以前、大正期に『故郷の空』(スコットランド民謡)へ振り付けをして、「充分少女の持つ気分を現すやう」にした妙ちくりんな踊りClick!をご紹介した。これが昭和初期になると、少女たちのダンスは屋外へと飛び出し、なんと湘南海岸まで進出するのだ。ダンスといっても、60~70年代のビーチハウスで流行ったツイストやゴーゴー、チークダンスなんかじゃない。江ノ島を見ながら砂浜を踊り舞う、『希望(のぞみ)の歌』なのだ。西條八十Click!が作詞した、こんな歌だ。
一 沖の白帆はわが希望 遠くはろけき海のはて、
ああ若き日、ああ若き日、さみしけれども、ひとりゆく。
二 雨はしぶけどわが小舟、波は揺れどもわが小舟、
ああかくて、かくてああ若き日、涙ながしつ、ひとりゆく。
なんとも、さびしげで情けない歌なのだけれど、これに石井小浪という、おそらく自由ヶ丘学園に勤務していた体育か音楽のお嬢様先生が振り付けをすると、とんでもないことになる。ちなみに、この踊りの海岸ロケーションで、衣装コーディネーターを引き受けたのは佐伯周子。ここで少女たちが着ている水着こそが、下落合の佐伯周子Click!がデザインしたゴワゴワチクチクのニット海水着Click!なのだ。1930年(昭和5)に発行された『婦人倶楽部』7月号には、こんな解説が載っている。
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これは我国でも広く歌はれてゐる、アイルランドの民謡ラストローズ・オブ・サマー『庭の千草』の譜を用ひて西條八十先生に歌詞を換へて戴き、振付したものです。/特に整容、体育等の考へを用ひ、上品な極楽として愉快に、そして健康に踊つて戴き度いと思ひます。普通の場合四人で一組にしてありますが、五人でも十人でも揃つて踊る事も出来ます。/写真はこの舞踊の主なポーズを撮つたもので、譜の上の括弧内の番号と引合せて御覧下さい。ポーズとポーズとの間の動きは、各自リズムに合ふやう自由に動いて差支へありませんが、大方の説明を加へてありますから、少し遊戯のお心得のある方には容易く踊れます。 (石井小浪「希望の歌の踊り方」より)
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「上品な極楽として愉快」に踊っていただきたいというのが、わたしには意味不明でよくわからない。むしろ、『庭の千草』の静かでさびしげなメロディーをベースに、こんなすごい集団舞踏が踊れてしまうことこそ、まったくの驚きだ。当時は、「少し遊戯のお心得のある方」だったら、すぐにも鵠沼海岸でこんな踊りが踊れてしまったのだろうか? では、さっそく『希望の歌』を踊ってみよう。よろしかったら、みなさんもご一緒にどうぞ。
♪(前奏・・・からして高テンション) ♪遠くはろけき海のはて~
♪ああ若き日~ ♪ああ若き日~
♪さみしけれども~ ♪ひとりゆく~
♪(間奏・・・もかなり高テンション) ♪(踊りのクライマックス)
おそらく、『希望の歌』ロケーションには、近くに住む地元の男どもが、地曳き舟や干した網の陰に集まって、ひそかに見物していたにちがいない。「こっちの子がかわいいべ」、「ちがわあ、オレャやっぱしこっちの子の足だべ~よ」、「あっちの女教師のメガネもかわいいじゃんよう」、「おめえはいつも大年増が好きだなあ」、「そんなことねえべ~や」・・・と、「のぞみの歌」は、地元では「のぞきの歌」として記憶されているのかもしれない。
■写真上:昭和初期、江ノ島がうっすらと見える鵠沼海岸で踊る「自由ヶ丘学園の乙女」たち。
■写真下:「五人でも十人でも」踊れてしまうという、『希望の歌』のすごい振り付け。『私が棄てた女』(浦山桐郎監督/1969年)の、森田ミツ版“渚のハイホー踊り”の原型がここにある。(爆!)
この記事へのコメント
ナカムラ
ChinchikoPapa
おお、さすがにお詳しい! 石井漠や石井小浪について検索したら、たくさんサイトが見つかりました。『婦人倶楽部』では、石井小浪について自由ヶ丘学園に勤務として紹介されていますので、このころ同校の郊外教師あるいは嘱託として勤めていたものでしょうか。
石井小浪舞踊研究所が自由ヶ丘に開設されるのも、ちょうどこの年、1930年(昭和5)になってますね。
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございました。>納豆(710)な奇人さん
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
mayui
mayuiと申します。
実は、私も下落合に住んでいる一人です。彼是15年くらいの年月になりますが、最初の住まいは「八島さんの前通り」のo邸の近くでした。
初めてo邸を見た時の事は、今でも忘れられません。古い洋館のモダンで独特な雰囲気はもちろん、何よりも強烈に印象深かったのが、あの広い前庭の鬱蒼とした緑でした。大きな樹木とたくさんの草花が植樹されており、門から玄関までのアプローチは、まるで森の中を歩く様な感じだったと覚えています。まるでその一角だけが異空間と思える程、他を圧倒するオーラに満ちていました。
そんなo邸が解体されて、跡形もなく更地になってしまったところを見た時は、言葉もなく、むしょうに寂しくて仕方ありませんでした。
そんな時、chinchikopapaさんのブログに行き当たりました。ブログを読み進めていくうちに、改めて今まで自分の知らなかった下落合の歴史やゆかりの人々を知る事ができました。
この先何年この大好きな下落合に住み続けていられるのかわかりませんが、馴染み深いこの街を自分なりに大事にして行こうと思います。
佐伯祐三展 やります
昨日は、お花見がてら下落合連作の舞台を訪ね、カフェ杏奴で「画集」も見てきました
ご労作には感嘆するばかりです
もちろん描かれたそのものは残っていないのですが、アトリエを中心として、アップダウンのある一帯を歩き回り、路地をのぞきこむだけでも、佐伯の世界を追体験できそうな心地がします
ChinchikoPapa
わたしも学生時代に、O邸の前を歩いたときはつい立ち止まって、深呼吸してしまいました。ほんとうに、文化村の香りをそのまま残した、とてもステキな邸宅でしたね。洋館部の外壁をまだ直される前、下見板張りの造りはまるで森の中のコッテージのようでした。きっと、医院を開かれていたときは、あの洋館が診察室だったのでしょうね。
厳密にいいますと、O邸は第三文化村の敷地ではないのですけれど、戦前の「八島さんの前通り」全体の風情はこうだったんだな・・・というのが、濃い屋敷森とともに直接的に感じ取れる一画だったと思います。わたしも、昨年の春にO邸跡の更地を見て愕然とし、ガッカリした気分のまま「とん狂な失言」などという記事をつい書いてしまいました。
わたしも、この先ずっと下落合にいられるかどうかはわかりませんが、できるだけわたしが見聞きできたことは、こちらでご紹介していこうと考えています。ぜひ、またお気軽にコメントをお寄せください。お待ちしています。
ken
メールさせていただきましたが、こちらでもご挨拶を。
下落合の歴史について大変興味深く拝見させていただいております。
私も下落合の旧近衛邸やけやき・屋敷街だったころの写真を探してきましたが、なかなかみつからない日々です。
ChinchikoPapa
歿後80年を記念してか、茨城県の笠間美術館で佐伯祐三展がはじまりましたね。ただ、ちょっと遠いのが悩ましいのですが・・・。「下落合風景」も何点か展示されているようで、ぜひ観てみたいです。
「杏奴」でご覧いただきました画集ですが、1点、描画ポイントの特定を間違えている作品があることがわかりまして、近々、それを記事にしたいと考えています。したがいまして、画集のVer.3制作は必須となってしまいました。(汗)
それから、佐伯アトリエについてひとつ朗報がありまして、2010年をめどに内部を公開できるよう、新宿区が本格的に整備することになりそうです。また、いろいろと企画もありそうですので、すごく楽しみですね。(^^
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
わたしも邸宅郡の写真をずいぶん探していますが、ご家族の写真は撮られても案外、ご近所の写真は残されていないんですよね。先日、ようやく七曲坂の大島大将の巨大な西洋館と、聖母坂下の川村元帥邸の写真をいただきました。
第二文化村に建っていました、おそらく文化村最大級の邸宅の写真も内部も含めて手元にありますので、少しずつこちらでご紹介していこうと考えています。
ken
新宿区の歴史資料館や図書館などあたってみたのですがまったく収穫がない状態です。
はじめのコメントにも書きましたが、
・旧近衛邸(本邸)
・近衛のけやき(明治30年頃)
の写真をお持ちでしたらご一報いただけないでしょうか?
よろしくお願いします。
ChinchikoPapa
近衛邸の本邸(明治期)の写真は、はっきりと全体が撮られた写真をわたしも見たことがありません。唯一、篤麿が死去したあと家族で撮影したと思われる本邸写真を、一度だけ掲載したことがありますが、背後に写っているのはおそらく和館部と思われ、邸全景ではありません。ご参照ください。
http://chinchiko.blog.so-net.ne.jp/2006-09-29
それから、明治期の近衛邸のケヤキも、写真はみたことがないですね。大正末の車廻しに2本そろった写真でしたら、拝見したことがあります。
佐伯祐三展 やります
いくつかメールで直接やり取りさせていただきたいのですが、どうしたら良いでしょうか お教えください
あるいは「杏奴」に連絡先を置いてきたので、メールをいただけると、ありがたいのですが
ChinchikoPapa
横浜のそごう美術館における展覧会、ぜひ拝見したいと思っています。また、「画集」には旧・下落合の地番記載で、わかりにくく申しわけありません。お声がけいただければ、お好きな描画ポイントへご案内いたします。
ken
このブログを参考にもう少し調べてみようと思います。
ChinchikoPapa
わたしも、もし写真を見つけましたら、さっそくこちらでご報告いたしますね。
ChinchikoPapa
macomoco
小さい頃、石井小浪先生に踊りを習ってました。ふと思い立って先生のこと検索して、ここに行き当たりました。
石井小浪先生の踊りは、怖ろしいくらい美しかったです。私はまだモダン・バレエとか舞踏とかコンテンポラリー・ダンスとか知らなかったのですが、今思うと、まさしくそれです。
人としても、ステキな方でした。
私が先生に習っていたのはこれよりずーーーっと時代は下がりますが、このような写真や記事を発掘して掲載して下さって、どうもありがとうございます。
ChinchikoPapa
おそらく、さまざまな創作ダンスを始められた、最初期のころの記事ではないでしょうか。ときどき、当時の雑誌にはこのようなダンスや集団舞踏の記事と写真が掲載されているようで、大正末から昭和初期に大きなブームがあったみたいですね。
わたしも、小浪先生の踊りを一度見てみたかったです。(^^