小島キヨが見た中村彝。

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 1920年(大正9)3月、広島県三原女子師範学校を卒業した小島キヨ(清)Click!は、仕事に就こうと東京にきて就職活動をはじめている。トルストイの著作類や武者小路実篤Click!の『白樺』、辻潤が翻訳した雑誌連載中のシュティルナー『唯一者とその所有』などを読む、早熟な18歳の少女だった。大正のこの時期、仕事のあてもなく東京へやってきては彷徨する少年少女たちが、決してめずらしい存在ではなくなっていた。小島キヨは、文学を志していたのだ。
 でも、なかなかいい仕事にありつけず、青柳有美が編集していた雑誌『女の世界』の広告を見て、とりあえず一時的なアルバイトをしようと考えたらしい。谷中墓地のすぐそばに事務所をかまえていた、東京美術学校近くのモデル紹介所へと出かけている。このモデル事務所へは、近辺にアトリエをかまえた画家たちが頻繁にやってきては、気に入ったモデルが見つかると連れ帰っていた。小島キヨは、まず有馬里枝に雇われて、岡田三郎助が主催する女性画家ばかりの研究所へと通うことになる。次に、矢島堅士や山本鼎のアトリエにも呼ばれた。キヨは、当時としては大柄な体格で、透きとおるような色白の肌とともに豊満な身体つきをしており、女性をモチーフにした創作を好む画家たちには、モデルClick!として人気があったようだ。
 同年7月のある日、キヨは数人のモデルたちとともにオーディションに出かけることになった。オーディションの場所は、目白駅から歩いて10分ほどの落合村下落合464番地、中村彝Click!という画家のアトリエだった。この画家は、なんでも結核の症状が進行しモデル事務所には来られないので、モデルたちがまとまってアトリエまで出向きオーディションを受けているとのことだった。そして、その日のうちにキヨの採用が決まった。数年後、辻潤との出逢いとともに上落合や下落合を徘徊することになるなど、キヨはまだ思ってもみなかっただろう。
椅子によれる女.jpg 小島キヨ3.jpg
 中村彝は、キヨにイスへ腰かけるよう指示し、ややうつむき加減でポーズをとるように言った。キヨから見た彝の印象は、身なりにまったくかまわない人らしく、髪はもじゃもじゃで絵具だらけのズボンをはき、胸の骨がクッキリと浮き出るほどに痩せて見えたようだ。キヨは1週間もつづけて通うことになり、1日につづけて何時間も同じポーズをとらされた。キヨも疲れたけれど、中村彝のほうはもっと疲弊するらしく、描き終えると精も根もつき果てたようにグッタリと倒れこんでいたらしい。キヨの記憶では、彝は初対面のときの面影と描き終えたあとの様子が、これほどまで変わるものかと思うほどのやつれ方をしたようだ。
 キヨは、相馬俊子Click!に比べればかなり大柄だが、どこか身体つきが似ていたのかもしれない。また、曾宮一念が記録した、「私は貴婦人型は好かない。おさんどん型が好きだ」という彝の言葉を、キヨの面影は思い出させてくれる。このときの仕事を、中村彝の側から記録した手紙が残っている。『椅子によれる女』について、1920年(大正9)7月18日付け友人への書簡から引用してみよう。なお、『椅子によれる女』は1921年(大正10)ごろの作としている画集や図録が多いけれど、小島キヨの日記と彝の書簡から判断すれば前年の夏、1920年(大正9)7月中旬の1週間かけての制作だったことがわかる。
  
 先週女のモデルを雇って半身像を描いて見私は今、絵画に於ける自由、仏の所謂煩悩即ち菩提を深く信じつゝ感謝して居ります。さう言ふ意味で今私はルノアールを極度まで崇敬して居ります。(中略) ね、君、まあそんな事はどうでもいいが、僕は今年は女を、あの肉の調子を力強く描き表はして見度くて堪らない。女を見て居ると、バックが丸でそれを包む瑞気の様に見える。境がなくなる。すべてがその魅力で充たされて終ふ。女独特の光で充たされて終ふ。大きなこだわりのない広々とした懐しい光が、一団となって全体から一度に来る。これを描いているのは現代ではルノアール! ルノアール唯一人だ。 (倉橋健一『辻潤への愛―小島キヨの生涯―』より)
  
 翌年、キヨはようやく事務職の勤めが決まり、その仕事に馴れたころ、月島の労働会館で開かれた辻潤の講演会へ出かけるのは、翌々年の1922年(大正11)のことだった。ちなみに、このころ上落合503番地の妹夫婦と同じ住所で暮らしていた辻潤Click!は、1921年(大正10)5月28日に新宿中村屋に寄宿していたワシリイ・エロシェンコClick!の訪問を受けている。鶴田吾郎が目白駅で彼と出会い、中村彝が『エロシェンコ氏の像』Click!にとりかかる、わずか3ヶ月ほど前の出来事だ。
お島.jpg 女.jpg
 小島キヨは1973年(昭和48)11月15日、日動画廊で開かれた「中村彝遺作展」へと出かけている。そこで、『椅子によれる女』と題された作品と、実に53年ぶりに対面し、絵の隣りに立って記念写真を撮ってもらっている。辻潤の死からも、すでに30年ほどの歳月が流れていた。

■写真上:小島キヨ(左)と辻潤の母・美津(右)、下は辻秋生(敗戦直前に戦死)。辻潤の母の表情は、いかにもさばけてはいるが頑固そうな江戸女を髣髴とさせる。
■写真中は、下落合のアトリエで1920年(大正9)7月に描かれたと思われる中村彝『椅子によれる女』。は、辻潤と別れたあとようやく再婚したころの小島キヨ。
■写真下は、中原悌二郎から紹介され彝のお気に入りモデルだった“お島”。小島キヨとは対照的に、色黒で小柄な女性だった。は、“お島”をモデルにした1921年(大正10)制作の『女』。
舟木力英様が、中村彝『椅子によれる女』のモデルの小島キヨについて、詳しい記事を書かれています。詳細は、こちらClick!をご参照ください。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    最近、そういえば焼肉にご無沙汰です。拝見していてヨダレが出ました。
    nice!をありがとうございました。>Krauseさん
    2008年06月23日 11:33
  • ChinchikoPapa

    広い視野で症状を観察できる家庭医と、症例ごとのエキスパートである専門医の必要性は、わたしも前から感じていました。子育てをするときなど、痛切に感じることが多いですね。nice!をありがとうございました。>一真さん
    2008年06月23日 11:39
  • ChinchikoPapa

    わたしも近所のヘビのことについて、ちょっと書いてみたいと思います。
    nice!をありがとうございました。>sigさん
    2008年06月23日 11:40
  • ChinchikoPapa

    ナット・キング・コールいいですね。先日、ビリー・ホリデイでダンスをしてしまいましたが、JAZZで踊るのもオツですね。(^^; nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2008年06月23日 11:46
  • ChinchikoPapa

    三渓園の菖蒲、ほんとうに美しいですね。山手駅で降りて、三渓園まで散歩したくなりました。nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
    2008年06月23日 15:03
  • ChinchikoPapa

    インドあたりの仏像は、どこかアーリアっぽい面影をしてますね。
    nice!をありがとうございました。>mustitemさん
    2008年06月23日 15:11
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年12月05日 15:59
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>hanamuraさん
    2011年07月19日 18:16
  • 舟木力英

    ChinchikoPapaさんのこの記事に、遅ればせながら小生のブログ記事からリンクさせて頂きました。<彝の「椅子による女」のモデルと制作年>という記事です。
    2015年10月20日 21:46
  • ChinchikoPapa

    舟木力英さん、コメントをありがとうございます。
    拙記事とは異なり、いつも綿密で精緻な記事に感服しています。こちらからも、さっそく文末に記事のご紹介とリンク、およびTBを張らせていただきました。わざわざ、ありがとうございました。
    2015年10月20日 22:11

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