もうこの記事のタイトルだけで、わたしのアタマの中が支離滅裂でメチャクチャになってる様子がわかる。かろうじて導かれる共通項は、忍岡(しのぶのおか)=上野山=旧・寛永寺境内だ。子供のころ東京国立科学博物館へ出かけて、真っ黒なアロサウルスの全身骨格を飽きずに観察するのが大好きだった。少し前からティラノザウルスやアパトサウルス(旧・ブロントサウルス)の全身骨格も展示されてることだし、久しぶりに出かけてみようと思い立ったのだ。
じゃあついでに、不忍池の弁天堂近くに建立されているらしい長谷川利行Click!の碑を見て、失礼な西郷像から尻を向けられたままの彰義隊Click!の供養塔(墓)へ、久しぶりにお参りしてこようと思って出かけた。その日のアタマの中は、タイトルのようにめまぐるしく推移している。まず、長谷川利行Click!の石碑だが、なぜ不忍池の弁天堂に建っているのかが、イマイチよくわからない。けっこう詳しい経歴を記したプレートが設置され、石碑の右横には歌碑までが設置されている。
人知れず朽ちも果つべき身一つの いまがいとほし涙拭わず
己が身の影もとどめず水すまし 河の流れを光りてすべる
石碑の揮毫は目白通りをはさんで下落合の北隣り、長崎アトリエ村に在住した洋画家・熊谷守一Click!によるもの、歌碑の揮毫は二科を結成した洋画家・有島生馬Click!だ。利行が好んで描いた風景モチーフは大川(隅田川)端の街々が多く、上野風景の点数は新宿風景Click!とともに、それほど多くはなかったように思うのだが、なぜか記念碑は不忍池の弁財天脇に建立されている。

あまり深く考えはじめると、利行碑と不忍池界隈でジッとしたまま1日が終わってしまうため、彰義隊の供養塔へと向かう。途中、下谷のうなぎ屋に食指が動いたけれど、八景坂Click!で食べたばかりなので蕎麦屋の老舗の鴨南蛮でがまん。下谷広小路(現・上野広小路)から黒門跡を通って、香華が絶えない彰義隊Click!の墓へお参り。ちょうど、上野の精養軒脇にある刻の鐘(時の鐘)Click!が正午を告げていた。捨て鐘こそなかったが、ちゃんと九ツ打っていたようだ。現在は、上野公園となっている山全体が、江戸期には寛永寺の境内だったエリアだ。いまの寛永寺は、1875年(明治8)に桜木町の大慈院境内に再建されたせせこましいもので、敷地の広さは江戸期の数パーセントという規模だ。ちょうど、このブログで頻出する東京美術学校(現・東京芸術大学)の裏手にあたる。いまだ門柱のあちこちには、上野戦争の弾の跡が残っている。
寛永寺というと、正保のころ下総国(現・千葉県)佐倉の名主・木内宗五郎のエピソードが、いまに伝えられて特に有名だ。佐倉の領主・堀田上野介の悪政に対し、その暴虐ぶりを将軍へ直訴しようとやってきた「佐倉宗五郎」の実際にあった事件だ。さっそく歌舞伎にもなり、瀬川如皐の書く『東山桜荘子(ひがしやま・さくらそうし)』が上演されている。瀬川如皐というと、どうしても「切られ与三」Click!が有名すぎて、ほかの台本がその陰に隠れがちだけれど、この芝居もけっこう出来がよく、戦前から中村吉右衛門の当たり狂言となっている。芝居では宗五郎という実名ではもちろんなく、宗吾という名に改められ、寛永寺の通天橋の下から将軍へ直訴することになっている。捨て身の直訴はまんまと成功し、史実では木内宗五郎一家は磔の刑に処せられている。
上野の山を描いた芝居には、このほかにも彰義隊をテーマにした眞山青果の『将軍江戸を去る』、下落合の松居松翁Click!が描いた『上野の戦争』、講談から芝居に直された『秋色桜(しゅうしきざくら)』、長唄の舞台『元禄花見踊』と枚挙にいとまがない。それほど上野山は、昔から江戸東京市民に親しまれた、ゆかりの深い地域なのだ。人が住みはじめたのも古く、上野山に残る古墳群Click!をいつかこのサイトでもご紹介したことがあった。

さて、お楽しみの科学博物館へとやってくる。わたしが子供のころ、博物館の周辺にはクジラの骨の全身骨格がいくつか展示されていたが、いまは反捕鯨の声がやかましくなったので撤去したのだろうか、シロナガスクジラ1頭のオブジェに変えられている。さっそく、正面玄関から入ろうとしたら、封鎖中で入れない。横手の地下に入口が移動していて、その昔、入口を入ったら目の前にアロサウルスの全身骨格・・・という感動は、見事に裏切られてしまった。横手から入ることになったけれど、さっそく中央ホールへと抜けてみれば、なんと恐竜ではなくパンダがたくさんいるではないか。恐竜が見たいのにランランやカンカンなど、上野動物園にやってきた歴代の剥製パンダたちに迎えられ、しばし呆然としてしまった。
そう、恐竜たちは博物館の裏手にできた新館のほうへほとんど移され、本館のほうには展示されなくなってしまったのだ。(エラスモサウルス類のフタバスズキリュウだけが本館に残されている) しかも、懐かしいアロサウルスの骨格標本が見あたらない。きっと、直立に近い骨格の組み立て方が現在の学説には合わないので、バラバラにされて倉庫にでも保管されてしまったのだろう。ジュラ紀のアロサウルスよりも、もっと大きくて派手な白亜紀のティラノザウルスがいるからいいじゃんか・・・ということなのかもしれない。でも、アロサウルスの骨格標本が恐竜原体験のわたしとしては、なんとなくイマイチ不満で納得できないのだ。
展示の内容も、大きく変わっていた。昔のホルマリンやカビ、薬品やニスの匂いのする、どこかおどろおどろしい博物館の雰囲気はまったくなくなり、まるでテーマパークのパビリオンに来たような明るくシャレた風情なのだ。厚い扉の向こうから、なにを研究しているのかわからない怪しい博士が登場して、ホルマリン漬けの得体の知れない不気味なガラスケースを抱えながら、薄暗い廊下の奧へと消えていく・・・なんてことが、まったく想像できない空間に変貌していた。昔の風情をそのまま伝えるのは、科学博物館の少しくたびれた建物外観だけとなってしまったのだ。
子供のころゾクゾクしながら見た、ニホンオオカミの剥製やホルマリン漬けのシーラカンス、「首狩り族」が焼け石で収縮した生首・・・、みんなどこへ消えてしまったのだろう。本館のホールには、黒色から銀色に明るく変わったフーコーの振り子が、子供のころと変らずにゆっくり揺れていた。
■写真上:左は、ティラノザウルスの全身骨格標本。右は、博物館の変わらないステンドグラス。
■写真中上:上左は、不忍池弁財天の脇に建つ熊谷守一揮毫の長谷川利行碑。上右は、有島生馬揮毫の同歌碑。下左は、現在の寛永寺。下右は、1950年(昭和25)ごろに撮影された寛永寺。
■写真中下:上左は、寛永寺周辺のあちこちに残る弾痕。上右は、西郷像の裏にある彰義隊の供養塔(墓)。下は、瀬川如皐が書いた『東山桜荘子』で戦前の舞台と思われる。通天橋上の将軍役は7代目・澤村宗十郎で、土下座している宗吾役は初代・中村吉右衛門。
■写真下:左は昔ながらの科学博物館の外観だが、右はオシャレな展示となった明るい館内。
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この記事へのコメント
かあちゃん
新館の建設はいいとして、中の様子まで変えなくても・・と思うのですが。博物館までそんな変貌をとげているとは驚きです。一体どうしちゃったんでしょう?
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
ChinchikoPapa
アロサウルスのあと、ホールに展示されていたのはタルボサウルスとマイアサウラの2体だったようで、アロサウルスはやはり骨格の組立てを変更し、倉庫に保存されているようです。わたしが子供のころ、1階の中央ホールで見たのはアロサウルスでしたけれど、かあちゃんさんと「ぼーず」が新館建築中にご覧になったのは、おそらくタルボサウルスとマイアサウラではないかと思います。もっとも、タルボサウルスも現在の学説に合わない直立歩行に近い組み立て方をしていたようで、こちらもいまは倉庫行きとなっているようですが・・・。
ただ、「昔の展示のほうがいいな!」と言われる方がやはり多いようで、中央ホールではときどき特別企画ということで、アロサウルスやタルボサウルスを出してきて、新しい組み立て方で展示することがあるようですね。わたしが出かけたときは、その特別企画がたまたまパンダの剥製だったようです。^^;
新館のほうは、特にオシャレな造りになっていて、ディスプレイや照明にも凝っていますね。個別に並べていた標本を統合し、マクロな視野から全的にとらえる・・・というコンセプトが感じられるのですが、子どもたちのミクロ的な視点に立ちますと、ちょっと難しくなってしまった展示のようにも感じます。むしろ、個々の標本をできるだけ身近に並べていた、昔の展示法のほうが、子供たちは興味を惹かれる対象を見つけやすい、あるいは印象に残りやすいように思いますね。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
sig
全然行かないでいるうちに、科学博物館の展示がかなり変わったみたいですね。
佐伯祐三のムービー、気にしておいてみますが、自信ありません。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
なんだか、「博物館」というイメージが少しゆらいでしまいました。
佐伯ともうひとつ、目白文化村の映像らしき作品を、なにかの機会で見かけられましたら、ぜひご教示ください。^^;
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>tasuchanさん
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>くらいふさん
ChinchikoPapa
また、システムのバグでしょうか?