彜は喀血の夢を見たか?

血を吐く男クレヨン.jpg 
 わたしの夢見は、どうやら酒が入って寝ると多くなるが、ふだんはほとんど見ないようだ。ただし、たいていの人は見た夢を朝までに忘れるということなので、実際のところはわからない。そんな夢見に、ひょっとしたら予知能力があるのかもしれないと考え、研究をつづけたのが中村彝Click!の親友であり、心霊学者として高名だった明治大学教授の小熊虎之助Click!だ。
 小熊は、ほとんどの夢は睡眠を持続させるための欲求充足と、あるいは意識下に記憶された思考や体験、感情といったものが“解放”されてイメージ化されるものだと、心理学者らしいきわめて「健全」で「常識的」な解釈をしている。ただし、それだけでは割り切れない、「予知夢」のようなものが存在することも否定していない。昭和初期に「夢占い」がずいぶん流行ったようだけれど、すべてを荒唐無稽なものとして片づけず、なにかが残るとして謙虚に耳を傾けている。
 その実例として、結核に罹患した友人が、喀血する直前に決まって自分が喀血している夢を見ている事実を挙げている。この友人とは、時代からいっても中村彝ではなさそうだが、1929年(昭和4)に発行された『婦人倶楽部』8月号で、小熊は次のように書いている。
  
 たとへば、真に勇気を持つてゐる人は、やはり元気の溢れた勇ましい夢をみます。これに反して外面は強さうなことを言つてゐても内心に臆する所があると、やはり不吉な元気の無い夢をみるもので、結局私共は夢を欺くことが出来ないわけであります。従つて夢によつてその夢をみた人の心を幾分判断が出来るわけであり、また同じやうに夢の内容によつて身体の事情も多少に拘らず判断ができます。たとへば私の友人で喀血する人は、喀血する前に折々喀血の夢をみます。これなどは身体の加減や病身が夢のなかで見事に予言される実例であります。
                                    (同誌「不思議な夢知らせの話」より)
  
 この喀血の夢見は、あらかじめ生命を脅かす危機を事前に感じ取る、“虫の知らせ”あるいは“胸騒ぎ”的な予知現象なのだろうか? また、複数の人間が同時に同じ夢を見る現象も、小熊は現状の科学では説明できないとしている。その例として、1928年(昭和3)の秋に起きた、大西洋上における「井上中佐」夫妻の遭難事件を挙げている。
予知夢.jpg
 遭難事件の詳細は触れられていないので不明だが、おそらく同年11月12日に起きたイギリスの大型客船「ベストリス」号が大西洋で沈没した事件を指しているのだろう。沈没の際、「井上中佐」がなんらかの英雄的・献身的な行為をし、それが生き残った夫人から伝えられて、新聞に大きく報道されたものと思われる。ちなみに、「ベストリス」号事件が起きた同年秋の下落合では、渡辺鉄夫巡査が護送中だった中村一平に射殺される、いわゆる“ピス平”事件Click!が起きている。
  
 遭難と丁度日を同うした朝の四時頃でした某市にある夫人の実家で、母堂と夫人の令妹と令弟とが三人同時に夢をみられました。母堂のごらんになつたのは、中佐がやつてこられて、変な声を出して眠むいから寝させてくれと言はれ、(これは生前も折々あつたことであつた。) 同時に中佐夫人もそこへこられて、そんな所で寝られてはいけませんと言はれたが、そのまゝそこで中佐が寝て了はれた。という夢であります。遭難当時に、中佐がしきりと眠気を催されて、つひにそのまゝ永遠に瞑目されたといふ事実と通じてゐます。 (同上)
  
 旅先の「井上中佐」の無事を願い、残された家族が同じようなシチュエーションの夢を見ることは別に不思議ではないけれど、それが遭難した同日の同時刻だった点に、小熊はどうしても科学では説明できない現象と率直に認めている。
血を吐く男鉛筆.jpg 血を吐く男墨.jpg
 これほど危機的な状況ではないけれど、わたしも同じような経験を何度かしている。初めて訪れた場所なのに、妙に既視感があるので記憶の糸をたぐり寄せると、いつか夢で見た情景とそっくりなのに気づいたりする。経験的には一度も訪れたことのない場所のはずだが、確かに夢では一度「訪れている」という感覚だ。また、なにか原稿を書いていると、同じ文章をつい最近同じ表現や語彙、行数で書いた(キーを打った)憶えがあったりする。それが、数日前に見た夢の中で、文字を選び修正を加えながら書いていた文章だ・・・と、ほどなく気がつくのだ。
 これを「予知夢」ととるか、または経験の積み重ねから形成され、意識下に蓄えられた膨大な情報の一部が“解放”されたものにすぎないととるか、小熊先生の時代ならずとも、現代でも不思議に感じる説明のつかない現象なのだ。

■写真上:1921年(大正10)に描かれた、クレヨンに淡く彩色された中村彝『血を吐く男』。
■写真中:1929年(昭和4)発行の『婦人倶楽部』8月号に掲載された、小熊記事の挿絵。
■写真下は、鉛筆画の『血を吐く男』(1921年ごろ)。は、墨画の『血を吐く男』(1921年)

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    クラゲといいますと、無数に海で毎日刺された記憶しかないです。(^^
    nIce!をありがとうございました。>納豆(710)な奇人さん
    2008年04月14日 21:09
  • ChinchikoPapa

    カサンドラ・ウィルソンは、ずいぶん聴きました。最近は、少しご無沙汰ですね。
    nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2008年04月14日 21:20
  • ChinchikoPapa

    西葛西の駅前、とてもきれいですね。
    nice!をありがとうございました。>一真さん
    2008年04月14日 21:23
  • ChinchikoPapa

    いつも、こんな撮影アングルもあったのか・・・と気づかされます。
    nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2008年04月15日 00:23
  • ChinchikoPapa

    スペインには、一度行ってみたいですね。
    nice!をありがとうございました。>takemoviesさん
    2008年04月15日 00:27

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