下落合を描いた画家たち・手塚緑敏。(1)

手塚緑敏「バッケ堰」(昭和初期).jpg
 大正末から昭和初期にかけて、城北学園(現・目白学園)や下落合(中井)御霊神社のある目白崖線(バッケ)下あたりの妙正寺川に、「バッケ堰」と呼ばれる大きな川堰があった。鈴木良三が描いた『落合の小川』Click!のもう少し上流あたり、佐伯祐三Click!が『下落合風景』のひとつ「洗濯物のある風景」Click!を描いた位置の、ちょうど南側(画面右手)あたりだ。
 通称「バッケが原」と呼ばれる広い原野を流れ、いまだ「小川」と表現されることが多かった妙正寺川の時代だ。でも、「小川」とはいえ台風なので豪雨が降るとたちまち氾濫を繰り返していたにちがいない。当時の川筋が、随所で細かく蛇行したり、支流があちこちで見られる様子からも、氾濫の激しさがうかがわれる。大雨が降ったとき、その氾濫による洪水で下流の被害を少しでも緩和しようと、貯水の役目をはたす「バッケ堰」が築造されたのだろう。この堰の上には小橋が架けられ、橋の数が少ないバッケが原の妙正寺川を、向こう岸へとわたることができた。
 おそらく、五ノ坂上で上落合の畑地を横切り、妙正寺川の土橋をわたって帰ってくる夫(橋本憲三)を待っていた高群逸枝Click!も、「バッケ堰」を西側眼下に見おろしていたのだろう。氾濫を繰り返す妙正寺川に築造された、その「バッケ堰」を描いたのが洋画家・手塚緑敏だ。林芙美子記念館Click!に収蔵されている、この作品のタイトルをわたしは知らない。手塚緑敏といえば、連れ合いの林芙美子の名前に隠れて取り上げられることが少ないけれど、下落合風景をたくさん描いていると思われる。
バッケ堰1936.JPG 手塚緑敏.jpg
 先日、たまたま訪れた彼のアトリエにこの作品が展示されていたので、さっそく撮影してきた。妙正寺川のことを、いつもなぜか「落合川」と書く林芙美子の文章から引用してみよう。
  
 この落合川に添って上流へ行くと、「ばつけ」(ママ)と云う大きな堰があった。この辺に住んでいる絵描きでこの堰の滝のある風景を知らないものはもぐりだろうと思われるほど、春や夏や秋には、この堰を中心にして、画架を置いている絵描きたちが沢山いた。中井の町から沼袋への境いなので、人家が途切れて広漠たる原野が続いていた。凧をあげている人や、模型飛行機を飛ばしている人たちがいた。うまごやしの花がいっぱいだし、ピクニックをするに格好の場所である。この草原のつきたところに大きな豚小屋があって、その豚小屋の近くに甲斐仁代さんという二科の絵描きさんが住んでいた。御主人を中出三也さんと云って、この人は帝展派だ。お二人とも酒が好きで、画壇には二人とも古い人たちである。私はこの甲斐さんの半晴半曇な絵が好きで、ばつけ(ママ)の堰を越しては豚小屋の奥の可愛いアトリエへ遊びに行った。 (林芙美子「落合町山川記」より)
  
手塚アトリエ2007.JPG 手塚アトリエお化け屋敷.JPG

 バッケが原の風情が描かれているが、「バッケ堰」には多くの画家たちが写生に訪れていたようだから、手塚もそのひとりだったのだろう。まだまだ、どこかで埋もれている「バッケ堰」作品があるのかもしれない。また、吉屋信子Click!がお気に入りだった洋画家・甲斐仁代Click!が、同棲相手の中出三也とともに登場している。(林は夫だと勘違いしている) このとき、甲斐は下落合の第一文化村の北側にあったアトリエから、「バッケ堰」の上流へと転居したころのことだ。
 下落合では甲斐仁代の名前をよく聞くし、雑木林が拡がる目白崖線の丘上で写生をする和服姿の彼女の写真も残っているのだけれど、不思議と彼女の「下落合風景」を目にすることがない。オレンジ色のつかい方が特徴的だったといわれる、二科初の女性洋画家・甲斐仁代Click!だが、地元でどなたか彼女の下落合作品をお持ちの方はいらっしゃらないだろうか?
甲斐仁代25歳.jpg 妙正寺川1955.JPG
 同じように、手塚緑敏の作品もなかなか目にする機会がない。林芙美子とともに五ノ坂下の「お化け屋敷」Click!を借り受けるきっかけとなったのも、その借家だった西洋館を写生していた手塚が、家主から偶然に声をかけられたのがきっかけClick!だったのだが、意外に彼の「下落合風景」作品も観ることが少ないのだ。もし、新宿区で収蔵作品をお持ちであれば、少しずつ彼のアトリエで公開してほしいのだけれど・・・。

■写真上は、手塚緑敏が描いた「バッケ堰」(タイトル不詳)。バッケが原付近の妙正寺川が整流化される前だと思われるので、1936年(昭和11)以前のおそらく昭和初期の風景だろう。
■写真中上:は、1936年(昭和11)ごろの「バッケ堰」あたり。は、手塚緑敏。
■写真中下は、林芙美子記念館に隣接した手塚アトリエを北側のバッケから。は、五ノ坂下にあった「お化け屋敷」の手塚アトリエ・バルコニーから上落合方面への眺望。
■写真下は、丘上で写生をする25歳の甲斐仁代。おそらく、旧・下落合の西部=アビラ村の外れか、あるいは葛ヶ谷の方面だと思われる。雑誌の撮影のためか、きょうは柔道着を着てないようだ。(爆!) は、1955年(昭和30)前後の妙正寺川を中井陸橋から。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    しばらく見かけませんが少し前まで、リアカーのうしろにたくさんの江戸風鈴と釣り忍を揺らしながら、お爺さんが近所をまわっていました。nice!をありがとうございました。>Krauseさん
    2008年05月29日 23:18
  • ChinchikoPapa

    掲載されている写真のような風景を、しばらく身体に“感じ”させていないです。いまの季節、里山の甘く香ばしい若葉の匂いがただよってきそうですね。nice!をありがとうございました。>一真さん
    2008年05月29日 23:26
  • ChinchikoPapa

    そのほか、たくさんのnice!をありがとうございました。>kurakichiさん
    2009年11月15日 18:15
  • ChinchikoPapa

    ずいぶん以前の記事にまで、nice!をありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
    2011年06月05日 01:03

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