吉行あぐりのバー「あざみ」in上落合。(上)

上落合商店街1.jpg 吉行あぐり.jpg
 ナカムラさんから、わたしがいかにも飛びつきそうなテーマをお教えいただいた。以前、このサイトでも村山知義が設計した三角美容院をご紹介しているけれど、その主である吉行あぐりClick!が大正末ごろ、上落合でバー「あざみ」を経営していた・・・という、うれしい情報だ。さっそく、手元の資料や図書館などでいろいろ調べてみる。
 吉行あぐりの自叙伝『梅桃が実るとき』(文園社/1985年)には、もちろんそんな記述はない。もし、上落合のバー「あざみ」が自叙伝に登場していたら、見逃がすはずがなかった。1925年(大正14)2月に生まれたばかりの長男・淳之介を、岡山の吉行家へ置いたまま上京した彼女は、当時は亀有にあった夫の吉行エイスケ宅へすぐに身を寄せた・・・ということになっている。でも実際は、当時の吉行エイスケ宅は中野にあり、亀有は同年7月以降に引っ越した先なので、あぐりの『梅桃の実るとき』の記述には多少の混乱がみられるようだ。それは、中村彝Click!のモデルもつとめ、辻潤の2番目の妻である小島キヨ(清)がリアルタイムでつけていた日記からも裏づけられる。この時期、小島キヨは吉行夫妻の中野の家へ、実際に何度か泊めてもらってもいる。
 吉行あぐりは同年の秋に、丸の内の丸ビル内で美容室を経営していた美容師・山野千枝子へ弟子入りし、ほとんど朝から晩まで中野にあった山野邸へ住み込むようにして修行を重ね、休日は月1回だった・・・ということになっている。だから、中野のエイスケ宅と山野宅とがほぼ同時期に重なってしまい、その多忙さから記憶に齟齬が生じているのかもしれない。
 ナカムラさんからご教示いただいた資料、『尾形亀之助全集・全1巻』(思潮社/1970年)の年譜には、吉行あぐりが上落合でバー「あざみ」を経営していた事実が明記され、店の常連だった顔ぶれまでが記録されている。この年譜は秋山潔、草野心平、そして尾形の妻だった芳本優(尾形優)の3人が執筆している。もちろん、尾形亀之助も「あざみ」の常連のひとりで、吉行エイスケを目の前にして、吉行あぐりへあからさまな思いを寄せている。
  
 一九二六年(大正十五年・昭和元年)二十七才
 (中略)
 ★このころ、上落合でバーを経営していた吉行エイスケ夫人あぐりに恋愛感情をよせる。このバーの常連は、荒川畔村、辻潤、新居格、村山知義、林房雄などで、のちに亀之助夫人になる芳本優もその中の一人であった。
  
辻潤.jpg 尾形亀之助.jpg
村山知義.jpg 田河水泡.jpg
 では、上落合186番地に住んでいた村山知義Click!は、どのように自叙伝へ記録しているだろうか? 彼の『演劇的自叙伝2』(東邦出版社/1971年)から引用してみよう。
  
 吉行あぐりさんはまた、東中野駅のこっち側に「あざみ」というバーを経営しており、エキゾティックな美貌で客を呼んでいた。駅の向う側には「ユーカリ」というバーがあって、マヴォの連中や近所の芸術家がしょっちゅう出入りしていた。(中略)/あぐりは、本当に牡丹が(いや、もっと何かヨーロッパの花の方がよい)パーッと咲いたような美人だった。私などはただ圧倒されて、仰ぎ見るだけで、手も足も出せなかったが、彼女と尾形との間に恋愛関係があったとはショックである。
  
 文中の「東中野駅のこっち側」とは、村山の三角アトリエClick!からみて「こっち側」(上落合側)という意味だ。当時、線路は敷かれてどうやら貨物輸送Click!は開始していたかもしれないけれど、西武電気鉄道(現・西武新宿線)はいまだ客車運行をしておらず、上落合地域へ向かう最寄りの駅は中央線の東中野駅だった。だから、バー「あざみ」が上落合にあっても、「東中野」あるいは「東中野駅の近く」と表現されて、なんら不自然ではない時代だった。
 一方、あぐりにぞっこん惚れてしまった画家のちに詩人であり、1923年(大正12)3月から上落合742番地に住んでいた尾形亀之助側からの記録はどうだろう? 先の『尾形亀之助全集』とは別に、正津勉『小説尾形亀之助-窮死詩人伝-』(河出書房新社/2007年)から引用してみよう。
  
 吉行あぐり(安久利)。明治四十年、岡山県生まれ。現在もご存命だ。エイスケと十六歳で結婚。このとき彼女は美容術結髪を習うかたわら、夜は東中野で夫が経営するバー「あざみ」に出ていた。そこは新しい芸術家の溜まり場で毎晩賑わった。まずもって店の主エイスケが人を引きつける。(中略) そしてそれよりも若妻、十八歳のあぐりがユニークな存在なのである。
  
 村山知義の『演劇的自叙伝2』の記述とは、「あざみ」をめぐって妻のあぐり経営と夫のエイスケ経営とで記録の齟齬が見られるが、尾形亀之助はあぐりに恋焦がれて「あざみ」へ入りびたり、吉行エイスケが目の前にいるにもかかわらず、閉店まで座りつづけて口説いている。閉店後、あぐりと離れるのイヤさに、中野の吉行宅までずうずうしく押しかけていくことさえ頻繁にあったようだ。尾形は、あぐりへ「さびしい夕焼の饗応」という詩まで捧げていた。
林房雄.jpg 萩原恭次郎.jpg
小山勝清.jpg 吉行エイスケ.jpg
 吉行あぐりのバー「あざみ」の証言は、これだけではない。当時、上落合や下落合に住み、店の常連や客として通った人たちの記録にも散見される。どうやら、確かに吉行あぐりのバー「あざみ」は、東中野駅の「こっち側」=上落合界隈に間違いなく開店していたようだ。
 そこで、ナカムラさんは吉行あぐりさんご本人へ、わざわざ問い合わせをされている。(爆!)
                                                                      つづく>

■写真上は、上落合1丁目の商店街のひとつ。は、「山ノ手美容院」開店後の吉行あぐり。
■写真中:バー「あざみ」に通ったと思われる常連たち。は、辻潤(左)と尾形亀之助(右)。は、村山知義(左)と高見沢仲太郎=田河水泡(右)。田河は、第一文化村Click!にも住んでいる。
■写真下は、林房雄(左)と萩原恭次郎(右)。は、小山勝清(左)と夫の吉行エイスケ(右)。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    宮津の教会は素晴らしいですね。礼拝イスがなく畳敷きなのも、明治らしいめずらしい建築です。nice!をありがとうございました。>一真さん
    2008年06月11日 12:44
  • ChinchikoPapa

    中学時代に、テープに録音したラジオの深夜放送を放送部に頼んで、昼食時に全校で流してもらっていました。最初は、なにが流れているのか教師たちもわからなかったようですが、そのうち発覚して怒られました。(笑)
    nice!をありがとうございました。>sigさん
    2008年06月11日 12:49
  • ChinchikoPapa

    CDショップでは、年々フリーJAZZの棚が薄くなりつつありますね。入荷しないのではなく、廃盤が多いのかもしれません。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2008年06月11日 19:21
  • ChinchikoPapa

    郡上八幡の水は、ほんとに美しいですね。
    nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2008年06月12日 10:53
  • ChinchikoPapa

    昔の記事にまで、nice!をありがとうございました。
     >kurakichiさん
     >mat-chanさん
    2015年01月11日 21:21

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