わたしが貝原浩の絵画に接したのは、1970年代も終るころ現代書館から出版がはじまった「FOR BEGINNERS」シリーズを目にした、学生時代が最初ではなかったかと思う。当時、大学の生協書店には、同シリーズが大量に平積みになっていたのを憶えている。シリーズの中で、佐藤文明が書いた『戸籍』(1981年)や菅孝行の『全学連』(1982年)などの挿画を担当していたのが、2005年に亡くなった貝原浩だったのだ。
その作品のインプレッションは強烈だった。貝原の表現は一度見たら忘れられず、その後もあちこちで作品を見かけ、彼のタッチを模倣するイラストレーターさえ、すぐにチラホラ出てきていたように思う。80年代に入ってすぐのころ、背後をふり返れば誰もついてこなかった「芸大全共闘」で有名な^^;、北川フラムが主宰していた現代企画室から、『ペンギン?(ペンギンクエスチョン)』という雑誌が出た。わたしは、その創刊準備号から読んでいたのだけれど、そこに貝原浩の作品がずっと連載されていたのを記憶している。平岡正明の本でも、しばしば挿画を見かけていた。彼が手がけた、本の装丁や挿画は膨大な数にのぼるのだろう。『ダ・カーポ』にも連載していたということだが、わたしは同誌を読んでいなかったので知らない。
東中野にあるパオ・ギャラリーClick!で、「一本のエンピツがあれば・・・/貝原浩の鉛筆画展」が開催されているので、さっそく行ってみた。大盛況だった昨年の装丁・挿画の展覧会は、わたしも混雑する会場をチラリとのぞいている。今年は、仕事の打ち合わせのついでに平日の昼間、開館直後をねらって出かけたのでとても空いていた。おかげで、じっくりと心ゆくまで作品を観賞することができた。会場には雑誌の挿画を中心に、これでもかというほど細密で“黒い笑い”に満ちた作品が架けられている。展覧会の「一本のエンピツがあれば・・・」というショルダーは、たった1本の鉛筆さえあれば、彼の場合は絵画表現を通じて、権力や権威に対して抵抗し否定できる・・・という意味合いがこめられているのだろう。
貝原浩の絵画は、現代の日本では決してメジャーにはなりえない。そこには、権力や権威に対する強烈な憤怒と嫌悪感、徹底した否定と、湧きあがる皮肉に満ちた爆笑(しばらく考えても、うまい言葉が見つからない)が、どのような作品にも必ずどこかに潜んでいるからだ。権力や権威と呼ばれるものの土台や背景が、実は非常にいい加減でいかがわしく、またドス黒いばかりで空疎なものであることを見透かすことのできる時代に生き合わせた、そして、それを「一本のエンピツ」でも表現できる手段を持ち合わせた貝原は、「あらかじめ失われた」表現者などではなく、いまの日本の情況下でメジャーになることを強固な意志で断固拒否しつづけた、稀有な画家のひとりだったのだろう。
わたしの脳裡へ強烈な印象を残した、現代書館による「FOR BEGINNERS」シリーズの『戸籍』は、当時はまだ編集者だった斎藤美奈子が紹介してくれた1冊だったと思う。それ以降、仕事の忙しさにかまけて彼の作品を追いつづけるのをサボっていたのだけれど、2005年に亡くなっていたことを知ってビックリした。まだ、58歳の若さだった。
同展の会場には、鉛筆画が掲載されたオリジナルの雑誌や書籍類も資料として置かれ、また関連書籍や画集も同時に販売されている。貝原浩の仕事の一側面を知りたい方は、ぜひ東中野のパオ・ギャラリーの会場へ。期限は残念ながらきょう、10月23日(火)までだ。
■写真上:わたしがおそらく最初に貝原浩の絵に接した、現代書館の『戸籍』(1981年)。
■写真中上:パオ・ギャラリー展覧会場の様子と、2005年に亡くなった貝原浩。
■写真中下:どの作品も単なる風刺や揶揄のレベルなどではなく、否定や批判の地平だ。
■写真下:そのほか、さまざまなバリエーションの鉛筆画作品が展示されている。
★「一本のエンピツがあれば・・・/貝原浩の鉛筆画展」を準備されたメンバーである、長野の片桐様よりリンクClick!を張っていただきました。こちらからもトラックバックを差し上げたのですが、ブログ同士のシステム相性が悪いらしく反映されませんので、こちらでリンクを張らせていただきました。片桐様のブログ「きぎ工房絵日記2」Click!では、同店の準備の様子Click!も報告されています。ご参照ください。
★貝原さんの公式サイト『絵描き・貝原浩』Click!の「これまでの展覧会記録」Click!へ、主催者のkaiharatenさんがリンクを張ってくださいました。たいへん光栄です。
この記事へのコメント
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
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ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
カタギリ@長いも村
長野の片桐と申します。
貝原さんの鉛筆画展の「黒子スタッフ」をしました。
そちらのブログで感想記事を見つけ読ませていただきました。
当方のブログからそちらの記事へ飛んでゆけるようにさせていただきました。
事後承認ですみませんが、ご承知置き下さいますようお願いいたします。
ChinchikoPapa
はい、どうぞご自由にリンクをされてください。さっそく、こちらからもトラックバックをお送りしているのですが、何度かつづけて試みてもうまくTBできません。RSS機能の相性が悪いようですね。つづけてやってみます。
ChinchikoPapa
カタギリ@長いも村
TBもRSSもなんのことやらサッパリな身の上ですが(どちらかというとアナログ系)、どうもありがとうございます。
そういえば、貝原さんは「落合」の住人でした。
またよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
・・・えええっ!? とビックリしてしまいました。貝原さんはここ、落合に住んでらしたのですか!?
実は、このブログの30%ほどは、落合地域に住んだ画家たちについて記事に取りあげているのですが、地元にお住まいだったとすれば、わたしは完全にそれを知らずにいた、二重のマヌケということになってしまいます。(亡くなられたのを昨年まで知らずにいたことと重ねて合わせて/汗)
落合のどのエリアにお住まいだったのでしょう? お差し支えなければ、地域だけでもご教示いただければと存じます。<(_ _)>
カタギリ@長いも村
しばし留守にしておりました。
生前に訪ねた事はないのですが、貝原さんは中落合というところ、目白大学の近くでした。
会場にお越しいただいた時、たぶん会場で対応していたのは、貝原さんのつれあいの世良田さんではなかったかと思います。
亡くなった後、貝原さんをよく知る人たちが文を寄せた「貝原を語る、貝原へ語る。」という冊子があります。
もし、興味がおありでしたらお送りいたします。
当方のブログへ非公開コメントでアドレスをどうぞ。
またよろしくお願いいたします。
ChinchikoPapa
はい、貝原さんのアトリエ位置、だいたい了解いたしました。世良田様というのは、おそらく徳川家のご姻戚の方ではないかと想像します。北関東の足利氏の隣りが出自である徳川様は、もともと本来の姓は「世良田」様ですから、徳川様が古くから住まわれる旧・下落合にお住まいだというのは、なんとなく強い縁(えにし)を感じてしまいます。^^
ありがとうございます。お言葉に甘えまして、のちほどアドレスをお送りいたします。
よろしくお願い申し上げます。
カタギリ@長いも村
あれこれと了解です。
「な〜んだ」とでもいいましょうか(笑)。
今回の鉛筆画展の「支度画像」の右隅に写っております方には、そちらでの定宿としてお世話になっており、一昨年の「本の仕事展」での支度記録にもしっかりと"お姿"が写っております。(http://kigikobo.exblog.jp/2676941)
ご参考まで。
またよろしくお願いいたします(←ひとつ覚えの挨拶文でスミマセン)。
カタギリ@長いも村
先ほどのブログアドレス、最後のスラッシュが抜けておりました。
http://kigikobo.exblog.jp/2676941/ です。
ChinchikoPapa
本日、ご連絡をいただき、お言葉に甘えることにいたしました。^^ はい、しっかりとお姿を拝見いたしました。(笑)
すみません、みなさんにお手数をおかけすることになってしまいました。こちらこそ、今後ともよろしくお願い申し上げます。
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
〇〇ガー