毎日新聞の夕刊連載に、「歩きたい~赤瀬川原平の散歩の言い訳~」というシリーズ記事がある。月に何度か連載がつづけられ、現在では140回を数えている。春まだ浅きある日、カフェ「杏奴」Click!の扉を開けて、赤瀬川原平(尾辻克彦)氏が毎日新聞の小松やしほ記者たちとともに訪れた。迎えた杏奴のママさんは、思わず「キャッ!」と叫び声をあげたと、2009年(平成21)3月18日付けの毎日新聞の夕刊記事は伝えている。
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少し疲れたので一休みと「カフェ杏奴」に入った。杏奴とはまた、なるほどだ。入るなりママさんが「キャッ!」という。小生の読者らしい。あまり驚かれて、こちらも驚いた。
(『歩きたい』第140回/赤瀬川原平「赤瀬川原平の散歩の言い訳」より)
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ママさんは、赤瀬川氏の熱心な読者でありファンらしい。赤瀬川氏に「キャッ!」としたあと、小松やしほ記者が手にしていた「目白・下落合/歴史的建物のある散歩道マップ」Click!を見て、もう一度「キャッ!」となったようだ。どうやら、取材の一行は同地図を手に下落合を散策されたあと、イラスト記載のあるカフェ杏奴へ立ち寄られたらしい。
赤瀬川氏と小松記者たちの下落合散歩コースは、佐伯祐三アトリエClick!を起点に、聖母病院→日本聖書神学校→野鳥の森公園→カフェ杏奴→氷川明神社→中村彝アトリエClick!→古時計工房「フェニックス」という順路でまわられたようだ。中でも、「歴史的建物のある散歩道マップ」や新宿区の最新資料類には掲載されているのに、中村彝アトリエがなかなか見つかりにくく、結局ハッキリとはご覧いただけなかったのがとても残念。そのようなお話を聞くたびに、1日でも早い彝アトリエの積極的な保存Click!を願わずにはいられない。
さらに、千葉へと移築されてしまった本来の日本聖書神学校の建物、旧・宣教師館(メーヤー館Click!)をご覧いただけなかったのも、もうひとつ残念な点だ。小松記者も書かれている、中村彝の『目白の冬』Click!(1920年)の正面に描かれた、下見板外壁のしゃれた西洋館だった。中村彝は、そのほかにも『目白風景』Click!(1919年・大正8)や『風景』Click!(1919~1920年・大正8~10)などでも、当時は目白福音教会の宣教師館だったメーヤー館を描いている。
これからの季節、近代文学や江戸友禅・小紋Click!に視点をすえるなら上落合と下落合界隈、近代絵画Click!や美術に焦点を当てるなら下落合と長崎地域Click!(現・豊島区)、そしてハイカラな雰囲気でショッピングやお茶を楽しみ近代建築Click!をめぐるなら、新宿区と豊島区にまたがる目白通りエリアを散歩するには、もってこいの時期を迎える。赤瀬川氏と小松記者たちは、旧・下落合の東部を歩かれているけれど、旧・下落合の西部(1960年代より「中落合」や「中井」住所のエリア)も見どころだらけで、目白文化村Click!(下落合文化村)を中心に散歩するには楽しいコースがいっぱいだ。
毎日新聞の記事を読んで、急に杏奴の手作りパウンドケーキが食べたくなったわたしは、さっそくバナナのパウンドケーキを丸1コ注文してしまった。オスガキ(上)の彼女から手作りチョコレートをもらっていたのだけれど、ホワイトデーのお返しがまだだった。当然、ケーキにはバニラアイスクリームを添えてもらい、お相伴を期待してのプレゼントなのだ。
赤瀬川原平氏の来訪に「キャッ!」となったらしい杏奴のママさんだが、同じく大ファンだったとうかがった、亡くなって間もない下落合ファンの緒形拳Click!が杏奴を訪問していたら、「ギャッ!」と叫んでいたかもしれないと思うと、返すがえすも残念だ。
■写真上:日本聖書神学校の新校舎(左)と、移築前の2005年に撮影したメーヤー館(右)。
■写真中上:毎日新聞の2009年3月18日夕刊の3ページ全面に掲載された「歩きたい」記事。
■写真中下:下落合の野鳥の森公園(左)と、旧・林泉園に面した中村彝アトリエ(右)。
■写真下:左は、読者プレゼントになった杏奴のクルミのパウンドケーキ。(すでに応募は締め切りだ) 右は、赤瀬川氏と小松記者が訪れた下落合の散歩コース。
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昨年の秋から今年の冬への徒然。
Excerpt: 神田川を遡上し、産卵を終えたあと寿命がつきたサケ……と書きたいのだが、神田川Click!にはアユClick!の遡上はあちこちで見られるものの、サケはまだ上ってきていない。サケの遡上は、いまだ隅田川や多..
Weblog: 落合道人 Ochiai-Dojin
Tracked: 2015-02-14 00:00
この記事へのコメント
ChinchikoPapa
漢
かあちゃん
私が突然行ったら ヒィッ! と言われるかな ^^;;
sig
「ゲッ」といわれそうですが。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
上落合の次に、下落合を散策される節は、お休みがてらコーヒーを味わいにぜひお立ち寄りを。^^ なにか書き物や読書をするにも、おしゃべりをするにもいい雰囲気のお店です。
ナカムラ
今週末、日本近代文学館で尾崎翠フォーラムが開催されます。映画「こほろぎ嬢」が上映されますが、予約で当日入場は難しい状況のようです。三ノ輪地区でのフォーラムが開催できのかなあ、と残念に思います。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
帰国の機会がありましたら、ぜひ「ぼーず」君とお立ち寄りを。やっぱり、ママさんは「キャーー!」でしょう。^^;
ChinchikoPapa
きっと、「ようこそおいでくださいました。お好きな席へどーぞ。( ^^) _旦~~」だと思います。でも、実際にママさんは「ゲーッ!」と言われることがあるようで、わたしも何度か聞いた憶えがあります。(笑) 小学生のオスガキ(下)を連れて、よく杏奴へ出かけていたのですが、180cm弱ぐらいになった彼を久しぶりに連れていったときには、確かに「ゲゲーッ!」だったような気がします。
ChinchikoPapa
わたしは、どちらかといいますと著作よりも前衛アートのほうの印象が強く、やっぱり「千円札」裁判を真っ先に思い浮かべてしまいます。「零円札」、わたしも欲しいですね。^^ あと、わたしの好きな杉浦日向子も参加していた、“考現学”としての「路上観察学会會」の印象が強いでしょうか。
尾崎翠のクローズアップのされ方は、このところ凄いですね。やはり、その魅力の本質は、とても大正末から昭和初期に書かれたとは思えない、作品・文章の新しさやみずみずしさにあると思うのですが、21世紀の今日になってこれほど注目される昭和初期の小説家は、ちょっと他に類例がないと思います。
彼女の主要作品が産み出された上落合の“現場”に、記念プレートひとつないというのは寂しいですが、そのうち林芙美子記念館で尾崎翠の特集展示「翠の世界~その瑞々しい感性界を彷徨う~」とかいう企画をして大人気だったら、いったい芙美子サンはどんな顔をするんでしょう。尾崎翠がせっせと張り替えてくれた障子を、片っぱしから破りたくなるんじゃないかと思いますが・・・。(爆!)
日本近代文学館の「尾崎翠フォーラム」、とうに締め切りだったようで残念でした。きっと、予約者が殺到したんじゃないかと想像します。
ChinchikoPapa
ナカムラ
パパさんの尾崎翠フォーラム報告集の文章のおかげで、今年は私もエッセーを書くことになり、今調べています。短編の中に村山カズ子をおもわせる記述をみつけました。それと、「女人藝術」のライバル誌「火の鳥」に一編の作品を書いているのも気になっています。初期の短歌を読んでいて、またウィリアム・シャープの翻訳を読んでいて、「心の花」の片山広子の影響を感じたからです。板垣直子との関係も整理しておきたいですが、どこまでたどれるでしょうか。それと生田花世。何か面白い視点で考察できるといいのですが。
ChinchikoPapa
しばらく、アビラ村を散歩していませんでしたが、更地になってましたか・・・。あのあたりは、「落合遺跡」からの延長で旧石器時代にはじまり、縄文期から弥生、古墳、ナラ、平安時代ぐらいまで“街”とも呼べるような、住宅密集地が形成されていた地域ですので、掘ればなにか出てきそうな気がします。でも、深く掘削するマンション建設でない限りは、区でも調査しづらいのかもしれませんね。
近々、「下落合摺鉢山古墳」に絡めて、上落合と下落合の斜面が古墳期の“街”だったことと、岩宿遺跡にからめて落合遺跡の旧石器時代のことを書くつもりでいました。久しぶりに顔を見せている赤土を見ますと、なにか埋蔵されてないかどうか、つい掘ってみたくなるので困ります。^^;
また、尾崎翠について、わたしの駄文がなにかのお役に立てれば幸いです。いつもエッセーを楽しく拝見するとともに、その調査・取材力に脱帽しています。わたしも見習って、もっと突っこんだ記事を書かないといけませんね。
いま、佐伯祐三の姪・杉邨ていにからめ、久生十蘭の全集を読んでいるのですが、「ノンシャラン道中記」のタヌ子はコン吉泣かせのすごい女性で(コン吉はMの気がありますね)、ちょっと退屈気味な筋運びではあるものの、がんばってかじりついています。昭和初期のパリの風景描写は、貴重ですね。
アヨアン・イゴカー
この通りから入ったところに、佐伯祐三のアトリエ、中村彝のアトリエがあるのですね。古時計工房フェニックスも、覗いてみたいです。一度、行って見ようと思いました。
ChinchikoPapa
はい、ぜひ目白へいらしてください。^^ 目白駅を降りられて西側(学習院とは反対側)へ歩かれると、ほどなく目白通りの両側が下落合となります。目白通りの右手(豊島区側)にも下落合が三角形の飛び地のように残るのは、下落合村だったころの名残りですね。
目白・下落合界隈は、目白通り沿いばかりでなく、少し入りこんだ住宅街の中にも面白いお店がありますので、散歩されると古いお屋敷や楽しいお店に出会えたりします。古時計工房ですとか古楽器修理工房、浮世絵版画工房、刀剣店・・・などに加え、下町でもめずらしくなったキセルのラオ屋さんなども出没することがありますので、わたしも歩いていて飽きません。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
谷間のユリ
赤瀬川さんというと、トマソン(?)建造物をまとめた本の作者のかたでしたね?お散歩に下落合を選ばれるなんて、趣味がよろしいですね!
ChinchikoPapa
最近、休日になると下落合を散歩される、たくさんの方たちをお見かけします。中には、リュックサックにトレッキングシューズと、野山へ出かけるハイキングのいでたちをされている方も多いのですが、タヌキが出るということで、ひょっとすると新宿区はすごい山の中だと思われている方もいらっしゃるんじゃないかと。^^;
いつも、バッケ(崖地)とか目白崖線とか記事に書いてますので、そのうちピッケルやザイルをお持ちの方が現われないかと、ちょっと心配しています。(爆!)
ぜひまた、杏奴ででも下落合や目白文化村のお話を聞かせてください。^^
ChinchikoPapa
雨宮舜(川崎千恵子)
それで、自分の文章の中に、あなた様の、2006年12月2日の記事を、・・・引用せず、・・・ただ、URLを記載して、それも、参考になさるように書いております。
それで、実は、私も長い文章を書く人間で、大磯で、地引網をしただとか(それは、55年以上前のこと)、最近では、彫刻家のアトリエを訪ねるために高麗神社近くによく行くとか、導入として書くつもりでしたが、やめました。
あなたのご文章に、そういう導入のよさが充分あったからです。
では、お互いによい文章を書いていきましょう。あなた様のものは、
場所を訪ねて書いて行くと言うテーマの統一があるらしいので、ご立派です。私のテーマは多岐に渡りますが、その後で、テーマごとに選び本へ、致します。小さなシゴトですが、今のところ、よく書評が出ます。5種類で、3種類に対して、書評が出ました。
あなたさまも、ご本があるのなら、教えていただきたいです。
ご面倒でも、私のブログを開いていただいて、メルアドをご覧になっていただければ、連絡が取れます。そちらは、どうでも宜しいのですが、
URLをご紹介している、部分はご覧いただければ幸いです。
ChinchikoPapa
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-03-28
Mr.XRAY
実は,昨日乙女山公園に行った時に,「古時計工房フェニックス」というのを始めて知りました.
約300年前のイギリスの時計というのがありました.
参考までに,その時計を撮影させていただきました.
http://mrxray.on.coocan.jp/bbs/DelphiBBS/mrxray_delphifan_coffe.cgi?tree=s2384#2384
ネットで検索しましたら,ここに.下落合,いろいろあるんですね.
私は,南長崎に住んでいます.
ChinchikoPapa
300年前の時計、とても美しいですね。まだ江戸では、置き時計を「土計」などと書いていたころです。いまのように(というか西洋のように)、60秒=1分、60分=1時間、24時間=1日という機械的な時の刻み方ではなく、明け六つ暮れ六つ(日の出日の入り)の太陰太陽暦を基準にした、季節によって夜と昼の長さがそれぞれ異なる季節変動型の時計だったようですから、西洋時計よりもかなり複雑なしくみだったんじゃないかと思います。もっとも、ゼンマイやからくり技術では、西洋の技術をしのいでいた器用な江戸文化ですので、「土計」の専門職人たちには朝飯前の工作だったのかもしれませんが・・・。
わたしも学生時代、南長崎にあるアパートで親元から独立して暮らしていたことがあります。わざわざ旧・下落合(中落合・中井2丁目)を通りながら、学校へ通っていました。^^ いまの季節、御留山は新緑が美しいですね。
Mr.XRAY
「御留山」って書くんですね.そういえば案内板に書いて ありました.
子供がザリガニを捕っていました.
西洋時計よりも複雑なものを作成していた日本人もすごいですよね.
このブログの記事にあるいろいな場所にも行ってみたくなりました.その前に自分の住んでいる豊島区かな.
ChinchikoPapa
このサイトには、実は豊島区の情報もたくさんあります。^^ 特に、画家たちが大勢暮らしてアトリエ村が林立していた旧・長崎町界隈や、目白界隈、雑司ケ谷界隈(次にひとつ記事をアップ予定です)、高田町、戸塚町・・・と、「落合町誌」と名づけていますが、落合地域を中心に新宿区/豊島区/文京区の行政区分はほとんど無視して、この地域全体に関連する物語を記事にしてきました。(ときどき、わたしの出身である下町も入りますが・・・)
豊島区に関連するキーワードで検索されますと、いろいろ見つかるんじゃないかと思います。最近の豊島区の記事には、こんなのがありました。^^;
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2009-03-16
Mr.XRAY
いいですねぇ.RSS登録させていただきました.
ChinchikoPapa
RSS登録をありがとうございます。また、いつでもお気軽にコメントをお寄せください。パソコン通信時代からなのですね、実はわたしもです。^^ PC-9801無印は懐かしい。その前には、PC-8001無印というのもありました。88が出る少し前ですね。nifty-serveにPC-VANにASCIInetに・・・、現在のネットワーク環境を考えると、のどかな時代でした。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa