんの次女の知人です。最近、そのまたお嬢さんとメールでやり取りする機会があり、メーヤー館の事を調べてみました。
    懐かしく語られていた家を訪れることができるかと思うと感慨深いです。是非伺わせて頂きます。
    このサイトはすぐそのお嬢さんにお送りします。メーヤーさんの三女の方が91歳でワシントンに住んでおられます。その館に住んだ事のある方で、日本語を話されるそうです。
    2014年03月27日 01:39
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2014年03月27日 14:03
  • ChinchikoPapa

    たけださん、コメントをありがとうございます。
    ヴォーリズ設計のメーヤー館が、下落合から千葉へ移築されてしまったのは残念ですが、いつでも出かけて目にすることができるという意味では、解体されて消滅してしまう近代建築が多い中、とても幸運な建物ですね。
    左のメニューテーブルにあります検索窓から、「メーヤー館」で検索されますと、数多くの地元に伝えられた物語がひっかかるのではないかと思います。その次女のお嬢様自身(ジーン・メーヤーさんでしょうか?)も、おそらく掲載しました家族写真に登場されています。
    http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-07-20

    また、目白福音教会に隣接してアトリエを建てた洋画家の中村彝は、頻繁にメーヤー館を描いています。
    目白福音教会につきましては、これからもたびたび記事にするかと思います。どうぞ、くれぐれもよろしくお伝えください。
    2014年03月27日 14:13

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