下落合を描いた画家たち・金山平三。

 無類の旅行好きで、海外を含む全国各地の風景画を制作してまわった洋画家・金山平三Click!が、唯一アトリエClick!(下落合2080番地)界隈を描いたと思われる「下落合風景」らしい作品がこれだ。同作が描かれた時期、1928年(昭和3)9月~11月まで盲腸周囲炎(一部の図録では肋膜炎と誤記されている)を患い、生死の境をさまよってから、金山はしばらく無理をせず制作旅行はひかえていたようだ。だから、アトリエ内で描いた静物画や肖像画がこのころの作品に多い。『秋の庭』と題された1933年(昭和8)ごろの本作も、そんな生活環境の中での1枚だ。
 この庭は、二ノ坂と三ノ坂が通うバッケ(目白崖線)上の崖縁に建つ、金山アトリエの庭ではなさそうだ。でも、アトリエのごく近くを描いた可能性が高い。また、同じモチーフの風景を描く画家を手前に配置するという構図も、金山作品の中ではきわめて異色だ。おそらく親しい画家とともに、アトリエの近所を気軽に描いた雰囲気が、画面からそこはかとなく漂ってくるようだ。
 
 この風情や色づかい、花々の様子を眺めていると、すぐにもひとつの作品が浮かび上がってくる。近くに住む画家で、東京美術学校のはるか後輩にあたる、1931年(昭和6)にアトリエClick!を新築したばかりの刑部人(おさかべじん)Click!邸の庭だ。刑部作の『花開く』Click!(1975年)は、四ノ坂に近いアトリエの北側、バッケの急斜面に咲く花々を描いたものだ。その風情に、金山の『秋の庭』はよく似ている。でも、本作は四ノ坂のバッケ斜面を描いたものではなさそうだ。刑部邸の東側あるいは西側に拡がる、庭園を描いたものなのか?
 すると、手前でキャンバスに向かっている帽子の人物は、刑部人その人の可能性もある。あるいは、同じ東京美術学校を出たばかりの島津一郎のうしろ姿だろうか? 島津邸は四ノ坂上、刑部邸のすぐ北隣りに建っていた。また、二ノ坂上の金山アトリエから刑部邸までは、歩いて数分の距離だ。ふたりは島津家を介して、かなり早くから知り合っていた。
 
 『秋の庭』の光は、右寄りの上空から射しているようで、画面の右手が南、すなわち中ノ道や西武電鉄が通い、妙正寺川が流れている方角だと仮定すると、画面の左手が急斜面のバッケ(崖線)で、正面の庭の向こう側には三ノ坂が通っている・・・ということになる。「秋」とタイトルされているので、咲いている花々はコスモスやキク、あるいは遅いケイトウなどだろうか? さっそく、刑部人のご子孫の方々にうかがってみた。
 すると、刑部邸の庭を三ノ坂(東側)へ向いて眺めたところではなさそうだ・・・とのお返事だった。そして、当時を知る刑部家と島津家のみなさまでいろいろご協議いただいたところ、むしろバッケ上の島津源吉邸の庭を東へ向いて、すなわち金山平三アトリエの方角を向いた風景のようだとのご判断をいただいた。正面の樹木のこずえには、三ノ坂沿いに建っているらしい2軒宅の屋根らしい形状が、チラリと見えている。もし樹木がなければ、画面の左手に金山アトリエの赤い屋根が見えるのだろう。画面の左枠外には、島津邸の大きな西洋館が建っていることになる。また、手前の人物は当時、金山平三と親しかった島津一郎によく似ているとのこと。刑部人は、外出の際には背広を着て、自宅とその周辺ですごすときはほとんど和装が多かったそうだ。
 1936年(昭和11)や1947年(昭和22)の空中写真を見ると、確かに島津邸の東側には、作品に描かれたような広いスペースの庭園が確認できる。すると、これは尾根上の風景であり、画面の右手(南側)から急激に落ちこむバッケの斜面が拡がっていることになる。そして、三ノ坂と四ノ坂が通う南隣り(右枠外)が刑部人邸だ。

 
 面白いお話もうかがった。刑部人邸の四ノ坂側(林芙美子記念館のある西側)にも、当初は広い庭園があった。1926年(大正15)に作成された「下落合事情明細図」には、島津邸のテニスコートが記載されているが、そのあとは刑部邸の西側庭園となっていた。そこには大きな池が造られていて、金山平三がわざわざ大きなタライを浮かべて、乗りこんでは遊んでいたというエピソードが残っている。(相変わらずひょうきんな金山じいちゃんなのだ/笑)
 金山平三と刑部人が、きわめて親しくなるのはもう少しあとのことで、戦後になると制作旅行へ連れ立って頻繁に出かけるClick!ようになる。刑部家および島津家のみなさま、たいへんご面倒なお願いにもかかわらず、ご親切かつごていねいにお調べいただき、ほんとうにありがとうございました。

■写真上:1933年(昭和8)ごろに制作された、金山平三の『秋の庭』。
■写真中上は、2006年まで建っていた刑部邸。は、三ノ坂寄りのバッケ斜面。
■写真中下は、1925年(大正14)の春に竣工した金山平三アトリエ。は、金山がアトリエを建設する前に描いた完成イメージ図。実際に立てられたアトリエとは、かなりデザインが異なる。
■写真下は、1938年(昭和13)の「火保図」にみる『秋の庭』の描画ポイント。は、1936年(昭和11)の空中写真にみる島津邸と刑部アトリエ、そして金山アトリエ。は、『秋の庭』と同時期に描かれた『瓜二つ』。確かに2つの瓜は、うりふたつなのだけれど・・・。(^^;

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    「海猫堂」楽しそうです。ウミネコかと思ったら、海のネコの意味なのですね。(笑)
    nice!をありがとうございました。>Krauseさん
    2008年02月22日 17:32
  • ChinchikoPapa

    1919年(大正8)の空中写真、めずらしいですね。所沢は陸軍の航空隊飛行場があったから、周辺地域を撮影していたのかもしれません。nice!をありがとうございました。>一真さん
    2008年02月22日 17:35
  • ChinchikoPapa

    サンタナというと、大学出たてのころ横浜で行われた暑いコンサート(気温が)を思い出します。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2008年02月22日 17:37
  • ChinchikoPapa

    このところ出張つづきで、朝6時起きをしているのですが、すっかり体調を崩してしまいました。(汗) nice!をありがとうございました。>komekitiさん
    2008年02月22日 17:40
  • かもめ

    朱色の鮮やかな点に、モネ作“ひなげし”を思いだしました。
    あたたかな柔らかな色合いのなかにも、きりっとした風情がありますね。
    昭和3年、佐伯画伯が亡くなり、満州事変が起き、戦争の暗い時代がはじまった年でもありました。探検家のアムンゼンも亡くなってます。一方、ゲバラや手塚治虫が生まれていますが。
    “大石田の最上川”はまだ描かれていなかったんですね。瓜二つとは軽妙洒脱な題名、隣の錆びた包丁にも遊び心が伺えて面白い。この後は画材も入手が難しくなっていったのでしょうねぇ。
    2008年02月23日 10:47
  • ChinchikoPapa

    yanasanさん、nice!をありがとうございました。
    2008年02月23日 18:03
  • ChinchikoPapa

    わたしも、納豆には目がありません。
    納豆(710)な奇人さん、nice!をありがとうございました。
    2008年02月23日 18:05
  • ChinchikoPapa

    雪雲のあい間にのぞく青空は、濃縮されているように濃いですね。
    nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2008年02月23日 18:08
  • ChinchikoPapa

    かもめさん、コメントをありがとうございます。
    確かに、ヒナゲシやポピー類の可能性もありますね。そのまま、♪丘の上ヒナゲシの花で~というお庭だったのかもしれません。(^^; 記事末に、花々の描かれたあたりを拡大してみました。
    金山平三が、疎開もかねていた山形県の大石田界隈の風景を多く残していくのは、この作品が描かれた約10年ほどあとになりますか。帝展改組でアタマにきて、そのままおん出てしまった金山じいちゃんは、東京にいるとなにかと腹の立つことも多かったでしょうから、大石田で踊りながら少し気を落ち着かせて絵を描いていた・・・なんてこともありそうです。異なる分野の斎藤茂吉と仲良くしていたのも、「画壇」にうんざりしていたような気配が感じられますね。
    2008年02月23日 18:40
  • ChinchikoPapa

    こちらにも、nice!をありがとうございました。>sigさん
    2009年07月04日 14:25

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