自邸前の佐伯作が気に入らない曾宮一念。

セメントの坪(ヘイ).jpg 曾宮邸遠望.jpg
 1992年に出版された『新宿歴史博物館紀要・創刊号』の曾宮一念インタビューClick!で、佐伯祐三Click!が描いた『下落合風景』Click!シリーズの1作、「セメントの坪(ヘイ)」Click!に触れている箇所がある。幸いにも空襲で焼けず、1970年代までほとんど風情が変わらなかった一画で、わたしも強い既視感のある作品だけれど、その画面左すみに曾宮邸Click!の庭と屋根の一部が描かれている。
 でも、この『下落合風景』を曾宮は気に入らないようだ。同書のインタビューから引用してみよう。
  
 落合で描いた絵の中で、僕の家のほとんど前から、私の家の屋根も入ってて、やはり私の家にあった、戦災で焼けた桐の木まで描いてある、大きな40号の佐伯の絵があるんですがね。これはねえ、悪く言っちゃ悪いんだけども、これはよくない絵でしてねえ。佐伯なんとかして、ひとついい絵をまとめたい気でやったんでしょうねえ・・・・・・大失敗作ですね。まあ、佐伯は名声を得ましたから、誰かが買ったんでしょうが、しかし、よくないんでまた売りとばす。それでまた売りとばす。いまだに方々へ・・・この間常葉の展覧会にも来てたらしい、あんなもの出して・・・あれ油かけて焼いちゃったほうが、佐伯のためにもいいと思うんですけどね。 (同書「曾宮一念氏インタビュー」より)
  
 せっかく諏訪谷Click!の街角が描かれた作品を、「油かけて焼いちゃ」うのはどうかと思うが(焼くならちょうだい/爆!)、このインタビューからいくつかの貴重な事実が判明している。ひとつは、この絵の所有者が転々としていたらしいこと。しかも、戦後に常葉美術館(静岡県)へ出品されているということは、画集ではモノクロでしか観られないこの作品が、棄てられていなければ現存している可能性が高いということだ。また、曾宮は40号と記憶しているが、同日に描かれた「セメントの坪(ヘイ)」と「浅川ヘイ」は、ともに15号とされているので彼の記憶違いか、または同一風景の別バージョンが存在しているということになるのだろう。
「セメントの坪(ヘイ)」には、制作メモに残る15号のほかに曾宮一念が証言する40号サイズと、1926年(大正15)8月以前に10号前後の作品Click!が描かれた可能性が高い。
セメントの坪拡大.jpg taisen1926-27.jpg
 それから、画面の左端に見えている曾宮邸の庭木が桐だったこともわかる。この桐の木は、曾宮が1925年(大正14)に制作した第12回二科展出品作Click!にも描かれているようだ。彼は、このころ身体を壊しがちだったので、自宅の周辺や庭先、アトリエ内での仕事が多い。ひょっとすると、佐伯と同時期に諏訪谷界隈Click!を描いた作品が、まだまだ残っているのかもしれない。
  一方、この時期の数ある佐伯作品の中で、曾宮が気に入っていた風景画はどれだったのか?
  
 (モチーフに)どっかいいとこないかって言うんで、伊豆の湯ヶ島を教えたんですよ。(中略)それで佐伯行ったけど、(中略)熱海の先の網代へ行ったらしいですね。足の悪い奥さん連れて。それで網代の港に、その頃はよくあった帆船が二隻ならんで停泊してまして、それを二枚描いてきましたよ。だから網代にも幾日もいなかったと思うんです。まあ3日いたか、4日いたかでしょうね。この時の絵が、日本における佐伯の絵では一番いいです。 (同上)
  
 従来の資料では、東京の月島や大阪の川筋で描かれた『滞船』については頻繁に触れられているが、伊豆の網代で描かれた『滞船』についての言及はめずらしい。同シリーズ作は、ほとんどが2隻の帆船をモチーフにしているけれど、「網代作」はどれだろう? 相模湾とはいえ、太平洋に面している網代港だから、波がもっとも高く描かれている1作だろうか。
セメントの塀1.JPG セメントの塀2.jpg
 芹沢光治良Click!は、佐伯の仕事ぶりについて、1955年(昭和30)に発行された『文藝春秋』1月号で次のように証言している。これは、第2次渡仏時におけるパリでの様子だ。その直前の下落合の佐伯についても、彼の仕事ぶりには同じような情景が想定できる。
  
 朝食がすむと、彼は毎日十時前後にどこかへ消えていった。そして昼をすぎると、どこからともなく、二十号の絵を描いたカンバスを抱えて帰って来た。その絵を眺めながら昼食をすますと、ちょっと休憩した後、また新しいカンバスを持って姿を消し、日暮れまで帰って来ないのであった。(中略)仕事の往き帰りに気の向いた対象を見つけて来るらしく、カンバスを持ってあちこち対象を探して歩くということはなさそうであった。彼の求めるものは、構図的におもしろいとか、美しくととのったところとかいうのではなかった。それは、街であり、家であり、塀であり、ものであり、人であり、自分につながるすべての実在であった。 (同誌「佐伯祐三」より)
  
諏訪谷1926.jpg 諏訪谷1938.jpg

 曾宮アトリエのまん前を描いた「セメントの坪(ヘイ)」Click!と同日に、隣家の「浅川ヘイ」が描かれているので、おそらくのちのパリと同じような仕事ぶりだったのだろう。あるいは、短時間で15号2枚を描きあげ、アトリエへ昼食にもどったあと、午後からは異なる号数のキャンバス(40号)を手に、再び曾宮邸の前へもどった可能性もある。なにしろ、20号を40分ほどで仕上げる佐伯の早業Click!だ。制作メモClick!に記されている多数の「八島さんの前通り」Click!や、諏訪谷の雪景色などが示すように、決して“1モチーフ1作品”とは限らないのだ。

■写真上は、1926年(大正15)10月23日に描かれたとみられる佐伯祐三『下落合風景』の「セメントの坪(ヘイ)」。は、曾宮一念邸の付近から諏訪谷を眺めたところ。
■写真中上は、同作の部分拡大。は、1926年(大正15)制作の波が高い『滞船』の1作。
■写真中下は、いまも道端に顔をのぞかせるセメント塀の痕跡。現在のコンクリートとは異なり、良質な河原の玉砂利がふんだんに混入されている昔の造りだ。は、運よくクルマが駐車していないと、佐伯祐三がイーゼルを立てた描画ポイントの位置付近から眺められる。
■写真下は1926年(大正15)の「下落合事情明細図」で、は1938年(昭和13)の「火保図」。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    So-netでは、相変わらずおかしな“ふるまい”がつづいてますね。コメントをアップできない現象や、コメントの文字が赤になってしまう現象も見られます。nice!をありがとうございました。>Krauseさん
    2008年05月07日 13:00
  • ChinchikoPapa

    このごろ、街中を散歩しているとジャスミンの香りに気づきます。
    nice!をありがとうございました。>納豆(710)な奇人さん
    2008年05月07日 13:02
  • ChinchikoPapa

    江戸東京博物館で、ときどき鼈甲や金工、硝子など細工工芸の実演・即売会を企画しているようですが、なかなか売れてないようですね。わたしは鼈甲細工のときに出かけたのですが、人だかりはあるものの買う方は稀でした。高価なせいもあるのでしょうが・・・。nice!をありがとうございました。>一真さん
    2008年05月07日 13:09
  • ChinchikoPapa

    写真の「旧庁舎」、美しい建物ですね。
    nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2008年05月07日 13:11
  • ChinchikoPapa

    誘われて、90年代の「Blue Ballade」(Venus)などを引っぱりだして聴きました。
    nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2008年05月07日 13:16

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