負け犬のシネマレビュー(22) 『ヴィヨンの妻』

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 生きていさえすればいいのよ
 『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』(根岸吉太郎監督/2009年/日本)

 前作『サイドカーに犬』で、竹内結子がこの原作文庫を読んでいるのを見て、根岸吉太郎の次回作は『ヴィヨンの妻』に違いないと確信し、発表前からあちこちで言いふらした。公開が決まってからは観もしない先から、今年のナンバーワンだと会うひとたちに勧めまくった。
 なにしろあの古田新太から、あれだけの色気を引き出した監督である。浅野忠信の“大谷”がどれくらいダメでいい男か、観るまでもない。ところへもってきて浅野の離婚報道である。うわー、これ絶対、役に入り込んでいるなと思ったら案の定。宣伝用のポスターでは、大きななりして背をまるめ、松たか子に手を引かれるように歩いている。松が毅然と顔をあげているのに対し、はにかみ笑う浅野の目線は宙を泳ぎ、空いているほうの手にはさくらんぼの包み。これと予告編だけで、もう胸が張り裂けそうになる。
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 同級生が『人間失格』ってすごいよと言っているころ、私は、ふん、メロスを書いた作家なんて…と、見向きもしなかった。オッサンとチンピラばかりの映画館の隅っこで小さくなって、雨に降られて入れ墨が落ちる『まむしの兄弟』に、せつないなぁと、涙していた。R15なんて指定がない時代とはいえ、相当変わった女子中学生である。泣くべきときに泣いておかなかったせいか、中年以降は涙腺のフタがぶっとんだみたいに泣ける。困ったものだ。
 青春時代に出会うはずの太宰と対峙したのは、すっかりオバサンになってから。最初に読んだのが、岩波文庫の『ヴィヨンの妻・桜桃』だった。いや、もうまいった。ぜんぶで十編の短編に出てくる男みな最低で、最高。あたりまえである、これすべて太宰治という一緒に死んであげると言ってくれる女に事欠かない色男なのだから。自分の足もとも固められないくせして、言うことだけは理にかなって素晴らしい。やけ酒呷って八つ当たりに吐くヘリクツがまた、あまりにも自分勝手過ぎて怒るのを通り越し、笑ってしまう。
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 なにしろ松たか子演じた大谷の妻さっちゃんは、家に帰って来ない亭主に会うために、なんでもっと早く飲み屋で働くことに気づかなかったのだろうと言う天真爛漫(大谷に言わせれば「体がだるくなるほど素直」な女)さ。好きな男のために襟巻きを万引きするような女である。堤真一演じた元彼氏がほかの著作に出てくるのか、あるいは太宰の嫌いな“文化”とか“愛”なんてことばをシラフで口走る象徴としての役柄なのかはわからない。ただ松たか子のさっちゃんが“やられ”る相手を、行きずりの工員でなく、いまは弁護士となったかつての彼氏としたあたりに、いい意味でも悪い意味でも作り手の男らしさを感じる。とはいえ妻夫木聡が演じた工員はどこかで読んだ憶えのある「奥さんをください」なんてセリフを口走る屈託のなさで、この起用には納得できる。
 納得といえば広末涼子も然り。そのことしか頭にないような崩れ方と話し方がほんとにいやらしい。『ヴィヨンの妻』だと大谷のために身を持ち崩す年増女でしかない役を『桜桃』の数行とくっつけただけで、太宰の絶望しているのだか、ひとを食っているのだかわからない世界をみごとに体現した。松演じるさっちゃんの不自然なまでの清潔さが、裏を返せば、見切りをつけたらすぐ次の男に行けるいまどきのたくましい女に通じるなら、見かけばかり威勢のいい広末の秋ちゃんは、そこにいない男にいつまでも焦がれて死にかねない。
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 こういう対極にある女ふたりを真ん中に立て、女を引退したような顔をしながら大谷といいこともあったおかみさん、それこそコキュなのに自分には真似できない大谷に惚れ込んでいるみたいな飲み屋の亭主……なんて人間模様を描けてしまう根岸吉太郎も、ベテラン脚本家の田中陽造(と書きながら、ふと陽造は葉蔵からきているのかと思ったが、それは余談)も、相当大谷的。無邪気な顔して、ひとの心にずかずか入り込み、あんたが甘やかすから俺がつけあがってしまうんだ、なんてセリフを吐いてきたんじゃないんですかねえ。
                                              負け犬
『ヴィヨンの妻』公式サイトClick!
全国の主要映画館Click!でロードショー公開中

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    なんとなく超モダンなモンクを連想する演奏ですが、このアルバムを聴くと彼の演奏がのちの多くのピアニストに意識されていたのがわかります。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2009年11月13日 11:11
  • ChinchikoPapa

    放射状に少しずつ遠ざかる「直線」もあるのでしょうが、見えなくても走りつづけているのでしょうね。中には、左右にカーヴを描く「曲線」もあるのかもしれませんが・・・。nice!をありがとうございました。>ムネタロウさん
    2009年11月13日 11:15
  • ChinchikoPapa

    春は花粉症のせいか昔から苦手なのですが、咲き乱れる花々は好きです。
    nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
    2009年11月13日 11:17
  • ChinchikoPapa

    曙橋は、四谷3丁目側に新宿歴史博物館がありますので、最近ときどき散歩をします。JAZZも演るライブスポットがあるのを、初めて知りました。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年11月13日 11:23
  • SILENT

    太宰が中島敦や淀川長治さんと同年の生まれと言う事を知った時は驚きました。同時代ということから現代迄、太宰人気は変容しているが人気は高いですね。
    地元の方が「斜陽」のエピソードをブログに書かれています。
    御読みいただけたら幸いです。
    http://mizumakura.exblog.jp/i26/
    2009年11月13日 11:32
  • ChinchikoPapa

    親父がよく帰宅する道すがら、『有楽町で逢いましょう』を口ずさんでいました。おふくろと初デートしたのが有楽町の映画館だったので、特にお気に入りだったんでしょうね。nice!をありがとうございました。>漢さん
    2009年11月13日 11:33
  • ChinchikoPapa

    SILENTさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    また、太宰ブログのご紹介もありがとうございました。今年の禅林寺の混みかた、並みではありませんね。わたしも文学史上に位置づけられて語られる太宰治が、思いのほか「若い」のに驚いた経験があります。
    わたしは太宰作品が苦手なのですが、周囲にはけっこう太宰フリーク(隠れフリークが多いようですけれど)がいます。これほどコンスタントに、年齢を問わず読み継がれている小説家も、確かにめずらしいですね。
    落合地域での太宰治は、壇一雄と連れ立って中井駅付近(旧・下落合3丁目界隈)で飲んでいる姿が頻繁に目撃されているようですが、もっと深くていねいに掘り起こすとさまざまなエピソードが眠っているのかもしれません。なにか面白い物語が見つかりましたら、こちらでご紹介したいと思います。
    2009年11月13日 11:58
  • ChinchikoPapa

    11月10日は、十二階のエレベーターがオープンした日なんですね。初めて知りました。運転開始後、すぐに危険だということで使用禁止になったと聞いています。nice!をありがとうございました。>ばんさん
    2009年11月13日 12:12
  • ChinchikoPapa

    大きなカートに子供たちがいっぱい・・・の写真には、思わず微笑んでしまいます。
    nice!をありがとうございました。>shinさん
    2009年11月13日 16:55
  • ChinchikoPapa

    社会観とその規範の起点は、おそらく未知のものへの怖れ=宗教観とともに非常に古そうですね。暗黙律は、かなり早期から存在していたように思います。nice!をありがとうございました。>トメサンさん
    2009年11月13日 17:00
  • ChinchikoPapa

    アウトドア道具は使わなくなってかなりたちますので、うちもたまには“虫干し”しないといけませんね。nice!をありがとうございました。>たいせいさん
    2009年11月14日 00:05
  • ChinchikoPapa

    サトイモの親芋、大きいですね。食べてみたくなりました。
    nice!をありがとうございました。>nougyoujinさん
    2009年11月14日 00:10
  • ナカムラ

    「ヴィヨンの妻」見ました。脚本がしっかりした良い映画でした。本当に脚本がいい。
    2009年11月14日 00:54
  • ChinchikoPapa

    ナカムラさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    わたしも、負け犬さんの映評を読んで、がぜん観たくなりました。近々、またまた書きたい映画がおありのようですので、シネマレビューをご紹介できると思います。
    2009年11月14日 13:21
  • ChinchikoPapa

    紫=したじ(醤油)には、とことんウルサイわたしです。^^;
    nice!をありがとうございました。>ほりけんさん
    2009年11月14日 16:20
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
    2009年11月15日 23:21
  • ChinchikoPapa

    こちらにもnice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2009年11月16日 11:41
  • ChinchikoPapa

    ごていねいに、nice!をありがとうございます。>一真さん
    2009年11月17日 13:10
  • ChinchikoPapa

    ご訪問とnice!を、ありがとうございました。
    >takagakiさん
    >galapagosさん
    2010年07月28日 20:20
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>さらまわしさん
    2014年05月25日 15:55

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Excerpt: 下落合の寺斉橋北詰めにあったバー「ワゴン」Click!で、檀一雄などとよく飲んだくれていた太宰治Click!の作品に、1940年(昭和15)発行の『新潮』11月号へ掲載された「きりぎりす」という短編が..
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Tracked: 2010-12-12 00:07