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子供たちが回転ブランコにぶらさがって遊んでいる向こう側に、まるでインドのタージ・マハルのようなデザインの四阿(あずまや)建築が見えている。どうやら手前には花壇があるようで、すずらん型の街灯の下に花が植えられている。松下春雄Click!が1926年(大正15)に制作した、水彩画『愉しき初夏の一隅』(①)という作品。どこかの児童遊園のようだけれど、わたしは残念ながら下落合界隈でこのような風景に見憶えがない。
島津家Click!に書生として寄宿していた、「飛行機兄さん」こと木村秀政Click!がときどき飛行機の模型を手に現れた児童遊園が、第一文化村と第四府営住宅に隣接して設置されていたけれど、このような風情だったかどうかは資料がないのでわからない。広場の規模や奥行きからいって、絵の公園はもう少し広いスペースのようにも見える。当時は東京府の風致地区に指定されていた、葛ヶ谷(西落合)のどこかだろうか?②
つづいて、1926年ごろに描かれた水彩画『赤い屋根の家』(②)。これもあまりに漠然としていて、どこを描いたものかまったく見当がつかない。当時、「赤い屋根」の西洋館は、下落合のいたるところに建っていただろう。手前に広い芝庭のようなスペースが拡がり、右手にはヒマラヤスギのような樹木が葉を繁らせている。比較的大きな2階建ての洋館なので、徳川男爵邸の芝庭から北の方角を向いて、すなわち建てかえられる前の旧屋敷Click!を描いたものだろうか? そうすると、この建物の裏側が当時の「静観園」Click!ということになる。大正期の下落合らしい風情なのだけれど、それだけにとてもありがちな風景で、どこを描いたのかが絞りこめない作品だ。
★その後、西坂徳川邸の旧邸であることが、有岡一郎の作品Click!を通じて判明している。③
次の作も水彩画で、1926年(大正15)ごろに制作された『風景』(③)。どこかの家の庭先から、向かいの景色を写しとっている作品だ。松下のタッチは、ますます大雑把かつ茫洋としてきて、周囲の地形や家々の様子がきっちりと把握できない。左手の少し上方に、道路が通っているように見えるのだが、道端の柵を欄干と見れば橋のようにも思える。これが橋だとすると、庭の向こう側には川が流れていることになるが、1926年(大正15)ごろの風景を前提にすると、妙正寺川に架かっていたいずれかの橋だろうか? とらえられた景色が曖昧すぎて、場所を特定することができない。④
つづく作品も、どこかの家の庭から向かいの風景を切り取ったものだ。1927年(昭和2)ごろに描かれた『木蔭に憩う』(④)。庭から先は地面が大きく落ちこんでいて、谷間の地形が眼前に拡がっている。画面右手に生えた樹木の下には人物がいるようで、衣装が半袖のところをみると夏なのだろう。左手の谷間にのぞいている屋根は、昔ながらの日本家屋のようだ。屋根からトイレの臭い抜きが突き出ており、さらにその向こう側には柵で三角形に囲った畑地のようなもの、その左手にも耕地のようなかたちが描かれている。あるいは、これらの表現も家々の屋根なのだろうか? 画像がモノクロなので、はっきりと判断がつかない。また、この谷間の向こう側にも崖線が見え、その上に家々が建っている様子がうかがえる。かなり強めの光は右上方から射しているようなので、右手が南に近い方角だろうか。
谷の大きさを考えると、下落合のどの谷戸にも当てはまりそうな規模に描かれている。でも、空中写真や当時の資料で谷戸のいくつかを丹念に調べてはみても、これに類似する風景ポイントは存在するけれど、「ここだ」と厳密に規定することはできなかった。
■写真上:左は、1926年(大正15)制作の松下春雄『愉しき初夏の一隅』。右は、第一文化村と第四府営住宅に隣接した、1936年(昭和11)現在の空中写真にみる児童遊園。
■写真中上:左は、1926年ごろに描かれた『赤い屋根の家』。右は、10年後の徳川邸(旧邸)。
■写真中下:左は、1926年(大正15)ごろの『風景』。右は、1932年(昭和7)現在の寺斉橋。
■写真下:左は、1927年(昭和2)ごろの『木蔭に憩う』。いずれの作品も水彩なのと、モノクロ画像しかないのでイマイチわかりにくい。右は、下落合の代表的な谷戸のひとつである林泉園の現状。
この記事へのコメント
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ChinchikoPapa
ものたがひ
一方、同時期の佐伯祐三の作品群においては、明瞭に把握された地形の中に、造成中の道路や更地も含まれ、ピトレスクとは言わないであろう曇天の下(あ、たまにはピーカンでした)、現場に立つ感覚を呼び起こします。説明的な描写はしないけれど、的確に重ねられた筆触が効果的に、遠近感や対象の量感を表しています。
同じ道も確実に辿っている二人の眼差しの違いは、この地域の近代化に対して注がれる、眼差しの違いと思います。ちょうど同じ頃、下落合を描いた、このような二人の画家が居るとは興味深いことです。
ChinchikoPapa
松下シリーズはあと1回で終わりなのですが、描かれている風景の場所が特定しにくいのは、ものたがひさんも書かれるとおり「道筋」の描かれている作品が非常に少ないということなのです。次回、詳しく書きたいと思っていたのですが、周囲の建物や風情は大きく変貌しても、道筋のかたちはそれほど大きく変わっていないことが多いですね。そこが、現在の下落合における既視感や長く散策してきた経験と結びつき、描画ポイントを特定できることが多かったのです。
佐伯と松下は、きっと下落合のどこかですれ違っていると思うのですが、モチーフを選ぶ眼差し、つまりイーゼルを立てる場所は、決して交わることはなかったんじゃないかと想像しています。
ChinchikoPapa
nice!をありがとうございます。>komekitiさん
ChinchikoPapa