佐伯祐三の横顔ONとOFF。

 1927年(昭和2)4月に新宿の紀伊国屋書店で開かれた、佐伯祐三の個展会場で撮影された写真が残っている。展覧会場のイスに腰かけ、ぼんやりとタバコを吸っているプロフィール(横顔)だ。脱力したように背中を丸め、下半身は写っていないが身体の傾きから足をだらしなく開いているか、あるいは投げ出しているのかもしれない。目は半眼で、なにも見ていないようだ。
 紀伊国屋書店での個展開催(4月16日~23日)は、二科つながりで石井柏亭の推薦によって実現した。この個展に、佐伯は第1次滞仏時の風景作品や静物画、そして『下落合風景』(「落合風景A」など)と、つごう23点を出品している。この写真にも、会場に展示された作品が写りこんでいる。左側に並ぶ絵は、パリか下落合のアトリエで描かれた静物画のように見えるが、右端に架けられた作品は、どうやら風景画のようだ。サイズは15号ぐらいだろうか。絵柄ははっきりしないが、どこかの通り沿いに建つ家々を描いているようだ。こんな構図の佐伯作品を、わたしはいまだ一度も観たことがない。道端には街灯か電柱らしいものが立っているようだが、さすがにこれほどのピンボケ画像だけでは、フランスの風景なのか地元下落合の風景なのかは判然としない。ひょっとすると、いまだ未発見の『下落合風景』Click!なのかもしれない。
 それにしても、佐伯の横顔がめずらしく柔和なのがいい。制作に打ちこんでいるときの表情や、写真に撮られるせいかいかにも身構えているときの彼は、表情がかたくて目が鋭く、いまに残されている写真の多くが怖い顔をしている。この写真に見るタバコをくゆらす佐伯からは、見る側を突き刺すような独特の険しい雰囲気は感じられない。でも、ライトの具合いもあるのだろうが、まるで老人の横顔のようにも見える。このとき、4月27日の誕生日(兄・祐正の年譜/戦後の朝日晃著作からなぜか28日)が目前だった彼は、いまだ若干28歳だったはずなのだ。
 同展の評論が、1927年(昭和2)発行の『ATELIER(アトリエ)』11月号に掲載されている。
  
 場中「黄色い家」が一番光つてゐた、レモン色と橙色の効果は周囲の黒調に包まれて鉱石の輝く様に、星の煌く様に深いトーンに成功してゐる。黒の愛着は一寸ヴラマンクを思出すが、彼はセザンヌの後系者(ママ)であるに反し、氏は非常に郷土的と言へる、この点「落合風景」が雄弁に物語つてゐる。/全体を見て氏は技巧家である、技巧の卓抜を褒るに「青い家のある通り」を「落合風景A」の家の寂漠な感じに、よく調ふた近景の道、点景人物の愛嬌を供へた絵が非常に懐しい。人物では三人の男の居たものは煩雑な筆致で親しみにくいが、「子供の顔」の率直なのに心打たれた。
                                           (同誌「佐伯祐三氏個展」より)
  ●
 
 この個展に出品された、下落合を描いた風景画には『落合風景』というタイトルが付けられていたようだ。でも、この個展からわずか2ヵ月後、6月17日から開かれる1930年協会第2回展Click!では、『落合村風景』と『風景』という題名で下落合の風景画が出品されている。これらの作品は、それぞれまったく別のものなのか、それとも同じ作品のタイトルを展覧会ごとに変えていたのか、いまとなってはわからない。当然、個展会場では販売もしていただろうから、それまで描いた作品が売れてしまったので、新しい作品を持ちこんでタイトルを差別化している・・・とも受け取れる。ということは、佐伯の『下落合風景』は頒布会を通じて西日本方面へ売れていたばかりでなく、地元の東京で売られた作品も充分にありえるということだ。
 佐伯がアトリエ周辺を描いた作品に名づけた、『風景』や『落合風景』、『落合村風景』(あるいは『雪景色』等も含め)というタイトルが、『下落合風景』というシリーズ名で呼ばれるようになったのはいつごろからだろうか? 大正中期あたりから里見勝蔵らの作品には、『下落合風景』Click!というタイトルがすでに存在していた。佐伯とほぼ同時期の絵にも、同名の作品が散見される。下落合の風景を描くのが、画家たちの間でブームになっていた感さえあるのだ。
 佐伯は、1点1点の風景画には、それぞれ個別の題名を付けようとしていた。紀伊国屋の個展でも『落合風景A』と、「A」を付与して作品の差別化を図ろうとしている。当然、『落合風景B』も存在しただろう。6月の1930年協会第2回展でも、『落合村風景』には「A」や「B」がふられていたようだ。でも、佐伯はどこかで、アトリエ周辺を描きつづけた風景画シリーズについて、その連作を総称する必要性を感じなかっただろうか?
 「よお、佐伯君、いまなに描いてんの?」
 「近所の風景や」
 「アトリエの?」
 「そや、下落合風景描いてんねん」
 ・・・と、ゆうに60点は超えると思われる、近所を描いた風景画連作を呼称してやしなかっただろうか? そして、彼の死後、一連のシリーズ作品は、米子夫人をはじめ友人知人たちから自然にそう呼ばれるようになった・・・、そんな気がするのだ。
 
 佐伯の横顔を写した、もう1枚の写真が残されている。1924年(大正13)の第1次滞仏時に撮影されたものだ。ここでの佐伯の顔は、鋭い眼差しとともに創造へ向けて緊張しているのがわかる。いつでもキャンバスと対決する気がまえができている、いわばスイッチがONの状態の表情。それに比べ、紀伊国屋で見せる横顔は、疲れたような表情さえ浮かべるOFFの佐伯だ。個展の会場で“番”をする彼は、「きょうは1日、絵ェ描けへんし~」とでも思っているのだろうか? OFFのときの佐伯は、リラックスを通りこして少しやつれたような面影さえ漂わせている。

■写真上:1927年(昭和2)4月に開かれた、紀伊国屋書店の「佐伯祐三個展」会場にて。
■写真中は、1930年協会展で作られた『落合村風景』絵はがき。佐伯アトリエの西隣り、八島邸の門を描いている。は、1926年(大正15)9月28日に描かれたとみられる同作「門」Click!
■写真下は、横顔の拡大。は、1924年(大正13)の第1次滞仏時に撮影された横顔。

この記事へのコメント

  • ChinchikoPapa

    新鮮なタマゴをかけて食べる熱々のご飯、たまりませんね。
    nice!をありがとうございました。>takagakiさん
    2008年02月07日 11:44
  • ChinchikoPapa

    ほんとに見たこともないフルーツばかり。それぞれ色彩が異なるのに、並べられたときの色合いが調和して見えるのが不思議です。nice!をありがとうございました。>Krauseさん
    2008年02月07日 11:47
  • ChinchikoPapa

    日枝神社は、数えるほどしか行ったことがありません。京橋から西側の町を氏子にしている、もうひしつの“天下祭”神社ですね。nice!をありがとうございました。>komekitiさん
    2008年02月07日 23:08
  • ChinchikoPapa

    材質の異なる板をスノコにする・・・という実証実験お話は面白いですね。なるほどと思いました。nice!をありがとうございました。>一真さん
    2008年02月07日 23:11
  • ChinchikoPapa

    tommy-miyabiさん、nice!をありがとうございました。
    2008年02月08日 12:00
  • ChinchikoPapa

    OFさん、nice!をありがとうございます。
    2008年02月08日 12:02
  • ChinchikoPapa

    カーラ・ブレイなつかしい。CDではなく、いまだ手元にはLPのほうが多いピアニストです。nice!をありがとうございました。>xml_xslさん
    2008年02月08日 23:59

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