スッチャカ曾宮一念画室にフルチン金山平三。

大洗日の出.jpg 鈴木良三.jpg
 下落合じゅうに点在していた画家たちのアトリエを、鈴木良三Click!は丹念によく訪ね歩き、その様子を几帳面に記憶している。梶山公平・編『芸術無限に生きて』(木耳社/1999年)には、鈴木と交流があった50人以上の美術家たちが登場しているけれど、今回はその中から曾宮一念アトリエClick!の様子と、金山平三Click!および刑部人Click!との交流を中心に取り上げてみたい。
 曾宮一念Click!が、中村彝Click!の誘いにのって下落合にアトリエを建てはじめたのは1920年(大正9)、翌年には彝アトリエから真西へ400mほどの下落合623番地に完成している。ちょうど1921年(大正10)に完成した佐伯祐三Click!アトリエClick!と、下落合ではまったくの同期だったことになる。曾宮アトリエのあった久七坂筋と、彝アトリエの西に通う七曲坂Click!筋との間は、美術家たちのアトリエ密集地帯で、鈴木が記憶しているだけでも二瓶等、片多徳郎、牧野虎雄Click!などの家を訪れている。また、佐伯アトリエを訪問Click!していることはすでに書いたけれど、佐伯アトリエと背中合わせに接していた中村善策アトリエ、また満谷国四郎アトリエClick!吉田博アトリエClick!森田亀之助邸Click!など、当時の有名無名を問わず多くの美術家の家々へ出入りしていたらしい。
  
 曽宮さんの家の前を通り過ぎてニ、三分のところに森田亀之助先生のお宅がある。日本風の多分平屋建てだったと思うが、門を入ってニ、三十歩のところに玄関があり、玄関の先に六畳ぐらいの書斎兼応接間といった部屋があり、それから奧は知らないが、書机の前に座って先生は私を迎えてくださった。/先生は東京美術学校の西洋美術誌の教授で、いつも酒に酔ったような風貌と態度が生徒の人気を集めて居られたそうだ。/私が「油絵はどうして、いつ頃から額縁に入れられるようになったのですか」と質問したが、ハッキリした回答をなさらなかったことを思い出す。「彝君から本を借りたのを返さなくちゃ」などと言い訳をいって居られた。 (同書「森田亀之助」より)
  
森田亀之助邸跡.JPG 曽宮邸諏訪谷.JPG
 曾宮一念のアトリエClick!にはずいぶん通ったらしく、鈴木は同邸の様子を詳細に記述している。興味深いのは、曾宮が1925年(大正14)に制作した『冬日』Click!のことを、鈴木がよく憶えていることだ。同書から、再び引用してみよう。なお、( )内の註釈はわたしが入れている。
  
 片多氏の下宿からニ、三十歩行くと左側は低地で、下の方に農夫が野菜を洗う「洗い場」が長方形のプールのようになっていた。この低地はそのまま高田馬場(駅)の下の田圃に続いていて、両側の丘は一方は檪林、片方は徳川侯爵(ママ:男爵)の庭続きで有名なボタン園になる。/この低地を我々は谷と呼んでいたが、その北側の台地は谷に沿って細い車も通れない道路があり、道路の上にわが曽宮邸のアトリエがあった。庭に大きな桐の樹があって、その桐の花を愛して曽宮さんはよく絵にしていた。/曽宮邸には門も、玄関もなく、三間に三間半のアトリエに六畳の居間が続き、台所と便所がついているだけで、客はいきなりアトリエのドアから入るか、六畳のタタミの上に通されるか至極便利?なものであった。/敷地は百坪たらずであっただろうが、庭からの眺めは相当なもので、曽宮さんは洗い場をいれていい絵を描いている。/アトリエのなかは乱雑でスッチャカメッチャカ。コチコチの婦人像が壁にかかっているぐらいで、タブロウらしいものなど見当たらない。家にいるよりも出歩いている方が多かったのではないだろうか。 (同書「曽宮一念」より)
  
牧野虎雄アトリエ跡.JPG 男鹿椿の岩床.jpg
 鈴木良三が初めて金山平三と出会ったのは、男鹿半島へ写生旅行に出かけたときだった。鈴木は風景画、特に戦後は“海”をモチーフにした風景を描くことが多く、このときも日本海をスケッチしに秋田まで出かけたのだろう。旅先の男鹿では偶然、道を歩いていると刑部人Click!に出会い、つづけて宿屋では金山平三と遭遇している。
  
 私が男鹿半島へ写生に行った時、三十号ぐらいのカンバスを下げて写生に行く刑部君に逢い、そこの貧しい宿へ帰ってみると奧から金山さんが出てきて、人ちゃんに逢わなかったかと聞かれたのが、私の金山さんとの初対面であった。勿論写真でお顔は知っていたが、こんなにむさ苦しい格好をしているとは思わなかった。/どこかの駅で金山先生を迎えに出た人が遂に先生を見失った。それは汚い老人が改札口を通り過ぎたのをまさか大先生とは思わなかったからだったという話を聞いているので、なる程と思ったことであった。(中略)/その後、伊豆箱根写生会で図らずもやはり三人が顔を合わせ、金山さんは素っ裸で泳ぎだしたのには驚いた。あんなに貴族的な顔をしているのに、実に天衣無縫の振る舞いにはおそれいった。 (同書「金山平三と刑部人」より)
  
刑部人アトリエ.jpg 金山先生 長野市犀北館にて1963.jpg
 鈴木が「なる程」と納得してしまうほど、金山爺ちゃんClick!はふだんから服装にはまったくこだわらなかったのだろう。オシャレをするのは、アトリエでのひとり芝居Click!の衣装を着るときだけだったのかもしれない。夏の写生会だったのだろう、水着を持たない金山平三はフルチンで伊豆の海を泳いでいた。年寄りなので見逃してくれたものか、一般の海水浴客から警察へは通報されなかったようだ。相変わらず、行く先々でエピソードを残してくれる金山爺ちゃんClick!なのだ。

■写真上は、1979年(昭和54)制作の鈴木良三『大洗の日の出』。は、晩年の鈴木良三。
■写真中上は、旧・下落合630番地の森田亀之助邸跡の現状。南隣りには一時期、1930年協会の里見勝蔵Click!が住んでいた。は、旧・下落合623番地に建っていた曾宮一念アトリエ跡の、庭先東端から見た諏訪谷の様子。ちょうど住宅を新築中で、谷底まで見おろすことができる。
■写真中下は、長崎町(目白通り北側)から引っ越したのち旧・下落合604番地の牧野虎雄アトリエ跡の現状。は、1984年(昭和59年)制作の鈴木良三『男鹿椿の岩床』。
■写真下は、旧・下落合2074番地に建っていた刑部人アトリエClick!を北側のバッケ中腹から。は、1963年(昭和38)に描かれた刑部人『金山先生(長野市犀北館にて)』。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    前にのめって蹴躓くような演奏に、何度もニヤニヤしたアルバムです。気持ちがささくれ立っているときに聴くと、おだやかになるサウンドですね。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2009年01月11日 15:25
  • ChinchikoPapa

    飛騨へ旅行したとき、お土産で買ったのはやはり漬物がいちばん多かったです。
    nice!をありがとうございました。>飛騨の忍者ぼぼ影さん
    2009年01月11日 15:30
  • ChinchikoPapa

    愛宕山周辺を散歩すると、いろいろな江戸の香りを見つけることができますね。
    nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
    2009年01月11日 20:39
  • ChinchikoPapa

    「ビーバーの谷」というのも、学校の体育館かどこかで観たような気がします。
    nice!をありがとうございました。>sigさん
    2009年01月11日 20:43
  • ChinchikoPapa

    京都駅設計の原先生とは若いころお話ししたことがありますが、独特な雰囲気の方ですね。nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2009年01月11日 20:48
  • ChinchikoPapa

    親が読んでいた「暮らしの手帖」やTVなどで、藤城清治の影絵芝居には強い印象があります。nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2009年01月12日 11:17
  • ChinchikoPapa

    わたしの路地は、東日本橋のすずらん通り界隈なのですが、最近はあまり風が通りませんね。nice!をありがとうございました。>漢さん
    2009年01月12日 16:51
  • ChinchikoPapa

    ジョビンの“キリンアルバム”は、ボサノヴァでもっとも多くターンテーブルに載せる1枚です。わたしの場合はアイスコーヒーですが。^^ nice!をありがとうございました。>shinさん
    2009年01月13日 16:16
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2010年02月12日 12:38

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