きょうは、納豆ギライの方にとっては最悪の記事だ。(^^; 右肺のほとんどを結核に侵されながら、一高のボート部でハードな練習をつづけていた宮崎龍介Click!は、ある日、洗面器へ大量の喀血をして、初めて自身の病状の重さに気がつく。宮崎家がまだ小石川にあった、明治末から大正初めのころにかけてのエピソードだ。
驚いた彼は一高を休学し、苦しい家計の中、神奈川県の湘南平塚にあった貸し別荘へ、母親とともに転地療養している。これをきっかけに、18年間におよぶ結核との闘いがはじまった。平塚では、自身の闘病生活が貴重な時間を浪費していると感じて、安静にすごすことができず日々焦っていたようだ。その後、病状は小康を保ち、彼はほどなく帝大法科へ合格している。そして、父親の親しい友人の息子だった近所の近衛文麿Click!と同様、当時の学生らしくマルクス主義へ共鳴し、学内で「新人会」を組織して機関誌『解放』を発行するころから、非常に不規則な生活がはじまった。
九州で“筑紫の女王”といわれた伊藤燁子(のちの宮崎白蓮)と出逢いマスコミに追いまわされながら、やがていっしょに暮らすようになるのもこのころのこと。だが、関東大震災の直後に、宮崎は再び大喀血をした。1924年(大正13)の丸1年間、外出もせずに雑司ヶ谷上屋敷(現・西池袋2丁目)の自宅で療養生活をすることになる。その後、一時は体調が回復し、社会民衆党の代議士選挙に立候補するも落選。無理がたたったせいか病状が悪化し、三たび大喀血を繰り返した。
そして、宮崎はついに「納豆療法」と出合うことになる。それともうひとつ、いつも水分をたっぷり摂って新陳代謝をよくすることが、結核治療の2本柱となった。1931年(昭和6)の『主婦之友』8月号に掲載された、当時は弁護士をしていた宮崎龍介の手記、「納豆と水と麦飯とで肺結核を全治した私の経済療法-三度の大喀血までして、波瀾重畳たる生活の中に悩み抜いて全治した私の療養十八年間の手記-」(タイトル長すぎ!)から引用してみよう。
●
やっと恢復しかけたその頃の私の宅に、北海道から来てゐた一人の婆やがありました。/年齢は六十でしたが、それは艶々とした血色で、人一倍達者でしたから、燁子が、何か健康法でもあるのかと訊いてみましたところ、毎朝納豆を食べてゐたと申します。/私は早速藤井博士に、納豆のことを訊きますと、納豆は、ヴィタミンAが多いし、通じをよくする、それに納豆の菌は、チフス菌よりも強く、躰内の伝染病菌をやつゝけるほどだと聞きましたので、贅沢な肥胖療法を何時までも続けることのできぬ折柄、一つ自分も試してみようと思ひ立ちました。 (同誌より)
●
このときから、宮崎は西洋療法や西洋医薬に頼ることをやめたようだ。毎日8時間以上の睡眠と午睡をとる、規則正しい生活をつづけている。結核治療に限らず、風邪を引いてもニンニクの蒸し焼きや、ヨモギ・オオバコの煎じたものを服飲していた。熱が高いときは、ミミズの干したのを煎じ、ミカンの皮を混ぜて飲み解熱している。
ちなみに、ミミズ(地龍)を干した民間薬は、昔から東京の下町でもよく飲まれていた。高熱のときは、西洋医薬の解熱剤よりもよほど強力な効き目で、わたしも子供のころに飲まされた経験がある。いまでも漢方薬局に行けば、それなりの薬名をつけられ風邪の解熱剤として売られているのだろう。親が西洋医薬の解熱剤を用いなかった(信用しなかった)のは、強烈な副作用が気になったからだろうか? いまでも、解熱剤による子供の死亡事故はあとをたたない。
『主婦之友』の宮崎手記から、つづけて引用してみよう。
●
朝食は脱きにして、コップに一杯の清水を摂るだけでした。水は、日中でも、随時多量に飲みました。これは主として、身躰の新陳代謝機能を促進するためです。(中略) 昼食は麦飯二杯(麦と米とを半々の割合)に、味噌汁一椀、漬物は沢庵、それに、葱を刻み込んだ納豆に醤油をかけて食べます。夕食も麦飯二杯、肉はなるたけ食べぬことにしました。その代り、魚はよく頂きました。
●
それにしても、納豆と清水だけで結核が完治するものだろうか。もともと、一高ボート部で鍛えられた身体があったから、良質なタンパク質を大量に摂取することで、自然治癒力が高まったのかもしれない。できるだけストレスをためず、ノンキであるがままを忍受する心がまえと「道徳的な信念」がたいせつだとして、結核完治の手記を結んでいる。
納豆で思い出すのが、水戸出身の中村彝Click!だ。彜は結核がひどくなってから、はたして故郷の納豆をたくさん食べたのだろうか? まさか、納豆がキライだったなんてことはないと思うけれど・・・。
■写真上:『主婦之友』へ手記を掲載した、1931年(昭和6)ごろの宮崎龍介。
■写真中:左は、同誌に掲載された上屋敷の自宅で療養中する宮崎。枕元で看病するのは宮崎燁子(白蓮)。右は、自宅の庭で撮影された家族団らんの記念写真。
■写真下:昭和初期に雑誌や新聞へ頻繁に掲載された、結核治療のノウハウ本広告。35版というのがすごい。結核は当時、罹患したら死を宣告されたのと同様の死病だった。
この記事へのコメント
かもめ
別に、納豆キライというわけではないんですけど、なんか不味そうだし・・・。
海外長期出張の方々にはウケてるというんですけどね。
戻して食べるか、そのままポリポリか、え~と、賞味期限は、、、切れてます。
非常用袋にまた入れておきますか。腐らないし。
結核の薬(パスとかいったな)、子供の頃、飲まされてました。
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>納豆(710)な奇人さん
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>Krauseさん
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>一真さん
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>takagakiさん
ChinchikoPapa
わたしも、フリーズドライ納豆というのをいただいたことがあるのですが、やはりもどさずに刻みネギを入れて納豆汁(味噌仕立て)にして食べたことがあります。味の記憶がまったくないところをみますと、あまり美味しくはなかったんじゃないかと・・・。
学校でツベルクリン反応を毎年やらされたのですが、イヤでイヤでたまりませんでしたね。わたしは必ず陰性で、毎年BCGをうたれました。小学校の高学年になると少しズルくなって、腕を叩いたりつねったりして赤くしてました。(笑) いまでも、ツベルクリンは陰性じゃないかと思います。
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>sigさん
Heidi
ちなみに、ミツカンの「金のつぶ、ほね元気」は、このビタミンの含量が世界最高 (1.7 mg/100 g) です。普通の糸ひき納豆の2倍の含量もあります。 「ほね元気」と添えてあるのは、骨多孔症やリューマチにも効くからです。
北海道のお婆さんが元気はつらつだったのは、そのせいですね!
毎朝ワン・パック (40 g) 食べて、今日も元気はつらつ!
豪州でも納豆が手に入ります。毎晩、インスタントラーメンと一緒に食べています。 実に美味い!
もっとも「金のつぶ、ほね元気」はまだ、こちらにはありません。
豪州メルボルン永住(66)
ChinchikoPapa
わたしも、この記事を読むまで肺結核の「納豆療法」というのは、まったく知りませんでした。さらに、納豆が癌の制圧にも効果があることも初めて知りました。宮崎龍介は、納豆と水分を充分に摂取し、睡眠時間をたっぷりとると書いていますので、良質タンパク質による免疫力の向上と新陳代謝の促進を主眼にし、体内の自然治癒力を高めて結核菌を制圧する・・・という展開の療法なのかなと想像していました。ひょっとすると、書かれているビタミンK2の効果も、どこかで作用しているのかもしれませんね。
わたしは納豆が好きで、冷蔵庫に買いおきを切らしたことがありませんが、こちらでは現在、インフルエンザが大流行していますので、せいぜい多めに摂るようにしたいと思います。でも、いまやオーストラリアでも納豆を売っている時代なのですね! そちらはいま、猛暑がつづいているでしょうか。お身体に気をつけておすごしください。貴重な情報を、ありがとうございました。
ChinchikoPapa