フランスの化け猫は三味線を弾くか?

団扇絵化け猫.jpg
 パリ郊外にあるクラマールの森の近くで、佐伯祐三Click!の家族3人が化け猫の夢を同時に見て飛び起き、深夜にもかかわらず洋画家・小島善太郎Click!が借りていた隣室へ、一家で避難したという「事件」があった。このエピソードは有名なのにもかかわらず、どの佐伯本にも詳細な内容はあまり取り上げられていない。荒唐無稽なバカバカしい話だということで、著作の信憑性や“権威”にも関わりかねないとして、あえて詳しく紹介されず避けられているのかもしれない。
 でも、3人が同時に同じ夢を見るというのは、世の中にそう多くあることでもないし、もしそんな事例があれば新聞や雑誌の記事ネタにもなるのは、当時も現在もたいして変わりはない。事実、家族や肉親が大西洋で船が遭難する夢を同時に見たという記事Click!を、以前こちらでも中村彝Click!の友人である小熊虎之助Click!の文章とともにご紹介している。クラマールで同じ夢を見て飛び起きた3人とは、佐伯祐三に佐伯米子、そしてひとり娘の弥智子だ。
 クラマールは当時、パリから市外地へと向かう電車に乗ると終点の駅で、いかにも郊外の街らしい静かなたたずまいを見せいてた。カフェやレストラン、食料品店、教会、雑貨店、ホテルなどが散在する、閑静な街の借家を紹介してくれたのは、里見勝蔵Click!らと同時期にパリへ留学していた洋画家・中山巍だった。そのときの様子を、1957年(昭和32)に発行された『みづゑ』619号に掲載された、妻・米子の手記「佐伯祐三のこと」から引用してみよう。
  
 私共の住んでいたその家には、品の良い年とったマダムが一人暮していて、その家の一室を借りたのです。(中略) フランスへ来て、夜になるとランプを点けるというような生活をしようとは思ってもみなかったことで、何か物語の主人公にでもなったようなロマンチックな気もちです。/この家へ移ってきた夜、私達は猫のお化けにうなされ、真夜中に小島さんの部屋を叩いてにげこみました。小島さんの話では、前に住んでいた人が、パリへ出たまま幾日も宿りこみ帰ってから猫に腐った肉を食べさせたので死んでしまい、そのせいではないだろうかと言われて怖くなり、大急ぎで他の部屋を探しまわり、またやがて小島さんも移転されたようでした。
  
 この不可解な出来事は、小島善太郎の側からも詳しく裏づけられているので、佐伯一家が異国でメランコリックな精神状態のもとで陥った、単なる集団幻想や錯乱とは考えにくい。小島善太郎が住む以前に、この部屋を借りていたフランス文学者・小松清は、この家の主である「年とったマダム」とともに、少なくとも「猫」に関する情報をあらかじめ知っていたことがのちに判明する。
クラマール絵はがき.jpg クラマール佐伯一家.jpg
 小島善太郎は戦後になって、そのときの佐伯一家の様子やドアを開けたときの会話まで再現しながら、「化け猫」事件の詳しい記録を残している。同号『みづゑ』(1957年)に掲載された、小島の手記「佐伯祐三の回顧」から少し長いが引用してみよう。
  
 ドアのノックに目を醒し寝坊の僕には迷惑だったが忙しい音で起きざるを得なく、開けてみればそこに佐伯祐三が青い顔をして立っていた。『・・・どうした?』/彼が言い淀んでいると米子さんが取乱して入ってきた。四ッになったメンタイちゃん(弥智子)がそばで慄えている。すると佐伯がいいだした。/『僕の部屋で猫について何か変った事はなかったか?』/『さあ』 僕はまごついて、『それがどうした?』/『わたしたち親子三人が同じ夢にうなされて目を醒したんですの』 これは米子さんの言葉であった。『それが猫の夢なのさ。僕のは三味線をひいてて、それがだんだん大きくもの凄い顔になって襲ってきたのだ』と佐伯。/『わたしの夢はそれが手拭を被り怖い顔で踊り乍ら今にも噛みつきそうなので、とうとう目を醒し佐伯にすがったのですの。すると弥智子が目を醒して――かあちゃん! にゃあにゃあが怖い―― それで佐伯が猫の夢か? と聞いた時ギクッとしたのですの』 これは佐伯の言葉の終らぬうちに発した米子さんの言葉であった。/佐伯がすかさず、『親子三人が同じ夢にうなされる、それも猫の夢、何か猫について変った事があったのではないか。ともかくこんな夢をみて話にもならないが怖くて部屋にいる事が出来なかった。わるいと知りながら君のドアをノックしたわけ』
  
 このクラマールの家は、佐伯一家がパリへ到着してすぐに住んだソムラールのホテルで、佐伯が支配人とケンカしたためにホテルにいられなくなり(弥智子の夜泣きが原因とみられる)、中山巍を頼って住むことになったものだ。中山はクラマールにいた小島善太郎を紹介し、隣室が空いていたので佐伯一家を呼ぶことになる。その空いた部屋には、少し前まで小松清が住んでいた。
 実は、この部屋に小松清が住んでいたときに、猫にまつわる事件が起きていた。のちに、小島善太郎は小松本人からそのエピソードを直接聞いている。小島の、同じく「佐伯祐三の回顧」から。
  
 ところがその後小松清にあった時、彼がこういう事を語り出した。――佐伯が借りている部屋は元クロポトキンが亡命していた所だが、不思議な縁で僕が借りる事になり、或る日牛肉を買って置いたのが腐ったので、窓から投げ捨てた。その翌日のこと、マダムが突然現われて、猫に何かわるいものをやりはしなかったかという。僕は覚えがないのでその返事をしたら、なお僕の顔を見たまま立っている。しかも悲しそうな顔である。『・・・庭先で血を吐いて死んでいた。あんなに可愛いいわたしの猫・・・』――/書き出せば長くなるが佐伯のこの猫の話はこれで要点は終る。
  
国芳「初雪の戯遊」.jpg 入江たか子の化け猫.jpg

 マダムが飼っていた猫は、間違いなくフランス生まれでフランス育ちの猫だったにもかかわらず、なぜか三味線を弾いたり手拭で頬っかぶりをしながら、佐伯一家の夢に化けて出ている。とても不可解で怪しい、にわかには信じられない話なのだが、佐伯の家族全員が(4歳の弥智子までが)ウソをついているとも思えない。また、小島善太郎の語り口もマジメで真剣だ。
 (ここからは、心霊番組のナレーション風にドスのきいた低い声を連想しながらお読みください)
 
小松清に腐肉を食わされて死んだ、猫の恨みや怨念の霊波動が、エトランゼである日本人が恐怖を抱く猫のイメージをことさら喚起し、浮世絵にも数多く描かれたお馴染みの古典的「化け猫」の姿となって、3人の夢の中へ出現した・・・・・・とでもいうのだろうか?

■写真上:大正期の人々がイメージしたと思われる、江戸期に団扇絵として描かれた化け猫。
■写真中は、兄・祐正宛てに出したクラマールの絵はがき。中央の上部には、「コノ木ノ下ニ/三人住んでゐます」という佐伯の書き込みが見える。は、クラマールの家の前で撮られた家族写真だが、背後の家は「化け猫」屋敷からあわてて引っ越したあとの借家の公算が高い。
■写真下は、化け猫ではなく嘉永年間ごろ、雪だるまならぬ大きな猫だるまを作って遊ぶ江戸の娘たちを描いた国芳『初雪の戯遊』。は、入江たか子Click!の有名な化け猫のワンシーン。

この記事へのコメント

  • sig

    こんにちは。
    本当に不思議なことがあればあるものですね。3人で同じ夢とは。
    化け猫が日本調だったというのは、夢というものには形状できない「核」があって、それが自分の知っている形となって記憶されるものなのでしょうか。
    2009年05月20日 11:35
  • ChinchikoPapa

    いよいよ、関東での闘いがスタートしますね。このところ真夏日がつづいて、ちょっとハードかもしれません。お気をつけて。nice!をありがとうございました。>ねねさん(今造ROWINGTEAM さん)
    2009年05月20日 15:54
  • ChinchikoPapa

    わたしが5~6歳のころでしょうか、親とともにニコライ堂の上へのぼって見学した記憶があるのですが、いまは立入禁止になってしまったようですね。nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年05月20日 15:59
  • ChinchikoPapa

    エイブラムスのピアノの印象が薄いのは、スタイルが“薄い”せいでしょうか。
    nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2009年05月20日 16:11
  • ChinchikoPapa

    わたしは、アヤメとショウブの違いがわかりにくかったので、早く咲くほうがアヤメと憶えたりしました。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
    2009年05月20日 16:18
  • ChinchikoPapa

    「夏の庭」とか「夏の日の想い出」とか、「夏の~」が付く作品に弱いわたしは、「夏の秘密」観たいですね! 昼ドラは、時間的に難しいかな・・・。^^; nice!をありがとうございました。>漢さん
    2009年05月20日 16:32
  • ChinchikoPapa

    sigさん、コメントとnice!をありがとうございます。
    ちょっと、にわかには信じられませんが、最近、信じられないことが周囲で多発するわたしとしては、この夢の話も無下に否定できません。^^;
    記事にも登場した小熊先生もどこかで書いてましたが、脳にはなにか未知の通信手段があって、それが複数の相手に情報をもたらす、あるいは感応して同じシチュエーションの「夢」や「幻覚」「幻想」をもたらし合う・・・というような、いまだよくわからない仕組みでもあるのでしょうか。
    「化け猫」はいるけれど「化け犬」はいない・・・といった、別のテーマや角度から考えてみますと、人間が作り出した「共同幻想」のような気もします。「タヌキは人間を化かすというのに、アライグマはどうして化かさないんだ?」というレベルの疑問と同様ですね。でも、人々が同時にネコの夢を見る・・・というような現象の説明にはなりそうもありません。
    2009年05月20日 16:46
  • ChinchikoPapa

    和宮の“はいはい人形”が「這子」と呼ばれてるとしますと、うちの短気でふてくされやすい茶運び人形は、これから「キレ夫」と呼ぶことにします。^^; nice!をありがとうございました。>一真さん
    http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2008-02-20
    2009年05月20日 16:53
  • ChinchikoPapa

    人間関係の見えない糸をときほぐす、面白い物語を堪能しています。
    nice!をありがとうございます。>ナカムラさん
    2009年05月21日 10:47
  • ChinchikoPapa

    子猫が産まれたんだけど飼わない? 一度見においで・・・といわれるたびに心がグラッと動くのですが、2匹はちょっと飼えないな~と、できるだけ会わないようにしています。でも、実際に見てしまうと惹かれますね。(汗) nice!をありがとうございました。>TOMOさん
    2009年05月21日 10:52
  • SILENT

    猫の夢
    不思議ですね
    猫としゃべる話が出てくる
    村上春樹の海辺のカフカを想いだしてしまいました
    2009年05月21日 12:06
  • ナカムラ

    歌人の片山廣子のエッセーを読んでいたら、お稲荷様の話がでてきます。猫ではありませんが、この狐さんが律儀に出てくるのだそうです。お庭の小さなお稲荷さんだけれど、近くの神社の禰宜さんのところにでて、片山家のことについて相談したりするのだそうです。不思議です。どうも片山廣子に霊感があるようにも思えるのですが、世の不思議はやはりあるのだと思います。
     私も少しだけ霊感があって、杉並区に住んでいたときに、四本足で角一本のセントバーナード犬くらいの鬼に足を通りぬけられたことがあります。妻と歌舞伎を見た帰り(もしかすると猿之助の妖怪もの??)に道を歩いている最中でしたが、熱湯をかけられたように熱く感じ、全く右足が動かなくなったために、妻は私の背中に激突。「どうしたの」と怒られましたが、説明の仕様もなく。彼女には鬼は見えていませんし・・・。そこは霊の通り道で、家には封じでしょうね、年中注連縄がかけられていました。効果なしですが。

    化猫にあいたいですが、まだ叶いません。自性院にいってから猫が私の背後を覗くように怖がるようになってしまったことがありました。一時的に背後に猫様がついたのかなと、うれしくなりました。
    2009年05月21日 13:29
  • ChinchikoPapa

    SILENTさん、コメントとnice!をありがとうございました。
    ずいぶん以前から、大磯を散歩するたびにキャップをかぶって薄いサングラスをかけた村上春樹が、自転車に乗って散策してないかなぁ・・・と見まわしているのですが、なかなか出会えませんねえ。
    2009年05月21日 14:20
  • ChinchikoPapa

    ナカムラさん、コメントをありがとうございます。
    東京の下町では、キツネ憑きの家系といいますと神につかえる巫女の家系(神につかえるのは男性ではなく女性)とどこかでつながり、町内からは特別に畏敬の念で見られ、大切にされることが多いようです。非常に原日本的な風景で、身体に憑いたキツネを「おとす」(本質的には日本の神々を排斥する)という、朝鮮半島からの仏教的な考え方とは異質ですね。
    わたしは、そろそろタヌキが夢に出てきて、いろいろと相談にのってくれてもよさそうなものですが、いまだ夢まくらに登場したことはありません。キツネ憑きとかネコ憑きは、なんとなくいい雰囲気ですけれど、タヌキ憑きというのはあまり畏敬されそうもないですね。「鬼」のお話、ぜひ今度詳しくご紹介ください。^^
    自性院からもどられたあと、きっとネコさんにはナカムラさんの背後から「ンニャ!」とのぞく、顔の横に手を当てた大きなまねきネコがみえていたのでしょう。(笑)
    2009年05月21日 14:38
  • アヨアン・イゴカー

    妻と同じ光景の夢を見たことはありますが、何しろ相手の夢の中まで入っていけませんので、言葉の上だけで同じだったのかもしれません。
    三人が同じ夢を見て、うなされると言うのは尋常ではありませぬ。
    2009年05月21日 23:41
  • ChinchikoPapa

    アヨアン・イゴカーさん、コメントとnice!をありがとうございました。
    同じ夢を見たという“事件”が起きたとき、どこが同じでどこが異なるのか?・・・というのを、忘れないうちに記録しておいて、あとで本人の性格や体験なども含め詳しく再検討すると、もっといろいろなことがわかるのかもしれませんね。
     ■佐伯・・・ネコ→三味線を弾く→だんだん大きくなる→襲われる
     ■米子・・・ネコ→手ぬぐいをかぶる→怖い顔で踊る→襲われる
     ■弥智子・・・にぁあにぁあ(ネコ)→怖い様子だが不明
    少なくとも、佐伯一家のケースでは、「ネコ」と「怖い」思いが共通項のようですが、登場のパターンやシチュエーションはバラバラのようです。つまり、厳密に言えば同じ夢ではなかったことがわかります。3人が、ネコの夢を見て怖くなった・・・という共通項のみですね。クラマールに引っ越してくる前、一家がネコに関する共通の認知、あるいは体験をほぼ同時にしていないかどうか興味があるところです。
    2009年05月22日 00:14
  • ChinchikoPapa

    パン作りがご趣味なのですね。うちでもパンを焼くのですが、少し前に酵母をホシノから白神へ変えましたので、それについて書こうと思ってました。nice!をありがとうございました。>くまさん
    2009年05月22日 18:48
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2009年05月23日 16:36
  • hanamura

    怖いけど、おもしろい!こんな話…好きだなぁ。
    2011年02月04日 22:00
  • ChinchikoPapa

    hanamuraさん、こちらにもコメントとnice!をありがとうございます。
    佐伯祐三の周囲には、この化けネコ譚のほかにも、怪談がいくつかありますね。
    2011年02月04日 23:54

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