アビラ村(芸術村)にもいるタヌキたち。

刑部人邸.JPG
 国会議事堂を設計した吉武東里Click!が、洋画家・刑部人(おさかべじん)邸Click!も設計していたという繋がりから、議事堂内には刑部人Click!作品が多い・・・と解釈していたのだけれど、どうやらそれだけではないようだ。確かに、1936年(昭和11)に帝国議会議事堂(現・国会議事堂)が建設された当初から、刑部作品の何点かは架けられていたのだが、現在のように数多くではない。参議院議長をつとめた扇千景が刑部ファンだったのだそうで、議事堂の多くの作品は彼女がコーディネートしたとのこと。もちろん、国会が絵画作品を購入してくれるはずもなく、返却なしの「レンタル」という形式でほとんどタダ同然にお貸ししている・・・と、刑部昭一様Click!がお話してくれた。
 さて、きょうは旧・下落合4丁目(現・中井2丁目)のアビラ村Click!(芸術村)に通う、三ノ坂や四ノ坂界隈にもタヌキが棲息しているというお話。いや、タヌキばかりか、本州に棲息するヘビで見たことがない種類はほとんどいない・・・というぐらい、ヘビが多いそうだ。そう、刑部様によればマムシも確かにいるそうで、周辺にお住まいの方は庭の手入れなどをされるときは要注意だ。下落合東部(現・下落合エリア)でも、日立目白クラブの近くでマムシの目撃情報があるけれど、ほとんど武蔵野原生林そのままの御留山が近いので、いてもなんら不思議ではない。うちでは、アオダイショウClick!とシマヘビが毎年お馴染みの“顔”なのだけれど、マムシはまだ一度も見たことがない。
国会議事堂建築中.JPG 下落合ダヌキ.jpg
刑部邸跡1.JPG 刑部邸跡2.jpg
 日本のヘビばかりでなく、飼っていたペットが逃げ出したか、あるいは飼いきれずに草原へ棄てたかで、外来種のヘビも多いそうだ。南米産やアフリカ産のジムグリや、ホンジュラス産で派手な縞々のミルクスネークなど、ちょっと信じられないヘビが棲息しているらしい。タヌキや野良ネコは、ヘビに出会うと闘って退治することが多いから、死骸で発見される確率が高いようだが、ハクビシンはヘビを食べてしまうので頭だけがポツンと残されているそうだ。御留山の周辺と同様、天井裏などに巣をつくるハクビシンも、タヌキとともに目撃されている。
 さて、アビラ村のタヌキくんは、やはりあっちこっちへ出張してはエサを探しているそうで、ひょっとするとクルマが行きかう山手通りの横断歩道も難なくわたっているのかもしれない。また、エサが少ない季節には、鶏の手羽先などを買ってきて庭であげている方もいるようなので、どうやらタヌキの森Click!界隈と事情はまったく同じだ。大正期の目白文化村Click!やアビラ村の開発で、早くからディベロッパーClick!が宅地化を進めていたからか、現在では御留山周辺に比べて相対的に緑が少ないように見えるけれど、下落合グリーンベルトの生態系はちゃんと息づいているのだ。そのうち、バッケClick!(崖地)下の中ノ道(下ノ道)Click!や妙正寺川の橋をわたって、タヌキは上落合地域にも進出するかもしれない。昔ながらの商店が多い中井駅周辺だから、青物屋の店先でイヌでもネコでもない少し大きめの動物がフルーツをモグモグ、肉屋さんの店先で手羽先を骨ごとモグモグと食べていたら、ジッと目をこらして観ていただきたい。
四ノ坂バッケ.JPG 花開く1975.jpg
刑部邸跡3.jpg 我庭(冬).JPG
 2006年(平成18)に惜しまれて解体されてしまった刑部人邸+アトリエClick!だが、やはりタヌキは10年ほど前から庭先で頻繁に目撃されていたらしく、ヘビたちも天井裏に棲みついていたとのこと。刑部昭一様のお話によれば、2匹のヘビが1階と2階の天井裏にいて、それぞれをテリトリーとしてきれいに棲み分けていたらしい。だから、ヘビが獲物を求めて活動する夜、トイレなどに起きて階段の手すりをつかむと、うっかりヘビもいっしょに握ってしまったこともたびたびあったとか。この2匹のヘビは、きっと刑部邸の“主”だったのだろう。2匹とも、おとなしいヘビだったようだ。きっと、バッケ(崖地)に生きるカエルやネズミ、昆虫などを常食にしていたにちがいない。
 刑部邸の庭に見られた大樹や、背後のバッケに生えていた豊かな緑は、旧・島津邸Click!の庭に繁っていた木々を移植したものだというのも、刑部様より初めてうかがった。島津邸が売却される際、庭の樹木が伐られてしまうのを惜しんで、刑部邸へと移植したのだそうだ。昔は一面にススキが繁るだけだった邸裏の崖地は、金属パイプを突き刺せば水がしばらく水道のように流れ出るほど湧水が豊富で、刑部邸の建築直後に西側へ造られた池もバッケからの湧水を利用したものだった。金山平三Click!がやってきて、タライを浮かべて遊んだ四ノ坂側にあった池だ。
刑部人アトリエ1.JPG 刑部人アトリエ2.JPG
 ヘビは、人間の近くに棲んで共存共栄するわりには、神経質な性格をいつまでも変えようとはしない。(よほど人馴れしたアオダイショウは除く) でも、下落合に棲む野性のタヌキは、少しずつ人に馴れてきているように感じる。それは、エサをくれる人間がいる・・・という馴れ方ばかりでなく、いまやひっそりと暮らしているわけにはいかなくなり、なりふりかまわず無理にでも人に馴れなければ生き残れない・・・というような、切実な生存本能からくる危機感がベースにあるのかもしれない。
 この6月20日に、下落合の七曲坂でタヌキ(成獣)が1匹、交通事故で死んだ。翌21日には、やはり七曲坂筋で子ダヌキがクルマにはねられて死んだ。静かな住宅街にもかかわらず、休日などに目白通りから“抜け道”として侵入してくるドライバーが絶えないのだ。もちろん、通りすがりのクルマはそこがタヌキの棲息域であることなど知らず、人がいなければかなりのスピードで走り抜けていく。あまりに人へ近づきすぎると、これから思わぬ事故に遭う可能性も確実に高まるだろう。そろそろ御留山Click!「カルガモ横断注意」Click!と同様に、「タヌキ横断注意」の道路標識が、目白崖線に通う随所の坂道に必要なのかもしれない。

■写真上:刑部邸裏(北側)のバッケ(崖地)から、池があった四ノ坂方面を眺める。
■写真中上上左は、吉武=大熊喜邦の設計コラボで建設中の帝国議会議事堂(国会議事堂)。上右は、“タヌキの森”のタヌキ一家。は、夏の四ノ坂バッケ()と三ノ坂から見た刑部邸跡()。
■写真中下上左は、花咲く刑部邸裏のバッケ。上右は、1975年(昭和50)にバッケを描いた刑部人『花開く』。下左は、紅葉の刑部邸跡。下右は、制作年不詳の刑部人『我庭(冬)』。
■写真下は、バッケから眺めた刑部人アトリエ。は、逆にアトリエ内から望んだバッケ。

この記事へのコメント

  • sig

    こんにちは。
    都心とは思えないこのような緑地は、本当に貴重ですね。
    田舎のはずのこちらの方が、むしろ、生き物も昆虫さえもほとんど見かけません。草原は本来自然のままにしておかなければ、虫たちは生きられないのですが、市では住民パワーを慮って草が伸びればすぐに刈り取ってしまいます。
    川原でさえそうですから、春のウォーキングでは蛙の声を3匹ほど聞いただけでした。さびしいですね。
    2009年07月22日 08:36
  • ナカムラ

    タヌキは薬王院下で夜、見かけたことがあります。先日、日本画家にして民俗学者、そしてナップの初代中央委員長だった橋浦泰雄の自伝『五塵録』を読みましたら、落合の記述に出会いました。大正11年ころ、早稲田から落合葬祭場の先の寺に引っ越したという記述。「早稲田でもキジがないた頃だったので、落合ではタヌキがでた」とありました。今でも出るぞ!といいたいところです。橋浦さん、有島武郎とも深い関係のある仁。尾崎翠と同郷。白井喬二と同人誌を鳥取で発行していました。
    2009年07月22日 12:29
  • ChinchikoPapa

    オレゴンの「遥かなる丘」は、さまざまなビジュアル映像作品に使われていますので、このところあちこちで耳にしますね。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2009年07月22日 13:51
  • ChinchikoPapa

    その昔、下北沢へ出かけると、必ずどこかのバンドや劇団のメンバーが飲み屋さんでバイトをしてました。nice!をありがとうございました。>@ミックさん
    2009年07月22日 13:55
  • ChinchikoPapa

    ちょうど日食の時間は地下鉄で移動してまして、まったく見られませんでした。湘南の日食写真、掲載いただき感謝です。nice!をありがとうございました。>SILENTさん
    2009年07月22日 14:04
  • ChinchikoPapa

    青蓮院のある粟田口界隈は、近世になると廃れてしまいますが刀の山城伝発祥の地のひとつですね。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
    2009年07月22日 14:07
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    動物が増えているのは、1960~70年代のように殺虫剤や農薬、除草剤などをむやみに散布しなくなったのと(近年、そんなことしたら周囲から苦情や抗議が殺到しそうです)、それによってもともと林や湧水が多いエリアでは、虫や小動物が増えてエサが豊富になり、より大きな動物たちが繁殖できる環境にもどりつつあるのではないかと思います。下水道が完備して、生活排水が無処理のまま土中や河川に流れこまないのも、きっと大きな要因ですね。
    あとは、住民たちのある程度の「無関心」さも、重要なファクターのひとつでしょうか。虫や動物たちを追いかけまわさず、「あ、いるな」ぐらいで済ましているところも、増えてきている要因のひとつのように思いますね。昔のように、オニヤンマやギンヤンマを見かけたら、虫網片手に必死で追いかけまわす子供も、最近はほとんど見かけなくなりました。(わたしが追いかけたくてムズムズするのですがw) でも、池や小川でのザリガニ釣りは、相変わらず人気がありますね。お休みの日など、いつも20人前後の子供たちがスルメ片手に池の周囲に集まっています。
    そういえば、小さな虫たちが多くなっているせいか、夕方散歩をしてますと神田川や妙正寺川の橋下に棲むアプラコウモリの数も、ずいぶん増えたように感じます。
    2009年07月22日 14:31
  • ChinchikoPapa

    今年のお盆は雨もようで、迎え火と送り火は省略してしまい、お墓参りだけで済ませてしまいました。きっと、地下では「この無精者!」と怒っていることでしょう。w お盆がすぎると、もうすぐ精進おとしの花火の時期ですね。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年07月22日 14:36
  • ChinchikoPapa

    ナカムラさん、コメントをありがとうございます。
    いまの時期になりますと、タヌキの子供たちはかなり大きくなってしまうのですが、6月ごろは深夜になりますとイヌのようなネコのような、独特なキューキューミューミューという子ダヌキの小さな声を聞くことがあります。「あ、また親子連れでエサ探しのお散歩だな」・・・と思うのですが、さすがに暗闇や物陰を選んで散歩しているようで、街灯の光がとどくところへは出てきませんね。
    落合火葬場の西北側には、緑が多く残る寺町がそのまま残っていますので、きっとまだタヌキくんたちはいるんじゃないかと思います。お盆のこの時期になりますと、寺々の墓地はタヌキにとってみればご馳走の山、夢のような楽園に変貌しますので、さっそくお供えのお菓子やフルーツにありついているんじゃないかと。w
    下落合駅の南西側の上落合には、戦前までキツネが棲みついていたようなのですが、さすがに神経質なキツネたちはいなくなってしまったのでしょうか。それとも、人の目に触れないだけで、落合のどこかで生き残っているのでしょうか。
    2009年07月22日 14:54
  • ChinchikoPapa

    幼児にとっては、おそらく大人には聞こえない上下の周波数帯までサウンドが響いて、よけいに通過音が怖いのかもしれませんね。nice!をありがとうございました。>komekitiさん
    2009年07月22日 22:30
  • ChinchikoPapa

    たくさんのnice!を、ありがとうございました。>とらさん
    2009年07月25日 13:16
  • ChinchikoPapa

    一期一会の坂村真民の詩は、五体に染みわたる感じがしていいですね。
    nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2009年07月26日 00:26
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>一真さん
    2009年07月26日 19:57
  • 拝読者えっくす

    タヌキめぐり
     2009.7.26のタヌキめぐりのお話、興味深く拝読いたしました。あびら村から北へ目白学園南東には今もタヌキが出没し、東門のあたりではネコやカラスにえさをやる家があって、それを目当てに連日タヌキがやってくるそうです。見物人もいたようですが、最近では飽きたのかみかけません。我が家を通ったり、路地を通ったりしているようですが、私はまだ見たことがありません。ネコと仲良く並んで座っているといいます。やはり交通事故にあったらしく、親子のうちこどもが後ろ足を不自由にしているともいいます。数年年前、目白学園の一部立替工事があってからのお出ましです。
     2年ほど前、目白大学正門南側でヤマカガシをみました。鉄柵を支える50‐60cmのコンクリート塀を道路側から構内へ入ろうと背伸びをして試みていました。毒蛇なのでそうそうにこちらが退散したのでどうなったことやら。また同じ頃、五の坂の切り通しを作る大谷石の壁をシマヘビが垂直に登ってその家の庭へ入り込むのをみました。それより数年前までは「小野田の森」が残っていた頃までは、時折、長大なシマヘビが垣根に絡み付いていたことがありました。もう近傍には空き地も「森」もありません。大きな屋敷は小区画の建売住宅となり、ところどころ駐車場のスペースがある程度です。
     夏になるとクヌギの樹液に群がるクワガタやカナブンなどをとりに行き、麦畑で肥溜めに片足を落として帰ってもきました。原っぱからは庭へスイッチョが風流を奏でにやってきたものです。
     七曲坂には「タヌキ注意」の立て看板必要ですね。夜はタヌキどんの目が蛍光塗料でギラッと光るのがいいかもしれません。
    2009年07月29日 22:29
  • ChinchikoPapa

    拝読者えっくすさん、貴重なコメントをありがとうございます。
    やはり、山手通りから西側の目白崖線にも、タヌキがたくさん棲息していたのですね! 御留山から薬王院の森周辺にかけては、だいだい10~15頭ぐらいのタヌキがいると言われていますが、面積的にも広い旧・下落合の西部・アビラ村(芸術村)は東部と同じぐらいか、タヌキのテリトリーが広く確保できるぶん、それ以上の頭数が棲んでいるのかもしれませんね。ネコとの共存は、こちらの公園でもよく目撃されていて、ケンカもせずに仲良くエサを食べているようです。^^
    やはり、ヤマカガシが出ましたか。うちのオスガキは幼稚園時代、ダイダイ色の点々が入ったヤマカガシの幼蛇を追いかけて遊んでいましたけれど、ヤマカガシの牙は口蓋の奥にあるため、深く噛まれなければ大丈夫だ・・・と、そのまま遊ぶのを放任していました。ただし、成蛇になると噛みつき方も本格的になるし毒の量も多くなりますので、ちょっと注意が必要ですね。
    「小野田の森」の消滅は、刑部邸のバッケ消滅とともに今でもほんとうに残念でなりません。自然の生態系を維持するためには、目白崖線には欠かせないグリーンベルトの一部でした。公園に移植した柿の古木も、新しい芽をふいたというウワサも聞きませんし・・・。このところ、残念なことがつづきます。
    小区画化しても、敷地いっぱいに建物を建てず、少しでも土面と緑の庭を残していただければ、それだけで動植物の数も、街の気温や風情、空気の澄み方も、また地下水脈の豊かさもだいぶ違うんですよね。動物が生きられるプラットフォームが、だいぶ不完全ながらも残っていくのではないかな・・・と思うのですが。
    2009年07月30日 00:23
  • 拝読者えっくす

    たぬきめぐり2
     あびら村に出没するたぬきは、昨年くらいまでは親子で3,4頭いたのが、1,2頭くらいに減ってしまったようです。
     JR阿佐ヶ谷駅すぐのところ(北東)の森のような茂みには今もたぬきが生息していて、その土地は税を減免するなどして昔からの「自然」を残しているのだそうです。地元に住む二人から今日聞いた話です(税の件は行政には確認していませんが)。
    2009年08月09日 21:44
  • ChinchikoPapa

    拝読者えっくすさん、「たぬきめぐり2」情報をありがとうございます。
    数が減ってしまったのは残念です。タヌキは、というか野生の動物はみんなそうなのでしょうが、産まれる子供の数は周囲の環境に左右され、環境がよければ5~6匹、よくなければ非常に少ないそうです。バースコントロールが、自然の摂理にもとづいてなされているみたいですね。たぬきの森では、毎年3~4匹ずつ産まれているようです。
    阿佐ヶ谷の森のお話は、以前にニュースかなにかで見た記憶があります。税金を低減する代わりに、森で住民を集めての自然と親しむ催しなどが開かれ、地域への還元が行われている・・・というような内容だったかと思います。
    2009年08月09日 23:43
  • 拝読者えっくす

    たぬきめぐり3-西落合4丁目にも出没
     中落合4丁目のたぬきの報告を2回ほどいたしましたが、私も初めて見ました。庭から道路を渡って目白学園へ戻っていきました。黒っぽい色でした。庭に駐車している車の後に糞をしていくのだと家族が言ってます。

     意外でした。西落合4丁目にもたぬきがいるようなのです。西落合図書館周辺です。その近傍に家族が住んでいて目撃しました。アライグマもいるようですが、その目撃の動物を図鑑類で調べたらたぬきだということです。大きな屋敷が多いので生息していても不思議ではないのでしょうが、これは初耳です。たぬきの生息地域が下落合、中落合、西落合の3ブロックにいることになりそうです。各地区は新めじ、目白通り、環六、新青梅の大通りで分断されているので、たぬきの交流は考えられません。その各生息地に我が家族が住むとは、何とたぬきにご縁があるのでしょう。私の祖母は昭和の始めに下落合4丁目(今の中落合4丁目)でた「ぬきに化かされ」しばらく同じ所をさ迷い、やっとのことで家にたどりついたと母から聞いたことがあります。また林芙美子邸の坂の上あたりはたぬきが出ると戦前には言われていたと、これも母から聞きました(二人とももういませんが)。変な家系ですね。だまされやすい間抜けな血筋なのでしょうかねえ。会ったこともない先祖の「恥をさらす」なんて「罰当たり」ものです。でも昔はそれほどに家も少なく、木がうっそうと茂り、夜道は怖かったのだと思います。戦後でもそのような所がかなり残っていて、防空壕あとや墓場までありましたから。そんな落合風景を語る背景描写としてなら、ご先祖さまもきっと許してくれると勝手に思っています。たぬきより人間に騙されるほうがよっぽど怖い世の中ですね。
    2009年09月12日 01:08
  • ChinchikoPapa

    拝読者えっくすさん、いつも情報をありがとうございます。
    中井駅の北側の崖線にタヌキがいるのなら、おそらく上高田や、緑の多い井上哲学堂のバッケにも棲息しているんだろう・・・と想像していたのですが、西落合にも棲んでいたとは・・・。もう、タヌキは目白崖線沿いのどこにいても不思議ではないですね。それほど頻繁に目撃されるということは、数が増えているのか、それともエサを求めて人目につくエリアまで進出してきているのか、ちょっと気になるところです。
    実は、つい先ほど西落合から哲学堂にかけて、散歩がてら南北に通ってきたばかりです。雨もよいでしたが、西落合から上高田はところどころに濃い樹林が残り、雨にぬれて鮮やかな緑の葉を繁らせていました。西落合界隈は、いまだ昭和初期に建てられた住宅がいくつか残り、タヌキが営巣できる「縁の下」のある邸もめずらしくありませんので、けっこうな頭数がいるのかもしれませんね。また、都内ではタヌキの生息数がもっとも多いエリアである練馬区も近接していますので、棲息エリアが南へ拡大してきている可能性も考えられますね。
    ただ、アライグマも同時に棲息しているのが、ちょっと気がかりです。ペットとして飼われていたものが逃げ出したのか、あるいは飼い主がその獰猛さに飼い切れず捨てたのかは知りませんが、アライグマはタヌキと違って非常に気性が「荒いグマ」ですから^^;、タヌキの棲息圏を脅かす可能性が大きいですね。鎌倉市で問題化しましたけれど、野生のアライグマが増えすぎて、タヌキの棲息圏を急激に圧迫し、タヌキが減少あるいはエリアによっては絶滅してしまったのは、記憶に新しいところです。
    2009年09月12日 17:42

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